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召喚しました

召喚のその後の物語

 ユキは召喚二世だ。

 

 母のサオリは、22歳の大学4年生の時に、このライプニッツ王国に召喚された。魔物の大暴走スタンピードを抑え込む聖女として。

 卒業旅行の沖縄で、ふいに眩暈がしてしゃがみこんだと思ったら、もうそこは日本ではなかった。ヨーロッパ中世の牢獄を思わせる石造りの部屋。窓もない。光源のわからない薄明かりが、サオリを取り囲むフードの群れを浮かび上がらせていた。フードの群れは魔術師を名乗り、サオリを聖女として召喚したことを告げた。


「私が本当に聖女だとして、どうやって魔物を倒すのか」

 言語は自動的に変換されるから、敬語などは使わないとサオリは決めた。

「その力は、すでにそなたに与えられているはず」

「具体的には?」

「そなたは、戦う聖女、誰よりも高い戦闘能力を持つ」

「戦い方を具体的に」

「いかようにも。腕を突き出して対象を屠ることを思い描けば良い。対象をピンポイントで狙いたければ、杖などで指し示せば正確性も増す」

「大がかりな爆破をイメージすれば、それもできるのか」

「恐らく可能かと」

「あなた方は魔術師と言ったな」

「さようにございます」

「魔術で似たようなことはできないのか」

「我々が何十人かかったところで、あなた様には敵うまい」

「私に治癒の能力は?」

「ございません、あくまで戦う聖女様でございます」


「わかった。他にいくつか確認したい」

「なんなりと」

「この国で一番身分が高い者は誰」

「ライプニッツ王国国王、ゴットフリート王にございます」

「今回の召喚の責任者か」

「さようでございます」

「では、召喚の主導者は」

「私、魔術師長のアンゲラーでございます」

「私はスタンピードを抑えた後、どうなる」

「国を守った英雄としての扱いになります」

「すべてが終わった後は、国に帰りたいのだが」

「申し訳ありません、今のところ、その術がありません」

「・・・」


「そのかわり、この国で何不自由ない暮らしを約束します」

「・・・わかった」

 この時点で魔術師長は、サオリがすべてを呑み込んで、聖女としての任務を全うしてくれるのだと信じた。不平不満もないのだろうと、信じて疑わなかった。おめでたい話である。


 それからサオリは、国王への謁見を申し出て、すぐに叶えられた。


「その方が、此度の召喚に応えてくれた聖女であるか。名を何と申す」

「名乗りたくないので、ただ聖女と呼んでほしい」

「なぜだ」

「私個人を知る必要はないでしょう。聖女の役割を果たせる者でありさえすれば良いのだから」

「何が気に入らぬ」

「何もかも」

「礼ははずむぞ」

「礼より先に、謝罪を求める」

「何に対する謝罪か」

「私から、故郷と、友人と、家族と、学んだことを生かせる仕事と、未来と、幸せの全てを奪ったことに対しての謝罪を」

 サオリは、絶望が限界を超えて、いっそ淡々としていた。

「私という個人の事情など、この国ではどうでも良いのでしょう?ならば名前など呼んでほしくない」

 

 長い長い沈黙の後、

「済まなかった」

 ゴットフリート王は頭を下げた。

  

 少しだけ溜飲を下げたサオリは、謁見の間にいるすべての人間を、床に沈めた。といっても、暴力的なものではなく、静かに有無を言わさず這いつくばらせただけだ。せめてもの意趣返しだった。

「王が頭を下げているんだ、家臣がそれに倣わないでどうする」

 そう言って、床に転がる国の重鎮たちを見下ろした。 


 スタンピードはあっさり収まった。聖女の力が圧倒的過ぎた。サオリ自身も呆れるほどに。

 しかし、異世界からピンポイントでこれだけ力のある聖女を召喚できる魔術があるのなら、魔物を生命のいない星に飛ばすくらいできないものだろうか。それとも、宇宙に関する知識がなければ、そういう術式も組めないというのか。魔術師長に聞いてみたが、あんな小さな星に一体ずつ送る手間はかけられないと言われた。なるほど、話し合う価値もなさそうだった。


 サオリはその後、ライプニッツ王国を出て、放浪の旅を始めた。

 国を乗っ取るだけの力があると、どこでどう利用されるか分からないからだ。ありもしない謀反を疑われて殺されるのも嫌だ。日本に帰れないのなら、どこにいても同じだった。 


 数年後、旅の途中で出会ったヴィルヘルムという男と意気投合し、その時滞在していた国の教会で結婚した。ヴィルヘルムは商会を経営しており、あちこちの国を行き来していた。

 さらに半年旅を続け、ヴィルヘルムが帰国するというのでついてきてみれば、かつて召喚されたライプニッツ王国であり、彼はモナド伯爵の次男で子爵位も持っていた。その上、彼にはすでに妻がいて、サオリは自分が第二夫人であることを初めて知った。貴族が複数人の妻を持つことは、ライプニッツ王国では珍しくないため、ヴィルヘルムにも、サオリを騙したという意識はまるでなかった。

 サオリは自分のうかつさを呪ったが、すでにその時お腹にユキを身ごもっていたため、離婚には踏み切らなかった。


 ヴィルヘルムの第一夫人であるテレジアは、伯爵家出身の生粋のお嬢様だった。よく言えば鷹揚、率直に言えば、苦労知らず悩み知らずの幸せな女性だった。夫のヴィルヘルムにも、息子と娘にも、まして第二夫人であるサオリにも、何の関心もないようだった。ヴィルヘルムは時々彼女のことを、うちの妖精さんと呼んだ。確かにそのくらい浮世離れした女性だとサオリも思った。


 そんな訳で、サオリは煩わしいしがらみに苦しむこともなく、無事に娘を出産することができた。出産に際し、サオリが唯一こだわったのが、娘の名前だった。どうしても日本人の女の子の名前が付けたくて、ユキと名付けた。日本人の家族がほしかったのだ。ヴィルヘルムにも理解してもらえたが、漢字表記にするのはさすがに認めてもらえなかった。


