幕間10
「ノエル、私は王都に行く」
屋敷を出る前に、荷物を取りに行った自室で、ディルはノエルと向き合っていた。
「ギュピ?」
寝台で丸くなっていた白い鱗と水色の目をした小型竜は、小首を傾げて親だと認識しているディルを見上げた。
ここ一年で体長七十ケルテルほどまで成長したノエルは、これで大人の姿だ。
ディルがどこに行くにもついて来たがるので、見た目は成長してもまだ子供のように見える。
幼い子どものようなノエルの、純粋な眼差しに胸が痛むが、告げなくてはいけない。
「君はここに残れ」
その瞬間、ぶんぶんとノエルは頭を振った。
「ギャピ! ピギャピギャギャピッ!」
嫌だと言っているのはなんとなく分かる。
「駄目だ。王都は危険だ。それに、私の使い魔が竜だと現王派にばれると、ますます目をつけられてしまうのだ。ここに残り、師匠とともにいろ。嫌ならば、リドかルイに引き取ってもらえるように手紙を書く」
「ピギャア~……」
連れていく気はない。きっぱりとしたディルの態度に、同行出来る余地が全くないことを悟り、ノエルは水色の目をうるうるさせた。
泣き落としのような、人間じみた感覚ではない。実際に、別れを思って泣きそうになっているだけだ。魔物だけあって、人間のような駆け引きをノエルはしない。いつも真っ向から向かってくる。それしか訴える手段を知らないというように。
「ノエル……」
ディルとて寂しくないわけではないし、出来るものなら連れていってやりたい。
しかし、さっきノエルに言ったように、竜が使い魔だとばれるのは厄介なのだ。竜が人の使い魔になることは滅多にない。それこそ、流れ星が空から落ちて人に命中するくらいの奇跡的なものだ。ディルは運が良かっただけだ。……いや、幼竜の孵化に立ち会って、その為に親と思われたことで、周囲の魔物に狙われる羽目になっていたとしたら、それはとんでもない不運だったのかもしれないが。オルクスが近くにいたからこそ、幸運と思えるだけである。
ディルはノエルの頭を軽く撫でてやる。
しょんぼりとうつむくノエルに良心が痛む。
「すまないな。君が人間だったら、まだ連れていけたんだが……」
「ピギャ!?」
ノエルががばっと頭を上げた。
本当!? というように、目をキラキラさせる。
「む?」
ディルは首を傾げる。
今の呟きのどこに喜ぶ要素があるのだろう。
そう思っていると、ノエルは寝台から床に下り、そこで四足を踏ん張った。羽根はピンと外に突き出し、尾もまた真っ直ぐに伸びている。
「なんだ? どうし……」
いったい何をしようというのか。
動揺するディルの前で、ノエルの体が一瞬光輝く。
「!」
眩しさに目を閉じ、次に目を開けると、そこには七歳くらいの小さな男の子が立っていた。白い髪と水色の目をした、見目麗しい子どもだ。白い上下の衣服は法衣に似ていて、腰紐は淡い青色をしている。大きな目玉はくりくりとしていて可愛らしいのだが、どこかやんちゃそうな印象も受ける。
小さな子どもはディルを見上げ、にこっと笑った。
「ノエル、ディル、護る!」
ディルは驚いて一歩後ろによろめいた。
「ま、まさか。君は、ノエルか?」
驚いた。
驚いたなんてものではない。
〈塔〉のレッドや、女王陛下の盟友であるカルティエ・ブラックナーのような者を見ているから、竜が人の姿を取れることを知ってはいたが、余程賢い竜でなければ人型をとるのは不可能だとも聞いていた。
それを、ノエルはやってのけた。
「ノエル、今、人間。一緒、行ける」
期待を含んだ眼差しに、更に衝撃を受ける。
つまりは、ノエルはディルの言葉を受け、人間ならば一緒に行けるからと変化したことになる。
ディルを守りたいという使い魔の言葉に胸をつかれる。なんていう主人思いな竜。忠誠心。
これこそまさに騎士の鑑……!
じーんと感動に浸るディル。
自分もこんな風になりたいと羨望が湧きおこる。
これで連れて行かないなんて言えない。期待に応えるしか選択肢はない。
「分かった。ノエル。君のその心に免じて、共に行こう。そして、共に騎士の道を目指すのだ、戦友よ!」
「ノエル、騎士、なる! がんばる!」
室内に、明るい声が二つ、響いた。
その日、騎士見習いの少年とその使い魔が一人、アカデミアタウンを旅立った。
白い騎士服を纏った姿は、曇天の空から降る白い雪の中へ、溶け込むように消えていく。
やがて、道に残った二つの足跡を、風と雪とが綺麗にかき消していった。