五十五章 学生街巡りと植物育成
地の曜日。昼に近い午前、流衣は魔法学校の正門前にオルクスとともにぽつんと立っていた。
「おはよう。すまぬの、待たせたか?」
やがてアルモニカが侍女のサーシャと共に正門前に現れた。どちらも私服姿である。アルモニカは小さな鞄を肩に提げていて、サーシャは長い杖を手にしている。杖は金属の柄に植物の紋様が刻まれた綺麗な造りで、トップに金平糖みたいな赤い石がはまっていた。サーシャはひっつめにした灰色の髪と丸眼鏡の奥のモスグリーンの目が落ち着いた雰囲気に見せていて、魔法使いというよりも賢者のように見える。
「そんなに待ってないよ。大丈夫、前に友達を半日待ってたことあるし、少し待つくらいは全然平気」
妙な所で気の長い流衣がにっこり笑って言うと、アルモニカは呆れた顔をする。
「そんなに待たせる輩もどうかと思うが、待つ方もどうかと思うぞ」
「暗くなる頃には帰るから大丈夫だよ」
「そういう問題か……?」
アルモニカは怪訝そうに首をひねる。
『坊ちゃんのその律義さ、わては素晴らしいと思います!』
オルクスがキラキラした目で褒め言葉を口にする。流衣はあははと笑ってオルクスに礼を言った。律義というより、何も考えていないだけなのだが、まあせっかく褒めてくれているのだから言わないでおこう。
「ところで、本当に徒歩でいいの?」
学生街を案内すると約束していたので、こうして迎えに来たが、お嬢様だから馬車を使うものではないのだろうか。確認する流衣に、アルモニカは頷く。
「お主は馬車を使わぬのだろう? それに、折角自由にしていいのだから、ワシは自分であちこち見て回りたい」
「それならいいんだけど」
と言いつつ、流衣は確認をするように、ちらりとサーシャを見る。我関せずというようにアルモニカの斜め後ろに静かに立っていたサーシャは、流衣を見て僅かに微笑んだ。
「私は護衛です。ただの空気と思って下さい。お二人の邪魔なんて致しませんのでご安心を」
「はぁ……」
「何言っとるんじゃ、サーシャ」
やたらと“二人”を強調するサーシャに、流衣とアルモニカは揃って首を傾げる。しかしサーシャはにこにこと笑うだけだ。
アルモニカは不気味そうにサーシャを見つつ、流衣を促す。
「よく分からぬが、行くとしよう」
「行きたい場所あったら教えて。まあ、僕もそんなに詳しくないから、メインストリートくらいしか案内出来ないけど」
「それで十分じゃ」
それからふと思い出して流衣は言う。
「あと、アル。三時くらいにクレオ君が家に遊びに来るらしいから、街を見たらアルも家に来る?」
途端にしかめ面になるアルモニカ。
「あ奴、本気じゃったのか。勿論、行くぞ。貴族に圧力かけられたら、お主らではどうも出来まい」
面倒そうに鼻白んでいるが、アルモニカのその言葉はとても頼もしい。確かに、流衣にはどうにも出来ない。今は平民であるリドでもそうだ。
「……ち、何というお邪魔虫」
何故か忌々しげな顔をしたサーシャがぼそりと呟き、流衣とアルモニカはびくりとしてサーシャを振り返る。
「「……え?」」
サーシャは何でも無いと口元に手を当ててほほほと笑う。
「「………?」」
なんなんだろう、さっき感じた悪寒は。
流衣とアルモニカは気もそぞろに顔を見合わせる。しかし原因は分からなかった。
「書店と魔法道具屋は絶対に行きたいぞ」
アルモニカは気を取り直したように、希望を口にする。濃緑色の目が好奇心に輝く。
楽しそうな様子を見ていると、流衣も気分が明るくなってきた。友達と店巡りなんて随分久しぶりだ。