 一方、ヴィルヘルムとテレジアの間には、7歳の長男アルベルトと、5歳の長女イリスがいた。

 子どもたちとサオリの関係は悪くなかった。サオリが国を救った英雄だという話は父親から聞いた。絵本にもなっているサオリが、同じ家に住んでいることが、不思議で、誇らしくて、頼もしかった。

 ことあるごとに、アルベルトは、サオリの魔物退治の話を聞きたがった。イリスの方は、サオリがかつて住んでいたニホンという世界のことを聞きたがった。サオリはイリスに、ニホンの遊びを教え、日本人なら誰でも知っている昔話を話して聞かせた。

 ユキが生まれると、アルベルトとイリスは、サオリに似た黒髪黒目の妹を可愛がった。

 父親のヴィルヘルムも、もちろん母親のサオリも、娘のユキを大切に大切に育てた。

 だからユキは、自分が召喚二世と呼ばれる特異な存在であることに、学校に通い始めるまで気づかなかった。




 ◇    ◇    ◇    ◇




 ユキは12歳になると、アルベルトやイリス同様、王立学園に入学した。入れ違いで姉のイリスは卒業していたので、入学時に学園に知り合いは誰もいなかった。


 そして入学早々、ユキは上級生に絡まれた。首元のリボンの色で一つ上だと分かる。

「お前が、英雄サオリの娘なの?」

 挨拶もなく、いきなりである。

「そういうお前は誰なの」

 無礼には無礼で答えるのが、母サオリの教えだ。最初から卑屈になっては負けだ。

 まさか下級生からそう返されると思っていなかった上級生は、

「いくら親が有名だからって、その態度はどうかと思うわ」

と、腕組みをしながら言った。

「親が有名なのは私のせいじゃないし、むしろあなたの親みたいに無名であれば、こんなふうに因縁付けられなくて良かったと思うわ」

「なんですって、私が誰だか知らないの」

「初対面なのに知ってるわけないでしょう」

「ああ、そうね、あなたのお母様、社交をしないものね。仮にも貴族であるのに、最低限の社交もこなせないなんて、さすがにこちらの常識には疎いようね。あなたも半分は異世界の血が入っているのでしょう?いまだ原始的な暮らしをしている田舎なのですってね。魔法もない世界だなんて、想像もできないほど不便なのでしょうね。お気の毒さま」

 

 この女生徒がサオリの出身地である日本のことを、とんでもなく文明の遅れた田舎だと思っているのには理由がある。

 ユキの義姉のイリスは絵の才能があり、サオリから詳しく聞いた日本昔話を、かわいらしい紙芝居にして、孤児院や教会で子どもたちに聞かせるボランティアをしていた。桃太郎や一寸法師、かぐや姫に猿かに合戦など、登場人物も背景も、素朴な山里風景だ。紙芝居は、子供のみならず大人にも受けて、やがて本格的な絵本となって売られるようになった。

 もともとこの世界に、子供向けの絵本は教育的なものしかなかったことと、この話が異世界から来て国を救ったサオリの故郷の話であるという物珍しさもあって、絵本はずいぶんと売れた。そして、これが英雄サオリの住んでいた世界そのものなのだと誤解もされた。サオリは敢えて訂正しなかった。誤解を解いて誰が得をするのか。帰れない日本の本当の姿を正確に伝える努力など、虚しいだけだった。


 田舎出ということにユキが反論してこないので調子に乗った女生徒は、さらに言い募った。

「おまけにあなた、お母様と違って魔力がろくにないのですってね。それでも貴族なのかしら」

「あなた、名前は何と言うの」

「あら、今さら媚を売ろうというの?アンジェリカよ。エルマン侯爵家の」

「覚えておくわ。関わらないようにするために」

「なんですって」

「私が気に入らないなら、近づかなければいいのに」

 そう言ってきびすを返したが、これによってユキの周りには人が寄ってこなくなった。


 ユキは母親のサオリと、母の故郷である日本が馬鹿にされるのが我慢ならなかった。この国を守るために全てを捨てさせられ、魔物の脅威から救ったというのに、とっくに過去の話になっていた。特に若い世代にとっては、それはもはや伝承であり、おとぎ話の延長であった。尊敬などされるはずもなく、むしろペテン師呼ばわりされたこともあった。さすがに教師たちは、その危機に瀕した時代を経験していたので、サオリを侮ることはなかったが、積極的に生徒たちを窘めることもしなかった。


 だから、ユキは周りの生徒と親しく口を利くこともなく、ひたすら勉学に励んだ。数学と物理、魔術理論は特に熱心に取り組んだ。数学と物理に関しては、母サオリから教わった内容の方がよほど高度だったが、この世界の魔術を理解する上ではこちらの考え方も無視するわけにいかなかった。魔力は少なくても、魔術の理論は楽しい。魔法陣と魔石があって、魔法を起動させるだけのわずかな魔力さえあれば、ユキにも魔法を発現させられるのだ。むしろ複雑な術式を無数に組み合わせることによって、人間一人が発動できる魔法より、よほど精密で威力のある魔法が使えた。


 一学年の終わりの魔法の試験でユキはそれを証明し、馬鹿にしようと見物に来ていた上級生たちを黙らせた。アンジェリカと一緒に見に来ていた第二王子のアルフォンスが、素直に賞賛の拍手を送ったことで、ユキの立場は密かに浮上した。

 一方、アルフォンス殿下に対しあからさまな好意を見せつけている侯爵令嬢アンジェリカは、ますますユキを憎んだ。だがそれも、ユキにとってはどうでもいい話だった。


 ユキは在学中、授業以外の時間は、図書館と教師の研究室に入り浸った。学べることは何でも学びたかった。母の名誉のためにも、優秀でいようと決めていた。しかし、それ以上に魔法に魅せられていたことが努力の源となっていた。

