幕間8
※文章中、少々残酷な表現を含みます。
しつこい奴らだ。
ディルは歯がみし、リリエとヴィンスの後を追うように森の中を走る。ときどき後ろから魔法による攻撃が飛んでくるので、それを光弾で撃ち落とす。
王城が反乱軍によって占領された際、リリエがヴィンスを連れて王城を逃げたという話を聞いて、リドにおおよその居場所を調べて貰い、そこへ駆けつけた。風の精霊の力を借りられて本当に助かった、のは良かったのだが、その際、人を探していると聞いて敵と勘違いしたリリエに光弾を乱れ撃ちされて危うく死ぬところだったので、師匠によりもたらされたトラウマが一つ増えることになった。
再会したリリエの話だと、反乱時に女王の執務室に駆けつけた時には、すでに宰相は殺されていて女王の姿は無かったらしい。代わりに椅子には女王の叔父であるアルスベル公爵が座っていて、リリエは逆上して斬りかかりかけたが、怒りよりも女王の安否を優先して執務室を飛び出し、襲ってくる反乱軍を斬り伏せながら城を駆け回り、傷を負いながらもヴィンスだけは助けだした。そして、二人が逃げる時に一役買ったのが、ディルの後ろを走る黒いシルクハットに黒いタキシードを着た老人だった。
「ディル、後ろは任せて先にお行きなさい」
「了解しました、カルティエ様!」
女王の影の護衛であるカルティエは、窓から転落したものの無事だった。無事とはいえ、魔力を八割がた喰われた挙句、左肩に大怪我をしていた。闇夜に紛れて執務室まで戻ろうとしていたら、ヴィンスを連れて遁走しているリリエを見つけて合流し、竜の姿に戻って逃げおおせた。ここまできたらと執務室に竜の姿で突っ込む覚悟でいたのに、リリエの話では執務室に女王の姿がないと聞き、大きな魔力が動いた気配は女王が転移させられたからだと判断したのだそうだ。
そういうわけで、カルティエはヴィンスの味方についており、ヴィンスを安全な所まで届けてから女王を探しに行くと決めたようだ。傷が深くてあまり長時間飛び回れないからだそうで、傷を癒すついでらしい。
王弟殿下の護衛がついでというカルティエの言い分には面食らったディルだが、師匠が相変わらずねえと笑い飛ばしたので気にしないことにした。師匠曰く、カルティエは女王の盟友であって、それ以外の人間は身分があろうと扱いが雑なんだそうだ。ヴィンスのことを気にするのは、盟友が大事にしている弟だからという一点の為だ。
「殿下!」
ヴィンスが蔓草に足をとられて転んだのを見て、ディルはざっと顔色を変える。
実の姉である女王の安否や叔父の反乱、加えて追っ手に追われながらの慣れない徒歩の旅のせいで、ヴィンスはすっかり疲弊している。一週間前に再会した時ですら、すでに顔色が悪かった。王城を目指して逃げている時とは比べ物にならない重圧が、小柄なヴィンスの肩に重くのしかかっているのだ。
剣を構えつつ、さっと側にしゃがんでヴィンスを助け起こすリリエ。
「師匠! 殿下!」
二人の右横、ずっと奥の暗がりに黒い衣服を見つけ、ディルは飛び出していた。
黒い衣服の者が放った魔法が飛んでくる。黒い光の固まり――闇属性の魔法の一種だ。
それが何か分からないまま、ディルは大剣を引き抜いた。
「はぁ!」
そして、勢いよく剣を振り下ろし、光を叩き斬る。
防護の加護付きの大剣だから、普通の剣と違って、たいていの魔法は斬ることが出来る。
―――ただ一つ、呪いを除いては。
「げっ」
だから、叩き斬った黒い光の玉から黒い文字のようなものが飛び出した時、ディルは引きつった声を上げた。
「しまっ……!」
分断された文字の羅列が、まるで水飛沫のようにかかる。
そしてその瞬間、雷に打たれたかと思うような凄まじい痛みが衝撃となって襲い、ディルは声を上げる暇もなく地面に崩れ落ちた。
「………ル! ディル! しっかりなさい!」
ゆっさゆっさと振動を感じ、しかも頬に痛みを感じてディルは薄らと目を開ける。
すると、青ざめた顔をしたリリエがディルを見下ろしていた。
この人もこんな顔をすることがあるのだなあ。ディルはぼんやりする頭でそう考えながら、リリエを見つめる。
「こうなったら、拳で起こすしかないようね……!」
そして、鬼気迫った顔でリリエが右の拳を握ったのに気付いて、慌てて目蓋を持ち上げ、ついでに腕で顔を庇う。このままでは起こされる前に永遠の眠りについてしまうかもしれない。
「ちょっ、待って下さい。師匠!」
ディルは必死で叫んでみて、ん? と眉を寄せる。
なんだか、今の自分の声はおかしかった。
恐る恐る腕をどけると、リリエもまた奇妙な顔をしていた。
「あんた、小鳥薬でも飲んだの?」
小鳥薬というのは、半日ほど声を高くする薬だ。杖連盟公認で、魔法道具屋にも売っている品だ。声色を変えたい者や、低い声を気にする女性の間でよく使われる。
「いえ、そんな物を飲んだ覚えはありませんが……」
やっぱりおかしい。声が少し高いような気がする。
ゆるゆると半身を起こし、それから服の袖が余っているのに気付いて眉をひそめる。
(何だ……? いや、そんなことより殿下は……!)
