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五十九章 青の泉 1



(お薬、お薬……)

 その日も、イザベラは呪いのせいで性別転換してしまった愛しい婚約者を元に戻す為、図書館で調べ物に励んでいた。

(解毒……。いえ、違いますわ。これは解熱ですわ……)

 分厚い本を細い指先で捲りながら、文字を追いかけていく。

 ふう。花びらのような可愛らしい唇から小さな溜息が零れる。

(困りましたわ。このままでは図書館の蔵書が尽きてしまいます)

 王都の王立図書館に比べれば蔵書量は劣るが、それでもスノウリード魔法学校の図書館には多くの蔵書がある。校長が竜族である為に、長年に渡って蓄積された書物だ。だが、その中で解毒の薬についてとなると、量はぐっと少なくなる。

 それでもイザベラは少し楽しんでもいた。

 婚約者であるディルはいつも修行と言ってはイザベラを放置しているのだ。世話を焼きたくても近くにいないので、こうして手伝えることを喜んでもいた。だが、男に戻ってくれないと困る。イザベラはディルと“お友達”になる気はないのだから。

 未来に夢を馳せつつ、再び調べる手を進めると、ふいに紙面に影が落ちた。

 顔を上げると、小柄な女生徒が立っている。

「先輩、ですよね? よくこちらにいらっしゃいますが、お薬のことで何かお困りなのですか?」

 後輩だろうか。小さくて可愛らしい少女だ。銀のカチューシャが物静かな雰囲気によく似合っている。

「そうなのです。解毒剤を探しているのですが、もし良い方法をご存知でしたら教えて頂けません?」

 知らない生徒だったが、あまりに頻繁にイザベラを見かけるので、気になったのだろうと深く考えずに調べたことを書きつけた紙を見せる。調べた薬名とアカデミアタウン内の薬屋を書き連ねたものだ。調べた場所には横棒を引いている。紙にはすでに全てに線が引かれていた。

 それにイザベラとイザベラ仕えの使用人だけでは限界だったのもある。この学校にはルマルディー王国内のあちこちから生徒が集まっているから、もしかしたら情報があるかもしれない。

「どんな御病気でお困りなのか存じませんが、この町にはもう一軒、薬屋がありますよ?」

 書きつけを一瞥すると、少女は控えめにそう言った。


     *


 夕暮れ時、流衣達はボルド村までやって来ていた。

 偶然にも廊下でディルに出くわしたので、ディルも誘った。久しぶりに息抜きをしたかったらしく、迷わずついてきた。素で話しても平気な流衣とオルクスとリドという組み合わせに、ついてきたかったらしい。


「わーい、ありがとう。ルー兄! それにリドお兄ちゃんに、誰か分からないけどお姉ちゃんも!」

 差し入れにと途中で購入したパンの詰まった袋を受け取り、ジェシカがはしゃいだ声を上げた。しかし重かったらしくよろめいたので、横にいたランスが無言で袋を取り上げた。なんだかんだでランスは面倒見が良いと思う。

