五十八章 新たな犠牲者 3
翌日の光の曜日。助手の仕事と雑用を終えると、流衣はファリドの侍従であるモレクを探した。
主人が授業を受けている時だけ侍女や侍従が控えている待機室に顔を出すが、モレクはおらず、代わりにそこにいた侍従にモレクの自室を教えて貰ったので、そちらを訪ねていく。
貴族の子息子女が過ごす寮だ。たいてい、主人の隣部屋が侍女や侍従の自室となるらしい。女子寮には女性、男子寮には男性しか入れない為、そういう点を考慮して侍女や侍従を選んでいるらしい。考慮が難しく、異性の従者を連れている場合は、その従者は隣の宿舎にいるとか。
突然訪ねてきた流衣にモレクは驚いたようだったが、ファリドの話だろうとすぐに検討がついたようだった。訪問客が来るような部屋ではないがと前置きをし、モレクは部屋に入れてくれた。
そう前置きするのも最もで、寝台と箪笥とハンガー掛け、洗面用の盥などを置く台があるくらいの、簡素な部屋だった。宿の一人部屋くらいだろうか。落ち着いた色合いの緑色の壁紙があるお陰で部屋が明るく見えるなあという程度。
「ファリド君は隣に?」
「いや、あいつは医務室にいる。……私室だから、丁寧語じゃなくていいよな?」
一応、確認を取るモレク。褐色の肌を飾るような短い金髪は色鮮やかで、青色の目は青空みたいだ。空の下にいるのが似合いそうだ。二十代くらいの、ファリドよりも快活そうな印象のモレクは、印象通り、あまり貴族の学校の空気に馴染めないらしい。
「全然構いませんよ。僕の方もそっちの方が気が楽です。というか、聞きたいことがあるだけなので、気にしなくていいですよ」
流衣がやや笑みを浮かべて困ったように言ったのだが、モレクは一脚しかない椅子を流衣にすすめ、客に茶を出さないのは礼儀に反すると、一度部屋を出て行った。すぐに戻ってきたその手には、茶器の乗った盆を抱えている。木製のコップを流衣に渡し、自分もコップを手にし、盆は箪笥の上に置く。
モレク自身は窓際の壁にもたれて立ち、思い出したように話を再開した。
「で、ファリドだが。さっきも言ったように医務室にいる。本来なら実家に連れて帰るべきなんだろうが、故郷までは四カ月ちょっとかかるから、そういうわけにもいかない。でも、俺はここの生活に不慣れで看病をしきらないんでな。魔法についてもさっぱりだし、正直助かる」
「ああ、じゃあ、魔力増幅剤の話は聞いてるんですね?」
「校長先生から直々にな。内密にってことだったから、むしろ君が知ってる方が疑問だ」
「それの流通源を探る為に助手をしているので。これも秘密でお願いしますね」
知っているのならと、あっさり暴露する。怪しまれて嘘をつかれては困るのだ。
「間諜ってやつか? 見えねえなあ。とんだ伏兵がいたもんだ」
「はは……。ていうか、モレクさんは言葉が上手なんですね」
あんまり流暢なので、あの片言のファリドの侍従をしているのが不思議である。
「ああ。言葉ってのは、喋る分だけ慣れるもんさ。俺は使用人だから他の使用人とも気軽に話すしな。ファリドは話し相手がいねえから、自然と言語理解が遅くなる。でも俺は書く方はさっぱりだから、ファリドにはかなわねえよ」
やれやれと嘆息するモレク。茶を一口飲み、続ける。
「あいつは故郷じゃ、学問にかけちゃ天才だって言われてた。いっつも本読んでるような本の虫だよ。勉強したいってこんな北の果てまで来たってのに、結果がこれなんてなあ」
あんまりだよなあ。
