五十六章 手合わせ 1
「お前ら、何でついてくるんだよ」
クレオは馬車に同乗してきた幼馴染であり家臣仲間である友人二人をじろっと見た。
銀髪と金目をしたキラキラしい見た目の線の細い少年、ディオヌは素知らぬ顔をし、銀縁の眼鏡を指先でついと持ち上げる。
「ゴーストハウスと聞いて、行かないわけがないでしょう」
「いやいや、何を当然みたいに言ってんだ、ディオン」
「だから、私の名前はディオヌだと言ってるでしょう! ほんっと頭悪いですね。ロイス、あなた、一度頭の中を洗ってきてはいかがです?」
「さらりと失礼なこと言うんじゃねーよ!」
ディオヌの失礼な言葉に、ロイスという黒髪と藍色の目をした真面目そうな少年が言い返す。口調は粗野だが、無骨な印象のある少年だ。ロイスはクレオやディオヌより一歳年上である。親が仲が良いので、どうせ学校に通わせるなら同年代にと示し合わせた結果、こうして同級生をしていたりする。
クレオ達三人も親と同じで仲が良く、たいてい三人で行動することが多いが、ディオヌとロイスの二人は口喧嘩していることが多く、クレオはそれを止める役回りになることが多かった。なんだか仲が良さそうでときどき疎外感を覚えるけれど、本人達は心の底から愚痴の言い合いをしているので、別に仲が良いつもりはないらしい。変な奴らだ。
「俺もロイスに賛成。ゴーストハウスの何が面白いんだ?」
クレオの問いに、ディオヌはキラリと眼鏡を光らせる。
「幽霊がいたらお話したいじゃないですか」
何を言ってるんだという口ぶりで、おかしなことを堂々とのたまうディオヌ。クレオとロイスは顔を見合わせ、無言で肩を落とす。
三人の中で一番常識人に見えるディオヌだが、月刊『ラーザイナ怪異集』の購読をしているくらい怪談が大好きだったりする。そんな胡散臭い雑誌を編集する書店があるのも不思議だが、購読者がいて売れているのも不思議である。
「助手は幽霊なんかいないって言ってたけどな」
「探してみる価値はあります!」
「……そうかよ」
ああ、駄目だ。これは何を言っても無理そうだ。
じゃあロイスは何でついてきたのかと目で問うと、ロイスはにっと笑みを浮かべた。
「俺はお前らのお目付け役な」
「……そりゃどうも」
そんなに信用無いのか、俺達。
*
「こんにちは、いらっしゃい……?」
馬車から降りてきたクレオを出迎えたが、その後に続いて降りてきた少年二人を見て、流衣は言葉を疑問形にしてしまった。
「あー悪い。こっちの二人もついてきたんだけど、邪魔していいか」
クレオはそう問うたが、邪魔してもいいのが当然みたいな口ぶりだった。特に問題はないので、頷く。
「ええと、構いませんよ。ああ、でも食器が足りるかな……」
引っ越してきたばかりだからそんなに食器類が充実しているわけではない。せいぜい、来ると分かっていたアルモニカとクレオの分を買い足してあるくらいだ。
「お構いなく。ゴーストハウスを見させて頂ければそれで十分です」
なんだかとても楽しそうなディオヌに、流衣は曖昧な笑みを浮かべる。
「はぁ、それならいいですけど」
そう言って、門前で立っていても仕方が無いので、とりあえず屋敷に三人を通した。
玄関に入るなり、ディオヌが歓声を上げ、屋敷内を見てきていいかと問うので、使用人部屋以外はどうぞと言ったら、喜び勇んで駆けて行った。
「………」
