11)王宮にて
本日、二話同時に投稿いたしました。
こちらは二話目の投稿です。
セイシアがひっそりと王宮の一室に迎え入れられたのは半月後のことだった。ユヴェールがセイシアとの婚約に向けて早くから準備をしてくれていたのがわかった。
セイシアが断ったらどうするつもりだったのだろう。断るなんて万に一つもないけれど。
「王室管理室のかただ。私の担当をしてくれている」
ユヴェールは三十代か四十代くらいと思しき男女をセイシアに紹介した。二人とも皺一つない紺色の制服姿で髪も堅苦しく整えられている。王室管理室がどんな組織か、二人の見るからに堅苦しい出立ちでわかる気がした。
「よろしくお願いいたします」
「王室管理室総務局長のロイド・ブラムと申します」
「同じく、王室管理室、総務局副局長のエイシア・リンドでございます」
「セイシア・ラズウェルです。ラズウェル侯爵家の長女です」
セイシアは高鳴る胸を抑えて挨拶をした。
挨拶と自己紹介が終わると、ユヴェールは隣室で待機するために退出した。面接時だけはユヴェールが退室することは予め聞いていた。
「それでは、まずは守秘義務契約をさせていただきます。契約魔法を使います。強力なものです。ここでの会話は一切、他言無用です」
「わかりました」
守秘義務契約は当然だろう。誰も何も言う前からわかっていた。王家の情報など怖くて話せない。とはいえ、拷問でもされたら吐かされるかもしれない。
その点、契約魔法を使ってもらえば何をされても自分の意思では話すことができない。むしろ楽だ。拷問が楽なわけではない、王家の秘密を自分が漏らすという罪を犯す心配がない点で楽だ。契約魔法に丸投げということだ。
契約魔法は速やかになされた。
基本的なセイシアの情報はすでに王室管理室に知られていたらしく、淡々と確認がなされ、ユヴェールが案じていた過去の人間関係も問われたが、セイシアはすべてに「いいえ」と答えた。
「さらに込み入った確認事項があります」とロイドがなんとも言い難い前置きをする。彼の口調が堅いので余計に緊張する。
「お二人がご結婚をお考えでしたら子供は三人は産んでいただきたいと望まれています。その点はご理解いただけますか」
「跡継ぎの子を産む覚悟はありますが、三人、ですか? 二人ではなく」
思わず問い返してしまった。
もしもユヴェールが臣籍降下するとして、爵位を賜るのなら跡継ぎがいる。さらに侯爵家の跡継ぎも産まなければならないとわかっていた。さらにもう一人の意味がわからない。
「王家の秘密をご存じないのは正常なことです。今からそれを説明しましょう」
「はい」
セイシアは掠れた声で答えた。王家の秘密、という言葉に胸は早鐘のごとく騒ぐ。子がそんなに余分に要る意味はやはりわからなかった。
「ベルフィード第一王子殿下は遺伝病です」
セイシアは彼の言葉にヒュっと一瞬、息が詰まった。
第一王子殿下のご母堂は王妃で帝国の姫君だ。そのことが思い出された瞬間に様々なことがわかった。つまり、そういうことだ。帝国産の遺伝病なのだろう。
「ベルフィード殿下の子は生まれません」
セイシアは一呼吸ほど目を閉じると「理解いたしました」と答えた。
「ですから、少なくともお二人くらいは子をお産みになられませんと、ユヴェール殿下に第二妃を娶っていただきます」
「二人くらい」という言葉の意味することは、おそらく二つの跡継ぎの席は、最悪の場合養子でも良いということだろう。セイシアは自分の体が許すのなら、三人の子を産みたかった。望まれて生まれた子は、きっと皆に愛されるだろう。
セイシアは我が子を慈しんで長生きしたいと思うが、母はセイシアが九歳のときに亡くなった。そういうことはあるだろう。
母を失っても王子妃の子ならあんな劣悪な環境に落とされることはない。幸せになることが確定している子だ。
産みたいと思う。それが心からの望みだ。
「了解しました」
セイシアは被せるように答えた。
王室管理室のロイドとエイシアは、セイシアが侯爵家の跡継ぎで、そのため子が必要なことは「人目を誤魔化せて丁度良いです」と頬笑む。まずは、王家のために子が要るのだが、その必要性を誤魔化せる、という意味だとわかった。
セイシアは治癒師に健康状態を診てもらったが、その結果も王室管理室を満足させた。