「じゃあそこは絶対に行こう。あと、屋台巡りもしようよ。この街、おいしい焼鳥屋があるんだよ。学校帰りに見つけたんだ」
「ヤキトリヤ? 何か分からぬが、面白そうじゃ!」
世間知らず丸出しの発言をしつつ、アルモニカも声を張り上げる。
『坊ちゃん、わて、花売りがいたら花を買って欲しいです!』
オルクスまで珍しく希望を口にして浮き浮きしている。
流衣達はどこに行こうかと話し合いながら、アカデミアタウンに繰り出した。
リドも来れば良かったのにと少し残念に思うが、リドはゴーストハウスにいる。ここしばらく早起きが続いていたので、休みくらい遅くまで寝たいとのことだった。今頃、のんびり起きだしていることだろう。
「ほお、これが魔法道具屋か」
アカデミアタウンにある魔法道具屋のうちの一軒、魔法道具屋ホーネットに入るなり、アルモニカは感心気味に目を輝かせた。
他にも五軒はあるのだが、流衣は迷わずここを選んだ。他の所は貴族向けなのか外観がキラキラしすぎて近寄りにくく、庶民向けらしい普通の外装の店にしたわけだ。大型の銀行並みの大理石造りの店とか、扉の上にクジャクのような鳥が彫り込まれた透かし細工の飾りが多様された店なんて入りたくない。高級ブランド店みたいな店は大の苦手だ。こういう所が流衣は根っからの庶民である。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
青色のバンダナを頭に巻いた、金髪と垂れ目がちの青目をした二十代半ば程の青年が客を一瞥するなり声をかけてきた。無精髭といい着崩している衣服といい、全体的に空気が緩い。というか面倒臭そう。
流衣はちらりとアルモニカを見る。
「アル、何か探してるの?」
「特には無いが、面白い物があったら買おうかの」
「だ、そうなので。あ、そうだ。これの買い取りお願いしたいんですが、いいですか?」
流衣は店内を物色しているアルモニカを置いて、自分の用事を済ませることにした。そろそろ懐が寂しくなってきていたので、いつものように魔昌石による資金調達だ。前に買っていた空の昌石に魔力を詰めた魔昌石を鞄から取り出すと、店主は目を光らせた。
一個売ればしばらくは生活出来ると思うので、とりあえず一個だけ売るつもりだ。
青い光を放つ魔昌石を手に取ってまじまじと見つめ、店主はやおら頷いた。
「これは上等な魔昌石ですね。銀貨四枚で買い取りましょう。宜しいですか?」
「はい」
流衣は了承し、代金を受け取って財布に仕舞う。
その後は、店内の品を見ることにした。
まず目についたのは薬品関係だった。傷薬や消毒用の塗り薬、腹痛に効く薬、他にも解毒剤や手荒れに効くハンドクリームが詰まった小さな木箱がある。薬草の混ざった薬用石鹸もあった。流衣が前にフラムの店で買ったような、物体強度と耐火の魔法のかけられたリュックや鞄、果ては魔法関係の書物も置いてある。杖や魔法効果の施された武器や、明かりの魔法道具、カイロと同じような暖をとる機能を持つ携帯用の手の平サイズの小さなクッションに、大型の物だと暖房器具まである。一部は雑貨に近いが、どれも薬学や魔法道具を作る知識が無ければ作れない物ばかりだ。
「あれ、種も置いてるんだ」
地面に置かれた木箱に種入りの袋があるのに気付いて呟くと、いつの間にかカウンターについていた店主が椅子に座ったまま首をもたげた。
「それは普通の植物の種じゃないんですよ。水と魔力を注いで育てる薬草です。人魚の涙草とルビィカズラという花ですね。自生しているものは魔力の溜まり場があると言われている山の奥にしか育ちませんから、人の手で育てているわけです」
「へえ……」
