五十三章 悩める人達
「明かりの魔法道具が普及してない理由? そんなん、魔昌石より油代の方が安いからに決まってる」
壁紙の接着剤が乾くまでリビングが使えないので、調理場に置いてあるテーブルで食事すべく、テーブルを濡れ布巾で拭きながらリドはあっさりと答えた。
テーブルは使用人が食事を摂る為にここに置いてあるものだ。この屋敷の元主人は趣味は最悪だが使用人には親切だったようで、使用人部屋はどこも大変使い勝手が良いようになっている。人は見かけによらないという見本みたいだ。
「え、そんな理由なんだ」
竈でフライパンをかえしながら、流衣が僅かに振り返ってきょとりと黒い目を瞬く。
リドは朝から晩まで用務員として働いていて忙しいが、流衣は休みが多いので楽だからと食事係を買って出てくれた。共同生活に当たり揉め事が起きても困るので、それぞれ役割分担をし、自室の掃除や洗濯は各自がして、リビングや便所や風呂場などの共同スペースだけは交代で掃除することになった。あとの部屋は使わないので放置しておくことにした。ピンクの部屋なんて、そもそも近づきたくもない。
「ルイはひょいひょい作ったりしてっけど、普通は魔昌石なんて聞いたら高価で手が出ないってイメージなんだぜ。俺だって、お前が作ってるの見なきゃ、どんなのが魔昌石か分からなかったしな」
「そんなもんなんだ……」
予想外だったのか、流衣は面食らったように首を傾げている。それでも料理の手は止めないのは流石だ。
本当に、調理に関してだけは器用な男である。
掃除をしようとしてモップの先でバケツの水を引っくり返し、それに慌てるあまり転んで被害を広げていた昨日の流衣を思い出す。あれが嘘みたいだ。
真実、調理に関することだけは冗談抜きに手際が良く、調理台や調理器具の掃除などはさらりとこなしていた。何でなんだろう。拭く作業にしたって、台を拭くのを床を拭くのに変えるだけなのに。訳の分からん奴だ。
リドは台拭きを終えると、布巾を洗って干し、手を洗ってからパンを手に取ってナイフで切り分けていく。パンは、今日は昼上がりで帰ってこられたので、(昼上がりが週に二回と休みが一日らしい。雑用だから、イベントが無ければそんなに忙しくない方だとか)、帰りに材料を買い揃えてリドが焼いたものだ。
大麦を使った黒パンだ。小麦粉を使った白パンは高いから、庶民はもっぱら黒パンである。
カザエ村にはパン屋なんてものは存在しないので、村人は皆パンを自作する。木こりの師匠であるボロス爺さんに教えて貰ったので、リドも作れる。
あれだけ料理が上手いのに、流衣はパンを作ったことがないらしい。作り方を教えてやったら目を輝かせていた。なんでも、パンを買うことはするが、流衣の国は「コメ」が主流だから自分で焼いてまで食べる人は滅多にいないらしい。家庭で作る人は「キカイ」を使うとか。
意味の分からない単語があったが、楽しそうだったのでとりあえず頷いておいた。流衣の言う「コメ」というのは、王国南部で作られている「ゼーラ」という穀物のことだと、後から理解した。カザエ村まで逃げてくる途中で一度食べたことがあるが、あんなパサパサしているものを主食にしているなんて変わっている。
「なんだこれ?」
パンを切り分けた頃には食事の支度が済んでいたので、テーブルにつく。部屋の戸棚の上でじっとしていたオルクスが、空いている椅子の背に飛び乗る。流衣は衛生面にうるさく、料理中はオウムであるオルクスが側にいるのを許さないのだ。お陰で、流衣が料理をすると言い出すとオルクスが不機嫌になる。普段がオルクスに甘すぎるから、ちょうどいいんじゃないかとリドは思うが。
「なにって、パスタだけど?」
首を僅かに傾げる流衣。
「パスタっていうのか? 初めて見たな……」
蛇がのたうってるみたいでちょっとだけ不気味だ。
「そういやパスタってここじゃ見たことないね。小麦粉をこねて作るんだけど、手打ちだからちょっと不格好だけどおいしいよ。キノコと野菜と麺を混ぜてハーブで味付けしてみたんだ」
「へえ……」
黄色っぽい細長い食べ物をまじまじと見る。まあ、きっと美味いだろう。流衣の料理は見たことが無いものも多いが、味は美味い。その辺の食堂にも出せそうなくらいだ。しかも見た目が綺麗なものが多い。
リドの料理は、大きく切った野菜を入れたごった煮だとか、焼いた肉とスープとパンとか、そういうものが多いから、よくもまあ見た目にこだわれるものだと毎度感心する。食べれて美味しければ問題なし、という、大雑把なところがあったりする。
(しっかしこいつ、前から思ってたけど生まれてくる性別間違えたよな……)