ロイドとエイシアは「もう婚約者でらっしゃいますし、子を授かっても問題ありません。早く安心できます」とまで言っていた。
十七歳のセイシアになんてことを言うのかと思ったが、我が国の法律では子ができたら十六歳で結婚が許される。
十八歳が成人ではあるが、つい最近までは、領地によっては十六歳が成人のあつかいであった。領地法ではそう決められているところが多かった。それを十八歳の成人に統一してはあるが、条件付きで十六歳でもさまざまな権利が認められている。
婚姻もそうだ。
セイシアはあと半年ほどで十八歳の成人だ。
王室管理室の求めることはさほど無茶でもなかった。彼らはただ国が望んでいることをセイシアに伝え、それを叶いやすいように整えてくれただけだ。
嫌であれば、二人が結婚を望まなければ良かったのだ。
「王家は、子をなせる相手であれば、もはやどこからもなんら文句なく十六歳を越えれば婚姻ができるのです」
とロイドは告げた。彼の切実な口調に、セイシアの気持ちはずっしりと重くなった。跡継ぎ問題がもっとも悩ましい家は王家だろう。
王子が二人いるから王家は安泰だと、傍系から次の王が選ばれる必要はないと、そう世間は考えている。セイシアもそう考えていた。
ところが実際は、直系で次の王をなせる王子は一人だ。
王家以外の貴族家であっても、跡継ぎ問題で早めの子が求められるのは、実のところさほど珍しくなかった。他に跡継ぎの血筋がいないような貴族家では「早く安心したい」というのは切実な問題だ。
いつ最後の血筋の者が事故や病に見舞われるかわからないのだから。
その後、国王との面談があった。
婚約の手続きは陛下の応接間で署名をした。
セイシアは緊張しすぎて、記憶が飛んでいる有様だった。本来ならセイシアの親族も同席するものだが、婿のエルヴィンは「関係者ではない」と王家に判断されていた。エルヴィンの情報は詳細に調べられているのだろう。実父のことなど訊かれもしなかった。
セイシアの後見は父ではなく弁護士のジョシュ・ジモンであったために、書類には「ジョシュ・ジモン」の署名がすでに記されていた。王家側が彼の署名を用意させたのだとわかった。その下に本人の署名が記されれば完成となる。
王妃は終始無表情で迫力のある女性で、なぜかセイシアは陛下よりも威圧を感じた。陛下が想像よりも穏やかで和やかな笑みを浮かべておられたからだろう。
婚約披露の宴は、学園を卒業してからと決まった。
詳細が決まるまでは婚約のことは内密にする話はもとよりわかっていた。ロイドたちに説明されたからだが、王妃にも言われた。
「こんな婚約、公にはできないわ」と冷淡な言い方をされ、セイシアは自分でも顔から血の気が引くのを感じた。
「理想的な婚約ができたと思っておりますが、まだ公にしないことくらいわかっております」
ユヴェールが王妃に負けなくくらい冷淡に答えた。
国王さえも「余計なことを言うな、ロディエナ」と言い、王妃は怒りで顔を歪めた。
「侯爵家の跡継ぎと聞いたわ。そんな相手を二人しかいない王子の伴侶としたら民が不安になりましょう!」
「問題はない」
王が答え、王妃は顔を背けた。
「子供のままごとのような気分で王族と婚約なんてね」
「ロディエナ」
王に窘められ、さすがに王妃は黙った。
つまり、王妃はこの婚約は歓迎していない。あまりにもわかりやすかった。
「ユヴェール、王妃の言い方は悪かったが、ただベルフィードの婚約がもうすぐ決まる予定だからその後の発表としたほうが良いだけだ」
「わかりました」
ユヴェールは答え、セイシアも隣で頷いた。
そういう理由ならわかる。王妃の言い方は本当に酷いが、国王がわざわざ気遣ってくれたのだからセイシアは必死に気にしない顔を作ろうとした。残念ながら上手くいった気はしなかったが。
ユヴェールに「今夜は泊まっていってくれ」と願われ、セイシアは頷いた。
ユヴェールの部屋に連れて行かれた。精神的に疲れ果てて歩くのも億劫だったため、泊めてもらうのは有り難かった。
「王妃がすまなかった」
部屋に入り、ソファに落ち着くと開口一番に言われた。
「いえ」
それ以上に言葉が出ない。
「王妃は、誰が私の相手だとしてもああいう態度だっただろう」
ユヴェールが疲れた声でセイシアを宥めた。
セイシアは俯きかけていた顔を上げた。
