五十章 スノウリード夫妻
ボルド村の人達曰く「壁の中」というアカデミアタウンは、案外普通の街だった。ただ、ラーザイナ魔法使い連盟本部である〈塔〉の敷地かそれ以上に匹敵する、広大な街という点では普通ではなかった。
街道がメインストリートになっていて、商店街が建ち並んでおり、他は家か屋敷ばかりだ。家というのが一般庶民の住む民家やアパートで、屋敷は貴族の屋敷や別荘なんだそうだ。屋敷というくらいだから塀で囲われた土地は広いし、家自体も横に広い。アカデミアタウンが、スノウリード魔法学校に通う貴族や富豪の令息令嬢の落とすお金で活気づいている街、というのは本当らしい。
街を抜けて小高い丘を上ると、ようやくスノウリード魔法学校に着いた。灰色の石材で造られた巨大な門がどんと立ちそびえ、左右の柱の上には、空を見上げる竜と伏せて通行者を見守る竜の石像があった。立派だ。
「リド、君は次からはあちらの門を使いなさい。使用人用の門だ」
「分かりました」
セトは、大門の左向こうにある小さな門を指差す。そこから細い道が緩やかに街道まで伸びているが、大門までの道よりも移動距離が長い。こぢんまりとした小さな門といい、目立たないように造られているようだ。
セトが校長に相談したら用務員の職をくれたので、リドは使用人サイドから情報収集に当たることになった。確かに、使用人内にも魔力増幅剤をばらまいている者がいるかもしれないから、妥当な着目点だろう。リドが使用人というのが、今一釈然としないけれど。
「僕もあっちからですか?」
流衣は助手だし、小さな門の方がいい気がしたが、セトは首を振る。
「私の助手だ、こっちで良いに決まっている」
「そ、そうですか」
きっぱりと断言され、控え目に頷く流衣。どこから来るのだろう、その自信は。
(セトさんは魔法使いの中では売れっ子研究者みたいだし、相当地位が高いのかな……?)
いまいち魔法使い事情が分からない。でも、転移魔法の権威だというから、きっとそうなのだ。あのアルモニカですら尊敬しているのだから、偉い人なのだろう。
その偉い人が「壁の外」の村に居を構えているのが、流衣は急に不思議に思えてきた。
(うへえ、おっかない門……)
それにしても、この門の上に乗っている竜の像は怖い。緻密な彫刻がされていて、まるで生きているかのようで迫力満点だ。
思わずまじまじと像を見つめていると、目がキラリと光った。ぎょっと後ずさる。
「なっなななっ、セトさんっ、あの像ってもしかして生きて!?」
「そんな訳ないだろう」
「でも、今、目が光って……っ」
「ああ。たまに校長が監視の魔法を使うから、それでだろう」
「そうなんですか」
流衣はどぎまぎしつつ頷く。そんな魔法もあるのか。どういう分類だろう。
「オルドリッジ教諭、そちらの二人が新入りですにゃ?」
なんとも間の抜ける問いかけに緊張が解けるのを感じながら、流衣は左側を見る。大門の左の四角い柱の下に木製の扉がついていて、そこから猫が現れた。
身長は流衣の目線と同じくらいで、藍色のローブを着た青みがかった黒い毛をした猫の獣人だ。腰にナイフを装着している。
黒猫の獣人が、黒い毛で覆われた足でぽてぽてと雪の積もった地面を叩きながら近づいてくるのに、セトは返す。
「ああ、そうだ。二人とも、彼は猫族のニケだ。で、あちらのレディーが双子の妹のミケ。この学校の守衛だが、だいたいはここで門番をしている」
セトの紹介通り、ニケの後に続いて白い体毛の猫も出てきた。身長はやや黒猫より低い程度で、白いローブと深紅のスカートをはいている。ミケは片手に白い木製の杖を持っていた。
「セトさんの助手になりました、ルイ・オリベです。よろしくお願いします」
「俺はリドです。用務員として働くことになりましたので、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる流衣と、やはり頭を下げてから人好きのする笑みを浮かべるリド。
ミケはニケと同じ宝石みたいに澄んだ青い目を細める。
「ご丁寧にどうも。困ったことがあったら、遠慮なく聞いてちょうだい。これからよろしくね」
「そーにゃ。面倒なことは全部ミケに聞いてくれ。あとにゃ、助手の方、この門の開門時間は平日は朝七時から八時、夕方の四時から六時にゃ。地の曜日は、朝七時から夕方の七時まで開けてる」
そこでニケは小門をまるまるっとした手で示す。
「時間外はそっちの小門を使ってくれにゃ。戻る時は呼び鈴を鳴らしてくれればおいらかミケが開けに出てくるし、出る時は勝手に開く。そういう門にゃ。生徒は無理だけどにゃ、職員なら大丈夫。んで、そっちの坊主はにゃ、勤務時間内に外に出る時は許可証か鍵がいるんだにゃ。そこは勤務先で聞いてくれ」
