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六十章 影



「ふふ……。取り乱してしまって申し訳ありませんでしたわ。貴族の子女たるもの、あれくらいで動じるようではまだまだですわね」

 しばらく泣いていて、落ち着きを取り戻したイザベラは、まだ涙の残る目でにっこりと微笑んだ。

「わたくし、ディル様がいつでも迎えに来て下されるように、精進いたしますわ。夫の留守を守るのは妻の役目ですものね……!」

「その意気よ、イザベラちゃん!」

 強がりだと分かっていたが、その健気さに心を打たれたリリエが更にぎゅうとイザベラを抱きしめる。

(強い人だなあ……)

 流衣の心にはぽっかりとした穴があいてしまっていて、やるせない気分なのに。自分もそうありたいと、やや眩しいものを見るようにしてイザベラを見てしまう。ディルとイザベラが結婚したら、いい夫婦になりそうだ。

「これも不要になってしまいましたわね……」

 イザベラはリリエから離れてすっと立ち上がると、テーブルに置いていた紙袋を取り上げる。少し残念そうに。

「せっかく薬屋を教えて頂きましたけれど……。どうしましょう」

 処分に困っているイザベラに、リドはひょいと近寄る。

「解毒剤って言ったか? どんな物か見せて貰っていいですか?」

「ええ……。あら、そういえばあなたはどなたかしら?」

 イザベラは小首を傾げる。

 リリエもまた立ち上がり、イザベラにリドを紹介する。

「リドよ。ディルが一緒に旅してた人のうちの一人の」

「ああ、飄々としている割に心配性だという、あのリド様ですね!」

 イザベラが楽しそうに暴露した言葉に、リドは「は?」と変な顔をした。

「“様”はいらないですが、ていうか、え? あいつ、そんな風に言ってたんですか?」

「ええ。あとは、大人ぶっている割に、オウムと喧嘩するなど子どもみたいな奴だ、とも」

「……あいつ、追いかけてって殴るか」

 じっと窓を見つめて拳を握りしめるリド。その拳に青筋が浮かんでいるのを見ると、結構イラッときているらしい。

「本当のことじゃないの。ねえ、ルイ?」

「え!?」

 リリエさん、そこで僕に振りますか!?

 流衣はぎょっと目を剥く。

「……ええと。まあ、ちょっと短気な気もしないでもないような。うわわわ、ごめん!」

 琥珀の目にじろりと睨まれ、流衣は慌てて自分の口を手で塞いだ。

 ふんと鼻を鳴らし、リドは紙袋に視線を戻す。

「俺、薬草学に興味があるんで、ちょっと気になるんですよ。どういう薬なんです?」

 話を戻すと、イザベラは首を傾げる。

「分かりませんわ」

「……え?」

 袋を開けて、小瓶を引っ張り出しながら、リドは目を瞬く。まさか買ってきた本人がどういう薬か知らないとは思わなかったのだ。

「図書館で薬について調べていましたら、通りがかった生徒が薬屋を紹介して下さったのです。そこに行くと、占い師の館ような、雰囲気の薄暗いお店に男の方がいて、ただこうおっしゃったの。“あんたが何を求めているのか分かってる。これだろう? 代金は金貨一枚だ”……と」