ディオヌの様子が奇妙で、ついクレオをじっと見てしまうと、クレオの代わりにロイスが答える。
「あいつ、怪談好きなんだ」
「そ、そうなんですか……。ここ、お化けいませんけどね?」
「いなくても、十分に奇天烈だから楽しいんじゃないかと思う」
クレオが付け足し、流衣はますます困惑する。
こんな破天荒な屋敷のどこが面白いんだろう。謎だ。よく分からない少年だなあと、遠くに見えるディオヌの背に流衣は視線を投げる。件の少年は浮き浮きと楽しげに廊下を見回しては、メモを取っている。準備の良いことで。
「まあ、趣味は人それぞれですよね……」
そう括り、クレオ達二人を暖炉のあるリビングへと案内する。リビングに入ると、台所からアルモニカがぴょこんと顔を出した。
「ルイ、茶濾しはどこじゃ? せっかくじゃからワシが茶を淹れてやろう!」
台所から顔を出したアルモニカに客達は条件反射のように硬直し、流衣は言葉の内容に青ざめた。アルモニカの淹れる茶は究極に不味いのだ。客を放置し、慌てて台所にすっ飛んでいく。
「いいよ、アル! 僕が淹れるから、アルは座ってて!」
「むう、せっかくのワシの好意を……」
「お願いします。ほんとお願いしますから座ってて下さいっ」
「………むー」
必死に頼むと、アルモニカは膨れ面をしつつリビングのソファーに座った。流衣は額に浮かんだ汗を拭う。なんとかミッション成功だ。
「あ、好きに座って下さい。お茶出しますから」
流衣が硬直して立ったままの客二人に声をかけると、客達は息を吹き返し、いそいそとアルモニカの前の三人は座れる広さのソファーに座る。アルモニカの座るソファーのすぐ斜め後ろには、サーシャが静かに立っている。いかにも従者然とした立ち居振る舞いだ。
客が帰った後にでも、サーシャにも茶菓子を出さねばなあと頭の片隅で考えつつ、茶菓子と茶を携えて戻って来ると、アルモニカはクレオと話していた。
「じゃあ先輩、友達出来たんすか。それは良かったです」
「うむ。隣の席のホーリィという娘でな、なかなか話が合うぞ」
流衣は盆をテーブルに置き、シフォンケーキと茶を三人の前に並べる。ディオヌには後から出すにしても、流衣とリドの食器を使えばどうにか茶を出せるくらいは出来たので良かった。
それにしても、と流衣は考える。クレオとアルモニカの会話を拾うに、アルモニカに友達が出来たらしい。それも女の子の友達だ。良かった。親友の実の妹だし、なにより二歳年下だから妹のようにも思えるアルモニカだ。ちょっぴり心配していたのでこちらも嬉しい。
「おおっ、これは美味いな。甘い」
シフォンケーキを食べたアルモニカが頬を綻ばせるので、流衣もつられて僅かに笑みを浮かべた。
「ありがとう。おいしく出来てるなら良かったよ」
「え。これ、店で買ったんじゃなくてお前が作ったのか?」
クレオが目を丸くして問うので、流衣は頷く。
「はい。僕の故郷のお菓子なんです」
「素晴らしい土地だな。こんな美味い菓子があるなんて」
ロイスが褒め言葉を口にし、しばらく四人は故郷の話に花を咲かせた。クレオとロイスはルマルディー王国東部のレヤード侯爵領にある自領のことを語り、アルモニカはエアリーゼと王都の〈塔〉について話している。流衣もどんな土地か訊かれるのに少し答える程度は話したが、三人が喋るのが好きみたいなので専ら聞き役に徹していた。
(そもそも、クレオ君て何で家に遊びに来るって言ってたんだっけ……?)