 ひとりを好むユキであったが、学園生である以上、グループ学習や討論は避けて通れず、それらを通して親しく会話をする友人もできた。家族はそれを、ことのほか喜んだ。

「かわいいユキの良い所をやっと見つけてくれた人たちがいるのね」

と、義姉のイリスに言われ、ユキは自分が家族からずいぶんと心配されていたことを知った。


 アンジェリカとその取り巻きによる嫌味攻撃を除けば、概ね平穏な学園生活だった。

 学年末に行われる公開魔法試験も、ユキは毎年優秀な成績を修め、一つ年上のアルフォンス殿下からお褒めの言葉をいただいた。その後で必ずアンジェリカが不愉快極まりない難癖をつけてきたので、アルフォンス殿下を少し恨んだ。


 アンジェリカとアルフォンス殿下が卒業してからの一年間は、本当に充実していた。魔術師なら誰でも憧れる魔術師塔のいくつかの研究室から、卒業後に来てほしいという打診もあった。あわよくば、母親サオリの力も借りて大規模な実験ができないものかと画策しているところもあった。



 卒業を目の前に控えて尚、ユキは進路に迷っていた。

 ユキをスカウトしてくれた研究室のうちから二つに絞っていたのだが、どちらにも深い興味があり、どちらにも行くのを躊躇う理由があった。


 一つは、魔獣のスタンピードを抑えるに足る魔術の開発を目標としており、万が一、母サオリの身に何かあっても、この世界だけで対処できる術を確立しようとしていた。これは第二のサオリという召喚の被害者を出さないために必要不可欠な魔術だと思われた。世間からは、また聖女を召喚すれば良いという安易な声もあったが、召喚二世のユキとしては、母のいまだに癒えない悲しみを知っているだけに、召喚には絶対反対の立場だった。


 ユキがこの研究室に入るのを渋っているのは、この研究が王太子ライナルトの肝入りで始まったものだからだ。ユキにとって王室は、母を召喚した許しがたい相手だ。ライナルト殿下は父親であるゴットフリート王より尊大で自己中心的な性格だと言われている。召喚に頼らない魔術の確立と言えば聞こえはいいが、単に自分が英雄になりたいだけだとも囁かれている。

 ユキはライナルト殿下と直接話をしたことはないが、聞こえてくる噂は芳しくない。母サオリの魔力を頼みに数々の実験を持ち掛けてきているのも知っている。ユキがこの研究室に入れば、否応なしに母の協力を求められるだろう。国のために再び母が搾取されるのはご免だった。


 もう一つの研究室は、召喚そのものに関する研究をしており、これまでの一方通行の召喚ではなく、元の世界への帰還まで込みで行うことを目指していた。人道的観点からも素晴らしいと室長は自分の研究を絶賛していたが、そもそも有無を言わさず召喚している時点で、人道的も何もないとユキは思うのだ。それでも、母サオリが、いつか年をとって故郷に帰りたいと思った時に、帰ることができると分かれば、たとえ本当に帰ることはないとしても、心の支えにはなると思うのだ。

 例えば夫のヴィルヘルムに先立たれた時、例えば娘のユキが結婚して家を出た時、母は孤独にならないだろうかと心配になる。とは言え、今さら元の世界に帰ったところで、サオリを知っていて温かく迎えてくれるところなどないだろう。召喚?と鼻で笑われて変人扱いが関の山だ。現実的ではない。

 それでも、母サオリに、まだ故郷と繋がる術があると思ってもらいたい。大きなお世話かもしれないけれど、ユキはその研究を突き詰めてみたかった。


 こちらの研究室を躊躇う理由は、第二王子アルフォンスの主導で行われている研究だからだ。アルフォンス殿下に関わると、どこからともなく侯爵令嬢のアンジェリカが現れ、嫌味三昧を浴びせてくる。せっかく卒業と同時に縁が切れたと思ったのに、いったいどんな嗅覚をしているのやら、警察犬にでもなればいいのにとユキは思う。貴族なら世間の役に立てや、と心の中で叫ばずにいられなかった。


 ある日、学園の図書館で、召喚に関する最近の研究論文を読んでいると、

「少しいいだろうか」

と、後ろから声をかけられた。振り向くまでもなく、アルフォンス殿下だ。相手をするのを億劫に思いながらも、自国の王子に失礼を働くわけにいかず、立ち上がって礼をとろうとした。

「いや、そのままでいい」

 そう言って、ユキの向かいの席に腰を下ろした。

「そう嫌そうな顔をしないでくれ。今日は君に改めて私たちの研究室に誘いにきた。迷っているんだろう?」

「はい」

「迷う理由はなんだ。迎えるだけの召喚ではなく、送り返せることに意義があると思って始めた研究なのだ。君の母君には国として申し訳ないことをしたと思っている。同時に、感謝もしている。この国が存続していられるのは、サオリ殿のおかげだ。私はそのことを忘れたことはない」


「ありがとうございます。最近では、そういう感謝の念を示されることはほとんどないです。悔しいですが、時間がたつと忘れるのは人間の習性で仕方がないと思っています。ただ、時々無性に、世界中に腹いせしたくなることはあります。私自身が召喚されたわけではないですけど、二世であることで理不尽な言い掛かりはたくさん受けてきました。いつか目にもの見せてやりたいと思うのは浅はかな考えでしょうか」


「いや、君の立場からすれば、そんな思いも当然だ。どうだろう、ひとつ私と思い切り腹いせをしてみないか。サオリ殿や、君をないがしろにする連中に、一泡吹かせてもばちは当たらないだろう」


「それが殿下のいる研究室なら叶えられるというのですか」


「君のその優秀な頭脳と、サオリ殿から学んだ日本の数学、物理学、天文学の知識が、何かのヒントにならないかと期待している。まずは双方向の召喚だ」

「召喚した者を帰還させるという意味ですか」

「そうだ。それだけでなく、こちらから違う世界に送り出す、つまり異世界への転移を可能にしたい。もちろん流刑的な意味ではない。召喚というものが、どんなに理不尽なものであるか、召喚賛成派の連中に体験させてやりたいのだ」