「………は?」

「不思議な方でしょう? きっと占いがお上手なんですわ」

「………いやいや待て待て。ちょっと待て」

 やんわりと微笑むイザベラの空気に流されかけるが、それはどう考えても妙だろう。リドは慌てて口を挟む。

「あんた、そんな所に一人で行ったのか?」

「いいえ。淑女たるもの、連れはいるものですわ。侍女も一緒です」

「そ、そうか。それは良かった」

 無鉄砲なお嬢様でなくて良かったとリドは安堵し、ふと小瓶の中身を見て固まる。小さな黒い丸薬が五つ入っている。

「イザベラさん、これ、俺が貰っていいですか?」

「え? ええ……もう必要ありませんし、構いませんけれど。どうかされたんですか?」

「分かったら報告します。あと、その店はどこに?」

 イザベラは簡単に場所を説明した。貴族の屋敷と店の多い地区との境目にあるようだ。

「分かりました。じゃあ、もうその店には二度と行かないように!」

「ええ……?」

 目をまん丸にしているイザベラを放置し、リドは流衣に声をかける。

「ルイ、俺の勘がなんかやばいって告げてる」

「僕の勘だってそうだよ」

 幾らなんでもやばいって気付く。

「とりあえずセトさんとこに行くぞ!」

「分かった。急にすみません、もう出ますね。今度、こないだ借りた服と一緒に服を返しにきますから!」

 やや慌てて部屋の扉に向かうリドの後を追う流衣。

「ちょっと、どうしたのよ。急に」

「すみません……! 失礼します!」

 リリエが声をかけるが、流衣は一言謝っただけで部屋を出て行った。

 これはもしかすると、もしかして……!

 思いもよらない所からもたらされた物に、流衣は気がはやる。

 ディルのことでまだ胸がしくしく痛んでいるが、今は色々と悩むより、他のことに集中していたかった。

 とりあえず目の前のことを見つめていれば、痛みも忘れられる。

 セトの家を目指し、ひたすら足を動かすのだった。


      *


「当たりだ」


 イザベラが持っていた「解毒剤」を調べ、セトが出した結論はこうだった。

「やっぱり」

「……うん」

 リドと流衣は顔を見合わせて頷く。

「――よし。今から校長に話をつけてくる。その場所に行って、おさえるしかない」

 セトは立ち上がると、待っているようにとだけ言って、転移魔法で姿を消した。

 しばらく経ってから戻ってきたセトは、にやりと笑った。

「安心しろ。あとはスノウリード夫妻が片付けてくれるそうだ」

 校長が重い腰を上げた。天変地異の前触れかな?

 からかうように笑ったセトは、働くグレースを見れて嬉しそうだった。



 スノウリード夫妻が件の薬屋に襲撃を仕掛け、まんまと店員を捕まえた。

 店員を尋問し、店内を調べたところ、魔力増幅剤の入った薬瓶や、調合の材料が見つかった。この薬屋こそが魔力増幅剤の流通源であるというのは決定的だった。


「でも、おかしいわ」


 翌日。校長室に集まったセトやリドや流衣に、グレースはしかつめらしい顔でうなった。ソファーの背にもたれているので、緊張感に欠ける光景だが、グレースは真面目な顔をしていた。柳眉をしかめ、人差指を立てる。

「絶対に足りないものがある。それは手引きする人間よ」

「あの方、結局、口を割りませんでしたからね」

 トーリドが溜息混じりに言う。

 薬屋の店主は、今は王国警備隊の牢にいるらしい。

「“俺は作るだけだ。そしてここに来る奴に売る。そういう役割なんだ”と、おっしゃってましたし、本当に知らないみたいでした」

「それにおかしいと言えば」

 更にグレースは付け足す。

「イザベラ嬢の言ってたこともおかしいわ。場所を教えてくれた子はどんな子だったの? って訊いたら、そういえばどんな顔だったか思い出せませんわ、だもんねえ。多分、女の子だったと思う、って始末よ? もっとこう、覚えててもいいもんだけど」

 嫌んなっちゃうわぁ。

 大仰に溜息を吐くグレース。

(……どんな人だったか覚えてない、か)

 流衣は既視感を覚え、胸の奥がもやもやする。そんなことを言っていた人に、前にも会ったことがある。だいぶ前のことになるけれど……。

「でも、ま、薬を作ってる人は捕まえたし、これ以上、事件が広がることはないでしょう! セト、ルイ、リド、お疲れ様。ルイは条件クリアでしょ? セトはちゃんと報酬を払いなさいね」

