2)入学
入学式当日。
セイシアは予知夢によると朝のうちにユヴェールと出会う。
会場となる講堂の前で、セイシアは具合を悪くしてユヴェールに助けられる。
あの貴族の男に違法な媚薬を使われたセイシアは弱っていた。一人で薬は抜いたが、自己流でただひたすら禁断症状に耐え抜いただけだ。治癒師に診て貰ったこともない。弱るはずだ。ユヴェールは痩せ細った少女にさぞ驚いたことだろう。
今のセイシアも痩せてはいるが健康体だ。ずっと叔母に食事を抜かれていたために栄養失調状態が長く続き背も平均よりは低いかもしれない。母は背がすらりとしていたので、本来ならセイシアの背は低くはなかった。
叔母に恨みはあるが、セイシアが学園に入るとオルリーは解雇されている。予知夢では、叔母は一年も経たずに死亡する。持病持ちで体が不自由な上にあの性格だ。前科もある。雇ってもらえるところがない。侯爵邸では執事に嫌われていたので再雇用もない。
失意のうちに傭兵協会の魔導師として働き始めて死ぬのだ。セイシアは予知夢の通りになったとしても忠告など決してしない。
思い返しているうちに講堂が見えてきた。
「あの二人、は」
セイシアは夢の中にいるような錯覚を覚えた。
予知夢の中の挿絵で見知った二人がいた。
蹲っているのはエルヴィンの愛人の娘、リゼル・バーント。バーントは、婿エルヴィンの親類の家名だ。エルヴィンは頼み込んでリゼルをバーント子爵家の養子にしている。
リゼルを介抱しているのは第二王子ユヴェールだった。
リゼルは一歳年下だが、中等部から学園に通っているので学園にいる。だが、今日は彼女の入学式ではない。彼女は中等部の最高学年なのだから。
どういう経緯か知らないが、目の前の光景はまるで予知夢の中のセイシアとユヴェールのようだ。
運命を変えたから、王子が恋に落ちる相手も変わってしまったのだろうか。そう思うと、凍るような寂しさが胸を過った。
セイシアはまだ恋に落ちる前だったためにそれほどの失意はないが、残念に思う気持ちはあった。予知夢の中で、セイシアは本当にユヴェールを愛していた。
予知夢では二人の恋は三年ののちに悲恋で終わる。セイシアが薬を摂らされていたために。一時期でも違法な媚薬に溺れ、穢された者が王子の相手になるには無理があった。
今のセイシアは薬物中毒ではない。だから、幸せになれるかもしれないと、ほのかな期待をしていた。けれど、恋する運命からは離れてしまったらしい。
運命が変わったのなら仕方ない。
リゼルとユヴェールは寄り添い合うように立ち上がり、ユヴェールがリゼルを支え、歩み去る。かすかに感じる胸の痛みを庇うように、セイシアはそっと視線を背けた。
セイシアは魔導科だった。予知夢でもそうだ。
魔力が高いし、叔母が必要以上に厳しく指導したので勉強は得意だ。おかげで難関の魔導科に入れた。
予知夢では、ユヴェール王子も魔導科で同じクラスだ。腹違いの妹リゼルは、中等部では一般教養学科だった。
高等部に上がるころに光魔法属性を持っていることがわかり魔導科に移るのだ。成績によっては科を変わることは難しいのだが、なにしろ珍しい光魔法属性もちなので特別に許された。
リゼルは成績は平均以下だった。本来なら魔導科には入れないはずだった。
予知夢の情報を思い返しながら教室に行くとリゼルがいた。ユヴェールの隣に侍っている。
なぜリゼルがいるのだろう。セイシアは立ち止まりそうになり、慌てて気を取り直す。将来、自分を殺そうとする義理の妹など、見るたびに寒気がする。
平静を装い二人から顔を背けて窓際の空いた席に座ると、ユヴェールたちの方から声が聞こえてくる。
「リゼル・バーント、君は隣の棟の教室だろう。もう帰りたまえ」
横目でそっと様子をうかがうと声の主はユヴェールだった。
「魔導科はすぐそこですから」
隣の棟ならやはり中等部だ。でも、すでに魔導科だという。予知夢と違う。
「魔力の扱いが雑すぎると言われたんですけど、それってどういう意味なんでしょう。光魔法は繊細な魔法ですから、雑にしてたら発動できないはずですよね」
リゼルが王子に話しかけている。
光魔法の発現が早まっているのか。
セイシアはリゼルに関してはずいぶんと予知夢から外れていることを再確認した。
「教室に戻って魔導教師に習ったほうがいいですよ」
違う声が聞こえてきた。王子の側近だろう。
学園での王子の側近は二人いる。王家が認めているご学友はアロニスとディアンの二人だ。黒髪に緑の瞳をした首席のアロニスはベニエ公爵家で、艶やかな赤毛に金の瞳のディアンはゴーシュ侯爵家。双方、名家だ。
