五十四章 八つ当たりと再会 3
「これはまた、複雑に絡まりあってますねえ。どうやったら呪いがこうも絡まったり、途切れたりするんですか?」
ある意味、奇跡ですよ。
これが、ディルをまじまじと観察して言ったオルクスの言葉だった。
ディルが額に手を当ててうなだれる。
「剣で切ってしまったのだ」
「ああ、なるほど。魔法の強制解除の影響ですか。防護の加護付きの武器でも、呪いだけは切れませんものね。無理に切って暴発したわけですか……」
その返答に、ああなるほどと頷く。
小さなオウムがこくこくと頷きながら言う様は可愛らしい。膝に乗ったオウムを見下ろす少女姿のディル。絵になるけれど、ディルが真面目くさった顔をしているのでなんだか滑稽だ。
その横、一人掛けの長椅子では、言葉を流暢に話すオウムを見て、イザベラが不審そうにじろじろとオルクスを見ている。ちらりとリリエを見て、「亜人ですの?」と問い、リリエが「そうじゃないの」と答えている。
「宜しいですか、ディル。呪いというのは、呪いの言葉そのものを投げつける行為なのです。文字のように見えるものは、ただの記号ではないのですよ」
教え諭すオルクス。
「負の感情を魔力によって文字にする、精神力を削ぐ危険な行為ですが、その分、行使対象へのダメージも大きくなるのです。あなたが切ったのは、魔法というよりは怨念のような感情そのものです」
「怨念……怖いなあ……」
流衣はうめく。そうなると、流衣がかけられた死の呪いとやらは、その中でも最大級の怨念だったわけだ。
するとオルクスが流衣の元に戻ってきて、流衣の座る一人掛けの長椅子の肘かけにちょこんと止まる。左から、じっと流衣の左手の甲を見つめる。流衣もそれを見た。アルモニカの父であるデューク・グレッセンが聖法で治療してくれたらしいのに治らなかった、死の呪いの焼き印の痕。普段はその存在を忘れているが、ときどき目にとまると記憶をよみがえらせる。まさしく呪いだ。
流衣はさりげなく左手を右手で覆う。
「どうかした、オルクス」
「坊ちゃん。わてでもその傷を治せなかったのは、それが魔力で灯した火により、負の感情を人体に刻み込んだものだからです。文字の意味はこうです。苦痛を伴う衰弱死。身代りのお守りを持っていて、そして坊ちゃんが強い魔力の持ち主で良かったと心から思います」
「お守り?」
何の話だろう。流衣が首を傾げると、オルクスはややへこんだ様子で言う。
「前にフラム氏に頂いたお守りです。ビーズ細工の」
「あー……あれかぁ」
言われてみれば、あの時、手に持ったままだったはずだ。
「それと僕の魔力が何か関係あるの?」
不思議に思って訊いてみる。
「力の強い人間が持つお守りなどは、持たせられた意味を強めることがあります。たまたま身代りの守りを持っていたので、身代りに作用したわけです」
「ああ、なるほど。じゃあ今度フラムさんにお礼しにいかなきゃね」
「そうですね……」
ずぅぅぅん。
影を背負っているオウム殿。
まだ気にしていたのか。流衣は苦笑し、ひょいと両手でオルクスを包んで持ち上げる。
「オルクス、まだ気にしてるの? 意外に気にしいだよね~。僕は全然気にしてないのに、君が気にするのはおかしいよ」
「ですが、さっきあのクソガキに追われていた時、気にされてたじゃないですかっ」
うっ。何も誰か他にいる時に言うことないじゃないか。
ディルやリリエがハッとしたようにこちらを見ているのに気付いて、冷水を浴びせられたような気分になる。
流衣は慌てて笑顔を取り繕う。
「そりゃあ虐めっ子は気にするよ。殴られるのは誰だって嫌じゃないか」
「ですが……」
「オルクス」
流衣は諦めて短く名前を呼ぶ。言いかけたオルクスが口を閉ざす。
「その話はもうやめて。あまり思い出したくないんだ」
ハッと無言で見上げてくるオルクスに困ったけれど、流衣は静かに笑う。最大級の感謝をこめて。
「気にしてくれてありがとう。オルクスは優しいね。君が使い魔で、本当に良かった」
「坊ちゃん……」
唖然と見上げてくるオルクス。
「え、使い魔ですの?」
静まり返った場に、場違いな声が落ちた。
皆、思わずその声の主を見る。
イザベラがはっと顔を赤らめる。おろおろと視線をうろつかせながら謝る。
「あ、あら。ごめんなさい、つい……」
いや、正直助かった。
流衣はにこっと笑って頷く。
