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五十九章 青の泉 2


「馬鹿でしょ、あんた達」


 ずぶ濡れで帰って来た上に、派手に喧嘩をして、顔に切り傷や()れをこしらえてきた弟子とその友人を見るなり、リリエはばっさり切り捨てた。馬鹿を見る目そのものである。

「…………」

「…………」

「あ、はは……」

 何も返せず黙りこむリドとディルの横で、流衣は場をごまかすように笑う。流衣でも否定出来ないことだったので。

 あの後、本格的に喧嘩に移行してしまったのだが、見習いとはいえ騎士の少年と元木こりで腕力も体力もある少年の喧嘩を、ひ弱な流衣が止められるはずもなく、あわあわおろおろしているうちに、こんなことになったわけだ。見かねたオルクスが二人に雷を落としてくれなかったら、(文字通り、落雷の術である)、結果はもっと酷かったかもしれない。

 ゴーストハウスよりディルの滞在先の屋敷の方が近いということで、真冬にずぶ濡れになった三人は屋敷まで来たわけだ。そして、玄関先でタオルを借りて雫を拭いているところである。

 ちなみにナゼルはどうしたのかと言えば、村の自宅に帰っている。秘密を知ったナゼルをディルはきっちり脅して口外しないことを約束させた。「約束するから、その魔法の解析させて~」とナゼルが目をキラキラさせていたが、魔法は解けた後で痕跡がないのですぐに残念そうな顔になっていた。


「でも、良かったじゃない、ディル。男に戻れて! あたしも、あんたがうじうじくよくよしなくなるかと思うと嬉しいわぁ~」


 リリエはからからと笑う。

「師匠……。なんだか複雑ですが、ありがとうございます」

 溜息混じりであるが、それでも礼は口にするディル。結構、迷惑をかけた自覚はあるのだ。

「エイクー、こいつらまとめて風呂場に放り込んでおいて。あと、適当に着替え用意してあげて」

 近衛騎士団副団長であり、今は侍従に身をやつしているエイクはすっと礼をする。

「畏まりました。さあ、あなた方、こちらへどうぞ」

 案内してくれるエイクの後に続き、流衣達も歩きだした。

 前回に引き続き、お世話になってすみません……。



 風呂を借りて着替えた後、茶でも飲んでいけとリリエが言うので、客間でテーブルを囲んで談笑していたら、ノックの音が響いた。

 どうぞとリリエが応じると、扉が開き、頬を上気させたイザベラが袋を手に持って入って来た。

「ご機嫌よう! ディル様、ディル様! 新しいお薬を手に入れましてよっ! ……あら?」

 勢い込んで、パタパタと靴音を鳴らして部屋に入って来たイザベラは、違和感に気付いてきょとんとした。

「や、やあ。イザベラ殿」

 紙袋を見て頬を引きつらせつつ、ディルは軽く右手を上げる。

「…………」

 無言で白い騎士服に身を包んだディルを上から下まで見つめ、首を傾げるイザベラ。

 つかつかとディルに近付くと、紙袋をテーブルに置き、とりあえずというようにディルの胸に手を当てた。そこに膨らみがないのを確認すると、訝しげにディルを見上げるイザベラ。ディルは照れたように、やや頬を赤くする。

