六十四章 魔王の亡霊と勇者様 1
※残酷描写、注意。
「マスター!」
〈蛇使い〉の言葉に、流衣やリドは勿論のこと、その場に居合わせている教師や生徒達も凍りついて、その男を見た。
闇属性の魔法を使用する魔法使いの裏ギルド、それがネルソフだ。だからそのギルドのメンバーがマスターと呼ぶのは、ネルソフのギルドマスターしかいない。
黒い髪と金色の目をした背の高い青年は、どう見ても二十代後半にしか見えず、ギルドマスターというには若すぎるように見えた。しかし、マスターたるに相応しい威圧を備えている。
全身を黒で揃えた服装をしていて、立っているだけで影に溶けそうな、そんな危うさがある。けれど、漠然とした存在感があった。そう、夜になればいつの間にか側に寄り添うようにある闇そのものといった具合に。腰に提げた短剣の柄と、男が右手に持つ金属製の杖だけが鋼色をしていて、闇夜に灯る星のように淡い印象を残している。
「う……」
その男を認めた途端、流衣は悪寒に襲われた。口を片手で覆う。
男は薄らと瘴気を纏い、影に魔物を飼っていた。何がいるのかまでは分からないが、鋭い目が二つ、爛爛と光って影から外を見ているように見えた。
「何という奴だ。あれだけの瘴気を纏いながら、よくも正気を保っていられる」
恐れるようにアルモニカがうめき、両手を合わせる。聖法の術三・浄化を使ったのか、気分の悪さが薄らいだ気がした。
しかし、流衣の気分の悪さは瘴気だけが原因ではない。男の得体の知れなさからくるのだ。何故か、金髪金目の男の上に、黒髪と金目の男の顔が重なって見える。映像がだぶついて、揺らいで、また一つの顔に戻る。映りの悪いテレビを見ているような、そんな気持ちの悪さだ。
「やれやれ。カースはやはり役立たずだな」
男は短く呟き、ちらりと地面に伏せているカースを一瞥した。カースの側にいたリドが、弾けるようにして跳び退る。
退くとほぼ同時、黒炎がカースを包むように燃え上がり、一瞬後、灰だけを残してカースは消えていた。
「な……っ。仲間を……?」
リドが愕然と呟くのに、男は口端だけで笑い返す。人一人をあっさり死に追いやったというのに、男の金の目には何の感慨も映ってはいない。まるで路頭の石を見るような平素なものだ。
「仲間? こいつらはただの駒だ。そうだろう、老師」
「……ええ。マスターのおっしゃる通りでございます」
目から大蛇を出し終えた〈蛇使い〉は、ぜいぜいと肩で息をしながらその場に膝を突いた姿勢で、慇懃に答える。
満足そうに頷いた男は、左手に持っていた紙束をセトの方に放り投げる。びっしりと文字や図形が書き込まれた紙は、どさりと重い音を立てて草むらに落ちた。
「セト・オルドリッジ。貴様の研究はなかなか面白かったぞ。神の園に残された召喚陣を利用した遠距離転移とは、流石は天才、着眼点が違う」
「……それはどうも」
苦々しい顔で返すセト。
「だが、あえて言わせてもらえば、これは転移魔法には使えぬだろうな。あれは召喚陣であり、呼びだしたものに対する送還陣だからな。しかも勇者のみを呼ぶ」
くつりと、男は楽しそうに笑う。
「だが、いいことを教えて貰った。神の園や神の庭が、自然界から魔力を集める巨大な力の発現場所とはな。あの魔法陣が、その力を使用した陣だということが分かっただけでも僥倖だ。俺は神なんぞというものは嫌いだからな、潰しがいがあるというものだ」
「なっ」
セトが仰天したように目を丸くした。
「何だ、それは。私はそんなことを書いた覚えはない!」
セトのその驚きようは、流衣から見ても、相手がネルソフだから誤魔化して嘘を言っているというわけではないようだった。
「書いてあったぞ。綿密な調査結果が。気付いていなかったのか? それは言わねば良かったな」
マイペースに返事しながら、男は周囲を一瞥する。
誰も動けず、男の一挙手一投足を注視している。
「それで? 老師、杖連盟のギルドマスターの一番弟子とやらは見つかったのか? やけにこだわっていたが……」
「は、はい! そこにいる赤毛の娘がそうです!」
「……赤毛。あの忌々しい王族と同じ色だな」