にこにこと穏やかに微笑んでいる流衣を見て、内心で可哀想に思う。
本人は背が低いのを気にしているし、もし女だったら気にしなくて良かっただろうにと思う。たくさん食べれば背が伸びるかもとガツガツ食べる割に全然なのが、同じ男としては同情してしまう。
急に不憫になってきたので、意識を反らし、パスタとやらを食べてみる。つるっとした感触が不思議で、美味い。
そう言ったら、とても嬉しそうに微笑んだ。
流衣は一見すると地味だし、普通の少年なのだが、そうやって笑っていると周りを和ませるところがある。今のところ、くつろいだ表情を見せるのは、自分やディルやオルクス、それからアルモニカといる時くらいか。若干人見知りするらしく、外では微妙に緊張しているし、苦笑や引きつった笑顔が多い気がする。
友人っていうのは良いもんだ。共に行動していても気軽でいられるし、親しみのこもった態度を見ているとこっちも気が安らぐ。
思い返せば、ボロス爺さん以降で初めてだ。こんなに長時間共に行動した他人は。
リドは気ままな性格をしているから一人で行動する方が楽なところがあって、一匹狼になりがちだ。色々としつこい態度を取らない流衣とは馬が合う。たまーに協調性について注意される時があるが、仕方が無いと思っているみたいで一言言ったらもう何も言わない。流衣だけではない、ディルもそうだ。あいつも呆れたようにしているだけで、あまり口は挟まない。まあディルの場合は口下手だから説明出来ないだけなんだろうが。更に付け足すと、オルクスは主人である流衣第一でリドのことなど眼中に無いから何も言わない。たまに喧嘩を売ってくるくらいだ。うん、そう考えてみるとこのメンバーは良い。リドには物凄く気が楽な組み合わせだ。
「リド、用務員の仕事どう? 順調そう?」
「ああ、まあな」
リドは流衣にそう返し、用務員の仕事の初日のことを思い返した。
用務員はすでに二人いた。仕事場に赴いて自己紹介しあって軽く説明を受けた後、二人にしごきという名の洗礼を受けた。軽くオーバーワーク並の仕事を次から次へと頼まれて、それを片付けるだけではあるが、敷地内が広いので移動だけで大変だった。
まあそこは意地と若さからの体力で乗り切った。エアリーゼで見習い神官をしていたお陰で雑用には慣れていたし、風の神殿の敷地も魔法学校並に広かったから、走り回るのは苦ではない。働くのも好きだ。ただ、神殿と違って貴族や金持ちの子息がうろついているので、目に付かないように気を付けなくてはいけないのが厄介だった。それにリドは朝に弱いので、早起きなのが辛い。
とはいえ、先輩用務員のジョットは気安い性格をした恰幅な中年の男で付き合いやすそうだったし、何かと嫌味っぽいリセという青年も無視していれば特に問題はない。
偏屈で頑固で扱いづらいので有名らしい庭師のクルトという老人とも打ち解けた。
職場の人間や食堂の給仕や貴族が連れている侍女や侍従なんかはクルトを苦手にしているらしく、庭師に関連する仕事を集中的に丸投げされたけれど、リドはクルトには最初から好意的だった。ボロス爺さんの印象が強いせいかもしれない。ボロス爺さんは人は良いが無愛想だったから、クルトが無口で常にしかめ面をしていて愛想が欠片もなくとも(我ながら酷い言いようだ)、リドは全く気にならない。仕事に対する誇りが強いから、そこを傷つけないようにすればいいだけだ。職人を相手にしていると思えばいい。
――仕事としては順調だ。間違いない。
リドはうんうんと頷く。
「僕の方は、まだ顔合わせ程度だなあ。まだ取っ掛かりまではいかないや」
何を思い出したのか、憂鬱そうに溜息を吐く流衣。その隣でも、何かを思い出したらしいオルクスが不機嫌そうに黄緑色の身体を膨らませた。小さいフクロウみたいで笑える。
「俺の方もまだだな。建物の修理に、屋根の雪下ろしだろ、それから貴族様の猫探し……。はあ、猫逃がしすぎだっての。一日に一度は探しに行くってどういうことだよ」
やれやれと肩を落とす。
これがまたデブ猫だから重いのなんの。何で木に登るかな。下りられなくなるのくらい、すぐ分かるだろうに、あのアホ猫め。
胸中で猫を散々にこきおろす。
“ヨハンナ様の猫”らしい。嫌でも名前を覚えた。
「長期戦でいかねえと無理だろ。余所者が馴染むってのは大変なんだぜ?」
「そうだね、そう思う。でも、被害者が増える前に手掛かり掴まないと……」
僅かに眉を寄せ、じっとテーブルの盤面を見つめる流衣。
「焦っても失敗するだけだ。貴族の巣窟だぜ? 気を付けないと、平民の俺らの身が危なくなる」