ニケが何歳なのかは分からないが、何とも愛嬌のある喋り方に流衣は頬を緩める。猫が大きくて二足歩行していると迫力があるが、親しみを持てる。
(うわぁ、可愛いなあ。猫だ、猫)
流衣は動物が大好きだ。猫だって勿論好きなのだが、何故かいつも引っ掻かれる。犬にも噛まれた。流衣は好きだけれど、犬猫は流衣のことは好きではないらしい。そんなオーラでも出ているのだろうか。残念だ。
「挨拶も済んだし、行くぞ。校長に会わせよう」
「あ、はいっ」
そう言って広い歩幅ですたすたと歩き始めるセト。流衣はニケとミケに会釈をし、セトを追う。
「今日は授業はいいんですか?」
質問したら呆れた顔をされた。
「今日は地の曜日だぞ。授業は無い」
そうだったのか。
旅をしていると日にち感覚だけでなく曜日感覚もあやふやだ。
「まあ、私の講義は週に三回であるし、午前の時もあれば午後の時もあるからな。講義が無い日は研究室か自宅にいるよ」
なるほど。一人納得する流衣。
「校長室は学校の一番奥だ。途中、生徒とすれ違っても、目を合わせないでいるか合っても会釈する程度でいい。私についてくるので必死な振りでもしていなさい」
セトは親切にそう付け加える。流衣は、目を合わせるなってどれだけ面倒臭い生徒なんだと内心でおののいた。思わず後ろをついてくるリドを見たら、何故か神妙な顔をして何度も頷いている。まるでその通りだと言わんばかりに。
そして広大な敷地を歩くこと二十分。ようやく校長室に辿り着いた頃には、すっかり身体は冷え切っていた。
「よく毎日ここを移動できますね……」
思わず感心してしまうと、再びセトの呆れた一言が飛んでくる。
「君は私が転移魔法の開発者だと忘れていないかね? 転移するに決まっている」
ああ、そうでした。
お荷物ですみません。
*
「はあい、よーこそ、我が学校へ。私は校長のスノウリードよ。グレース・スノウリードっていうの、よろしくね」
腰まである癖の無い美しい銀髪、ガラス玉のような青色の目、雪のような真っ白な肌。どう見ても二十代にしか見えないその女性は、青い布の張られた長椅子にだらりと寝そべったまま、そう言った。全体的に気だるげな空気を纏っているせいで、真っ白いシンプルなドレスを着ているのに清楚というより妖艶に見えた。金色の鱗をした大蛇を身体に巻き付けているので、天使を装った悪魔に見えなくもない。
(校長……!? いや、なんかもう色々すっ飛ばして、この態度はおかしくない!?)
直立不動で硬直したまま、内心で頭を抱える。
「あのように厚かましい姿勢ですが、アレは確かに校長ですので、お気を確かに持たれて下さい。私は校長の補佐……というより、すでに執務の大半をこなしているトーリドと申します」
校長室の扉を開けてくれた執事らしき黒服の青年は穏やかな口調で言い、――フォローする気はないらしい――緩やかにお辞儀をする。黒髪と金目をした目鼻立ちの整った背の高いトーリドは、肌が褐色な為に表情が読みにくいが、どうやら呆れているようだ。眉間に皺が刻まれている。
「トーリドはねえ、あたしの旦那様なのよぉ。好きなことして過ごしていいっていうから結婚したの。良い人でしょ?」
「ありがとう、グレース。ああ、すみません、オルドリッジ教諭。それからオリベさんとリドさん。ああ見えて彼女は意外に働き者ですし、可愛いので許してあげて下さい」
―――!?
さりげなく付け加えられた言葉に、流衣は再び固まった。
いかにもクールそうな外見でさらりと何を言うんだ、この人。
それとも今のは流衣にだけ聞こえた幻聴だろうか。思わずそっとセトとリドを見ると、セトはうんざりとした顔をしていて、リドは豆鉄砲を食らったみたいな間の抜けた表情をしていた。
うん、どうやら幻聴ではなかったようだ。確認したところで嬉しくないが。
『ほお、白竜と黒竜の夫婦ですか。世にも奇妙で珍しい取り合わせがあるものですねえ』
反応に困ってとりあえず苦笑いをしていると、肩に乗ったオルクスがぼそりと流衣にだけ聞こえるように呟いた。
「白竜と黒竜……?」
言っていることがあまりに突飛だったので、流衣は思わず確認するようにオルクスの言葉を口に出して繰り返してしまう。
すると客人相手にも関わらず長椅子でだらけていたグレースが、すっと身を起こす。
「何故分かったの? 私達の変化はそう簡単に見破れないはずよ」
ゆるゆるっとした空気を一変し、グレースは鋭い気配を纏う。見た目と名前の通り、まるで雪のような冷たさだ。
視線にたじろいだが、流衣は大事になる前にとオルクスを示す。
「僕の使い魔がそう言ったので……」
「使い魔が、ですって?」
更に剣呑な空気を帯びるグレース。流衣は背筋がひやりとし、慌ててこくこくと頷く。