 ユキは、アルフォンス殿下の手を両手でガッと握りしめ、

「その話、乗ります」

と、勢い込んで告げた。

 一瞬の沈黙のあと、我に返ったユキは、殿下の手をそっと放した。


「私には、それで腹いせができるという利がありますが、殿下には何の得がありますか。母を日本に帰すことも、召喚賛成派に一泡吹かせることも、殿下の本当の目的ではないのでしょう?」


「・・・そうだな、済まない、君のためだという恩着せがましい言い方になってしまった。私は、」

 そう言うと殿下は身を乗り出して、ユキの耳元で囁いた。


「兄のライナルトを追い落としたい」


「!!」


 思いもよらない一言だった。王国を揺るがしかねない。とんでもないことを聞いてしまった。けれど、ライナルト殿下が王になるのは、ユキにも好ましく思えなかった。だから、ここは覚悟を決めて、アルフォンス殿下と手を組むべきかもしれない。


「話を伺います」


 すると、アルフォンス殿下は机の上に、小さな筒状の物を置いた。ユキの周りの空気が揺らいだ。


「遮音の魔道具ですか」

「いや、誤認の魔道具だ。遮音だと、いかにも何か企んでいるか、愛の告白でもしているのかと思われるからな」

 そう言ってアルフォンス殿下は楽しそうに笑った。

 ユキは、後半の戯れ言は無視した。


「遮音でないのなら、周りにはどう聞こえますか」

「まったく害のなさそうな会話に聞こえる。例えば、天気の話だとか、好きな果物についてだとか、他愛もない話だ」

「私が殿下とそのような気軽な会話をしている時点で怪しまれませんか?」

「いや、私が必死に接点を持とうと雑談を持ち掛けているように見えるんじゃないか」

 なんだろう、今日の殿下は軽口が過ぎる。こんな方だったろうか。

「まあ、いいです。話の続きをお願いします」


「兄は、英雄になりたがっている。そして賢王として歴史に名を残したいんだ。たとえ実態が、いかさまだらけでも、王になれば歴史書編纂に口も出せると思っている。というか、出すつもりだ。

 とはいえ、ゼロから実績を捏造するのはさすがに無理がある。誇張するにも元になるものが必要だ。だから、サオリ殿以上のスタンピードを抑えてみせようとしている。兄はそのために、スタンピードを起こす研究さえしているんだ。そして、凄惨な被害が出たところで、颯爽と登場し、研究の末にたどりついた取って置きの魔術を派手にぶちかますつもりだ」


「馬鹿なの?」


「馬鹿だ。愚かにもほどがある。被害を出すことに躊躇いがないなど、国を統べる者の発想ではない。全て己の名声のためだ。こんなヤツを王にしてたまるか」


「ゴットフリート陛下はどうお考えでしょうか」


「今のところ兄はうまく立ち回っているからな、父は兄の思惑に気づいておらん」


「賢い方だと思っておりましたが」


「誰しも老いは来る。年をとれば目も悪くなるし、耳も遠くなる。意図的に情報から遠ざけられているというのに、疑うことを知らぬのだ。兄が玉座を求めるのも近い将来だろう」


「すでに敷かれたレールの上、ということですか」


「そうだな、おかげでアンジェリカが、私の元に来なくなったぞ」


「えっ?アンジェリカ様は、アルフォンス殿下のことを、慕っていたのではないのですか」


「兄より一つ年下の私の方が、在学中の成績は圧倒的に良かったからな。向こうが第一王子だというのに、こちらに懸けていたようだ。ところが先月、兄が王太子に決まったものだから、今になって取り入ろうと必死になっている。エルマン侯爵の意向もあるとはいえ、あからさまな掌返しは、いっそ清々しいほどだ」


「なにかと正直で分かり易い方ですね」


「王妃の資質ではないがな」


「それで、どうやってライナルト殿下を追い落とすのですか」


「兄は自分がスタンピードを抑える前に、一度、聖女を召喚すると思う。意図して力のない聖女を召喚し、貶め、自分への期待を高まらせるために」


「聖女など召喚していないで、サクッと魔物を倒した方が、よほどスマートで賞賛されるでしょうに」


「聖女に大勢の前で魔物退治を失敗させ、聖女の価値、ひいては聖女サオリ殿の威光に疑いを持たせるつもりだろう。かつてのあれは、大したスタンピードではなかったと、運が味方しただけだと、知らしめたいのだと思う。所詮聖女とは、その程度のものだと」


「人を踏みつけにしないと示せないような実力は、ロクなもんじゃありませんね」


「聖女召喚に反対する立場を取りながら、自分のパフォーマンスの前座として聖女を召喚するのもおかしな話だしな」


「呼び寄せてしまった聖女に関しては、アルフォンス殿下の双方向の召喚で帰せるとしても、スタンピードによる被害は甚大過ぎませんか?それが起きる前になんとかしないと」


「それについては、サオリ殿に協力を仰ごうと思っている」


「・・・母に、また魔物と対峙しろと?」

 ユキの目が剣呑に光った。


「いや、違う。スタンピードの幻影を大規模に映し出してもらうだけだ。サオリ殿の世界にある、3Dプロジェクションマッピングという技術を、サオリ殿の魔術で再現してもらうことになっている。だから本物の魔獣は襲ってこないし、民は喰い殺されない。サオリ殿も、魔獣と戦うことはない」


「いつの間にそんな話に?」


「君より一年早く魔術師塔に入ったからね。サオリ殿には何かとお世話になっているんだよ」


 母サオリは、ライプニッツ王国に帰国して、出産と子育てが一段落した後、乞われて魔術師塔に入った。国に対して逆らう気はないですよと示すためには、とりあえず国の機構の一部になるのが良いとの判断だった。肩書は名誉顧問なので、常勤ではなく、関心のある研究にだけ参加している。


