六十三章 vs ネルソフ 1
※この回では、残酷な表現や流血表現などがあります。
そういうのが苦手な方はご注意下さい。
流衣達が、森の入口に戻ると、全校生徒の避難に追われているところだった。
「あっ、ルイ! リド! 無事でしたのね!」
流衣達に気付いたアルモニカが列を抜けて駆けてくる。
「アルモニカも無事だな。怪我は?」
リドが真っ先に妹の心配をするのに、アルモニカは頷く。
「大丈夫です。オルクス様のお陰で……」
ちらっと流衣の肩に乗るオルクスを見るアルモニカ。オルクスはどういたしましてというように、片方の羽を広げてみせた。
「ごめん、報告しないといけないから、また後でね。気を付けて避難して」
「ええ、そちらも気を付けて」
ぞわぞわするアルモニカのお嬢様言葉を背中に聞きながら、流衣はリドをその場に置いて、避難の指揮を執っているグレースの元に駆けて行く。
「校長先生! 報告したいことが……」
「あら、ルイ。水晶竜のことなら、トーリドから聞いてるわ。結界のことも知ってる」
言外に忙しいと主張するグレースに、念の為に、呪いの単語のことを報告する。
グレースは綺麗な顔をたちまちしかめた。
「なるほど、そういうことね。どうして侵入者妨害の結界が壊れたのか分からなかったのだけど。つまりは、ランダムに生徒達に文字をつけて送りこんで、ここで演習してる時に水晶竜が倒されると、それが発動合図になり、文字が繋がって結界破壊の魔法が展開するってこと。回りくどいけれど、確実な一手だわ」
敵ながらあっぱれね。
グレースはそう評する。
「報告ありがとう。気付かなかったから助かるわ。これを起こした奴の狙いは分からないけれど、生徒を学校内に戻すのは危険だから、トーリドに先に様子を見に行かせているの」
そうして、魔法学校の校舎がある南西の方をちらりと一瞥するグレース。
一応、この教練用の森も学校の敷地内ではあるが、校舎とは違い、魔物避けの結界は無い状態だ。入口であるここは、森ではないので魔物避けの結界が発動している。つまり、それを更に覆う形の、侵入者妨害の結界だけが壊れた形になっているわけだ。
「なんか、煙が上がってますけど……」
流衣は校舎の方を見て、顔色を変える。
「あれは研究棟の方ね」
「研究棟ですか!?」
セトの研究室がある校舎のことだ。
流衣がすっとんきょうな声を上げると、生徒達を誘導していたセトがハッと強張った顔になる。他の教師達のうちの幾人かも、渋い表情になった。あそこは教師達の研究室が集まっている校舎だから気にして当然なのだ。
「なるほど。うちの権威ある教師陣の研究内容が目当てってわけ。それはムカつくわね。ちょっと行ってシメてくるわ。ジョセフィーヌ、ここを頼むわね」
茶色いひっつめ髪と眼鏡をした女教師に声をかけるグレース。
「お任せ下さい。グレース様、頑張ってきて下さいませ」
貴婦人の所作でスカートをつまんで挨拶するジョセフィーヌを横目に、グレースは軽やかに地面を蹴った。長い銀髪を風になびかせ、真っ白なドレスをはためかせながら、ものすごい距離を跳躍して去っていく。灰色の雪雲をバックにしているせいか、雪の妖精のように見えた。
「呪いに、いるはずのない魔物? これではまるでネルソフみたいではないか……っ。だが、〈塔〉襲撃事件で事は鎮静化したのではなかったのか……?」
セトが顎に手を当てぶつぶつと推論を呟いていると、生徒達の中から悲鳴が上がった。
「どうしたのです! 落ち着きなさ……え?」
ジョセフィーヌが辺りを一喝しかけたものの、妙なところで声がぶち切れる。
集まる生徒達の周囲、三方に、黒いフードを目深に被った人間が立っていた。ゆらりと、まるで影のように。
その首元に下がる、文字のようなものが書かれた首飾りを見て、流衣はハッとする。
「まあそう騒ぐな。余計な真似さえしなければ、危害は加えぬ。そうさのう、杖連盟のギルドマスター・ヘイゼルの弟子と、灰色のセトを出してもらえればの」
しゃがれた声が、言葉を紡いだ。
(あれ? この声、前にもどこかで……)
流衣は動揺を覚えながら、一番森に近い所にいる黒フードを見つめる。そして、アルモニカの姿を探した。
(いた!)