 セトは物凄く嫌そうに顔をしかめた。

「校長に支払いのことを言われるのは、とても癪に障りますね」

「なによう。ちゃんとリドには給料出すわよ。ルイの分の報酬は決まってたけど、リドの分は決まってなかったし。ただ働きさせる気はないわ。お金も時間も大事なんだから」

 グレースはぶうぶう文句を言いながら、机の引き出しから金を取り出し、リドに渡す。

「生身で悪いけど、これでいいでしょ」

「え、こんなにいいんですか!?」

 リドが目を丸くしている。それもそのはずで、二週間の仕事だったのに金貨一枚も貰ったせいだ。金貨一枚は銀貨十枚に相当し、銀貨三枚もあれば、平民ならば食費だけの計算で一ヶ月は余裕に過ごせるのだ。切りつめれば生活するのに問題ない額である。

「そうよ。うちでは用務員には一月金貨二枚を支払ってるわ。だからそれでいいの」

 ここら辺じゃかなりの好待遇なのよ。雑用に修理に、イベントの手伝いっていう風に、意外に重労働だから。

「――ところで校長。私以外の教師での諜報員は誰だったんです?」

 セトの問いに、グレースはソファーにもたれた姿勢のまま小首を傾げ、嫣然と微笑む。口元に指先を押し当てる。

「内緒よ。敵をだますには味方から。手駒を明かす気はないわ」

 楽しげに片目をつぶるグレースを、セトはじと目で見る。

「そうですか。ちなみに私もその駒の一つなんですか?」

「あら、知らなかったの?」

「知ってますよ! 不愉快にも!」

 マイペースに問うグレースに、セトは怒鳴る。わざと訊いたのに、いけしゃあしゃあと返されたせいだ。

 のれんに腕押し。嫌味が全く効いていない。

「誰でもいいから、アルモニカ・グレッセンにもちゃんと伝達しておいてね。問題解決って。あとは生徒が目を覚ました後の事後処理ねえ。早く起きてくれないかしらぁ」

 グレースはやれやれと呟く。

「あの、ちゃんと起きるんですか?」

 ファリドのこともある。流衣が恐々と尋ねると、グレースは頷いた。

「ええ。時間はかかるけれどね。あれは、魔力増幅剤で無理に魔力量を増やしたことで、魔力が暴走して生命力が引き出されるせいよ。体内での魔力の暴走が静まれば、自然と目が覚めるわ。長くても半年くらいじゃない?」

「そんなに……?」

「人によるわ。魔力耐性があれば早く起きるし……。あとは魔力に対して鈍感だとかね。例の留学生なんて、すぐに起きるんじゃない? シルヴェラント人の魔力への感応能力の低さは、ほんと凄まじいもの」

「感応能力……? ですか?」

 流衣は首を傾げる。耳馴染みのない言葉だ。

 するとトーリドが横から補足してくれた。

「魔力を感じ取る能力、ということです。これが出来ないと、魔法を使うのはなかなか難しいのですよ。シルヴェラント人やセナエ王国民は、その辺の感覚が異様に鈍いんです。不思議と。代わりに精霊信仰が根強くて、こっちで言う〈精霊の子〉が多いんですが」

「へえ……」

 無意識に、風の〈精霊の子〉であるリドを見てしまう。リドは肩をすくめた。

「なるほど。俺が魔法が性に合わないのは、それでか」

「感応能力が低いだけで、魔法自体は使えますよ。面倒がらずに精進しなさい。〈精霊の子〉ときたら、何も勉強しなくても術を使えるせいで魔法を学ぶのを面倒がるんですから」

「合わないんです」

 リドはしぶとく言い張った。

 トーリドはやはりというように息を吐く。

 二人の話を聞いていたセトは、話が区切れたようだとみると、グレースに話しかける。

「事後処理はそちらに任せますよ。それより校長、もうしばらくルイを助手に据えておきますので、よろしくお願いします。報酬を支払う以前に、基礎学力が足りていないので、これからみっちり教え込むことにします」

「……エ?」

 さっくり嫌なことを宣言された。

 流衣は、ぎぎぎと首を巡らしてセトを見る。

「分かったわ。じゃあ辞める時は身分証を返してね。あと、家も使ってていいわよ。一部改装してくれたお礼に、家賃は引き続きタダでいいわ」

「もし良ければ、俺もいていいですか?」

「いいわよー。人が住んでる方が家は状態が良くなるし。ルイのことで目途がつくまで、この町にいるんでしょ? なんなら用務員を続行しててもいいわよ。あなたよく働くから」