「そうですよ。オルクスは僕の使い魔をしてくれてるんです。かなり上位なので、僕には勿体ないくらいですけど」
イザベラはほっとしたように肩を落とし、やんわりと問う。
「まあ、上位とはどれくらいですの?」
「三番目です」
これにはオルクスが答える。
「へ?」
「は?」
イザベラとリリエが目を丸くする。
「わては、第三の魔物オルクスと申します。ツィールカ様にお仕えしているのですが、今は訳あって坊ちゃんの使い魔をさせて頂いているのです」
さらりと言うと、何事も無かったように話を戻す。
「ああ、それで話の続きですがね、ディル。結論から言えば、あなたの呪いを解くのはわてでも無理です。文字がごちゃごちゃ絡まりすぎです。どうして女性に変わったのかも謎な支離滅裂な文章になってますよ。これは、強い解呪をもつ祝福でもないと……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
当然のように話を進めるオルクスに、リリエが突っ込む。
「はい、なんですか。リリエノーラ嬢」
「なんですか、じゃないわよ! 三番目って何よ、三番目って! 託宣の巫女の使い魔ですら七番目なのよ!」
バン! とテーブルを叩くリリエを見て、オルクスは小首を傾げる。
「ああ、あの人型もとれない小僧がどうかしましたか?」
「こ、小僧って……っ」
ひくりと頬を引きつらせるリリエ。
事情を知るディルは苦い顔をしている。
じっと疑問を込めてリリエが見てくるので、流衣も仕方なく事情を暴露する。まあディルの師匠と、ディルが紹介したがるような婚約者の少女だ、信用には値するだろう。
信じられないとは思いますが、と前置きして暴露すると、部屋に沈黙が落ちた。そして、今度こそリリエは頭を抱えた。
「ええ―――っ、異世界人!? しかも、勇者召喚に巻き込まれて、いらないおまけだからって放り出されたって。ええ、なにそれ可哀想!」
「わ、わたくし、涙で前が見えませんわ」
イザベラは涙ぐんで呟く。
「あ、でも、一応繋がりあったらしくて。勇者の川瀬達也さんて、僕の兄さんが家庭教師をしてた時の教え子だったらしいんです」
「何?」
ぎょっとこちらを見るディルに、知らずに会っていて、その後に手紙を貰ったと言うと衝撃を受けたようだ。ディルも知らずに会っていたことになるからだ。
「あなた、本当に不憫ねえ。逆境に負けずに頑張るのよ」
すっかり同情的になったリリエが、流衣の手をぎゅっと握りしめて真剣にエールを送ってくるのに、流衣はあははと乾いた笑いを零すしかない。こういう反応、久しぶりだ。口ではっきりと不憫という当たりがリリエらしい。
対照的にイザベラは何やらキラキラした目でこっちを見ている。
「あの、不謹慎だとは思いますけれど、わたくしは異世界の方に会えて嬉しいですわ。流石はディル様、お友達もただ者ではないのですね。類は友を呼ぶといいますもの、きっとディル様は、将来、大物になりましてよ」
「……そ、それはどうも。イザベラ殿」
何やら複雑そうに頬をかくディル。
それからやおらイザベラは深紅の瞳を期待で閃かせる。
「ルイ様、異界の知識に呪いを解くものはありませんの!? もしかしたら鍵になるやもしれませんわ!」
本当に執念の人だ。身を乗り出すように問うイザベラに感心しつつ、流衣はへらりと笑う。
「あの、様なんて大層な言葉つけなくていいですよ? 呪いを解く……ですか。うーん、魔法を解くってことですよね。うーん……」
思いもしない着眼点だ。
流衣は腕を組んで考え込む。呪いだとかに詳しくはないが、ふと童話を思い出す。魔法を解くといえば。
「あ」
だが、しかし口に出すのをためらう。思い出したのが『眠りの森の美女』や『白雪姫』だっただけに。
「まあ、何かご存知ですの! 教えて下さいまし!」
ここぞとばかりに語気を強めるイザベラ。
流衣は顔を赤くする。
「え、えと……ですね。僕の世界の童話によくあるんですが、魔法の眠りについたお姫様を助ける為の方法がですね」
ええー、これ言っていいのかな。
「はい、何ですか」
流衣は膝をじっと見つめ、赤い顔のままで蚊の鳴くような声で言う。
「……です」
「はい?」
怪訝な顔をするイザベラ。流衣は覚悟を決め、思い切って言う。
「お姫様を愛する王子様が、お姫様にキスするんです!」
室内がシーンと静まり返った。
(だ、だから言いたくなかったんだよ!)