リドはそのことが引っ掛かっていた。魔法学校の敷地内では身分差別をしないことが絶対ルールになっているが、門から出てしまえばアウトなのだ。もし魔力増幅剤を回しているのが貴族だった場合、敵視されれば厄介なことになりかねない。貴族は侮辱罪を主張して牢屋に放り込むことだって容易いのだ。その相手が平民なら尚更だ。
しかも、流衣は故郷に身分制度が無いせいか、今一その辺の危険性を理解していないので、こちらとしては冷や汗ものだ。
「それって……、暗殺の危険があるってこと?」
「やろうと思えばそれくらいするだろ。俺達は旅人だから、始末したって問題無いって思われる可能性がある」
「そんなに危険なんだ……。セトさんの研究の高さがやっと分かった気がする」
神妙な顔でまた考え込む流衣。
二人とも食事の手が止まっていた。
「俺達は竜の巣穴に飛び込んでるようなもんなんだ。そこのとこをちゃんと分かっといた方がいい」
「ふふ、校長先生は竜だから、まさにその通りだね」
軽い冗談を口にして、流衣は笑いを零す。が、すぐに真面目な顔に戻った。
「僕はまだセトさんの助手だから身分が保障されてるみたいだけど、リドは使用人としているんだから気を付けてね」
またこいつは、自分より他人のことを心配している。
「俺は上手く立ち回るから平気だよ」
わざと軽い調子で言うが、流衣は少し心配そうにした後、頷いた。そして、溜息を吐く。
「まあ、問題は貴族よりあの人なんだけど……」
「あの人?」
「うーん、嫌な予感がするんだよなあ。はあ」
悪寒でも感じたように身震いをし、深い溜息を零す。
しかし流衣はリドの疑問をこめた視線には答えず、傍らのオルクスに声をかける。
「……頑張ろうね、オルクス」
「お任せ下さい、坊ちゃん! いざとなったらわてがあのクソガキをぎったぎたにしてやりますから!」
「流血沙汰はやめようね」
「では殴るのにとどめます!」
オルクスが何か不吉なことを言い放っている。
何があったのか知らないが、流衣は苦笑するばかりで何も言わなかった。
(俺も嫌な予感がしてきたんだが……)
こいつが隠すのだ、碌でもない事情があるに違いない。
リドは眉間に皺を刻んだ。
*
「まずい。まずい。まずすぎる……!」
同日、夜も更けかかった時刻、アカデミアタウンのある屋敷では、短い銀髪と水色の目をした美しい少女が乗馬服姿で頭を抱えてうろうろと歩き回っていた。
「なんなの、もう。また不埒だのなんだの言って死ぬとか騒ぎだすんじゃないでしょうね?」
リビングの長椅子に腰かけたリリエが煩わしげな視線を向けると、呪いで少女になってしまっている実は少年は頷いた。
「それも良いですね。やはり死にたくなってきました……」
そう言って大真面目な顔で、テーブルの上のペーパーナイフを見つめ出すので、リリエは慌てて手紙とペーパーナイフを回収する。
女の身体になってしまってからというもの、ディルは事あるごとに自殺未遂騒動を起こしていたのだ。自殺未遂というか、思いつめた顔で抜き身の短剣をじっと見つめているという不気味な行動なのだが。勿論、実行されては困るので短剣は取り上げたし、刃物類は全て回収した。
最初の頃など、手洗いや風呂や着替えのたびに青い顔をしていた。なんでも、自分の身体なのにいかがわしい真似をしているような気がして、騎士失格だから生きている資格がないとまで思考が傾いてしまうらしい。最近では不本意ながら慣れてきたようで、短剣騒動は無くなったけれど。
代わりに、女になってから筋力が落ちたと言って、今まで以上に鍛練に身を注いでいる。
「ちょっともう、落ち着きなさいよ。なあに、学校がそんなに嫌なの? イザベラ嬢と一緒にいられて良いじゃない」
ディルはキッと師匠をねめつける。ちょっと涙目だ。
「良くありません! ああ、よりによってイザベラ殿にこんな情けない姿を見られるなど……。婚約解消を言い渡されたら師匠のせいですから! そうしたら一生恨みます!」
「何であたしが恨まれるのよ? あんたに呪いをかけた魔法使いを恨みなさいよね」
リリエはそう返すが、ディルはその場にしゃがみこんで自己嫌悪に浸っている。
「ううっ、最悪だ。生きてきて最も最悪な事態だ。何故、好いている女性にこんな無様な姿をさらさなくてはいけないのだ……。私がいったい何をしたっていうんだろう。愛と慈悲の女神ツィールカ様、これはもしやあなたが授けた試練なのか?」
ぶつぶつと呟きだしたディルが流石に可哀想になったが、同時に鬱陶しかった。ちょっと性別が変わったくらいでぐだぐだと……!