今、口を開いた老人から近い場所にいる。まだ話していたのか、リドが側にいて、さりげなくアルモニカを背に庇ったのが見えた。
それなら、流衣はセトの側にいよう。
流衣もまた、さりげなくセトの側に寄る。
生徒達は、まさかのネルソフの登場に、不安げにざわめいている。動くに動けず、様子見に回っているらしい。
「何なのです、あなた方は」
ジョセフィーヌがキッとまなじりを吊り上げ、老人を見据える。
「見て分からぬか? ネルソフと言えば分かるかね。この学校には、杖連盟の幹部が何人かおるのだ。対立して当然だと思うのじゃが……」
とても不思議そうに答えてから、ふと、老人はリドに目をとめた。
「――おや」
驚いたような、愉快がるような、そんな声を零す。
「その林檎のような赤い髪、見覚えがある。こんな所でも会うとは、奇遇じゃのう。白い騎士と、オウムを連れた子どもも一緒かね?」
奇遇? やっぱり、前にもどこかで会ったんだ。
あいにくと、ネルソフの知り合いで老人など、蛇使いと呼ばれていた老人くらいしか知らないが。
リドも相手が誰だか思い出したらしい、腰に提げたダガーの柄に手を添える。
静かに戦闘態勢に入ったリドは放置し、老人はゆっくりと周りを見回して、ふいに流衣に目を止めた。視線が合い、流衣はびくりと肩を揺らす。影の中で蛇がのたくっていて、相変わらず不気味な老人だ。
「おお、やはりいるな。白い騎士だけがいないか……」
くつくつと歪んだ笑いを零す老人。
「まったく、また会えて嬉しいぞ。前はよくも邪魔してくれたものだ。グドナーは杖連盟に捕まるし、シーリーはギルドマスターに処刑され、ワシはこの通り、片目をとられてしもうてのう」
フードを下ろした老人の左目には、ぽっかりと黒い穴があいていた。
流衣は息を呑む。
周りの生徒達にも動揺が走った。どよめきが起こるが、すぐにやむ。ネルソフを刺激しない為かそれほど騒がない。
リドは警戒したまま、言い返す。
「何言ってやがる。そんなの自業自得だろ。俺らはただ、拾った少年を最後まで面倒見ようと頼まれた所まで送り届けただけで、そこを襲ってきたから返り討ちにしただけだ」
リドの言う通りだ。
流衣は息を詰めて内心で同意しつつ、周りをそっと伺う。ネルソフを巻き込まないで結界を張ろうと考える。
「くっくっく。相も変わらずよく口の回る……」
「……俺らのことより、ここに何しに来た? さっきの口ぶりといい、一年前の〈塔〉襲撃だけじゃ飽きたらねえってのか?」
「いやなに。転移魔法の権威が、更に面白い研究をしていると聞いてな。それを貰い受けたいとギルドマスターがおっしゃるので、ついでにここにいるはずのヘイゼルの弟子も探しにきたわけじゃ。一年前には逃げられてしもうたらしくての」
あっさり暴露するということは、逃がす気がないということらしい。
流衣は背中に冷や汗が浮かぶのを感じつつ、機会を伺っていてふと気付く。何も生徒達を結界で守らなくても、ネルソフを三人、結界に閉じ込めればいいのでは?