「それなら続行で。暇なのは性に合わないんです」

「いいことだわ」

 グレースはうんうんと感心げに頷いた。怠惰なグレースに言われると、なんだか複雑な気分になる台詞だ。

「じゃあ、しばらく続行ね。辞める時には言ってちょうだい。――さ、もう帰ってくれる? 仕事したいし、眠いのよ」

「眠いのが本音なんでしょうが」

 セトは低く突っ込みつつ、溜息を吐いて会釈する。

 しかしグレースは何も言わないで、ふふんと鼻で笑った。

「仕方ないですね、それでは失礼しますよ」

「失礼します」

「お邪魔しました」

 流衣とリドもそれぞれ挨拶をしてから校長室を後にした。


     *


 話しかけられた相手が、何も覚えていない。思い出そうとしても、特徴が思い浮かばない。

 このきな臭い感じ、前にも出くわしたことがある。

 催眠術か、記憶を消したのか。そんなことを呟いていたフラムを思い出す。旅に出て初めて着いた町・ドーリスで魔法道具屋を開いていたフラム。そのフラムと協力して、闇物(やみもの)の普及を止めたことがあった。

 あれは結局、魔王を信仰する組織〈悪魔の瞳(イビルズアイ)〉に原因があった。瘴気(しょうき)入りの品をあちこちにばら撒き、ラーザイナ・フィールドにじわじわと混乱を広げている組織。


「――サイモン君」


 寮の真裏。敷地内にある池の桟橋に座って水面を見つめているサイモンを見つけ、流衣は声をかけた。

 やや強張った、けれど厳しさを含んだ声で呼びかけられ、サイモンは振り返る。意外そうに眉を片方上げている。

「お前か。……何の用だ?」

 金色の双眸(そうぼう)が、冷たく光る。

『坊ちゃん、わざわざこんな真似をせずとも……』

 サイモンに直接聞きたいことがあると言ってから、オルクスにはこんな風に会いに行く必要はないと諭されているのだが、流衣は分かっていて聞き流した。それでもどうしても直接確認したかったのだ。

 心臓はバクバク鳴っているし、極寒の中だというのに、緊張のせいで汗すら出てきている。

 流衣は意を決して、問う。

「……魔力増幅剤って知ってますか?」

 遠回しに訊いてもはぐらかされるだろうから、ストレートに問う。

 無言のまま、サイモンは僅かに眉を寄せる。

「知らないな」

 そう答えると、興味が失せたように、また水面に視線を戻す。

 寒いのが苦手な割に、サイモンは外にいることが多い気がする。スル=ヴェリの町でもそうだった。

「そっか。僕の勘違いだったみたいです。変なこと訊いてすみません」

 どうやら本当に知らないらしい。知っていたら、だからどうしたと返しそうだ。サイモンは恐ろしく短気だが、嘘を言うことはしないように思うのだ。

 〈悪魔の瞳〉は無関係なのだろうか。それにしては、特徴が似ている気がするが……。

 あまり話しかけても怒られるだけだと思い、とっとと退散しようかと思った流衣に、サイモンが問いを返す。

「……何故、俺に訊く?」

 サイモンはこちらを向くことはなく、背中しか見えなかった。もしや気に障ったかと、自分の末路を案じつつ返す。

「ちょっと、ごたごたしてたんですが、それが君達の組織と関係ありそうな気がしただけです。違うんならいいです」

「もしそうだったら、お前はどうしていた?」

「うーん。……たぶん、手を引いて下さいって頼みに来たんだと思います」

 ふんと鼻で笑い、サイモンは立ち上がる。流衣と向き直ると、忌々しいものを見るように目を細めた。気付けば、いつ取り出したのかナイフの先が流衣の首元に突き付けられていた。