「劇、面白かったよ~」

 流衣が笑顔で感想を述べると、ディルもそれに賛同した。

「私もとても楽しませて貰った。姫君は可哀想な方だったが、最終的に幸せになれたので安堵したよ」

「そうそう。お姫様役のルディーさんも、とっても綺麗だったし」

 流衣が更に付け足すと、ルディーは顔をほころばせた。

「上手なんだから、ルイったら!」

「ごほっ」

 ばこっと背中を思い切りはたかれてむせる。ルディーは薄紫の髪と淡い青色の目をした、儚げな空気漂う綺麗な女の子だが、見た目に反して怪力の持ち主なのだ。

 褒められて照れているルディーは、頬に手を当て、きゃあきゃあ言いながら身をよじる。流衣のことはすでに眼中に無い。

「そんな本当のこと言われても困っちゃうわぁ。綺麗なの知ってるしぃ~」

「ルディー姉、きもい」

 顔を引きつらせたランスがぼそりと呟いた瞬間、キッと眉を吊り上げたルディーはランスに鉄拳をお見舞いする。

「女性にきもい言わない!」

「うがっ」

 頭を押さえて悶絶しているランス。

 サジエがふふっと笑う。

「進歩しないよね、ランスって」

「くう、うるせえ……!」

 遊びに来ていたらしいナゼルも、サジエに同意する。

「そうだよ。例え思ってなくても褒めておけばいいのに」

「なんですってぇ、ナゼル君?」

 甘やかな声で、けれどトーンは低くルディーが問うた瞬間、ナゼルは謝る。

「ごめんなさい! ルディーさんが綺麗じゃないって意味じゃないですっ! すごく綺麗です!」

「あらあら、良い子ね~」

 途端に笑顔になり、ルディーはよしよしとナゼルの頭を撫でた。

 その様子を見て皆で笑う。

 ナゼルが青い顔をしてぷるぷる震えているのが、少し滑稽だ。

「そういえば、あの劇のタイトルって『青の泉』だったよね? なんかどこかで聞いたことある気がするんだけど……。なんだったかなぁ」

 流衣はどうにも気になってたまらない。

 本で読んだにしては、どこかで聞いたような、いや、実際にそれを見た感じなのだ。

 しきりに首を傾げていると、ナゼルが呆れた視線を向けてきた。

「何言ってるの、お兄さんてば。僕と一緒に行ったでしょ」

「へ?」

「聖なる青の泉。そこの黄色山の中腹にある、魔法を解く効果がある泉だよ。もー、忘れちゃったのぉ?」

 ナゼルが呆れたっぷりにそう訊いた瞬間、ディルががっしりとナゼルの肩を掴んだ。


「少年! その話は本当か!!?」


「へ? え? なに!?」

 目を白黒させるナゼルに、ディルは畳みかける。


「だから、魔法を解く効果があるというのは本当かと聞いている!」

 あまりに鬼気迫る様子に、ナゼルは青い顔をしている。

「う、うん……。言い伝えだけど。あそこの山は聖地だし、強い祝福があるんじゃないかって……」

 長老さんが言ってた……。

 やや上ずった声で返すナゼル。

 ディルはそのままの姿勢で、低く笑いだした。

「ふ、ふふふふふ」

「なになに、なんなの怖いようっ」

 肩を掴まれているせいで逃げられないナゼルは、涙目になっている。

 異様な様に、流衣達も怖くて遠巻きに見る形になっていた。

「……案内しろ、少年」

「え?」

「そこに連れて行け。今すぐだ。今からだ。さあ、行くぞ!」

「ちょ、ちょっと待って。怖いよーっ。お兄さん助けて!」

 とうとう恐怖に耐えられなくなったナゼルが流衣に飛びついてきた。

「お、おおお落ちついてよ、ディナ」

 流衣がどもりつつ言うのだが、完全に目がすわっているディルには通用しなかった。


「行くぞ」


 にっこり。

 異様な迫力のある笑みを綺麗な顔に浮かべる。

「……ハ、ハイッ」

 頷くしかなかった。

 そして、流衣の右腕を掴んで黄色山の方に歩きだすディル。その流衣の左腕にはナゼルがひっついたままだ。更にその後ろに、リドが面白そうな顔をして続く。

「い、行ってらっしゃい」

 顔を引きつらせたルディーがそっと手を振り、他の劇団員達もまた、遠巻きにそれを見送った。

 関わるのはやめておこう。

 心が一致した瞬間だった。


     *


「ここが青の泉……! なんと美しい!」

 青に輝く泉に出た所で、ディルは胸を打たれたように声を張り上げた。

「そ、そうだね……。ごほっげほっ、ううう」

「どんな体力してるの……」

 体力は人一倍あるディルだ。例え女子になっていてもそこは変わらないようで、ディルに引きずられてきた流衣とナゼルは、化け物じみたスピードで山を登ったせいで息も切れ切れである。

(修行馬鹿だけじゃない。体力馬鹿だ……)

 ディルへの考えを少し改めた。

 一方、後ろからついてきていたリドも平然としている。

 訂正。もしかしたら流衣に体力がないだけで、これが普通なのかもしれない。……そんな馬鹿な。

 いったいこの二人の基礎体力はどうなってるんだと怪訝に思う流衣。

 ディルはひとしきり感動すると、さっと泉の縁に膝をついて、手で泉の水をすくって飲んだ。

 そのシーンだけ切り取ると、とても絵になる光景である。

「ど、どう……?」

 流衣は恐る恐る問う。

 何か変化があるかとディルを観察する。

「ねえねえ、お姉さんはいったいどうしたの?」

 ナゼルが服の袖を引っ張って訊いてくる。巻き込まれたナゼルには、何故そこまで鬼気迫っていたのか分からないのだ。

「ああ、ええと。ディルはディナじゃなくてディルってこと」

「……は?」

 流衣の説明に、逆にナゼルは眉を寄せた。意味が分からないと言いたげだ。

「も、戻らない……!」

 ディルはがくっと泉の縁に座り込んだ。今にもキノコが生え出しそうな暗い空気を発散し始める。

 流衣は何と言って励ましたらいいか、焦り、困ってちらりとリドを見る。リドは僅かに首を傾げた後、任せろとでも言うように、親指を立てた。

 ?