そうして呪文を唱えようとした瞬間、他の黒服の一人が大袈裟に声を上げた。
「ああっ! お前! あの時の!」
またもやビシッとリドを指差し、男が叫ぶ。
「なんだ、カース。お主も小僧と知り合いか?」
老人の問いとともに、リドはちらりと男を見て、首を傾げた。
「誰?」
「誰、だと!? お前! 俺の右腕を切り落としといて、忘れたとは言わせんぞ!」
憤然と返す男に、更にリドは思い当たるところがないのか空を仰ぐ。
「右腕……?」
「てっめえ……! 影の塔って言えば、少しは思い出すか!?」
「ああ!」
リドはようやく思い出したのか、ポンと手を叩く。
「あーあー、あの時の。クソ忌々しい奴な。思い出した思い出した。なんだ、よく生きてたな、あんた」
流衣は、怒れる男と、突然冷気をまとったリドを交互に見比べる。
(影の塔? 右腕? 何の話?)
そうして怒っている男を見て、その足元に大きな黒いトカゲがいるのに気付いた。
(あの時のトカゲ使い!)
ボコボコにされた上に、死の呪いまでかけられたのを思い出し、流衣の顔から血の気が引く。
『坊ちゃん、お気を確かに。大丈夫です、次はわてがあ奴を地獄に落とします故』
肩の上にいる使い魔殿が、流衣の怯えを読みとって、低い声で言った。
……心強いのですが、怖いです、オルクスさん。
「って、あの時のクソガキ!?」
更に男は流衣を見て、驚愕に目を瞠った。
「なんだ、お前。なんで生きてる! 死の呪いをかけたんだ、生きてるはずがない!」
流衣はぎゅっと杖の柄を握りしめる。
どうして生き残れたのかを説明する気はないが、とにかくあの男は怖い。
死の呪いと聞いて、周りが静まり返る。苛立ったリドが言い返そうと口を開きかけた時、突如、拍手の音が鳴り響いた。
パチパチパチパチパチ……
ぎょっと音の方を見ると、サイモンが退屈そうに欠伸しながら手を叩いているのが目にとまった。
(何してるんですかー!?)
挑発しないで欲しいと涙目になる。本当に、恐ろしいくらいに空気を読まない少年だ。ほんと勘弁して。
「そんなつまらない三文芝居、そこら辺にしといてくれる? 正直、時間の無駄」
サイモンの辛辣な一言に、生徒や教師陣は冷やりとし、周りを囲んでいるネルソフ三人はやや殺気立つ。
「一ヶ月前から、潜伏してるネルソフがいるのは分かってた。やっと尻尾出したかと思えば、これかよ。面白くもない」
「……随分な口をきく。お主は誰じゃ?」
「これから死ぬ奴に教えてどうする? 無駄だろ。ひとの縄張りで随分好き勝手してくれたみたいじゃないか。あれだけ潰したのに、まだ手を引かないなんて、お前らってもしかして馬鹿なの?」
どこからか取り出したスローイングナイフをくるくると手の中で回しながら、サイモンは蔑みたっぷりに言った。
怖い。なんだこの蛇とマングースの戦いみたいな光景。
流衣は冷や冷やと蛇使いとサイモンを交互に見る。
「ちょ、え、潰したって何ですか……ね?」
そして、思わず、恐々とサイモンに聞いてしまう。
サイモンはにやりと、切れ味のいいナイフのような笑みを浮かべた。無駄に迫力があって怖い。
「ただの“掃除”だ」
ひぃぃぃっ。聞くんじゃなかった!