モレクは溜息混じりに嘆く。
「何を聞きたいんだか知らねえが、あいつは薬に頼るような奴じゃない。努力家だからな」
やや険を含んだ声に、流衣は緊張する。
「いえ、魔力増幅剤を飲んだことを突っ込みに来たわけじゃなくてですね。ええと。不思議なんです」
「不思議?」
流衣はこくこくと頷く。
「ファリド君は、あの通り、片言ですし。それに友人も少ないようでした。魔力増幅剤を手に入れるにしたって、どこから手に入れたのか不思議です。人から貰ったのか、買ったのか。買ったにしろ、そういうものと知らないで買った可能性の方が高い気がして」
うう。緊張しているせいで喉がかわく。
茶を一口飲んでから、勢い込んで続ける。
「だから、あの、すみません。あまり言いたくはないでしょうけど、教えて欲しいんです。ファリド君が最近行った場所とか、会った人とか」
ファリドを責める気がないと分かって安堵したのか、モレクの空気が少し和らいだ。
「なるほどね。それなら、あいつの為にも協力すべきなんだろう。……んー、ここ一週間でいいのか?」
「はい。ええと、魔力増幅剤って、飲んでから半日くらいで効果が出るそうなんです。だから、昨日も含んでお願いします」
「分かった。……そうだな」
モレクは眉間に皺を寄せ、斜め下の空間を睨みつけるようにしている。思い出を引っくり返しているのだろう。
「この一週間、あいつは学校の敷地内から出てないな。授業以外は、鍛練場で魔法の訓練をしてるか、図書館に入り浸りだった。会った人間も、君と茶を飲んだ以外は、文法の先生であるマリエイスって人の所に質問に行ったくらいじゃないか?」
「文法の先生ですか……」
流衣は知らない先生だ。名前の感じでは男女の区別がつかない。どっちだろう。
その人に会いに行くかと思考を巡らした時、モレクがハッと顔を上げた。
「あ。そうだ。あいつ、そういえば一昨日の晩、人に会うって言ってたな」
「え? 一昨日ですか?」
「そう。手紙貰ったとかで、告白じゃないかって、えらい浮かれてたからよ。ついてこなくていいって言われたんで、忘れてた」
モレクは自分に腹が立ったかのように、乱暴に髪をかきむしる。
「文学祭の間は、校舎に人が少ないだろ? そこを狙って、相手を呼びだして告白する生徒は結構多いらしいんだよ」
「へえ、そうなんですか……」
どこの学校も、似たようなものらしい。祭りやイベントごとで告白が多いのも。
「あれだ。なんで気付かなかったんだ。あいつ、菓子もらって食ってたんだよ。あいつが自分から手に入れたんじゃなきゃ、あれしかない」
モレクはそう言うと、善は急げとばかりに部屋を出て、隣の部屋に行く。流衣も、コップを椅子に置いてから後を追う。部屋に入る真似はせず、戸口から様子を伺う。
「昼飯前だから半分にしとけって言ったから、まだ残ってるはずだ。えーと、どこに置いてるかな。うーん、あいつのことだから、大事な物は引き出しの仕切り、に見せかけた仕切りの一番奥だな。おっ、あったあった。手紙もあるな」
「…………」
ファリド君、君、友達にばればれだよ。隠してる意味がないよ。
しかも、モレクは容赦なく引き出しの鍵まで壊している。というか、遠慮なく引き出しを引っ張ったのか、引き出し自体を壊したといっていい。
「あ、俺が壊したの秘密な」
「……秘密にしててもばれると思いますが」
「天変地異のせいにしておく」
「…………」
なんというか。なんというか……!