「……何その答え。甘すぎて反吐(へど)が出る」

 サイモンが向けてくる殺気に、冷や汗が背に浮かぶ。けれど、目を反らしたらもっと怖いことになりそうで、流衣は青ざめながらもサイモンを見つめ返す。

「ほんと、お前みたいな奴は嫌いだね。……殺してやりたいくらいだ」

 サイモンは右手を広げた。ナイフが滑り落ちて、桟橋の板に突き刺さる。その右手がそのまま流衣の首を掴んだ。

「………」

 ああ、まずったなあ。

 その瞬間、流衣が思ったのはそれだけだった。サイモンに会うのだからそれなりに覚悟はしていたが……。

 首の痛さと息苦しさで顔をしかめるが、すぐに手は退いた。同時に殺気も消え、気配すら掻き消える。

「――俺達のことに首を突っ込むな。疑うのは好きにすればいい。だが、関わる気ならこちらにも考えがある。お前みたいな小物一人を潰すくらい、簡単なことだと知れ」

 流衣の横をすり抜けざまに低く脅しを呟くと、サイモンは足音も無く寮の方へと去っていった。

「ごほっ」

 流衣は首に手を当てて咳をして、緊張が抜けてその場にしゃがみこむ。遅れて足が震えてきた。

「こ、怖かった……っ」

 殺されるかと思った。

『ですから、行くべきでないと言ったんです。……大丈夫ですか?』

 足元に飛び降りたオルクスが、くりくりとした黒目で流衣を見上げた。心配そうに小首を傾げる様は、可愛らしいオウムそのものだ。それを見ていたら、気分が落ち着いた。ほっと息を吐き、頷く。

「うん、大丈夫。でも、違かったかぁ。そんな気がしたんだけどなあ」

『だからって真っ向から確認に行くなど、愚か者の所業です』

「でも気になったから。異様に痕跡を残さないのとかさ……。似てるでしょ? ドーリスの町の行商人のことと」

 オルクスは首を傾げる。

『似ているといえば似ていますが、あちらの方が巧妙でしょう。そして余程効果的です』

「うん、まあ、あちこちの町に闇物が広まってたし、そうなんだろうけど……」

 そのまま桟橋に座り込んで、空を見上げて溜息を零す。

「結局、手引きしてる人は分からず仕舞いかぁ。なんかすっきりしないね」

『綺麗に纏まる事件など、そうそうないですよ。それより、危険事は避けて通るべきです。また呪われでもしたらどうするんですか』

 流衣はうっとうめく。

「ごめんって。もうしないよ」

『あまり信用なりませんが。坊ちゃんは普段は臆病でいらっしゃるのに、腹が決まると例え行き先が危険地帯でも突っ込んで行かれますからね……』

「やだなあ。そんなことしないよ。怖いじゃん。何となく、そうした方がいい方を選んでるだけだよ」

『……やはり信用出来そうにないですね』

 じっとりとにらんでから、オルクスはひらりと流衣の肩に舞い戻る。

 どうしたのかと肩を見た流衣は、さくさくと雪を踏みしめる音に気付いてそちらに顔を向ける。

 アルモニカが小走りに走ってくる所だった。その後ろにはリドの姿もある。

「お主、大丈夫じゃったか? 寮から見えて何事かと思ったぞ」

 どうやらサイモンとの遣り取りを見られていたらしい。

 せっかく、セトに先に帰ってもらい、リドにはアルモニカへの伝言を任せ、こっそりサイモンに接触したのだが。

 池の前の道には木が植えてあるが、寮からは離れているし、上の階からなら見えただろう。

「平気だよ。アルはリドから話聞いた?」

「うむ。寮を出たところで会ったから、解決したとだけ」

 軽く息を切らしつつ、アルモニカは答える。

 悠々とした足取りで追いついたリドはアルモニカのやや後ろで立ち止まると、サイモンの去った方をちらりと見た。

「あいつと何話してたんだ? 俺をアルモニカの方に行かせてまでよ」

 口調は軽いが、答えないのを許さないような、確固とした問いかけだ。

 流衣は苦笑したものの、問いに答える。

「〈悪魔の瞳〉と関係あるか確認しただけだよ」

「……〈悪魔の瞳〉? なんで、そこであいつが出てくる?」

 流衣ははたと目を瞬く。そういえば、話そうと思っていたのに結局忘れていたことを思い出した。

「サイモン君、そこの幹部だよ」


「なにぃ!?」

「何じゃとぉ!?」


 兄妹で声が重なった。


「お前、なんだそれ。初耳だぞ!」

「ワシだって初めて聞いたわ!」

 