男の金目が、じろりとアルモニカを捉える。
アルモニカはびくりと肩を震わせ、威圧に怯えたのか、小刻みに震え始めた。
流衣はそれを見て、さりげなくアルモニカを背中に庇う。杖を前で構える。流衣自身も手が震えていたが、そうすべきだと思ったのだ。
「その王族の分家です。風の神殿の跡取り娘ですよ。名はアルモニカ・グレッセン」
老師が答える。
「それから、その前にいる子どもが、影の塔を半壊にした犯人ですな」
ううっ、余計なことを付け足さないで下さい。
青ざめる流衣であるが、後ろにアルモニカがいるのだから引く気はなかった。
「へえ、例の? 風の姫君の騎士がそれでは、あんまりにも貧相ではないか? ――だが、確かに稀に見る程の魔力を持っている」
恐怖で心臓が口から出そうだったが、流衣は頑張って男を睨んだ。目が合うだけで冷や汗が吹き出し、膝までもがぶるぶる震えだしたけれど、不思議とアルモニカを置いて逃げるという考えは浮かばない。
相変わらず、男の顔はぶれて見えて気持ち悪いが、黒髪金目の方が出現数が多いように見えた。ああ、目がちかちかする。
こちらを観察していた男の眉が、怪訝そうに寄せられる。
「否、多いなんてものではない。人には過ぎたる量だ。――貴様、いったいどこから来た?」
「え?」
一瞬、何を問われたのか分からなかった。目を瞬く流衣を、尚も男は怪訝そうにじろじろと観察する。
「それだけの魔力保持者だ。ネルソフだけではなく、杖連盟や神殿のどれもが、生まれた後に手元に置こうとするだろう。それにそれだけ特徴的な見た目なら話題に上りもするだろうに、お前のような外見の魔法使いの話など、今まで一度も聞いたことがない」
「…………」
そりゃあ聞いたことはないだろう。別の世界から来たのだから。
正直に答えるわけにもいかない。妙な興味をもたれたら、それこそ身が危ない気がする。
口を引き結んで、流衣はひたすら冷や汗を流す。答えろとばかりに視線の威圧感が増して、くらくらしてきた。焦った流衣は、いつもの嘘を正々堂々叫び返した。
「す、住んでた場所の名前も知らないような辺境のそのまた辺境です! 魔法の事故で飛ばされて、迷子中なので知りません!」
あ、あれ? なに、その唖然とした空気。
男だけではない。周囲の生徒達まであんぐりと流衣を見ている。その視線の中には、可哀想なものを見る視線も少なからずあった。
男は黙り込んだが、一拍おいて笑いだす。
「く……ははは! そうか、迷子中なら知らぬだろうな! はは。そんな嘘を堂々と言う奴がいるとは思わなかった」
「…………」
やっぱり嘘ってばれるよね……。半分は本当なのだが。
流衣は引きつり笑いを浮かべたが、アルモニカにマントを引かれて振り向くと、軽口を責めるように睨んでいた。ちょっ、前も後ろも怖い人しかいないんですけど。
これ以上、変な質問が飛ばないうちにと、流衣は勇気を振り絞って男に質問を返す。
「あ、あなたこそ、いったい、なんなんですか?」
男が目を瞬く。
「“なに”? “誰”、ではないのか?」
流衣は頷く。
「さっきから顔が二つちらついていて、目に痛いです。金髪と黒髪、どちらが正しいんです?」
男は目を丸くした。
「何を言っておるのじゃ、お主」
後ろでアルモニカが怪訝に問う。
「え、見えないの? さっきからぶれまくりだよ。お陰で気持ち悪い……」
流衣はひそひそと返す。
「これはこれは! 目が良いガキだな。見えるのか、この男の顔が? しっかり乗っ取ったはずだがな」
乗っ取った?
「そんな魔法があるんですか?」
「まさか。俺は過去に存在した亡霊で、こいつは寄坐というだけだ。これは面白い。俺がそうだと気付いたのは、貴様が初めてだ」
しげしげと流衣を見て、しきりと面白そうに笑う。
「今回はただの研究閲覧だけが目的だったが――。これはとんだ拾いものだな。老師、そのガキは俺が貰い受けるとしよう。これだけ魔力があれば、ちょっとしたエネルギー源の代わりにもなるだろうしな」
「ええ!?」
何言ってんの、この人! しかも道具扱いする気満々なわけ!?