流衣はまじまじと種の袋を見つめる。
「そう言えば兄貴の奴、薬草学に凝っておったな。ルイ、お主、前みたいに植物の生長促進の術で育ててみたらどうじゃ? お主ならちょちょいのちょいじゃろ」
アルモニカも種の袋を見て首を傾げ、更に付け足す。
「人魚の涙草は咳止めの薬で、ルビィカズラは熱冷ましになる。なかなか役立つ薬草だぞ」
「アルがそう言うなら試してみようかなあ」
薬草が出来たらリドも喜びそうだ。
流衣は種を買うことに決めた。
他にも、魔力の入っていない空の昌石を二つと、薬用石鹸一つを買い、占めて銀貨一枚と銅貨四十五枚になった。紙袋に入れて貰った品物を、鞄に入れる。
アルモニカは携帯カイロが面白かったみたいで、それを買っていた。仕組みを解明すると熱論していた。まるで玩具を分解して喜ぶ子どもみたいである。
初めて自分で金の受け渡しをする買い物をしたとアルモニカは機嫌が良い。前は外出禁止を守っていたし、闇魔法使いから逃げていた時は流衣が支払いをしていたのだから、そう言われてみれば確かに初めてだ。
「ありがとうございました~」
なんとも気の抜ける店主の間延びした声を背後に聞きながら、メインストリートに戻る。昼時でお腹が空いていたので屋台で買い食いし、また店を冷やかして回った。
ゴーストハウスに戻ると、荷物をリビングに置いてから早速庭に向かった。
雪が積もっているので、裏庭にある木製の倉庫からスコップを取ってきて雪をどかし、そこに種を埋める。
「今の時期で生えるのか?」
疑い顔のリドに、流衣は首を傾げる。
「さあ。でも前は蔓が生えたよ」
「影の塔に木を生やしておったんじゃから、平気じゃろ」
アルモニカが言うと、リドはそれもそうかと納得した様子を見せた。
種を埋めた場所の前にしゃがみこんでいる流衣の後ろに立ち、手元を覗きこんでいるリドとアルモニカの後ろでは、やはり興味深げに見つめるサーシャの姿がある。皆、興味津津だった。
「坊ちゃん、大丈夫ですよ。どんとやっちゃって下さい」
事情を知らされているサーシャの前なので声に出して言うオルクスの言葉を受け、流衣は踏ん切りがついた。
「じゃあいくよ」
右手で杖を持ち、左手を地面につける。
そして魔力を左手から地面に注ぐ。種が育つことをイメージしながら、流衣は呪文を唱える。
「グロウ!」
すると、種を埋めた地面一帯が光り始め、地中から芽が出てきて瞬く間に生長し、青い雫の形をした一枚の葉をつけた草と、茎と葉が赤い蔦の先に白い四枚の花弁がついた花を咲かせた草が生えた。
「おおーっ」
「面白いの、もう一回見たいぞ!」
「私も見たいです!」
リドが感嘆の声を漏らしてパチパチと拍手をし、アルモニカとサーシャは口を揃える。
「ルビィカズラですね! おいしそう……」
目を輝かせるオルクスには出来たてのルビイカヅラの花を摘んであげる。オルクスは感激したように礼を言い、むしゃむしゃと花を食べだした。街で花売りから買った花を食べていたのだが、好物だったみたいで別腹っぽい。
薬草を摘んでしまい、また種を撒いて術を使った。
「すごいすごい!」
手を叩いて喜んでいたアルモニカだが、ふと不思議そうな表情になった。
「そういえばお主、前に何も無い地面から植物を生やしていたのじゃから、種がなくても生やすことが出来るのではないか?」
流衣はきょとんと目を瞬き、首を傾げる。
「……確かに?」
そう呟いた瞬間、アルモニカにどーんと背中を叩かれる。流衣は衝撃でむせる。
「なれば、試してみよ!」
「わ、分かったから叩かないで……」
へにょりと眉を下げ、流衣は弱々しく主張しつつ、再度チャレンジする。今度は種無しだ。