 二人そろって詰め寄られ、流衣は焦る。

「ごごごめんって、すっかり話すの忘れてて」

 ひーっ。怒られる。これは確実に説教コースだ。

 目を泳がせながら、ぼそぼそと小さな声で、エアリーゼを出た後にあった話をする。

「はあああ!? アジトに連れてかれて、教祖に会って、仲間に誘われて断っただぁ!?」

「ちょっ、ちょっと声大きいって!」

 リドがすっとんきょうな声を上げるので、流衣は慌てて口を挟んだ。リドはほとほと呆れた様子で天を仰いでいる。

「駄目だ。やっぱりおめぇ、放っておくと野垂れ死ぬわ。カザエ村を出た時から一つも進歩してねえのってどうなの」

 しかも何か失礼なこと言ってる。

「で、でも、ちゃんと断ったよ……?」

「当たり前じゃろうが!」

 アルモニカがばっさり切り捨てた。

 リドとアルモニカ、両者とも雰囲気が厳しい。というか目が据わってる。怖い怖い怖いってばだから!

「あ、あー! そうだ。僕、セトさんに、帰りに研究室に寄るように言われてたんだった! もう行くね!」

 三十六計逃げるにしかず。

 脱兎の勢いで逃げだした流衣の背に、アルモニカは怒鳴る。

「こら、待てルイ! もう我慢ならん! エアリーゼを出て行った時といい、お主は全く……!」

「ごめんってばーっ! っていうか、僕のせいじゃないよ。不可抗力なんだってばっ」

「心構えが足りておらぬのじゃ、お主は!」

「相手が誰でも喧嘩売るアルに言われたくないよっ!」

「なにをーっ!」

 ますます憤激して追いかけてくるアルモニカ。

 これはますます捕まるとやばい。とりあえず本が飛んできそう。

「諦めてアルモニカに説教されとけ、ルイ」

 後ろからリドの笑い声が飛んでくる。どうやらリドの説教はないみたいだ。代わりにアルモニカの説教が待っている。

 なんで兄妹揃って説教してくるんだろう。

 リドは兄貴分みたいな感じだからまだ分かるとして、年下であるアルモニカに説教される理由がよく分からない。

 流衣は必死に走って逃げながら、内心、疑問でいっぱいだった。


 ――結局、捕まって説教されました。

 曰く、知らない人についていってはいけません、とのこと。

 年下に幼児扱いされたことで、流衣はその後しばらくへこむ羽目になった。


   *   *   *   * 


 寒いのは嫌いだが、外にいるのは好きだ。

 室内でぬくぬくしていると、感覚が鈍る。寒くても外に出て、感覚を研ぎ澄ませるのがサイモンの日課だった。

 そこを流衣に邪魔された上に、不愉快な問答をしたせいで、サイモンはイラついていたが、お陰であいつがとちったことを知った。とはいえ、ぎりぎり及第点だ。

 寮へと歩きながら、空を見上げる。

 寮の屋根に、鳩が一羽とまっていて、サイモンをじっと見つめていた。

「――聞いてたんだろ。手を引け。ぎりぎりしくじってねえから、今回は見逃してやる」

 鳩は低い声で言うサイモンを見つめ、ややあって飛び立った。

 分かった、という意味だろう。

 確かにサイモンは魔力増幅剤については知らなかったが、流衣の質問がシェリカに関係することだろうことは勘付いていた。

 学校を拠点とし、魔王信者として、混乱をばらまくのがシェリカの役割だ。

 あんな間抜けな奴に尻尾を掴まれかけるなど、爪が甘い。

 サイモンは鳩が飛んでいった空を見上げて舌打ちする。

 自身の仕事が上手くはかどらないのもあり、苛立ちが助長されていく。

(闇魔法使いども、どこに潜んでやがる……)