仰天したのは流衣だけではなくアルモニカもだったようで、慌てたようにアルモニカが流衣のマントにぎゅっとしがみついてきた。ちょっとだけ首が絞まって苦しいが、お化け屋敷の時みたいに誰かが側にいるだけで落ち着くような心理状況だから、特に止めない。
「かしこまりました」
しかもどういうわけかそういう方向に〈蛇使い〉も頷いている。いや、何、当たり前みたいに言ってるの、この人達。
(うわあ、まずいよ。お先真っ暗の予感しかしない! 余計なこと訊くんじゃなかった!)
まさか他の者には見えていないとは思わないから、ただ場の空気を誤魔化す為に、手近な疑問を訊いてみただけだったのだが。
流衣が青ざめていると、左肩にいたオルクスが右手首へと飛び移った。見慣れた黄緑色が視界に入って、少しだけ落ち着く。
オルクスはやや切羽詰まったような声で、流衣の頭の中に言葉を投げた。
『坊ちゃん、わてに人型になる許しと、血と魔力を下さい』
「あ、うん。分かった、よろしくオルクス!」
怖かったので、即座に了承する。
さくさくと草を踏んで近付いてくる男が、指を一つ鳴らすだけで、生徒達が張った結界を消すのを見て焦りつつ、流衣は腰に提げた小さな鞄から取り出したナイフで指先を切る。それをオルクスに差し出すと、オルクスはついばむようにして血をなめた。いつもよりも多めに魔力が抜かれる感覚がして、一瞬だけ目がくらんだ気がしたが、瞬きをした直後にはそれもおさまり、眼前にこちらを背に庇うようにして黄緑色の長衣を纏った青年が顕現していた。
たっぷりした袖のある黄緑色の長衣を振り払い、青年姿のオルクスは眉を吊り上げて一喝した。
「そこまでです! もう二度と、わての前で坊ちゃんを危険になどさらしません!」
怒鳴っているわけでも、さほど大声でもないのに、オルクスの声は不思議と場に響いた。男の歩みが止まる。
「……助手の使い魔か?」
「あれ、亜人だったの?」
「いや、使い魔の証明粉、クリアしてたはずだぞ?」
男から逃れるように距離をとった教師や生徒達は、オウムが人の姿をとったことに、驚きの声を口々に漏らす。さわさわとささやきが各所から聞こえてくる。
「なんだ、それは亜人か? 護衛付きとは恐れ入る」
男は特に思ってもいないだろうことを呟いた。
「黙りなさい! わては亜人などではありません! れっきとした使い魔です!」
オルクスは鋭く叱責し、右手を真横に凪ぐ。
空気中から炎の塊がしみ出すように出現し、刃となって男に殺到する。
「無詠唱か。ふん」
男もまた無詠唱で水の魔法を呼びだして、炎を四散させる。
「全く……。あなたからは嫌なものしか感じません。人相手に大人げないとは思いますが、本気でやらせて頂きます」
オルクスの黒光りする目が、ぐっと細められる。心底気に食わないというように。
「ツィールカ様、わてが槍を使用することをどうかお許し下さい」
空に向けて短く謝罪を述べ、オルクスは耳の羽を一つ引き抜く。それを軽く放ると、炎が立ち上る。炎が消えると一振りの槍が現れた。朱塗りの柄と、鋭い切っ先。穂先には金の房飾りがついている。その柄を、オルクスは右手でしっかりと握る。左手を軽く柄に添えると、使い勝手を試すように軽く振り、惚れ惚れとするような美しさが伴った鋭い動作で構えた。
「魔槍持ちとは……恐れ入る」
槍の穂先に金色の炎が灯っているのを見て、今度は本当に驚いたように男が呟いた。
「出し惜しみはしません。あなたはここで仕留めます。そうしなくてはいけないと、わての魔物の血が騒ぎます故」
そう静かに言うと、オルクスは軽い動作で足元の地面を蹴った。
その姿が消えたように、流衣には見えた。
気付けば、男が杖でオルクスの槍を受け止めていた。男の金属製の杖につけられた飾りの鈴が、リーンと涼やかな音を響かせる。
「すご……っ」
全く動作が見えなかった。
「今までの戦闘があいつにとって遊びだったってのがよく分かるな」