「もっと条件の良い相手なら歓迎されたんじゃないですか」
「成績も容姿も良い侯爵家の跡継ぎがなぜ歓迎されないんだ」
「嫡子であることは負の条件です」
跡継ぎの問題があるということはこんなにも心細いのかと思う。それも、王家の跡継ぎだ。セイシアは王家の存続という重い責務に目眩がした。
「焦ることはないんだ。セイシアのせいではないのだし。王妃のあれは、単に自分の息子の第一王子よりも早い婚約であることが気に食わないのだろう」
「慈悲深い王妃だと聞いていました」
セイシアが目にした新聞、雑誌の報道ではそうなっていた。
「そういう振りは上手いんだ。外面が良いというか。真実は本当に容赦が無いよ。あの妃に慈悲などない。兄が遺伝病であることは聞いただろう」
「ええ」
「兄は、子が出来ないように処置がされてある」
「え、あ」
セイシアは王室管理室で聞いた情報を思い返し、気付いた。第一王子の子は生まれないと、そう聞いていた。遺伝病のために子が生まれないのだとセイシアは解釈していた。
そうではなかった。遺伝病だから、子が生まれない処置がされた。
「これは、極秘だ。ごく、非常にごく限られた者しか知らない。兄上がすでに子を作れない体であることも。兄上のそういう機能を調べなければわからない。もしも気付かれたとしても、ベルフィード兄上は病で伏せっているうちに子が出来なくなったと、そう判断されるだろう。本当は、処置がされた。王妃も知らない。わかる毒ではない」
「極秘であることは理解しました」
セイシアは体が震えそうになる。
「兄上に子が出来ないことは、王妃たちがもう知っているのか、それはわからない。治癒師が診断すれば判明するものだ。それに関してはまだはっきりしない。王妃の侍医が診ているのでね。情報が掴みにくいんだ」
「王太子に婚約者が決まっていないのはお体の具合が悪かったからと、そう世間では思ってますが」
「王妃が選びすぎて決まらなかったというのもある。兄上は子供のころ酷く体調が悪かった。徐々に良くはなったが、十二歳までは婚約者選びなどはできる状態ではなかった。兄上が遺伝病だとわかったのはその頃だ。国王に長く付いている治癒師が気付いた。これは遺伝病だろうと」
「そうでしたか」
「そんな王太子の婚約者だ。どれだけ慎重に選んでも地雷を抱えかねない。それなのに、私は自分で選んで伴侶を得た。余計なことを言いたくもなる」
「そう、ですね」
そう考えると、気の毒な王妃なのだ。
「もちろん、王妃の人柄もあるけどな」とユヴェールは苦笑した。「嫌なことは忘れよう。愛している」
「私も、愛しています」
「重い荷を背負わせて済まない。子を産む圧力も。あなたを私のために不幸にしたくはない」
「ユヴェール、なんてことを言うんです。私も貴族です。跡継ぎのことは自分の望みでもあります」
ユヴェールはわかっていない。セイシアは、彼には理解しようがないのだと気付いた。
跡継ぎ問題があることは不安だ。四方から圧力を掛けられているように感じる。それでも、それが嫌かといえば違う。未来のために必要な重荷なら幾らでも背負おうと、自分で望んだことだ。
望みたくて、望んだ。
子を産む圧力など、セイシアには不幸ではないのだ。
彼と結ばれるまでに、どれだけの道のりがあったか。どれほどの不安があったか。子を望まれるなんて、どれだけセイシアにとって幸福なことか。健康な体で、子を望まれる、そんなことは、決して不幸ではない。
彼との間に、本当は横たわっていたかもしれない絶望的な壁が、今はない。治癒師に体を調べてもらい、なんら問題はないと言って貰えることが、どれだけセイシアにとって嬉しい、有り難いことか。
説明できないことがもどかしい。
「ユヴェール、済まないとか言わないでください。一緒に背負いたいんです」
ユヴェールはセイシアの肩を抱き寄せた。
この夜、ユヴェールはセイシアに口付けをして部屋に案内をしてくれた。セイシアは少しだけ覚悟をしていた。彼と夜を過ごす覚悟を。
今日は手続きだけと思ってはいたのだが、王室管理室の説明を聞いたあとでは意識がどうしてもそちらへ行く。跡継ぎのことは、貴族の娘にとって、恋人と甘い夜を過ごすというロマンチックなものだけではない。
けれど、この日、ユヴェールは最後まで紳士だった。
明日は、朝9時と、夜20時に投稿いたします。