同じ植物が生えるところを想像してみたら、やっぱりにょきにょきと生えてきて、あっという間に育った。そのまま生長しきって種にならないのは、地の精霊が気を利かしてくれているのだろうか。
流衣は考える。何も無い場所から植物を生やすことが出来るのなら、流衣がよく知っている野菜も育てられやしないかと。
思い切って、雪の積もった地面一帯で試してみる。
「うわー……」
自分自身、目の前の光景にどん引きだ。
白い雪で覆われた地面の上に、季節感総無視でさまざまな野菜が実をつけている。
カボチャ、ジャガイモ、なすび、トマト、きゅうり、玉ねぎ、などなど。流衣が知っている有名どころばかりが、これでもかと身をひしめきあって生えているのだ。どこの農園だというような有り様だ。
「やり過ぎた……かな。ははは……」
乾いた笑いを零しつつ、なんだか地の精霊に申し訳なくなってくる。下らないことで酷使しているような気分だ。
「なんか、ごめん、精霊さん……」
「気に病まなくて大丈夫ですよ、坊ちゃん。精霊は坊ちゃんの注ぐ魔力を糧に植物を生やしているのです。プラマイ0……いいえ、もしかすると精霊にはプラスかもしれません。魔力は精霊にとっては栄養みたいなものです、地の精霊に好かれるということはつまり、地の精霊にとって好みの魔力を有しているということなんですよ」
「だったらいいんだけど」
オルクスの言葉で心が軽くなる。
「じゃあ、俺もそうなるのか?」
リドが何気なく問うと、オルクスは首を振る。
「それもありますが、あなたの場合は血の盟約が大きいですね。初代が風の精霊と子々孫々血を繋いで共にあると契約したのです。人間で精霊の声を聞ける者は稀ですから、精霊としても話せる者が欲しかったのでしょう」
オルクスの言葉を肯定するように、リドの周囲で風がヒュウと音を立てて吹いた。
「グレッセン家のように周囲に認知されていないだけで、血の盟約を交わしている者は世界を探せばいるやもしれませんよ。わては把握してませんがね」
「もしいるんなら、会ってみたいもんだな」
面白そうに口元を引き上げるリド。
確かにいるのなら話が合って楽しいに違いない。流衣もこくこくと頷いていたが、アルモニカに服の左腕の部分を引っ張られ、そちらを見る。
「のうのう、これはなんじゃ? お主の故郷の植物か? 実のように見えるが」
「うん、僕の故郷の有名どころの野菜だね」
好奇心で輝く緑色の目を向けてくるアルモニカに、流衣は答える。
「これがカボチャで、これがジャガイモ。あっちがなすびで、トマトでしょ、きゅうりでしょ……」
ジャガイモは根元を手で掘り起こし、茎を引っ張って抜いてみせる。ああ、小学生の時に、体験で育てる授業を受けてて良かった。
「おおっ、芋じゃな! ワシが知っている野菜に似ているのもあるが、どれも旨そうじゃの」
「魔法で生やしたのだから、味は分からないけど。どうかな」
トマトをその場でもいで、袖で軽く拭いて食べてみる。甘酸っぱい味が口に広がる。普通にトマトだ。
「うわ、なんだこれ美味い!」
「初めて食す味じゃ!」
真似して食べてみたアルモニカやリドはまたもや歓声を上げる。
「今日の夕飯はこれで作ろうかな。久しぶりに食べるから楽しみだな」
今から浮き浮きしてきた。
「クレオ君が来る前に収穫しちゃおう。三人は家に入って……」
「手伝う!」
「手伝うぞ!」
「手伝います!」
見事に声が揃った三人に目を丸くし、流衣はおかしくなって吹き出した。とても楽しそうで何よりだ。こちらとしても手伝ってくれるなら大助かりである。