 教祖の先見(さきみ)は正しい。

 確かに奴らはこの町にいる。

 けれど痕跡を僅かに残すだけで、姿を見せない。

 ――まるで、幽霊か何かのように。

 影から引きずりだして、叩き潰してやる。

 見えない敵を消す。サイモンは胸を黒く塗りつぶす思いを抱えながら、ただそれだけ考える。

 教祖の敵は全て潰す。

 それが真っ暗な地獄からすくいあげてくれた教祖への、サイモンなりの恩返しだ。

 隠れているネルソフを(とら)えられない以上、まだこの学校に留まる必要がある。ぬるま湯に浸かるような学校での日々は、サイモンの性に合わない。

 スル=ヴェリの町の裏を取り仕切り、犯罪者を拾ったり潰したりしている方がまだ有意義だ。

 物騒なことを考えながら、サイモンはその場を立ち去る。また情報を集めに行く必要があった。


  *  *  *  *  *


 後日談として、ファリドが倒れた白の文学祭から三日目に当たる水の曜日、想定よりずっと早くファリドが目を覚ましたことで、話を聞くことが出来た。

 ファリドは魔力増幅剤を自分から買いに行く真似はしておらず、女生徒から貰った品が原因らしいという話だった。そして、やはりファリドはその女生徒について覚えておらず、女の子だったけれどどんな子か分からないと言う始末だった。倒れたせいで記憶が曖昧になっている部分もありそうだ。

 そして更にその三日後。

 昏睡状態にあった被害者三人のうちの一人が目を覚ましたとの知らせを受け、話を聞きに行ったところ、その女生徒は自分で薬を買ったものの、単に腕の良い占い師を紹介してもらったのでそこに行き、占い師から「自分に自信が持てる薬」を買っただけだと返したという。何ともうさんくさい話であるが、その生徒は、普段から魔力の低さに悩んでいて、自分に自信が持てずにいたので、怪しいと思いつつも飲んでみてしまったらしい。ちなみに紹介してくれた生徒とは知り合いではなく、やはり容姿を思い出せなかったそうだ。

 残り二人は昏睡のままだが、似たような状況だったろうと予測がついた。

 何故なら、被害者は皆、魔力が低いことを悩んでいた生徒ばかりであったので。その悩みにつけこまれたのだろうとの見方が強い。

 ファリドの場合は特に悩んでいなかったらしいが、ファリドが魔力が低いのは周りの生徒の間では有名だったので、そこをついて、そう見せかけようとしたのかという見方もある。

 以上が、グレースから後で聞いた報告だった。

 どちらにせよ、薬を広めて何のメリットがあるのか、不可解な事件だった。それでも、気付いた時にはすでに手遅れになっていそうな、なんとも不気味な気配が漂っている。

 それ以来、魔力増幅剤の流通はぴたりとなくなった。

 手引きした者は、引き際をきちんと心得ているようだ。

 音もなく姿もなく、ただ気配だけは確かにある。まるで影のような輩であるとは、グレースの言である。




 第十幕、完結です。


 シリアスとみせかけた感じのエセ事件物でした。我ながら、これが事件物かと聞かれるとうさんくさい香りしかしない気がします(笑

 そして、まだ学校編は続きますよー。


 もしかしたらあの話どこだったかなあという方がいらっしゃるかもなので、簡単にご案内。

・〈悪魔の瞳〉が初めて出てきた事件⇒第一幕 九章

・ディルが人質云々の話⇒第二幕 四十三章


 この辺を見れば、ああ、なるほどと思い出されるかもです。


 伏線を回収しながら、別の伏線をばら撒いて話を進めているので、毎度伏線回収に必死です。とりあえず一段落ついて良かったです。

 ここまで読んで下さった読者様に感謝です(^ ^)

 いや、まだ続きますが。

 ときどき書いていますが、おまけ召喚は四部構成ですので……。長いですが、お付き合い頂ければ幸いです。では。

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