「母は、ライナルト殿下の思惑を知っているのですか」


「兄は都合の悪いことを隠して、サオリ殿に協力を要請していた。聖女に依らない魔獣撲滅をうたっていたから、最初はサオリ殿も手を貸したようだ。しかし、間近で言葉を交わすうちに、兄の邪な部分も見えてきたのだろう。私が兄の思惑を暴露した時も、『ああ、やっぱりね』という顔だったよ」


「アルフォンス殿下のことは信用に足ると判断したのですか」


「私は、学生時代から常に公平であろうと努力してきたつもりだ。自分に足りない部分を認め、周りに助言を仰いできた。立場ゆえに忖度されたこともあったが、そういう相手に便宜を図ることはしなかった。その積み重ねがサオリ殿に信頼されることに繋がったのだと思う。君から私は、どう見えていた?」


「正直、殿下の後ろにはいつもアンジェリカ様がいましたから、学年末の魔法試験で殿下に褒められると、きまってその10倍くらい言い掛かりをつけられたので、プラマイで言ったら、マイナス寄りの印象でした」


「それは、済まない」


「いえ。でも、私の魔法を学園の先生以外で褒めてくれたのは、殿下が初めてでした。それまでは、授業で魔法陣を使って我ながら上手に魔法を発動させたと思っても、召喚二世なのに魔石を使うのかとか、英雄の子供でもあれくらいなのかと、揶揄する声の方が大きかったんです。だから、一年生の学年末の試験で、殿下が拍手をしてくださったのは、すごく嬉しかったです。母と比較するのではなく、私の実力を認めてもらえたみたいで」


「あれは、どう見ても君の魔法が頭一つどころか、突出していただろう?皆、褒めて良いのか周りを伺っているばかりで歯がゆかったんだ」


「ありがとうございます。あれで自信が持てました」


「では、その恩を返すと思って、私たちの研究に力を貸してくれないか」


 アンジェリカがおまけに付いてこないのであれば、ユキとしても断る理由はなかった。

 こうしてユキは、アルフォンス殿下の研究室に入ることになった。



 ◇    ◇    ◇    ◇



 ユキがアルフォンス殿下の研究に加わって二年が過ぎた。


 双方向の召喚も、こちらから特定の異世界に転移させる魔術もほぼ確立した。転移に関しては、今のところ、元の世界の事情が少なからず分かっている日本に限られている。というのも、何も分からない世界にいきなり転移させても、生きていられるか定かでないからだ。同じ地球上であってさえ、生存に適さない地域や社会があるのだ。日本への転移実験は、極秘で何度か行われ、アルフォンス殿下もユキも実際に体験した。


 日本に行った者は皆、その発展ぶりに驚いて帰還した。何しろ抱いていたイメージが、野生動物がそこらを歩いているのどかな山里なのだ。高層ビルの立ち並ぶ通りで、通行人に揉まれながら気を失いかけても仕方がないことであった。

 ユキは幼い頃から、母サオリに故郷の話を聞いて育っていたから驚きの度合いは低かったものの、実際に目の当たりにすると、その迫力に圧倒された。どんな魔法を使っても、これを実現するのは並大抵のことではないと思われた。


 母親のサオリも、一度日本に帰郷した。ユキたち家族は、サオリの心情を慮って気が気ではなかったが、戻ってきたサオリは、

「知らないお店ばかりだったわ。毎日のように利用していた新宿駅も全然違って、まるで浦島太郎みたいな気分ね」

などと、あっけらかんとしたものだった。


「ついでに昔の知り合いに、こちらから転移させた人たちの案内をお願いしてきたわよ。お礼は、こちらの世界へ一度招待してくれればいいですって。魔法なんていう夢物語を、実際に見てみたいんですって」

と、日本での協力者まで見つけてきたのだった。


「よく信じてくれましたね」

と、アルフォンス殿下が言うと、

「その人ね、私が召喚されて消えていくところを見ていたの。大学の同じ研究室にいて親しくしていたから、私がそういう嘘をつく人間じゃないってことも知っているのよ」

 

 サオリは、その人とどういう関係であったかは言わなかったが、召喚が二人の繋がりを無理やり断ち切ってしまったことは確かだ。改めてライプニッツ王国のしたことがとんでもないことだとアルフォンスは申し訳なく思った。

 サオリはアルフォンス殿下の表情が曇ったことに気付かないふりをして、

「これでライナルト殿下に、召喚を体験させてあげられるわね。あちらで殿下がいかにちっぽけな存在であるか、嫌というほど思い知らせてあげましょう」

と、不敵に笑った。



 同じ頃、王太子ライナルトの研究室でも、スタンピードを抑えるに足る威力のある魔法攻撃が完成した。こちらは出力を上げることがメインなので、二年もかかったのがむしろ不思議なくらいだった。原因はライナルト殿下にあり、とにかく派手で見栄えのするものにこだわったからだ。発光の具合、カラフルな光線、音響、最終的な場面では、煙が風で薙ぎ払われた時に、中心にライナルト殿下が、剣を片手に魔物の死体の山の上に立っているという構図を演出するための工夫を強いられた。どうやら英雄となり、絵本になることを想定しているようだった。これを聞いた時、ユキは向こうの研究室に入らなくて良かったとしみじみと思った。


 

 アルフォンス殿下は、配下の者に、ライナルト陣営の動向を見張らせていた。そして、スタンピードを起こす日程と場所を掴んだ。その決行日より三日早く、サオリが最新の魔術で、スタンピードが実際に起こったかのような幻影を展開した。咆哮も、振動も、破壊音も、慟哭も、何もかもが本物に感じられた。

 そこの住民には事前にこのことを知らせてあり、この日は家に籠ってじっとしているように頼んだ。さもないと、ライナルト殿下が本物のスタンピードを誘発させに来ると言うと、誰もが怒りに震えながら協力を約束してくれた。