一年もこのままなのだがら落ち込んで当然なのだが、さっぱりした性格をしているリリエはぐずぐずと悩んでいる輩が嫌いだ。イライラと問う。
「それで、何がそんなにまずいわけ?」
「まずいに決まってるでしょう! ルイがオルドリッジ先生の新任助手になったんです! 幸い私にも殿下にも気付きませんでしたが……。ルイがいるということは、どこかにリドもいるはずです! あの飄々としていて実は心配性な輩が、不安の固まりみたいなルイを放置しているわけがない……!」
「あら、あの子が。面白いことになったわね」
リリエはころころと笑う。楽しいことが大好きなのだ。
リリエ達はアカデミアタウンに潜伏していた。ここには女王が懇意にしている貴族の別荘があったし、木を隠すには森の中ということで、少年を隠すなら学校だろうと考えた結果だった。まさか身を隠している王弟殿下が学校に通っているとは誰も思うまい。新入生として入った方が目立たない為、ディルとヴィンスは一年に在席している。ディルがいるのは勿論護衛の為だ。
それに、リリエはスノウリード校長とは顔見知りでもあった。彼女はシャノン公爵家に恩を売るのも悪くないと、慈悲で入学を認めてくれた上、ヴィンスもディルも身体が弱いということにして寮ではなく自宅からの通学を認めてくれた。生徒は寮に入るのが原則であったから、かなり融通をきかせてくれたことになる。
事が片付いたら多額の寄付金を宜しくね。にっこり笑顔で言っていたが、事態が好転すれば金など幾らでも払うだろう。ヴィンスが。
「最悪だ。リドにこの姿を見られたら、奴は絶対に笑うに決まってる。うう……想像するだけで屈辱だ!」
さっきからうめいているのはそのせいらしい。
「ルイに見られるのはいいの?」
「彼が笑うわけないでしょう! ああ、ルイが女と間違われるのを嫌がるのがよく分かった。これは確かに屈辱だ」
「間違われるっていうか、女じゃない」
「私は男なんです!」
盛大に反論するディル。
「また言い争っているのですか?」
扉が開き、白っぽい金髪と青紫色の少年――ヴィンセント・クロディクス・シャノンが現れた。薄茶の地味な服装で纏めているが、ヴィンスが着ている為に安っぽい品ですら高級品のように見えた。
「殿下!」
ディルはさっとその場に片膝をつく。リリエもまた膝をついた。それにヴィンスは微苦笑を浮かべる。
「楽にして下さい。今、ここでは私達は家族という設定なのですから、その態度はおかしいでしょう?」
「はっ、申し訳ありません。条件反射で動いてしまいました。では失礼させて頂きます」
ディルは堅苦しく言って、立ち上がる。リリエもすっと立ち上がった。
「殿下、どうかされたのですか?」
「いえ……、一人でいるとどうしようもないことばかり考えてしまいますので、あなた方と話したかったのです。もしや師弟の団欒のお邪魔でしたか?」
申し訳なさそうに小首を傾げるヴィンスを、リリエはどうしようもなく抱きしめたい衝動に駆られた。
なんていじらしい王子様! いえ、元王子様!