「……わたくしの目がおかしいわけではなく?」

「ああ、さっき戻れたのだ」

「まあ……!」

 両手を合わせ、ぱああと花が咲くような笑顔を浮かべる。


「おめでとうございます! 苦節、やや一年! 戻れて宜しかったですわ、ディル様っ!」


 感極まったイザベラが大胆にもディルに抱きつく。

「えっ、わっ、ちょっイザベラ殿!?」

 顔を赤くしてうろたえまくるディルに構わず、きゃあきゃあ騒いでいるイザベラ。

「ルイ、誰あの美人。ディルのこれか?」

 そっと流衣に問い、右手の小指を立てて振るリド。

「? 何それ」

 流衣は意味が分からず、きょとんと指を見る。まさか「指きり」ではないだろう。

「女って意味。恋人ともいうな。ちなみに男は親指な。間違っても男の恋人を探る時に使うなよ」

「え、つ、使わないよ。ていうか、普通に訊くよ」

 流衣はそういう話に免疫がないのでやや顔を赤らめたものの、軽く咳払いをして言う。

「彼女はイザベラさん。ディルの婚約者さんだよ。ディルを元に戻す為に、色んな薬を調べてくれてたんだって。こないだその薬を飲んだディルがぶっ倒れてた……」

「へ、へえ……」

 見かけによらずどぎついな。リドがぼそりと呟く。

 やがて目つきがだんだん遠いものになっていく。

「……で、俺達はいつまでこのいちゃつきぶりを見てなきゃいけないんだ?」

「さあ……。でも放っといてあげようよ。イザベラさん、苦労してたんだから」

 流衣はというと、イザベラの苦労を思って感激している。少し涙目だ。

「ツィールカ様の祝福がここにも、素敵なことですね」

 オルクスもまた感激した様子で、声に出して呟いた。


「あとは、領地に連れ戻して式を挙げるだけですわ! ディル様、わたくし、いつでもお嫁に行く準備は出来ておりましてよ!」

「お、落ちついて下さい、イザベラ殿! 流石に結婚はまだ早いですから……!」

「まあ、そんなことをおっしゃって。いつになったら迎えに来て頂けるんですの!?」

「せめて私が一人前の騎士になるまではお待ち下さい……! あなたのお父上ともお話済みですからっ」

「父と!? あの方のおっしゃることなんて信用出来ませんわ!」


 だんだんディルの顔色が赤から青に変わっていっている。

 何だか雲行きが怪しい方向に流れつつある。


「それに、申し訳ありません。こうして元に戻ったのです。私は王都に行かねばなりません……」


「………!」


 イザベラが息を飲む。

 流衣やリドもまたハッとして、ディルを見た。横でにやにやしていたリリエからも表情が消える。

 部屋に重苦しい沈黙が降りる。その(とばり)を落とした張本人は、なんでもないことのように話しかける。

「ヴァン兄上が王都行きになったのはご存知でしょう? 本来なら、人質という役割は末子(すえご)である私の役割。あのようななりではありましたが、あなたと過ごせた日々はとても楽しかったです」

 イザベラは花弁(はなびら)のような唇をきゅっと引き結ぶ。だが、唐突に告げられた別れに、深紅の目からはらはらと涙が零れた。

「わ、わたくしは、そんなことの為に、あなたを元に戻したかったのではありませんわ……!」

 ディルは困ったように眉尻を下げ、そっと指先でイザベラの目元を(ぬぐ)う。

「承知しております。それに私が男に戻りたかったのも真実。でないとあなたをお嫁に出来ませんからね」

 まるで茶化すかのように優しく微笑むディル。イザベラを見つめる水色の目には確かな慈愛が浮かんでいる。

 イザベラはぽろぽろと涙を零しながら、首を振る。

「嫌……! 嫌ですわ! あなただってご存知でしょう。王の蛮行を。王都にいる子息の末路を……! 女王派の何人が命を絶たれたとお思いです! 女王派筆頭であるリリエノーラ様の弟子であるあなたが無事で済むはずが……」

 ディルは右手を上げてイザベラの言葉を遮る。

「でも、私は行かなくては。レヤード侯爵領の領民の為にも、兄を失うわけにはいかないのです。それに、家族としても兄を見捨てることは出来ません。今まで役割を代わっていて下さったのです。……もう十分です」