 スタンピード発生の報告が城に届くと、ライナルト殿下たちは焦った。まだ何も仕掛けていないのに、三日も早くスタンピードが起きるなんて。これは自然発生的な、本物のスタンピードだと信じ込んだ。完璧な舞台はまだ整っていない。だが、急ぎ聖女を召喚しなくてはならない。ライナルト殿下は、ここは自分が指揮をとるから、自身の研究室の者に聖女を召喚させると魔術師長に告げた。

 当代の魔術師長は、かつてサオリを召喚したアンゲラーの子息である。実力も折り紙付きだ。それを無視する形で、召喚を他の者に託すのは、アンゲラーとしては納得がいかない。


「なぜでございますか。ライナルト殿下は、日頃から聖女は不要とおっしゃっていたではありませんか。それに、聖女サオリ殿もご健在でいらっしゃるのに、なぜ新たに聖女を召喚なさるのか」


「既に被害が出ていると聞く。私の魔法は大掛かりゆえ、準備に時間がかかるのだ。それまでになるべく被害を最小限に抑えてほしい。サオリ殿の力を疑っているわけではないが、彼女にばかり負担を強いるのは気が引ける。もうお年を召しているだろうし、万が一のことがあってはならんだろう。心配するな、我が研究室の魔術師も実力者揃いだ。必ず召喚を成功させて見せる」


 いかにもな言い訳を並べ、ライナルト殿下は召喚に臨もうとした。


「兄上、では私も召喚を見届けます。召喚については我々の方が専門です。不備があってはなりません」

「いや、お前たちは手を出すな。こちらでできる」

「ええ、ただの召喚に関しては術式も確立しているので心配していません。私たちは、事態が収束した時に聖女を元の世界に帰すために、召喚をきちんと見届けたいだけです」

「分かった。手は出すなよ」

「承知しました」


 ライナルト殿下の指示で召喚が始まった。長い長い召喚の呪文が続く。


「時に兄上」

 アルフォンス殿下は前を向いたまま、隣に並ぶ王太子ライナルトに話しかけた。

「なんだ、召喚中だぞ」

 答えるライナルト殿下も、前を見つめたままだ。

「有無を言わさずこちらに連れてこられる方は、一体何を思うでしょうね」

「知らぬ。聖女とは、そういうものだ」

「向こうでは一般の女性にすぎないのに?」

「だから、それは俺の考えることではない」

「兄上がその方の気持ちを考えないというのなら・・・」

「なんだ、アルフォンス。邪魔するなよ」

「召喚の邪魔はしません。ただ兄上に、召喚というものをより一層深く理解していただこうと考えているだけです」


 アルフォンス殿下が目配せすると、召喚の呪文に交じって、転移の呪文の声も聞こえてきた。実は小声だっただけで、転移の呪文もかなり前から始まっていたのだ。


 部屋の中央の魔法陣が光り、聖女が姿を現すと同時に、ライナルト殿下と、後ろに付き従っていたアンジェリカの足元が光り、

「何だ!」「きゃあ!」

という声とともに、二人そろって消えていった。


「ライナルト殿下が!」

「アンジェリカ様!」

「ここはどこ!?」

「殿下が!陛下に知らせろ」

「なんでここに?どういうことなの!」


 慌てふためく従者たちと、魔法陣の真ん中でうろたえる異世界から来た少女が、口々に叫ぶ。


「落ち着け」

 アルフォンス殿下が右手を上げて呼びかけると、噓のように静まり返った。


 アルフォンスは少女の前に進み、片膝をついて一度頭を下げた。


「まずは聖女様にご挨拶申し上げます。いきなり我がライプニッツ王国に召喚され、さぞ驚かれたことでしょう。そのことをお詫び申し上げます」

「あ、いえ、ご丁寧に、どうも」

 聖女は先ほどの勢いもどこへやら、しどろもどろに答えた。いかにも高貴なイケメンから謝罪され、毒気を抜かれてしまったようだった。欧米系の美男に弱い日本人女性あるあるらしい。サオリから聞いていたので、自分の顔と雰囲気を、ここぞとばかりに利用するアルフォンス殿下であった。


「あの、私はここで何をすれば?聖女と呼ばれたと思うんですけど。治癒とかですか」

 すんなり受け入れて、やる気になっているのは若さ故か、イケメン効果か。


「いえ、魔物の退治で呼ばれたはずでしたが、こちらで何とかする目途はついておりますので、聖女様にはご足労をおかけして申し訳ありませんでした。すぐに元の世界にお返しいたしますので、どうぞこのことはあなた様の胸の内だけにしまっておいてください」


 聖女と呼ばれた少女は、実は聖女としての実力はほとんどない。ライナルトがそういう指示をしたからだ。なので、ここにいてもらっても何の役にも立たないどころか、このまま居座られては王家に非難が向かう。早々に帰還させるのが一番だ。

 アルフォンス殿下は配下の魔術師に、先ほど少女を召喚したのと対になる召喚魔法を発動させた。呪文は少女が姿を現した時から唱え始めていたので、発動はすぐだった。

「あの、私がお役に立て」

まで言ったところで少女は消えていった。


 呆然と見送ったライナルト陣営の者たちがいきり立った。

「何をなさるのです」

「せっかく聖女様を召喚したのに」

「魔物が暴れているのですよ」

「一刻を争うというのに」


「では聞くが、聖女としての力もろくにない少女を召喚して、どうするつもりだ。魔法陣も呪文も、サオリ殿の時とは違うのはなぜだ」

「そ、それは、効率化したのです」

「侮られたものよな。こちらの研究室は召喚を専門としている。わずかな差異も見逃すものか。聖女を意味する記号の後に、小さく否定の文字を入れたのはなぜだ?呪文もそこだけ噛んだだろう。わざとだよな。聖女としての力のない者を意図して召喚するなど、国家反逆罪に問われても仕方ないと思わぬか?」