真面目そうなファリドの友達が、ここまで態度が軽いのが不思議だ。
「ほら、これ持ってけよ。何か分かるかもしれねえ。分からなくても、あいつは薬に頼ったりしない。だから理由があるはずだ」
モレクは流衣の手に手紙と紙袋を渡し、自信たっぷりに言った。中を見ると、カップケーキのように見えた。
「よろしく頼むぜ、諜報部さん」
流衣は紙袋を大事に持つと、モレクに頭を下げる。
「はい。頑張って調べます。お茶、ご馳走様でした」
モレクはひらひらと右手を振る。
「ま、あいつが気付いたら、また話してやってくれよ」
「はい。それじゃ」
流衣はもう一度会釈をすると、寮を出るべく歩き出した。
次の行き先はセトの研究室だ。
「外れだな」
「……そうですか」
菓子を分解し、魔力増幅剤の成分があるか調べたセトは、首を振った。流衣はがっくりする。
「あの薬は、水に溶いたら効果が消える。だから、もし菓子に混ぜるんなら、形が残ってるはずだ。粉にしてるかもしれないから、念の為に魔力反応薬をかけてみたが、反応無しだな」
セトの判定理由は簡潔で分かりやすかった。
「残り半分に入っていたかもしれないし、一週間より前に手に入れて、昨日飲んだのかもしれん。分からんな」
「そう、ですか……」
「だが、なかなかいい線をついていると言える。その呼び出した相手が誰か分かればもっといいんだが」
ファリドの貰った手紙には、送り主の名は書いていない。けれど文字の感じから、女の子のような気がする。丸っこくて綺麗な文字だ。便箋も花の香り付きだ。
まあ、丸っこくて綺麗な文字を書く、花の香り付き便箋を使う男がもしかしたらいるかもしれないので何とも言えないのだが。
あれ? でも……。
流衣は訝しく思う。
ファリドが告白かもしれないと思っていたのなら、相手が女子であるのを知っていたことになる。もしかして手渡しで貰ったんだろうか。モレクが貰ったようだと客観的に言うのだから、侍従が待機室にいる間とすると、渡すとしたら授業の後とか?
「一年生で、ファリド君に告白しそうな女の子って知ってますか?」
「……流石に知るわけがないだろう」
憮然と返すセト。
「それにファリドはたいてい一人でいたからな」
「……そうですか」
むう。なかなか難題だ。
告白かあ。
うーん、告白。なんか引っかかるな。
流衣はこめかみに手を当てて、考え込む。なんだろう、この、かゆい場所に手が届かないみたいなもどかしさは。
『俺の方も進展無しだな。せいぜい見かけても、上級貴族が下級貴族を虐めてる現場とか、告白現場とか、そんなんかな。ああ、あと、悪戯してるのも見かけた。ちゃんと上にちくっといたぜ』
にやりとした笑みとともに、思い出す。
「あ!」
急に大声を出した流衣を、セトは驚いた様子で見る。
「な、なんだ。どうした」
そしてくいっと眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。
「何か分かったのか?」
「いいえ分かりません!」
流衣はきっぱり言うと、面食らっているセトを尻目に椅子を立ち上がる。
「でも、確認してきます!」
そして、一方的に宣言し、研究室を出て行った。
あの面白がるような台詞を口にしていた、もう一人の諜報員に確認を取る為に。
*
「告白現場について聞きたい~? なに、お前、そんなの興味あんの?」
一応、男だったんだなー。
失礼なことを言うリドをちょっと眉を吊り上げてにらむ流衣。
「僕は男だよ!」
焼却炉でゴミを焼きながら、リドはあははと笑う。
「分かってるって。でも、お前がそんな話を聞いてくるなんて珍しいな。なんだ、好きな奴でも出来たのか? ちょっとおにーさんに話してみなさい。大丈夫、口は堅いから」
「もーっ、僕のことじゃないってば!」
なにやら悪ノリしてくるリド。話が進まないので、流衣がじたばたと手を振って抗議すると、リドは笑った。