結界が消えたことで離れている必要はなくなったリドが、横に駆けてきて、どこか呆然とした調子で独り言のように言った。
「まじで何者だ、あいつ。オルクスの攻撃、全部流してるぜ」
リドの言う通りだった。
男は杖でオルクスの攻撃を全て受け止め、流し、払い、打ち返しすらしていた。ふと、男の足元の影が揺らぐ。影から飛びだした影の剣を、オルクスはバック転でかわし、光魔法で打ち消して、再び男に斬りかかる。
それを男は楽しそうに笑いながら受けている。
「ははは! 愉快だ! 貴様ほどの腕を持つ男とは、久しく会っていない!」
「そうですか! 分かったので、とっとと死んで下さい!」
オルクスは辛辣に返し、ダンと槍の柄を地面に叩きつけた。地面から湧きだした炎の柱が男に襲いかかる。
しかし炎に包まれたはずの男は、平然とその場に立っていた。
忌々しそうに舌打ちするオルクス。
「うわー……荒れてる。怖いよ、オルクス……」
「……うむ。恐ろしい……」
かつてない荒れっぷりに、流衣はぶるぶる震えた。後ろにしがみついたままのアルモニカも、流衣の横から覗き見ながら、ぷるぷる震えている。リドは震えこそしなかったが、顔色は青かった。
ときどき腹黒さが垣間見えるオルクスであるが、ここまであからさまに柄の悪さを出すことはない。男の強さが予想外すぎるのだろう。
流衣はどちらも怖くて仕方ないが、ふと〈蛇使い〉が気になってそちらを見た。すると、〈蛇使い〉は二人の戦いに魅入られるように観戦モードになっていた。サイモンやセトもそうである。そりゃあ、こんなハイレベルな戦闘、見る気がなくても見てしまうだろう。
激しい打ち合いを経た後、男の手に持つ杖の方が限界を迎えた。バキンと凄まじい音をたてて半ばから折れる。
「ふ、もらった!」
このチャンスを見逃さないオルクスではない。槍を大きく振るい、男の心臓を一突きにする。
――ガキーン!
しかしそれは、硬質な音に阻まれた。
男が短剣一つで槍先を受け止めたのだ。それこそ、槍の切っ先を、短剣の腹で受け止めるという、普通なら刃先が滑って流れるだろうことをごく自然な動作で。
「なっ!」
オルクスは驚愕に目を瞠り、瞬時に男から間合いをとった。
受け止められたことに驚いたのかと思ったが、そうではなかった。信じられない様子で短剣を見つめている。
「それは……その短剣は……っ。何故、あなたみたいなただの人間が、それを持てるのです!」
動揺した様子で言い放ったオルクスは、口元を片手で覆う。しばしの沈黙後、何もかもを理解したように呟く。
「……なるほど、分かりました。本来、行方不明になるわけがないそれが行方不明になったのは、つまり、あなたが……」
途切れがちな言葉であるが、男には言いたいことが伝わったらしい。
男もまた、驚いたように金目を僅かに瞠り、オルクスを見る。
「ほう、一目で見抜くか。貴様、いったい何者だ? 高位の神官には見えないがな」
距離をあけて睨みあったまま、オルクスは構えを解く。オルクスが前髪を上げた短い黄色の髪を揺らし、流衣をすっと振り返る。
「失礼します、坊ちゃん。この男にわてが名乗る許可を頂けませんでしょうか?」
「へ?」
流衣はきょとんと瞬いた。
「名乗ることに許可がいるのか?」
男が茶化すように問うのに、オルクスは真面目に返す。
「わてはあの方の使い魔です故、主人に許可を得るのは当然のこと」
「……ますます何者か気になるな、あの子ども」
何だか余計に身の危険が増した気がした。流衣はぶるりと背を震わせつつ、オルクスが考えて名乗りたいというのならそうしても構わないのだろうと思った。ただ、周りに教師や生徒がいるので、この後は大変なことになりそうだ。報酬を貰ってとっとと出よう。
内心で決意し、オルクスには苦笑とともに頷き返す。
「構わないけど、あの、別にいちいち僕に訊かなくても……」
「何をおっしゃいます。わてに出来るだけ亜人のふりをせよと仰せられたのは、坊ちゃんでしょう」
