第4話 王都の影
王都の朝は、いつも忙しない。
朝を告げる鐘とともに市場が開き、通りには人と馬と香辛料の匂いが混ざり合う。
そんな喧噪の中、コロンは軽い足取りで歩いていた。
模擬大会の優勝から、すでに一週間。
「女の子が優勝した」という話題は、王立騎士学校を飛び出して、王都全体にまで広がっていた。
通りすがりの少年たちが、コロンを指さす。
「ほら、あれが突剣姫だ!」
「ほんとに勝ったの? 男子に? 嘘みたい」
コロンは照れくさそうに笑いながら手を振った。
だが、内心は少々複雑だ。
勝利は嬉しい。
けれど、それが、女の子が勝ったなんて珍しい、という話題としてしか、王都の民に受け取られていないようなのだ。
引っかかる。指先の小さな棘のように。
前世でもそうだった。
女だから。
若いから。
異色だから。
何かと枕詞がついてくる。
でもまあ、そんなこと、どうでもいい。
走って、戦って、前に進む。
それだけは、どこの世界でも変わらない。
さらに言えば、世間の反応がすべて、好意的というわけではなかった。
王都の貴族サロンでは、連日のように話題になっていた。
「コロンダ子爵家の次女が、騎士学校で優勝したらしい」
「双子の『忌み子』ではなかったか?」
「子爵も災難だな。家名に傷がつく」
笑い混じりの嘲り。
貴族社会では、剣の腕よりも血統と礼儀が重視される。
その声が、やがてコロンの父――コロンダ子爵の耳にも届いた。
子爵は執務室でグラスを回しながら、静かに呟いた。
「……あの娘は、余計なことをしてくれた」
対面に座る執事セバランが、頭を下げる。
「旦那様、ですが、王立騎士学校の校長も彼女を高く評価しております。
このまま鍛えれば、王国代表騎士の候補にも――」
「黙れ、セバラン!」
子爵の声が鋭く響いた。
机上の書類が風で散る。
「我が家の恥をさらすな。忌み子が王の前に出るなど、あってはならん!」
それでもセバランは、老いた目に強い光を宿した。
「……しかし、旦那様。あの子は、ただの忌み子ではございません。
彼女は、努力で運命を変えようとしております」
子爵は顔を背け、黙り込む。
その沈黙の奥に、かすかな迷いが見えたように、セバランは感じた。
一方その頃。
コロンは王都の訓練場で、新たな課題に取り組んでいた。
アルマン教官が、次の試練を課したのだ。
「お前の突剣術は見事だ。だが、戦場では“突く”だけでは生き残れん。
斬ることも、守ることも覚えろ」
教官の木剣がうなりを上げて迫る。
コロンは防御姿勢を取り、受け流す。
木剣と木剣がぶつかる音が、乾いた空気に響いた。
「右肘が高い! もっと低く!」
「はいっ!」
何度倒れても、コロンは立ち上がった。
体のあちこちが痛む。
けれど、痛みは嫌いじゃない。
それは「成長している」証だから。
夕方、訓練を終えると、トッシーが水筒を差し出した。
「ほら、水。無茶しすぎだよ」
「ありがとう。でも、あと少し、あとほんの少しで、掴めそうなんだ」
「掴めたら、今度は俺に教えてよ」
コロンは笑う。
「もちろん。私たち、チームでしょ?」
トッシーの耳が少し赤くなった。
王都の風が二人の髪をなでていく。
夜。
寮の外階段に腰かけ、コロンは星空を見上げていた。
ふと、背後から足音。
「また星を見てるの?」
トッシーだった。
彼も一緒に階段に腰を下ろす。
「ねえ、コロン。……これから、どうしたい?」
「どう、って?」
「王都で名前が広まってる。貴族の娘なら、政略結婚とか、家のこととか、いろいろ縛りがあるんじゃない?」
コロンは空を見つめたまま言った。
「走りたい。どこまでも。誰の許可もいらない。
この世界の壁を全部、走り抜けたいの」
トッシーはその横顔を見て、少しだけ笑った。
「ほんとに君って、変わってるよ」
「そう?」
「でも、そういうところが好き」
風が一瞬止まり、二人の間に静けさが降りた。
コロンの心臓が、少しだけ速くなった。
翌朝。
学校の中庭に呼び出されたコロンは、見知らぬ青年と対面した。
黒い軍服、鋭い瞳。
王立近衛団の副団長、クレイヴ・ラドフォード。
「君が突剣姫か」
「は、はい!」
クレイヴは微かに笑った。
「王の命により、有望な生徒を視察に来た。
君の剣――見せてもらおう」
訓練場に緊張が走る。
コロンは木剣を手に取り、深く息を吸った。
(この人……ただ者じゃない)
試合開始の合図。
コロンが踏み込み、突く。
が、クレイヴの剣は音もなくその軌道を封じた。
「速い。しかし、甘い」
一瞬で体勢を崩され、コロンは膝をついた。
それでも諦めず、もう一度立ち上がる。
「もう一度お願いします!」
何度倒されても、何度でも挑む。
その姿に、クレイヴは目を細めた。
「……なるほど。噂以上だな」
試合が終わった後、クレイヴはコロンの肩に手を置いた。
「王都に残れ。正式に近衛団の訓練課程に推薦する」
「えっ……!」
トッシーが駆け寄る。
「それって……出世ってこと?」
「そうだ。だが、同時に――政治の渦の中に入るということでもある」
クレイヴの言葉は重かった。
王の近くに行けば行くほど、剣技だけでは通用しない世界がある。
駆け引き、陰謀、家柄、血筋。
コロンは一瞬だけ迷ったが、すぐに目を上げる。
「……行きます。走る先に王がいるなら、そこまで行きたい」
クレイヴは満足げに頷いた。
「いい目をしている。――風を切るような目だ」
王都の街灯の下を、コロンとトッシーが並んで歩く。
「近衛団か……すごいよ、コロン」
「ううん、まだ推薦されただけ。でも、これで少しずつ壁を壊せる気がする」
トッシーは笑う。
「じゃあ俺も走らなきゃな。置いていかれたくないし」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
王都の風は冷たいけれど、どこか甘い。
街の灯が遠く揺れ、二人の影が石畳に伸びていた。
同じ頃、コロンダ子爵は、王都からの報告書を読んでいた。
そこには、こう書かれていた。
「コロン・コロンダ、王立騎士学校模擬大会優勝。
王立近衛団副団長クレイヴ殿により、訓練課程推薦」
子爵の手がわずかに震える。
そして、彼は誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……あの子が、本当に、王の目に留まるとはな」
それは、怒りでもなく、恐れでもなかった。
僅かな、ほんのわずかな、誇りのような響きが混じっていた。
夜風が吹く。
コロンは宿舎の窓を開け、外を見た。
王都の夜空を柔らかく照らす、上弦の月が浮かんでいる。
「次は……近衛団、か」
彼女の瞳は月を通り越して、さらに遠くを見ていた。
Q:夜のシーン、多くね?
A:書いてる時間が夜なんで