 ライナルト陣営がざわりと揺れた。頼みの綱である王太子ライナルトがいないのだ。いたとしても、あの自己中男が自分たちをかばってくれるはずがないと薄々気づいてはいる。どうするべきか。頭の回転の速いものが真っ先に口を開いた。


「申し訳ありません。ライナルト殿下の指示だったのです。御自分が活躍する場の前座として、聖女もどきに恥をかいてもらうとおっしゃっていて、私どもはそれに逆らえませんでした」

「そうです、殿下の指示です」


 口々にライナルト殿下の責任だと言い始めた。


「スタンピードを止めることが遅れれば、それだけ民が犠牲になると知っていて、兄上を諫める者はいなかったのだな」


 ライナルト殿下の研究室の者たちは黙り込んだ。王太子に付き従えば、うまい汁が吸えると思っていたのが丸わかりだ。ライナルト殿下が英雄になれば、それを補助した者として、確固たる地位を築けるものだと信じて疑わなかった。事の善悪など二の次だった。それが今、露呈してしまった。


「あの、ライナルト殿下は、どちらに?」

 恐る恐るというように、聖女もどきの召喚をした魔術師が聞いた。


「兄上と、アンジェリカ嬢には、聖女様の故郷である日本に転移してもらった」

「なぜでございます!我が国の王太子でいらっしゃいますぞ。まさか王位簒奪を狙っておられるのか!」

「なに、三日もすれば帰ってくるよ。双方向の召喚と異世界転移の術はすでに完成している。兄上には、国を統べる者として、召喚というものに責任を負ってもらわねばならぬ。それには召喚というものがどれほど悪辣で自分勝手な所業であるのか理解していなければならない。そうは思わぬか?」


「悪辣などと、言葉が過ぎます」

「では、お前も今から日本に送ろうか。何の心構えもなく、身寄り頼りもない世界に送られるのだ。家族にも友人にも、一言も知らせることもなく、こちらの世界から消える覚悟はあるか。サオリ殿の絶望をお前も味わう覚悟はあるのか」

「それは・・・」

「積み重ねてきた努力も、向こうの世界では何の役にも立たぬぞ。妻にも、娘にも二度と会えぬことがどういうことか考えてみたことがあるか?それでも悪辣でないというのなら、今すぐ送ろう」

「しかし、サオリ殿には、聖女という崇高な使命がありました。一介の魔術師である私などと重要度が違いましょう」

「我が国の危機に、サオリ殿は無関係だがな。それに、お前の重要度が低いのなら、この国にいなくても誰も困らなかろう。ごちゃごちゃうるさいから、こいつも送れ」

「はい。そろそろアンゲラーの呪文が完成するところです」


 魔術師の足元が光り、シュン、という空気の抜けるような音とともに消えていった。息を呑む周りの連中に、アルフォンス殿下は言った。


「この度のスタンピードは、サオリ殿の魔術による幻影だ」

「まさか、そんな」

「民たちが喰い殺されているという報告を受けましたぞ」

「魔物の咆哮もものすごいと聞きました。それがサオリ殿の作り出した幻影などということがあるのですか」


「嘘かどうかは、あの村に行ってみれば良い。村人は一人残らず家の中にいて無事だし、破壊された家屋も森もない。サオリ殿の力を見くびり過ぎだぞ、お前たち」


 ライナルト殿下の配下たちは項垂れた。


「では、此度のことについて、陛下の前で証言してくれ。王太子ライナルトから受けた指示で何をしようとしていたのか。お前たちが証言しなくても、証拠は十分に揃っている。良心の呵責に耐え切れず、そちらの研究室からこちらに移ってきた者もいるしな。そのままそちらに残って、動向を知らせてくれていた者もいる。つまり、誤魔化すことは不可能だということだ」


 これを聞いて、今度こそライナルト陣営の全員が、終わりを悟った。



 それからライナルト殿下が帰って来るまでの三日間に、あらゆることが表沙汰になり、ライナルト殿下の廃太子が決まった。研究室の者も、それぞれに裁かれた。ただ、スタンピードを抑え込むだけの魔術を完成させたことに対しては正当に評価された。


 そして第二王子のアルフォンスが王太子となり、一年後に王位を継ぐことになった。ゴットフリート王も、もはや自分では国を治められないと観念した。


 アルフォンス殿下は、立太子した後、ユキを呼び出し、

「一緒に国を治める魔法を研究しないか」

と、告げた。


「それ、まさかと思うけど、プロポーズ?」

 ユキは、研究室で二年間、ともに研鑽する中で、アルフォンスが好意を示してくるのに気付かないふりをしていた。

「昔からずっと、無視するよね、君」

「ごめんなさい。私には無理」

「理由は?」

「魔法の研究を極めたいというのが一つ。二つ目は、私自身が聖女ならともかく、二世のクセにって言われる未来が見えているから。その苦難を乗り越えられるほど、殿下のことを好きなわけじゃないの」

「ひどいな、そんなにはっきり言う?」


「私ね、思うんだけど、自分がこの国に生まれ育ったにも関わらず、中身が日本人みたいなの。この間、転移で日本に行った時に、懐かしいって感じたの。変でしょう?いまだに私は、母がこの国に来たのが許せないみたい。殿下には申し訳ないけど、この国を良くしたいとか、発展させたいとか、心の底から思えないのよ。そんな人間が王妃になるのはだめでしょう?