それはオルクスが簡単に暴露するからで、必要なら別にいいのだけど。心の中でごにょごにょと反論したものの、流衣がそれを口に出す隙はなかった。
オルクスは男に視線を戻し、口を開く。
「坊ちゃんの許可が下りましたので、前代魔王の亡霊たるあなたに敬意を表し、名乗りましょう。わては第三の魔物・オルクス。愛と慈悲の女神ツィールカ様にお仕えする使い魔が一匹です」
胸に手を当て、慇懃に礼をするオルクス。
そのカミングアウトに、周囲は二種類の言葉を叫ぶ。
「魔王の亡霊!?」
「第三の魔物!?」
どちらを重くとるかの違いであるが、流衣は魔王の方に食い付いた。
魔王と聞いた瞬間、聖具のことを思い出し、連鎖的に現在の勇者である川瀬達也からの手紙に入っていた人相書きを思い出したのだ。金髪金目の温和そうな青年の絵が浮かぶ。
何故気付かなかったのか不思議に思う程、目の前の男は人相書きの顔そのものだった。
「あれ? もしかしてこの人、聖具を盗み出した神官だっていう、アークさん!?」
「!」
ハッとオルクスが流衣を振り返る。流衣は手を振って、手紙のことを言う。
「ほら、オニキスさんに貰った手紙に入ってた人相書きだよ!」
「言われてみれば確かに……。よく気付かれましたね、坊ちゃん」
オルクスは記憶にある絵姿と眼前の男の顔を比べて、感心して顎に手を当てた。
「なんだ、この男の名まで知っているのか。それは話が早くて済む」
男はあっさり肯定した。
「やっぱり!? あの、よく分かんないですけど、エマイユって人があなたのことを探してるそうですよ!」
混乱した後、流衣はとりあえず捜索願いの話を口にする。
「この男の幼馴染か。それは御苦労なことだな」
「坊ちゃん、静かになさってて下さい。この男は聖具を持っています。ただ人ならばわてなら負かすことが出来ますが、聖具を持つ者なら話は別です。聖具・銀の短剣には、魔王の心を封じていました。故に、本来は勇者しか持てない聖具を、中に封じられている者が乗っ取ることで、触れることが出来るようになっているようです」
悔しそうに唇を噛むオルクス。
「わてのような神仕えの身では、聖具を持つ者を殺すことは出来ません。神様方により、そういう風に定められているのです。――よもやこのような抜け道が存在しようとは」
ギンと男を睨みつけ、オルクスは槍を構え直す。
「あなたを殺すことは出来ませんが、ここを通すわけにはいきません! わての主人と、風の姫君が後ろにいます故!」
オルクスは気迫とともにきっぱりと告げた。
「……この野郎、俺のことはさっぱり忘れてやがるな」
リドがひくりと頬を引きつらせ、ぼそりとぼやく。一応、風の神殿の跡取りはリドだと決まっているのに、知っていて無視か。しかしその場合、風の王子という呼び名なのかと思うと、何だか胸焼けがしたが。
呟きを拾った流衣とアルモニカは、そんな場合ではないのに苦笑した。相変わらずの嫌われ具合だと思い直したのである。
(オルクスでも敵わないってなると、オルクスが危ないよね。どうにか逃げられないかな……)
そっと周囲を見回して、流衣は黙考する。転移魔法を使えるレベルに達していないことが、とても悔やまれた。流衣はオルクスが強くて頼りになるから寄りかかってはいるが、友人とも思っているので、傷ついて欲しくないのだ。でも同時に、側にいる親友や、後ろにいるその親友の妹も大事だ。どれもこれも大事で、とてももどかしい。
優柔不断な自分に歯噛みし、打開策をひたすら探す。
緊迫した空気が流れる中、ふいに横合いから声が紛れこんだ。
「その心意気、気に入った!」
――今度は誰だ。
ぎょっとそちらを見た流衣は、目と口をぱかりと開け、表情を驚愕に染めた。
六十四章、まだ続きますが、続きが少しカオス状態で纏めるのに苦労してるので、とりあえず1だけ上げておきます。
2012.12.1 依代→寄坐に訂正。
依代だと物、寄坐は人形や童子のことみたいなので、寄坐にしておきます。