「嫌です。嫌です」

 首を振るイザベラをそっと抱きしめると、ディルは身を離す。

「ありがとうございます、イザベラ殿」

「嫌……!」

 床に座り込んで、顔を手で覆って泣きだすイザベラを、辛そうに眉を寄せて見つめ、けれどディルは決然と顔を上げてリリエを見る。

「――どうしても行くのね?」

 その顔に覚悟を見てとったリリエは、静かに弟子に問う。

「ええ。今までありがとうございました。大丈夫です、私だってそう簡単に殺されてやる気はありません」

 そしてディルは流衣とオルクスとリドを見た。

「三人とも、ありがとう。もし王都に来ることがあれば、我が屋敷に来てくれ。君達と過ごした旅は楽しかった。ルイ、帰れることを祈っている。リド、どうか家族は大事にな。いい友人を持てたこと、深く感謝する」

「あ……」

 流衣は口を開けただけで、何も言葉が出てこない。

 まさかこうなるなんて思わなかった。

 元に戻れたことを喜んでいただけだったのだ。

 胸の奥が熱くて、言葉が喉の奥に引っかかり嗚咽に変わる。目蓋も熱く、頬を熱い。もしかしたら泣いているのかもしれない。

 ディルはきっとずっと覚悟が決まっていたのに、全然気づかなかった。何が友人だ。

「ふざけんなよ、てめえ!」

 リドが低い声でうなった。

 流衣はびくりとする。

 地を這うような、低い声だ。静かな怒りをはらんでいる。

今生(こんじょう)の別れみてえに言いやがって! 王都に行って、もし死んでやがったら、俺がもういっぺん殺してやる!」

 ディルはふっと口元を上げた。ディル自身も緊張していたらしい、少し肩を落とす。

「死んでいたら殺せんだろう。おかしな奴だ」

 流衣が何も言えないでそれを見ていると、オルクスがふわりとディルの肩に降り立った。

「敵地に向かうあなたに、はなむけを差し上げます。これであなたは悪意から守られる。……ツィールカ様の愛と慈悲の心があなたに降り注ぎますように」

 祈りの言葉とともに、淡い光がディルを包み込んだ。ディルは目を(みは)る。

「礼はいりません。こうでもしないと、我が主人がひどく悲しみますからね。」

 流衣の元へと舞い戻ったオルクスの言葉に、ディルは苦笑する。

「だが、礼は言わせてくれ。ありがとう。少しは気持ちが軽くなる」

 そして、ディルは柔らかく微笑んだ。


「さよならだ。――また会おう」


 短く言うと、白い騎士服を翻し、ディルは颯爽と客室を出て行った。

 ――パタン

 扉の閉まる音が隔絶を告げる。

 皆、無言だった。

「………っく……うっ………」

 胸に重石が乗ったような空気の中、イザベラだけが押し殺した声で泣いている。リリエはそんなイザベラの横に膝をつくと、やんわりとイザベラを抱きしめる。

「……ごめんなさい。あなたを辛い目に遭わせて」

「……いいえ……。いいえ……っ」

 ごめんなさいとイザベラは謝る。

「リリエノーラ様は悪くないのです……。……ですが、どうしても恨んでしまうのです。ごめんなさい……っ」

 好きな人を想って泣きながら、好きな人の師匠に謝る。

 どうしていいのか分からないのだろう。

 呪いが解けた喜びと、別れがいっぺんにやって来て。呪いが解ければ、何もかも上手くいくような、そんな気がしていたから余計に。

「いいのよ、それで。私も、私がうらめしいわ……」

 悔しげに唇を噛み、リリエはそれでもイザベラをぎゅっと抱き締める。

(こんな、こんなのって……)

 流衣もまた、ぐっと歯を食いしばって足元を睨みつけた。

 こんな、不安と心配にさいなまれる別れなんて初めてだ。

 苦しい。

 何も出来ない。

 でも何かしたい。

 だが、ここで流衣とディルの道は別れたのだと、頭の奥で分かっていた。

 流衣には流衣の行くべき道が、ディルにはディルの行くべき道が。

 だから祈ることしか出来ない。

 ――どうか、無事で。

 祈る。

 真面目で肩苦しい、口下手な友人の進む道の先が、光に満ち溢れていることを。



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