ハッと思い至り、慌てて周りを見回す。
「…………」
そして、言葉を失くした。
周囲は死屍累々の有り様だった。
十人はいるだろう追っ手達が、周りにばたばたと倒れ伏している。大半は無傷で気絶しているようだが、三人ほどは怪我をして地面で呻いている。血の臭いがした。恐らく、無傷の者がカルティエに昏倒された者で、三人はリリエノーラにより斬り伏せられた者なのだろう。カルティエの武器はステッキだから、簡単に想像がついた。
「カルティエなら周辺を警戒しに行ったわ。殿下はそちら」
リリエの言う通り、ヴィンスは少し離れた木の下に座っていた。相変わらず顔色が悪いが、ディルに気付いて心配そうな顔をする。
本当に優しい方だ。ご自分の方が大変だろうに。
シャノン公爵は王族とは思えない程に気さくな方だが、隠せない高貴さが滲み出ている。顔が綺麗なだけではない、恐らく心根からくるもの。
ディルは、ヴィンスの気遣いを見ただけで、リリエの元に馳せ参じた自分を誇らしく思った。
「私は大丈夫です、殿下。何やら声がおかしく服まで伸びたようですが」
服が全体的にだぼっとしている。手の甲と腕を守る篭手ですら、固定しているベルトが緩んでいた。
首をひねりつつ、痛む場所がないかとあちこち触り、ふいに硬直する。
――――?
「ん? なんだ、これは。腫れている!」
胸に手を当てると、何故か僅かに膨らんでいて、ディルは呪いのせいで腫れたのかと仰天した。
すぐに手当てをしなくては!
周りにはすでに脅威はない。だからディルは、襟を飾るレヤード家の紋章を刻んだ銅板を外し、上着に手をかけた。
「あんた、一応、私は女なんだから少しは気にかけなさ………あ?」
躊躇なく上着を脱ぎだすディルにリリエは不満を言いかけ、言葉をぶった切る。
上着の下、肌着である木綿のシャツの胸元が盛り上がっているのを、呆然と凝視する。
「やはりあの呪いのせいですね! 見て下さい、腫れてます! どんな呪いが……ってうわっ、何ですか!」
急に物凄い勢いでリリエに上着を被せられて、ディルは目を白黒させる。
「殿下の目に毒だから、それをとっととしまいなさい! このどアホが!」
「は? え? でも師匠、腫れているので、薬を塗らねば」
「うっさい! 黙って言う事きけっ!」
「はい!」
よく分からないがリリエの剣幕が恐ろしかったので、ディルはすぱっと返事をした。
目を点にして疑問符を飛ばしまくっているディルの前で、何やらリリエは頭が痛そうにしている。
「くぁーっ、まさかそんな風に呪われるなんて! なんて面倒臭い!」
キーッと胸元まである薄茶の髪を掻き回して叫ぶリリエ。
「だ、大丈夫ですか? リリエノーラ……」
驚いたヴィンスが問うと、リリエはぶんぶんと首を振る。
「いいえっ、大丈夫なんかじゃありませんわ! 私より良い女なのがまたムカつきます!」
「はあ?」
首を傾げるヴィンス。ディルもまた奇異の視線を師匠に向ける。
何を突然言い出すのか、この人は。女王が行方不明、王弟殿下は追っ手に追われるというこの現状が相当ストレスになっているのかもしれない。
ディルはリリエをたくさん労わろうとそっと心に誓う。
とりあえず、上着を着るように急かしてくるので、渋々ながら上着を着直す。治療しないで悪化したら盛大に恨もう。そして袖をまくって篭手を締め直し、妙に緩んでいる腰のベルトも締め、更には裾が余っているズボンを折り曲げていく。
「全く、おかしなことだな。呪いのせいで体が縮んだのだろうか?」
首をひねって立ち上がり、そこでぐしゃっと無様に膝から地面に落ちる。
「どわ! なんだ、重っ」
ディルは何事が起きたのかと、理解出来ずに呆然とする。