目的を見失って内心首をひねる。それでも話を聞いていると、やがて三十分程経った頃にディオヌが戻ってきた。
「すごかったです。こんなに素晴らしいホラーハウスが存在するだなんて! 記録もばっちり取りました!」
目をキラキラと輝かせ、やや興奮気味に言いながら、手に持った冊子を身体の前に突き出して見せびらかせる。
「家主殿、ありがとうございました。幽霊がいないのは残念でしたが、それよりもずっと有益でした!」
「は、はぁ……」
熱烈に礼を言われても、流衣は何もしていないので曖昧に苦笑するだけだ。
ていうか、何が有益なの? あちこち黒い家のどこが? 幽霊いなくて残念だなんて初めて言われたし、そもそも流衣は家主ではない。感謝をするなら、元の持ち主の変人魔法使いに言うべきだ。
「家主は校長ですよ。僕らは仕事中だけ家を貸して貰ってるだけです」
どこから突っ込めばいいか分からなかったので、とりあえず無難なところだけ指摘すると、ディオヌは何度も首肯してうなった。
「流石は校長先生。良い趣味をしていらっしゃる」
「…………」
なんて返事をすればいいやら。思わず助けを求めてクレオを見ると、さっと目を反らされた。彼も面倒そうだ。ひどい。
「なあ、助手。それよりあの使用人はどこにいるんだ?」
心持そわそわしながら問うてくるクレオ。
話題が変わったことに内心で安堵しつつ、流衣は僅かに首を傾げる。
「多分、薪割りしてるんじゃないかと思います。あ、ディオヌさんでしたっけ、今、お茶淹れますね」
「それはありがたい。興奮しすぎて喉が渇きました」
「……そ、そうですか」
爽やかな笑顔でそんなことを言われても困る。流衣は目を泳がせながら相槌を返し、席を立って台所に向かう。茶と菓子を携えて戻ると、ちょうどリドがリビングに入ってくる所だった。
「歓談中、失礼します」
薪を小脇に抱えたリドは、一言断ってからリビングに踏み入る。
クレオの表情が僅かに輝いたが、それには気付かず、すたすたと暖炉に向かっていく。そして幾つかの薪を火にくべ、残りを暖炉横の壁に重ねて置く。
あまり貴族の相手をしたくないらしいリドは、最初から関わる気はなさそうだったが、暖房のことは気にかけていたようだ。
「使用人、お前、名は何だ?」
足早に出て行こうとするリドを呼び止め、クレオが問う。
流衣は茶菓子をテーブルに並べ、盆を持ってちらりと振り返る。
「リドです。それが何か?」
俺の名前なんて聞いてどうするんだと言いたげな問い返しで、リドはあっさり言う。爽やかそうなのは健在だが、どこか違和感がある。余所行きの顔と態度というか。
「リドっていうのか。お前、強そうだよな。修練の為に、少し手合わせしないか?」
クレオの楽しげな問いに、一瞬、リドの眉が僅かに寄った。そこそこ長い付き合いのある流衣だからまだ分かるが、ほぼ初対面の客達は気付かない程度の小さな変化だ。きっとリドのことだから面倒だと思ったに違いない。
(うわあ、流石ディルのお家の家臣さん。ディルに似て熱血なのかな……)
修行修行と暑苦しく笑っていたディルを思い出し、流衣は内心苦笑する。子が親に似るみたいに、部下が主人に似ることもあるんだろうか。
「申し訳ありませんが、お客様。俺は強くないですよ。それにまだ仕事がありますので、これで失礼しま……」
そう言いかけて、リドは眉を寄せてふと玄関の方を見た。
「―― 失礼、客のようです」
一言断って、すたすたとリビングを出て玄関の方に向かっていく。
「え? お客さん?」
流衣はきょとんとする。他に客がいる予定はないのだが……。
この町の知り合いといえば、あとは校長夫妻かセト、他にはナゼルやシフォーネ、移動劇団スカイフローラの面々くらいであり、滞在の場所を知るのはその中でも校長夫妻とセトとナゼルくらいだ。
「はあ、よく気付いたな。チャイムも鳴っておらぬというに」
やや呆れ気味に呟くアルモニカに、流衣は何でも無いという態度で返す。
「リドは耳が良いから、それでじゃないかなあ」
そして台所に盆を置いて、またリビングに戻ると、リドがやや警戒した顔で現れた。
「ルイ、あいつらお前の知り合いか? なんかやばそうなんだけど」
「あいつら?」
「いいから、ちょっとこっち来い!」
なんだなんだ? リドがここまで警戒した相手が今までいただろうか。
流衣は心持不安になりつつ、促されるまま玄関に向かい、戸口からそっと門の方を見た。
――バタン!