「ふぅん、面白い。あなたのその使い魔、よっぽど鼻がきくのね。鳥のくせに」
グレースは一人呟いて、それからきちんと椅子に座り直す。蛇は膝の上で丸くなった。
「いかにも、私は白竜よ。元々は山奥で魔法を探求していたのだけど、たまたま拾って育てた人間の子がえらく優秀な魔法使いになっちゃってね、それで噂を聞きつけた人間の弟子入り志願者が増えて……。私、ほんとは人間って大嫌いなんだけど、大金持ってきたら魔法を教えるなんて言ったら本当に持ってくるから渋々教えて、気付いたらこうして学校をするはめにまでなっちゃったわ」
それから二百年と少し、ずっとここで校長よ。
ふう、と切なげに溜息を漏らすグレース。そっと右頬に手を当てる。
「ほんと、お金や光り物が大好きすぎて困るわ……。宝物に魅せられる竜の哀しい性ね」
そこへ、トーリドが相変わらず表情の薄い顔で口を挟む。
「などと言っていますが、竜がみんな金の亡者であるわけではありませんので、そこを勘違いしないで下さいね。お金好きは彼女の性質です」
「トーリド、そんな注釈はいらないわよ。あなただってお金稼ぐの好きじゃない」
不満そうに口を尖らせるグレース。トーリドは淡々と言う。
「稼ぐ原理を工夫するのが楽しいんですよ。それに、私はお金を稼ぐよりずっとグレースの方が好きです」
なんの照れもなく、あっさりと言うトーリド。
「「「『……………』」」」
外野の男達は無言のまま視線を脇に反らす。
「んふふ。私もあなたのこと好きよ、宝石の次に」
「嘘はいけませんね。本当は一番なのは知っています」
じっと見つめ合う異種族夫婦。ほんわりと甘い空気が校長室に漂う。
セトはそんな空気を吹き飛ばそうといわんばかりに、盛大に咳払いをする。
「ん~ゴホンッ! スノウリード夫妻、夫婦の甘い語らいは私達のいない時にして下さい。あなた達が、雇った人間を一度会わせろと言うから連れて来たんです。用がないなら帰りますよ」
明らかに不機嫌そうなセトの声に、空気を読まないグレースのくすくす笑いが返る。
「あら嫌だ、妬みかしら? 悔しかったら、とっとと番を見つけなさいな。……と、違ったわね。結婚しなさいな、ね。んふふ、ときどき間違っちゃうのよね」
「そんなときどき抜けているグレースも魅力的ですよ」
「ありがとう。私もトーリドの無愛想な顔、大好きよ」
にっこりと微笑むグレースと、僅かに笑みを浮かべるトーリド。また空気がキラキラし始めた。
――駄目だ、この夫婦。手に負えない。
夫婦以外の三人と一羽は同時にそう思ってげんなりした。
「まあ、セトのことはいいわ。見たところ、合格ね。ちょっとルイの方は心配な感じだけど、どうにかなるんじゃないかしら。セトの助手だしね。リドの方はしっかりしてそうだから平気なんじゃない? 用務員は掃除の手伝いや修理や庭師の手伝い、とにかく雑用がメインだから頑張ってね。行動範囲は広いから情報収集はしやすいと思うわよ」
怠惰そうにあくびをしながら言うグレース。美人が大欠伸をすると可愛く見えるのだから、得していると思う。
しかし、面倒臭そうな割にきちんと考えてはいるようなので安堵する。
「それでね、今回呼んだのは、まあ査定も兼ねてはいたけれど、こっちの件よ。働いている間はそこで寝泊まりするといいわ」
執務用のデスクに置かれた紙を二枚、浮遊の術で宙に浮かべ、流衣とリドに渡すグレース。ぐってりと手すりにもたれかかる姿勢になっている。紙を取りに行くのも面倒みたいだ。
ひらり、と飛んできた紙を見下ろす。
簡単な地図に記された家と、管理者の名前、その管理者のいる住所が書かれている。
じっと紙切れを見つめる流衣とリドに、グレースは続けて言う。
「家賃はこっちで持つわ。元々住んでいた人が引っ越した時に家具をそのままにしていったそうだから、少し道具を足す程度で使えるはずよ。庭も屋敷内も好きにしていいわ。内装が気に食わなかったら変えてもいい。ただし、その経費は全部あなた達が持ってね。そこまでは面倒見ないわ」
「庭つきのお屋敷って、そんなの使って良いんですか?」
びっくりする流衣に、グレースは頷く。
「ええ。まあ、詳細はそこの管理者のヨーザに聞いてちょーだい」
グレースはそう言うと、もう行っていいわよーと促した。
いつまでの調査になるかも不明だし、宿での連泊では高くつくから、確かに一軒家を借りた方が安上がりだ。気を使わなくて済むのもいい。
宿ではなく一つの場所に足を落ち着けられることに、流衣は安堵めいた喜びを覚えた。
(なんて良い人なんだ、校長先生)
お陰でグレースの評価はウナギ上りであった流衣は、まさかこの後、旨い話には裏があるという言葉を、自分の身でもって体感するはめになるとは思いもしなかった。