アロニスは父方の従兄弟で、ディアンは母方の従兄弟、二人とも親戚で幼なじみだ。側近というより、もっと近い存在だ。これも予知夢からの情報だ。
リゼルは咎められてもあまり気にしている風もない。
「光魔法に関しては先生も詳しくないみたいで」
「教師が詳しくないなら、学生にはなおさら無理だな」
「王家には希少魔法に関する魔導書がたくさんあると聞いたんです」
「秘蔵の魔導書以外は王立図書館で閲覧できるようになっている。秘蔵された書だとしたら内容など明かせるわけがないな」
「魔法技術の発展のためなら頭の堅いことばかり言うのはよくないんじゃないですか」
「もう始業時間だ」
王子に言われ「わかりました」とリゼルは渋々教室を出て行った。
他の学生たちの視線はどこかもの言いたげだ。王子殿下に魔法のことを聞きに来るなどふつうの感覚ではあり得ない。不敬ではないか。
図々しい。
そう教室のどこからか声が聞こえて、思わず頷いている学生もいる。セイシアも頷きたい気分だったが、自分の異母妹だと思うと恥ずかしさのほうが強かった。
ユヴェールと二人の取り巻きたちの表情が険しい。
今のところ、リゼルと王子はそう親しくもないようだ。
いったい、どういう風に運命は流れていくのだろう。運命はこのまま予知から外れていくのだろうか、それとも軌道修正されてしまうのか。
わからずとも彼らの姿を見るのは心臓に悪い。あの予知夢の主要人物たちを見させられている気分だった。
二か月が過ぎた。
リゼルがユヴェールにつきまとい取り巻きに追い出されるという光景はすっかり見慣れていた。朝と昼休憩のころと、毎度ではないが、かなりの頻度でリゼルはやってくる。すごい持続力だと感心する。
見ている限りでは、彼らはあまり親しいと思えない。ユヴェールたちがリゼルを追い出している様子は本気で迷惑そうに見える。それでもこんなに頻繁に会っていれば、絆されて互いに好意を持っていくのかもしれない。
どちらにしろセイシアには出来ない芸当だし、近付いてはならないと思う。
彼らの会話を盗み聞きしているが、大して情報は増えていない。リゼルは中等部の魔導科で、光魔法属性を持っていることも知られている。予知夢とは一年間のずれがあることは確実だ。もはや、あの予知夢の知識は当てにしない方が良いのかもしれない。
とはいえ、まだ予知夢のことを忘れるわけにもいかない。十八歳で死ぬ運命を免れるまでは油断は出来ない。セイシアを殺した男の正体は予知夢ではわからなかった。セイシアは「姉」を通じての情報しかなかったからだろう。
予知夢では、金に困ったオルリーは最初に、セイシアに魔力充填の仕事をやらせる、それがきっかけだった。セイシアが大人しく仕事をしたからだ。オルリーは「この娘を使えば金になる」と味をしめてしまう。
けれど、さすがに犯罪行為であればセイシアは抵抗するだろうし、執事に言うだろう。それを上手くやらせるためにオルリーは一計を案じる。
別邸にセイシアを連れて行き、勉強するように命じた。そこへ男を招き入れて乱暴させたのだ。オルリーは「もうお前は嫁にもいけない」「秘密にしてやるから言うことを聞け」と脅した。。
オルリーは、その男をクラブで見つけてきた。違法なクラブだ。退廃的な貴族たちが禁じられた薬を楽しむクラブで、
「可愛い少女がいるよ」
と、適当に目に付いた男に声をかけた。物語ではそうなっていた。
執事らの目があるために、最初のうちは頻繁ではなかった。
けれど、愚かなオルリーは、男に脅され、強請られ、徐々に回数が多くなる。「姉」の予知による物語は胸くそが悪くなる。
セイシアはあれほど嫌だった男に無理矢理、媚薬を使われる。十四歳の終わりころだった。まだ子供のセイシアの心は壊れかけていた。
よくも立ち直ろうと思えた。母の形見のペンダントを握りしめ、セイシアは生きるために最後の機会を手にする。
セイシアは叔母と男の手から逃れ、学園へ入学したのだ。早めに学園の寮に入って一人で部屋に閉じこもり、なんとか薬を抜く。
高等部の二年に入るころには叔母の死の知らせが届き、もう大丈夫だと安心していた。
三年の夏。
セイシアは禁忌の媚薬のことをリゼルに暴露され、学園から追放される。薬を飲まされていたのは過去のことで、もう遠ざかっていたというのに。禁忌の薬だったために、わずかに身体に痕跡がこびりついていた。
侯爵邸へと戻る途中でなぜかあの男に見つかり、抵抗して逃げようとするも男の長剣で貫かれて死ぬ。殺されるときに男がそれなりに身分のある貴族とわかるが、男の正体を示す暗示はそれだけだ。
あの死を避けることが出来て、初めてセイシアは予知夢の呪縛から逃れられるのだろう。