「そんな慌てなくても、姫さんには黙っててやるって」
「だから違うってば。……ていうか、なんでそこでアルが出てくるのかが不思議なんだけど」
「……面白くない奴だなー」
やれやれというように肩をすくめるリド。
なんで流衣の反応が期待外れだと言わんばかりなのかが気になる。しかもなんで上から目線なのさ。
「リド、真面目にしなさい。坊ちゃんが、困ってらっしゃる、でしょう!」
見かねてオルクスが嘴を突っ込む。
「坊ちゃんが聞きたいのは、ファリド=エネという、少年のことです」
「ははあ」
リドは腕を組んでにやりとした。
「つまるは、友達に頼まれて偵察ってことだな。よしよし」
「違うよ! ファリド君は昨日の、例の人だよ。一昨日、女の子に呼び出されたりしてなかったかが知りたいんだ」
「なんだ、そっちかよ。なら最初からそう言え」
だからどうして流衣が悪いみたいな流れになってるんだろう。
リドはゴミ箱の中の紙クズを焼却炉に放り込みながら、考えるように斜め上を見る。
「うーん、一昨日か。一昨日、告白現場には三つ出くわしたな。例の奴の特徴は?」
「金髪と赤茶の目をした、褐色の肌のシルヴェラント人だよ」
「あ、ああ。あいつか。見たぜ」
「ほんと!」
流衣は身を乗り出した。
「シルヴェラント人ってことだったら、だぞ? 女の方に手紙を貰ってたな。寮の裏手でさ。ちょうど通ろうとしてたもんだから邪魔だったのを覚えてる。でも、告白にしちゃあすぐにいなくなったけど」
リドは顎に手をやる。
「他の奴だと贈り物と一緒にとか、花束と一緒にとか、そういうのばっかだから、意外だったんだよ。で、妙に見つめ合ってるか、片方が申し訳なさそうに謝ってるとかー」
「その他はいいからっ」
「……お前、結構言うな」
その他で斬り捨てたよ。リドが恐ろしげに流衣を見る。
「その女の子、どんな子だった?」
「外套のフードを被ってたから、顔は分からねえな。でも小柄だったぜ。男の方より細そうだったな。男も十分ひょろかったが。身長は、うーん、お前くらいじゃね?」
リドのなにげない一言が、流衣の胸をえぐった。
うう。
小柄な女の子と同じくらいの身長って……。
「あっ、わり。お前と同じくらい小柄で、背が低いって言おうとしたんだ」
「……もっとひどいですよ、リド」
オルクスが、リドにじっとりと責めるような物言いで突っ込む。
流衣はズキズキと痛みをうったえる胸を押さえつつ、ややへこみ気味に問う。
「他には?」
「さあ。そんなじろじろと見ねえからな。貴族の告白現場を邪魔したなんて思われたら、厄介だろうが。俺は物影に隠れて、そいつらがいなくなるのを待ってただけだし」
「……そうかあ」
がっくりと肩を落とす。
これでは手掛かりなんて無いも同然だ。
分かったのは、告白相手が女の子で、この学校の生徒っていうだけだ。
「で? 俺の話は役に立ったのか?」
流衣はこくりと頷く。
「そうだね。分からないことが分かったって点では助かったかな」
「そうかい。まあそう落ち込むな。この件はなかなか難しいと思うからよ」
「……うん」
とりあえず気を取り直し、流衣はリドに礼を言う。
「ありがとう。仕事中にごめん」
「いいっていいって。ゴミを燃やしてるだけだしな!」
からっと歯を見せてリドは笑う。
それからふと片眉を上げる。
「そうだ。お前、今日はボルド村に行くのか?」
「え? 行く予定はないけど……。何かあったっけ?」
流衣は首をひねった。特に用事はないはずだが。
「劇団は明日発つんだろ? お前、世話になったんなら、今日のうちに見送りしてやれよ。行くんなら俺も行く。前に世話になったし」
「ああ、ほんとだね。忘れてた。じゃあそうする」
「今日は四時上がりだから、正門前にでもいてくれ」
「分かった。じゃあそれまでには行くよ」
流衣は頷くと、また走りだした。セトの研究室にまた戻らねば。報告は大事だし、また研究室の片付けをしなくてはならないのだ。