そんな可愛らしいことを言われて断る臣下がいましょうか。
「いいえ! むしろ助かりましたわ。この子ったらいじいじぐじぐじ煩わしくって……」
「……酷いです、師匠」
うらめしげな声が横でしたが、無視だ、無視。
「ささ、こちらへどうぞ。お茶を運ばせますわ」
リリエは上機嫌に微笑んで、呼び鈴を鳴らして侍女を呼び、茶の用意を言いつける。
そしてヴィンスを長椅子に案内し、自分も対岸に座り直す。侍女はすぐに茶を運んできて、茶菓子もローテーブルに置くと一礼して退室していった。
ヴィンスはディルが悩んでいる話を聞き、くすりと笑った。
「そんなに心配せずとも、言わなければ分かりませんよ。ディナ嬢」
「殿下……面白がっておられますね?」
リリエの隣に座ったディルはじとっとヴィンスを半眼で見やる。学校でのディルの名は「ディナ」へと変わっていた。正式にはディナ・エディアルド・サーディ男爵だ。ヴィンスの方は、ヴィル・オースティン・ヘルマン子爵である。ヘルマン家もサーディ家も実在しているが、小さな家柄な上に辺境領の貴族なのであまり名は知られていない。リリエを介して許可もとってあるから、万が一の時は誤魔化しが効くようになっている。
ディルの問いには答えず、ふふっと小さく微笑んで、ヴィンスは更に口を開く。
「それにしても、彼が助手として現れた時は驚きました。授業後のこともです。彼は女性にとてももてるのですね」
「まあ、そうなんですの? 意外ですわ」
「ええ。菓子の包みをたくさん渡されて、可愛らしいと囁かれておりましたよ」
「……それは、もてることになるんでしょうか?」
胡乱な顔をするリリエ。まあ、確かにあの頼りない感じは母性をくすぐられるところはあったが……。菓子を渡されるなど、完全に子ども扱いではないか。
「あと三年もすれば、真実になりますよ。彼はとても善い人間です。人間性はとても出来ていると思いますから、優良物件なのではないでしょうか。少々臆病なところがありますが、慎重なのは良いことです」
にっこりと微笑むヴィンス。
彼はおっとりとしているが、観察眼にとても優れていた。前に共に旅をしたことで、流衣達三人の人となりをしっかり把握済みだ。
「リドだってそうです。友人が苦痛にしていることで笑うような方ではないと思いますよ?」
やんわりと取り成され、ディルは頬を赤くする。ちょっとでも疑ったことを、内心でリドに謝る。
「まあ、少し面白がるかもしれませんけれど?」
くすっと付け足された言葉に、またディルはじっとりとヴィンスを見る。
「やはり面白がってませんか?」
「まさか。他人事だから楽しいだなんて思ってませんよ? それに女装させられた時に逃げたことを遠回しに責めているわけでもありません」
「……あの時は申し訳ありませんでした」
どうやら移動劇団に紛れる際に女装させられたことを根に持っていたらしい。ディルは即座に謝った。
「ええっ、殿下ってば女装されたんですか? 見たかったです。御可愛らしかったのでしょうね」
リリエが手を組んでうっとりと言う。
「頼まれてもしませんからね。似合うなどと言われても嬉しくありません」
「あら、勿体ない。このまま禁断の扉を開かれても構いませんよ?」
「………。絶対に開きませんから安心して下さい」
ヴィンスは若干目元を引きつらせた。リリエが冗談に見えて実は真面目に言っていることに気付いたからだ。
「まあともかく、出来るだけばれないように気を付けましょう。ばれても、味方に引き込めば良いだけです。カイゼル伯爵がいるのです、彼はこちら側につくと思いますよ」
「そうですね……。とはいえ、ルイが元気そうで良かったです。一体どれくらいで回復したのでしょうね。私がエアリーゼを出た時はまだ昏睡状態でしたから……」
「そういえば、前に会った時より痩せていたように思いますね。大怪我をしたと聞いていますが、怪我の具合はどうなんでしょう」
「怪我の方はグレッセン卿が治して下さいましたから、大丈夫ですよ。左手の焼き印だけです、治らなかったのは……」
「相変わらず、ネルソフはやることがえげつない……。しかし彼は生きているし、ネルソフのアジトの一つを大破させたのですから、大した人です。あんなに無害そうですのに、意外にやることが大きいですね。やはり大人しそうな方を怒らせると怖いというのは本当なのですねえ」
しみじみと頷くヴィンスに、ディルは苦笑いをする。
「いやあ、私はリドの方が恐ろしかったですよ。一度睨まれてみると分かります。影の塔を出た後は特に機嫌が悪くて……。奴があまりに怒るので、私は怒る気がそがれてしまいました」
あの時期を思い出して、ディルは溜息を零す。リドが怒ると風の精霊が同調して風が巻き起こるので、とても分かりやすかった。その度、頭を冷やすと言って外に出ていくリドを見ていてひどくやるせない気持ちになったのを思い出す。自分は友人一人慰める言葉を持たないのだと、無力さに苛まれたものだ。
「まあまあ二人とも、陰気臭い話はそこまでにして、お茶を楽しみましょう?」
リリエは笑顔で話に割って入る。
二人とも根が真面目だから、場が暗くなりがちだ。
「そうですね」
「ええ」
リリエの取り成しに、二人は表情を改め、茶を楽しむ姿勢に切り替えた。