流衣は全身が沸騰せんばかりに熱くなった。恥ずかしさのあまり、両手をごしごし顔に押し付ける。どこか穴があったら今すぐ隠れたい。
「まあ……。口づけで魔法が解けるなんて、斬新ですわね」
イザベラは感心したように呟く。声には恥ずかしがる調子はなく、単に思わぬ知見にうなっているような感じだ。
斬新という感想こそ、斬新だと思ったが。
流衣は膝を熱心に睨んでいたが、衣擦れの音がしてイザベラが立ち上がったような音がした。
「……え? イザベラ殿?」
何やら狼狽したディルの声がした。
「ちょ、待っ……」
また部屋がシーンと静まり返った。
(ん?)
何だろうと顔を上げると、イザベラがディルの側から身を離したところだった。眉を寄せてじっとディルを観察し、見られている方のディルは耳まで赤くなっている。対岸を見ればリリエが楽しげに笑っていた。
イザベラはしばらく観察して何も変化がないのを見ると、ぐっと拳を握る。
「……どうやらわたくしの愛は呪いを解くには足りないようです。ディル様! 絶対に愛の執念で元に戻してみせますわ! さっそく次のお薬を探さなくては。今日はこれで失礼いたしますわね!」
決意も新たに憤然と宣言すると、皮の鞄を手にして気概たっぷりに部屋を出て行った。
(え?)
流衣はイザベラの出て行った扉を見て、それから赤くなったまま固まっているディルとにやにやしているリリエを見る。
「まさか……今……」
もしかしなくてもイザベラはすぐに実行に移したようだ。
流衣まで顔を赤くして呟くと、リリエがぱちんと片目をつむる。それはもう、心の底から楽しげに。
「ルイ、あなたって良い仕事するじゃない! 面白いもの見れたわ~ほほほほほ」
リリエの高笑いが不気味だ。
口元に手を当てて硬直していたディルは、フリーズが解けると、やはり赤い顔のまま顔を右手で覆う。
「ルイ……」
「な、なに。なんか……ごめん?」
「いや…………ありがとう」
ぼそりと礼を言うディル。
呪いは解けなかったが、どうやら結果オーライっぽい。
『坊ちゃん、グッジョブです!』
流衣にしか聞こえない声で、オルクスも楽しげに囃したてた。
*
「へ~、ほんとに女になってんだな」
流衣からディルの話を聞いた翌日、学校敷地内でディルにそっくりな少女を見かけて声をかけたら当たりだった。
ぎくりとした顔で振り返ったディルは、リドを見て渋面を作る。
他の女生徒が皆制服姿なのに反し、ディルは運動着である乗馬服姿だ。
「本当に用務員をしているのだな……」
苦々しげに呟いた後、更に言う。
「グレッセン家の人間がそんなことをしているなど、本来は卒倒ものだぞ?」
リドはからからと笑い飛ばす。
「その話も聞いたか。安心しろって、それは二年後の話で、今はただのリドだ」
ちょうどゴミを収集してゴミ焼き場に捨てに行く所だったので、布の袋にはゴミが詰まっている。魔法道具などは危険物処理なので、別に収集されているから、ここにあるのは普通のゴミだ。
「人生、何が起こるか分からないもんだよなあ。誘拐されて盗賊に売り飛ばされて、その後逃げて住んでたとこで異世界人に会って、一緒に旅してたら故郷を見つけるんだから」
笑って言うと、ディルは真面目に頷いた。
「そうだな。私もこうして女になっている」
リドは吹き出して笑ってしまう。それからふと思い出して言う。
「あの小うるさい姫さんが俺の妹なんだから、驚きだよな」
「だが、兄として見ればそっくりだぞ」
「どこが?」
「どこもかしこもだ」
「そうかぁ?」
リドは頬を手で撫でる。そんなに似ているだろうか……。
「ま、いーや。地の曜日にでも遊びに来いよ。ゴーストハウスに住んでっからよ。よっと」
一休みで置いていたゴミ入りの袋を肩に担ぎ直す。
「じゃーな!」
すたすたと歩いて行くリドの背に、ディルのおかしそうな笑いが聞こえる。
「ルイと全く同じことを言うな」
リドは僅かにディルを振り返る。
「そりゃ言うさ。お前、俺らの仲間だろ!」
リドはにっと笑う。
そう言った拍子のディルの間抜け面が面白かった。
しかし、女になるなんてことが御伽話以外にあるんだな。自分じゃなくて良かったと、ディルには悪いが思ってしまった。そうしてふと、自分が女だったらアルモニカとそっくりなのだろうかと想像してみる。
……うわ、微妙。
急に目次のところのあらすじを一部変更したのは、この場面の為です(笑
ディルがあんまり可哀想だから、ちょっとサービスしてみた。
脇役の癖にって、石投げないでね!