 なんだ?

 流衣がきょとんとした時、リドはディルの背後にすたすたと近寄った。

「飲んで駄目なら、これならどうだ!」


「はっ? ……ごふっ!」


 リドは容赦なくディルを泉へ蹴り落とした。

「ぎゃーっ! リド、何してんのぉ!?」

 流衣は青くなって叫ぶ。

 仮にも姿は女の子なのに、何て真似を!

 バッシャンと水飛沫を上げ、頭から泉に突っ込んだディルは、そのまま沈んでいく。

「何って。お前がやれって合図したんだろ?」

 不思議そうにリドが問うので、流衣は声を上げて否定する。

「どう励ましたらいいかっていうアイコンタクトだよ! うわああ、ディルーっ!」

 大急ぎで杖や小さい鞄を地面に放り、靴を脱ぎ捨てマントも放ると、流衣は泉に飛び込んだ。その直前に、オルクスが慌てた様子で空に舞い上がる。

 ディルは泳げないんだよ、カナヅチだから!

 それを証拠に、浮き上がってくる気配が無い。

 潜って、ガボガボと口から気泡を吐いているディルの腕を掴んで浮上する。澄んだ青い泉は、見た目よりずっと深いみたいだ。

「はあはあ、でぃ、ディル! しっかりしてー!」

 ぐたーっとしているディルの腕を肩に回し、とりあえず顔が水に浸からないようにして揺する。流衣の小柄な体格では、地面まで引きずり上げるのは至難の技だ。

「もう、リド! ディルは泳げないのにっ!」

「あ、そうだったな。わりぃわりぃ」

「悪いで済んだら、警察はいらないんだよっ!」

 珍しく流衣が怒ると、リドはややひるんだ。

「わ、悪かったって。怒るなよ。ほら、手ぇ貸せ」

 リドがディルの右手を掴んだ瞬間、ディルは顔を上げた。にやりと悪魔じみた笑みを浮かべている。

「……!」

 リドが嫌な予感に頬を引きつらせた瞬間、ディルは逆にリドの手を掴んで泉に引きずりこんだ。

「おっわ!」

 バシャーン!

 思い切り泉に落ちるリド。

「はっ、貴様も沈め!」

 ディルは思い切り言い捨てると、泉の縁にしがみつき、自力で地面に上がった。

「すまんな、ルイ。面倒をかけた。手を貸せ。――ああ、リド、お前はもっと水浴びしてきていいぞ」

「てーめーえーっ!」

 完全にずぶ濡れになったリドは、泉の中で怒りに震えている。

 ディルの手を借りて地面に上がった流衣は、やれやれと息を吐く。リドが悪いのだが、ディルもディルで大人げないというか。

 まあ、ディルが溺れなかっただけいいか。

「これでもくらえ!」

「ぶはっ!」

 切れたリドが泉の中から風を使って、思い切りディルに水をかけた。顔面攻撃をくらい、衝撃とともに後ろに倒れ、そのまま反転して迎撃態勢をとるディル。口元には笑みが浮かんでいる。が、目は笑っていない。

「……貴様、泉の水ごと凍らせてやろうか」

「ふん! やれるもんならやってみろ!」

 売り言葉に買い言葉。

 地面に這いあがったリドが、袖をまくる。

 睨みあう二人。

「ちょっとぉー、本気で喧嘩しないでよぉー」

 流衣はおどおどと声をかける。

『全く、子どもですねえ』

 流衣の側に降り立ったオルクスが呆れたように呟く。

『というか、そろそろ気付いた方がいい気もしますが』

「え?」

 言われてみれば、ディルの姿が男の姿に変わっている。

 流衣はぱああと表情を明るくする。

「ディル! リド!」


「「なんだ、ルイ。邪魔するな!」」


 サラウンドで怒られた。

 ひえっと首をすくめつつ、それでも言いつのる。

「そ、そうじゃなくて! 戻ってる! 戻ってるって!」

 ディルは無言で自身を見下ろし、盛り上がっていた胸がぺたんと平たくなっているのに気付いて、しかも服の袖が足りていないことだとか、前をとめているボタンが、体格が合わないせいで幾つか飛んでいるのに気付く。


「戻ったー!」


 ディルは歓喜の声を上げて叫ぶ。

 そして、素晴らしい笑顔でリドに言った。

「貴様のお陰だ、感謝する。だから、氷漬けでいいな?」


「てめえ、それが感謝する相手に言うことか!」


 激昂したリドの怒鳴り声が周囲に響いた。



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