 貴族としての教育も受けていないし、社交もしたことがない。王妃として必要な外交ができるとも思えないし、それに向けての努力もしたくない。だから無理」


「うーん、やっぱりだめか。分かっていたけどね。こうまで言われたら諦めもつくか、・・・と思ったけど、引きずりそうだ。我ながら情けないな」

「まあ、頑張ってよ」

「他人事だな」

「そりゃあね、よその世界の話だし」

「少なくとも君の父親は、こちらの世界の人間だろう?」


「母はね、私を日本人として育てたかったみたい。名前もこだわったし、小さい頃は、母と私は日本語で会話をしていたの。兄と姉がいる時は絶対に話さなかったけどね。小さな日本人同盟だって言ってた。だから、転移で日本に行った時、私は日本語の洪水の中で泣きそうになった。母はここにいたかったんだって、ここを絶対に忘れまいとしてたのが分かったから。母は、日本語で会話できる相手が欲しくて私を生んだのかもしれない。父と結婚したのだって、子供が欲しかっただけかもしれない。そう考えたら、私はこの国に馴染みたくないと思ってしまう」


「一生結婚するつもりはないのか」


「どうだろう。先のことは分からない。もしかしたら、母のことを思いやることもできないくらい好きな人が現れて、結婚するかもしれない。それが殿下ではないことは確かだから、どうぞ他を当たってください」


「あーあ、日本人女性は、私みたいな顔に弱いというのは、君には当てはまらないんだね」


「殿下は私の同志ですよ。恋する対象じゃないから仕方ないです」


「同志か。それも光栄だと思うことにするよ」

 そう言って、アルフォンス殿下は去っていった。


 ユキは、アルフォンス殿下には感謝をしていたが、それが恋愛には発展しなかった。子爵の娘に過ぎないし、召喚二世という厄介な肩書もある。釣り合わぬは不縁の元。最初からきっちり線引きしていたのが良かった。立派な王になると思うから、その幸せを祈りたい。



 さて、転移から三日後に、ライナルト殿下とアンジェリカ嬢とおまけの魔術師が帰還した。三人とも、人相が変わるほどやつれていた。


「どうでしたか、兄上、サオリ殿の故郷は。思っていたような野蛮な田舎ではなかったでしょう?あれが魔法なしで築いた都市だというのですから驚きですよね」


「そう、だな」


「アンジェリカ嬢も、不便で時代遅れだと侮っていたようですが、こちらよりよほど発展していますし、清潔で自由そうで、人々が生き生きしてましたよね」


「・・・それは、認めます」


「兄上たちの口が重いようなので、実際の映像を見てみましょうか。兄上の襟元に、記録装置をつけておきましたから、兄上の見た世界そのままだと思ってください。サオリ殿の知り合いの方が、あちこち案内してくれました」


 そうして謁見室の壁に巨大なスクリーンが降ろされ、サオリの作ったプロジェクターで、東京の街が次々と映し出された。

 巨大なビル群。車、バス、電車、地下鉄といった乗り物。エスカレーター、デパート、コンビニ、原宿や渋谷の賑わい、自由な服装、遊園地、動物園、美術館、神社、公園などなど。最後に空港で巨大な飛行機の飛ぶさまが映し出された。


「これはまた、ずいぶんと連れ回されましたね。どうですか、サオリ殿は、この便利そうな世界から、こちらに無理やり召喚されました。魔獣などという凶暴な生き物のいるこちらの方が、よほど野蛮で田舎ではありませんか。こちらに招いてやったことを感謝しろとの声も聞かれましたが、とんだ思い上がりだと気づくべきです」


 ゴットフリート王も、高位貴族も大臣たちも、予想外の日本の姿に声もなかった。


「そして兄上、いきなり見知らぬ世界へ飛ばされる恐怖と理不尽を、実感できましたか。案内人が声をかけるまで、途方に暮れたのではありませんか」


「確かに、・・・あれは恐怖と絶望そのものだった」


「理解してくださって何よりです」



 こうして一連のスタンピードと召喚騒ぎは幕を閉じ、ライプニッツ王国では、召喚に対する考えを根底から改めることになった。

 もうスタンピードを抑えるために、よそから聖女を召喚することはしないと決められた。

 それに伴い、双方向の召喚と異世界への転移の魔術も、封印されることになった。


 封印の前に、ライナルト殿下たちを連れて東京案内してくれたサオリの知人は、約束通りライプニッツ王国に召喚で招かれた。彼は、一週間かけて魔法のあれこれを見たり聞いたり熱心に学んだ。日本に戻って使えるわけでもないのに、どうしてそこまでと周りは呆れたが、この探究心は、サオリやユキと相通ずるものがあると見る向きも多かった。

 そうして満足したその知人は、日本に帰って行った。


 召喚も転移も、これで封印だ。ただ、異世界から召喚されたサオリと、その娘であるユキは、望めば日本に行くことができるとされた。ただし、一度限り。つまり、日本を選べば、もう二度とライプニッツ王国には戻れない。その覚悟ができた時に、その権利を行使できる。


 サオリは、知人が日本に戻った後、しばらく塞ぎこんでいたが、ある日吹っ切れた顔で夫のヴィルヘルムとユキに、日本に行くことを告げた。ユキもヴィルヘルムも、なんとなく予感していたので、さほど驚かなかったが、別れは辛かった。サオリは何度もユキに謝りながら、消えていった。

 ユキの手元には、母の住む住所が日本語で書かれたメモが残された。


 ユキはまだ決心がつかない。

 ここに残るか、日本に行くか。


 けれど、その自由が自分にあることに希望を抱いている。



読んでいただいて、ありがとうございました。

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・ユキもアルフォンソもお互いに自分なりの人生の目標があって、ベタベタと恋愛しなくてもその目標に向かって努力しているというのがとても爽やかでいいです。 しかし母を失うユキは気の毒だったな。サオリが向こう…
このシリーズ大好きです 異世界側が誘拐して強制労働させてた聖女様の国が凄〜く文明進んでたら本当に怖いですね…… 報復されたらどうしようってなりそう もしユキも日本に戻ったら口止めも出来ないし、ユキは研…
娘の事は大事でもやはり故郷に帰りたかったんですね 知人の事が好きでもあったのかな ユキが王子とくっつかなかった所が素晴らしかったです。 短編によくあるとりあえず仲良くなった男子と安易にくっつけてはい…
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