倒れるまでは重さなどほとんど感じず、自分の身体の一部のようになっていた大剣がまるで岩のようだ。それに、鉄製の部分鎧や左手に装着している小さな盾ですら重く感じた。ありえないことだ。
座ったままぶるぶると震えながら、それでも立ち上がろうと努力していると、リリエがあっさり大剣を奪い取った。
「今のあんたじゃ、これは無理よ。足の部分鎧も外しな。篭手と盾はそのままにした方が安全だから我慢なさい」
「へ? あの、ですが」
困惑するディルに、リリエは一言問う。
「だって、持てないでしょ? そのなりじゃ」
「は、え、ええと」
「呪いのせいで、女になっちゃってんだもん。仕方ないわよ」
「はあ、そうですか……」
ディルは頷いてしゃがんだ姿勢で部分鎧の留め金を外していく。そして全部外して部分鎧を地面に置いたところで、リリエの言葉にとんでもない単語が紛れているのに気付いた。
「―――え? あの、師匠。今、なんて」
嘘だ。嘘と言ってくれ。いや、聞き間違いであってくれ。
顔が引きつっているのを自覚しながら、リリエを見上げる。
リリエは猫のように目を細め――右目が緑、左目が金という色合いのせいで、ますます猫みたいだ――仕方なさそうに息を吐く。そして、ディルの前に座ると、ディルの顔をがっしり掴み、言い聞かせるように丁寧に言う。
「だから、あんたは今、呪いのせいで女になってるの。女よ、女。分かる?」
「い、いいえ。分かりません」
というか、理解したくありません。
あまりの理解したくなさに逃避に走りたいのに、リリエは逃避を許さない。ディルの返事に、また目が細くなる。
「ふぅん、私が言ってるのに理解出来ないんだ、あんた。そう……」
そしてぽいっと手を放すと、自分の荷を漁って鏡を取り出す。
「ほら、これをよく見なさい! じっくり! 余すことなく! 完全に現実を受け入れるのよ!」
ずいずいと鏡を突きつけてくるリリエに、ディルは悲鳴にも似た叫びを上げる。
「い、嫌だぁぁぁ―――っ!」
*
十分後。
リリエの脅迫じみた説得により現実を受け入れたディルは、自分に呪いをかけただろう魔法使いを起こして尋問したが、呪いを解く方法は分からなかった。
「は? 女になる呪い? 俺がかけたのは、三日ほど動けなくなる呪いだぞ」
そんなふざけた返事に、切れたディルが思い切り魔法使いを殴り飛ばしたが、誰も責められなかった。あまりに不憫すぎて。
呪いを薄める為に血を少々奪っても効果がなく、自分が呪いを剣で叩き斬った影響の為だろうから誰も責められず、ディルは近くにあった木に頭突きをすることで自分を落ち着けた。
「お、落ち着きなさいよ。ディル……」
乱心しちゃったのかしら、この子。
流石のリリエも弟子の態度に強い言葉をかけられず、恐る恐る言う。
ディルは幹に額をつけたまま静まり返っていたが、やがて不気味に笑いだした。
「ふ、ふふふふふ。絶対。絶対に男に戻る!」
そして迫力たっぷりに空に向かって宣言したのだった。
=蛇足的後書き=
えーと、強烈な回から第三部スタートです。なんかスイマセン……。
ディルはなんでこう可哀想な役回りが多いのか。ほんと書いてて不思議。
別にこれ、性別転換とかって注意書きとかいらないですよね? ギャグですよ、ギャグ。
例え身体が女になろうとどこまでも男気溢れるディル。木に頭突き……。
ま、再度ディル登場シーンをお楽しみに(笑
最初の方、説明っぽくなったのは仕様です。ここを省くのは無理でした。
まだまだ続きますけれど、なんだかんだでお楽しみ頂ければ幸いです。そろそろ読者様が飽きちゃいそうで怖いなあ。私は書いててとっても楽しいですが(^ ^)
では、またよろしくお願いします。