流衣は顔面蒼白で後ずさる。
サイモンは楽しげに笑う。悪魔の笑みにしか見えない笑みで。
「正直、学校とかはどうでもいいんだけど。この辺の町は俺の縄張りなんだよな。余所者がいきなり現れてさあ、いい気にならないでくれる? ゴミはゴミらしく、焼却炉で燃やされてろ」
そう言い捨てた瞬間、サイモンは右手を思い切り振った。
「ぎゃあ!」
横合いから悲鳴が上がり、そちらを見ると、トカゲ使いと蛇使い以外のもう一人が、首から血を吹き出して倒れていくのが見えた。
どしゃり。
その人間が倒れると、周囲は一瞬静まり返り、直後、女生徒の甲高い悲鳴が響く。
「うるさいなあ……。こいつらは襲撃者。俺のしてることは正当防衛だ。いちいち悲鳴上げるな」
じろりと金目が睨んだら、気圧された生徒達は瞬時に静かになった。噂を知っているから、怖くなったのだろう。
「そもそも、お前ら、この学校の生徒なら、自分の身くらい自分で守れよ。結界の一つも張れないのか?」
馬鹿にするように言うと、我に返ったらしき教師陣が指揮に回った。
「そうです、皆さん。避難訓練を思い出すのです。防衛の陣をとりなさい! 生徒会は指示を!」
「「「はい!」」」
そこかしこで返事が上がり、たたっと生徒の一番外側の列に、数名の生徒が出てくる。
そして、杖を掲げ持って、それぞれが結界の魔法を使った。
全校生徒を包む結界の壁が現れる。そこにネルソフは含まれていない。
「ルイ! お前、姫さんの側についてろ!」
結界は、外から中には入れないが、中から外に出るのは自由だ。封印目的でなければというただし書きがつくが。
ひょいと結界内から出たリドの言葉に、流衣は目をむく。
「え!? リド、どうする気なの!?」
「前に報復足りてなかったから、ちょっと黙らせてくる」
「はあ!?」
仰天したが、リドの琥珀色の目が、獲物を見据えたみたいに爛爛と光っているのを見て、何を言っても無駄なのだと悟った。
仕方なく、大急ぎでアルモニカの元に走る。
『坊ちゃん、わても加勢してきます!』
「え!? オルクスまで!?」
その際、オルクスまでもが肩を飛び立ち、結界の外に出てしまったので、流衣は更に驚いた。
普段は仲が悪い癖に、共同戦線を張る気らしい。共通の敵を得たからか、一時的に同盟を結ぶ気っぽい。
(仲良いのか悪いのか分かんないな……)
苦笑しつつ、アルモニカの元に辿り着くと、アルモニカは青い顔をしていた。
「おおお、おい。兄貴が切れとる。怖いっっ」
小声での訴えに、流衣は苦い顔をする。
「とりあえず、僕らに怒ってるわけじゃないから、大丈夫だと思うよ……?」
説教された時のことを思い出すと恐ろしいけれど。
「ねえ、アル。なんであの人とリドが知り合いなの? 右腕って何の話?」
疑問に思ったことを聞きながら、視線は周りを見回す。
「自分の研究狙いなら私が相手する」と言って、セトが結界の外に出たのが見えた。金属製の杖を構えている。更に、「獲物を横取りするな」と不平を言いながら、サイモンも出る。教師と生徒で睨みあいつつ、蛇使いの老人の相手をする気らしい。
これで、世にも奇妙な不仲同士のパーティーがまた一つ出来た。
(セトさんも大変だ……)
サイモンのことが苦手だと言っていたセトを思い出し、流衣は人生の不思議さを噛みしめる。
「右腕……って、ああ! あの時、横に転がっとった腕はあ奴の者じゃったのか。お主の治療のことしか頭になくて、すっかり忘れとったわ」
起きぬけに腕が転がっているのを見た恐怖を思い出し、アルモニカはぶるりと身を震わせる。あれはなかなかのトラウマだ。
流衣はアルモニカの反応を見て、アルモニカもよく事態が分からないことに気付き、首を振る。
「アルも分からないならいいや。……リドのこと、怒らせないようにしようね」
「ワシは怒らせたことはないぞ。お主が気を付けよ」
「……スミマセン」
流衣は素直に頭を下げた。
蛇足的な独り言
蛇使いをどこでまた出そうか本気で悩んでましたが、ようやく出せました。
互いにリベンジ戦です。
そして早速蚊帳の外に置かれる流衣。強い力持ってて、すぐはぶられる主人公も珍しい気がします……;
あと、なにやら文章に違和感が。いつもとノリが違う気が……。
すみませんが、また更新の間があきそうな予感がします。
明日から再び留守にしますので。