見えたものに、思わず扉を閉めた。
「……僕、何も見てないよ」
「ああ?」
「ミテナイミテナイ。ねえ、オルクス」
「そうですね、坊ちゃん!」
黒い服着た黒い羽を持った少年と、赤と青の目をした少年の従者っぽい青年がいたなんて、そんなまさか。白昼夢っていうか、悪夢もいいところだ。
とりあえず見なかったことにして扉にくるりと背を向けた瞬間、リンゴーンとチャイムの音が玄関口に響き渡った。
ぎょっと扉を振り返る。
「え!? 幻か白昼夢じゃないの!?」
「……何言ってんだ、おめぇ」
思わず流衣が絶望半分に零した言葉に、リドが胡乱な顔をする。正気を疑うような目でこっちを見ているが、気にしてられる心境ではない。
――リンゴーン
またチャイムが鳴った。
扉を開けるのを躊躇していると、リドがややじれったそうに言う。
「お前が出ないんだったら俺が出るぞ? 客待たせるのはまずいだろ」
「ぎゃーっ、駄目だってリド! ここは居留守! 居留守を使うべきでっ」
「はあ?」
慌ててびたっと扉に張り付いて止める。リドは更に変な顔になった。
――リンゴーン
三回目のチャイムが鳴り、しばし沈黙が降りる。
よし、諦めて帰ったかなっ!
内心安堵した瞬間、扉の向こうから声がした。
「……無視なんていい度胸だな」
「!?」
ぎょっとする。なんか借金取りみたいで怖っ!
「君、悪いこと言わないから居留守はやめといた方がいいよ。リーダー怒らせたら扉壊されるから」
「…………」
サイモンの部下であるラズリードの声がして、まるで肯定するかのような沈黙が落ちる。
流衣の顔からさっと血の気が引いた。借り物の家を壊されるのは困る。頭を抱えつつ、諦めてそーっと扉を開ける。
「……はい、何の御用ですか」
僅かに開けた扉の隙間から、機嫌の悪そうなサイモンが真っ先に見えて、流衣は逃亡したくなった。怖いぃぃ。
「お前に用はない。そのオウムだ」
「ハハハ、ですよねー……」
引きつり笑いを浮かべつつ、ちらりと左肩に乗っているオルクスを見る。
「ふふふふ、前に言っていた手合わせとやらですね。いいでしょう。ただし、一度だけです! それでもう二度とわて達の前に現れるんじゃないですよ!」
オルクスは憤然と羽をばたつかせ、キンキンする声で怒鳴る。
サイモンはじっとオルクスを見て、あっさり言う。
「いや、それは無理だ」
「なんですって!」
ふざけるなと目を吊り上げるオルクスに、サイモンは何を当然なことをと平然に返す。
「そいつがオルドリッジ教諭の助手なんだから嫌でも会うだろうが」
「…………」
「言われてみれば確かに」
流衣はぽんと手を叩く。
場に間抜けな沈黙が下りたが、オルクスはめげずに言う。
「とにかく! 手合わせはこれっきりです! ここに訪ねてくるんじゃないですよ!」
「……後半は了承した」
「前半も了承しなさい! クソガキ!」
切れたオルクスが暴言を吐くが、サイモンは涼しげに無視した。
流衣は疲労感を覚えて溜息を吐く。
「……分かりました。少し待ってて下さい。オルクス、無茶しちゃ駄目だよ」
「はい。無茶せずにあのクソガキをぶっ飛ばします」
「………」
もういいや。なんか考えるのが面倒臭くなってきた。
流衣は口を出すのを諦め、怪訝そうにサイモンとオルクスを見比べているリドに言う。
「問題無しみたいだから、大丈夫だよ」
「……そうは見えないけどな」
リドもまた物凄く面倒臭そうに眉を寄せている。
やっぱり後で〈悪魔の瞳〉の幹部って話しておくべきだろうか。個人的にあまり話題にしたくなかったのだが……。黙ってたせいでまた説教されるかもしれないと考え、流衣はますます気鬱してきた。