五十八章 新たな犠牲者 1
「麗しの姫君、どちらへ行かれる?」
「呪われた姫君、ここは人の来る所ではない」
「出口はあちらだ」
「帰りなさい」
「今すぐに」
口々に元来た道を示す妖精達に、フードを深く被った姫君は首を振る。呪いで老婆に変えられた哀れな姫君は、しわがれた声で、しかし決然と言うのである。
「私は帰りません、親切な小さき方々。この先にあるという、青の泉を見つけ出すまでは」
白の文学祭当日。
魔法学校の敷地内にあるホールで、移動劇団スカイフローラの演ずる『青の泉』を、流衣も一番後ろの一番左端の席で観劇していた。
流衣のよく知る日本の体育館のように、ホールの一番前は一段高くなっている。その他は広いホールとなっていて、そこに椅子を並べている。学年ごとに座る範囲は決まっているが、席は好きに選べる。なんと二階席まである手の入りようである。
このホールは、観劇や音楽の観賞会に使われる他は、ダンスの練習場でもあり、学内パーティーを開く場所であったりと、多目的に使用される場所だ。もちろん、貴族が多いのもあって金がかかっており、煌びやかである。
そんな場所の一番後ろの一番端っこにいるので、劇は豆粒程度にしか見えない。だが、台詞や遠目からの雰囲気で、流衣も流衣なりに楽しんでいた。観劇の許可をくれたセト先生さまさまだ。
近現代の劇に慣れている流衣には少し物足りないけれど、それでも面白いとは思った。効果音や音楽までつけるのは、流石に小規模劇団では無理だろうから仕方がない。むしろ、そのような技が使えず、台詞や小道具だけでこれだけ面白いのだからすごいと思う。
劇は、『ルマルディー建国記』からの引用で、呪われた姫君が呪いを解く為に旅をする物語だ。青の泉という、呪いを解く祝福をもつ泉を訪ねる。なんとか呪いを解いた姫君は帰国するが、そこですでに五年が経過しており、愛する王子様は王となり、別の姫君を王妃に迎えていた。その上、呪いを嫌悪した父王にはすでに死んだことにされていて、悲嘆にくれた姫君は、旅を支えてくれた魔法使いと共に再び旅に出て、最終的には魔法使いと結ばれる。幸せはすぐ側にあるのだと知り、愛と慈悲の女神ツィールカに感謝を捧げて、終わる。
どこかで一度は聞いたことがあるような、そんな内容だ。
午前と午後の二回に分けての公演を、その日、流衣はしっかり楽しんだ。
「面白かったねえ、オルクス」
観劇の後の高揚感にひたりながら、流衣が穏やかに声をかけると、オルクスは返事を返す。
『そうでございますねえ、坊ちゃん。なんという素晴らしい愛の物語! ツィールカ様もさぞお喜びになられることでしょう』
かのオウム殿は、別方面の感激にむせび泣いていた。
滂沱の涙を流しているオウムを、すれ違った生徒が見て、ひそひそとささやきだす。「あのオウム、泣いておりますわ」「鳥って泣くのですねえ」「やっぱりあの助手、変わっているわね」などと耳が拾う。どうして流衣が変わっていると言われるのか不思議だ。
『“この世は愛よ。愛で全てが解決出来るの。そして、慈悲の心を忘れてはならない。全てを慈しみ、全てを愛する。これぞ至上の救いの手。”そう、女神様はよくおっしゃっておりました。懐かしいです』
「は、博愛主義なんだね、女神様って……」
神様だし、博愛してくれないと皆困るけどさ。
あの女神様がそんなことを言うのかと、少し怪訝に思う流衣だ。面倒臭そうにしていたことしか記憶にないので。
むしろ慈愛というと運命と生命の女神レシアンテの方がそれっぽい雰囲気だったのだが……。
「助手、待つにゃ」
正門を通り過ぎようとしたら、ふいに大門脇の控室から、二足歩行をする大きな黒い猫に呼び止められた。守衛であり門番でもあるニケだ。
「はい?」
足を止めると、ニケはぽてぽてと黒い毛で覆われた足を踏みしめて流衣の方に来る。小声で耳打ちした。
「校長がお呼びにゃ。いますぐ向かうにゃ」
「へ? 校長先生が……?」
いったい、なんだろう。
流衣は不思議に思ったが、急げ急げとニケが急かすので、よく分からないままに追い立てられて小走りに走りだした。
「失礼します。校長先生、僕に何か御用ですか?」
久しぶりに訪ねた校長室には、スノウリード夫妻とセトがいた。
相変わらず長椅子でだらけているグレースは憂鬱顔で、立ったままトーリドと話していたセトはひどく真剣な顔をしている。
緊迫した空気に無意識に背を正す。
「ああ、来たわね。こっちにいらっしゃい」
「はい」
扉を閉め、招かれるままグレースのいる方に歩み寄る。
セトが流衣の方を見た。やや青ざめた顔には疲労がにじんでいる。
「……また犠牲者が出た」
セトがひどく沈痛な声を出して紡いだ言葉に、流衣は目を瞬く。唐突な切り出しに、無言でセトの暗い灰色の目を見つめ返す。
犠牲者。
その言葉が意味するのは、つまり、魔力増幅剤による副作用を発症したという意味だろう。
「今度は、君も知っている生徒だ」
「え?」
思わぬ言葉に胸が騒いだ。
「……誰です?」
まさか、知っている生徒って。
アルモニカが真っ先に浮かび、それはないだろうと消去し、では他に誰がと考え、クレオやロイスやディオヌが浮かんだ。
「留学生の、ファリド=エネよ」
玲瓏な声が、真実を告げる。
流衣がグレースに視線を向けると、グレースはこめかみに綺麗な指先を押し当てていた。
「もう、さいっあく。あたしの足元で、よくも好き勝手してくれるわ。しかも尻尾を出しゃしない! 忌々しいったら!」
むきーっと髪をぐしゃぐしゃ掻き回して悪態をつくグレース。
トーリドはグレースをちらりと見てから、流衣を見た。
「それで、あなたの方で進展があったのかお聞きしたくて呼んだのです。オルドリッジ教諭は進展はないと」
「僕の方も、全然です。馴染むのにやっとで……。リドやアルにも聞いてみますね」
罪悪感を覚え、うつむき加減に言う。
「すみません、全然役に立たなくて……」
「そんなにへこまなくていいのよ。あたし達で全然なのに、ぽっと出のあなたにあっさり解決されたらこっちがへこむわ」
グレースがぞんざいに宥めてくる。
「……ありがとうございます」
それでも落ち込んだ。
ファリドとは、今度から会話の練習に付き合うという約束をしていたのに。週一しか会わないとはいえ、隣の席だし、一緒に話したりしたのだ。留学生だし、もしかしたら意味も分からず事件に巻き込まれてしまったのかもしれない。
考え出すとキリがなかった。
「確認は済んだわ。ここまで来てくれてありがとう。今日はもういいから帰って休みなさい」
「はい。……失礼します」
グレースやトーリドとセトに会釈をし、流衣は退室した。
これはえらいことになってきた。
とりあえず、帰ってリドに話そう。今日は地の曜日で休みだから、ゴーストハウスにいると言っていたから。
少なめですが、更新しないよりマシかと思うので上げておきます。