目覚め9
「素敵ですわ、とてもお似合いです」ーーー着替え終えた三人を見ながら、翡翠が微笑んだ。
「これが異国の着物‥‥‥軽くて動きやすいけど、何だか足が変にスースーして‥‥‥その、なんと言うか、その照れ臭いような‥‥‥」。
えんじ色のワンピースを着たあかりが、体をモジモジさせながら頬を染めている。
「あかりの言うとおり、確かにスースー感はあるが、ブレーとやらを穿いているから寒くはないし、どれだけ足を広げても問題はなさそうだ」。
まといは黒いワンピースを着たまま、蹴り上げるような動作で片足を大きく上げていく。
「さすがにまとい、そこまで上げたら丸見えだよ、ブレーって言わば異国の腰巻きみたいなものだから、ガバッと人に見せちゃダメなんだよ」。
「なっ!‥‥‥そんなこと、先に言っておけ、まつり」。
慌てて上げた足を下ろすまといを見て、まつりと翡翠は顔を見合わせ笑っていた。
「ありがとう翡翠、見立ても流石だよ。これなら誰が見たって忍びには見えないよね」。
「気に入って頂けたなら嬉しいですわ」。
翡翠は微笑んだ。
「では下へ参りましょう。パパ上がまつり姉さんの元気な顔が見たいと言って、朝の食事を用意させていますので、あかりさんもまといさんもご一緒にどうぞ」。
「そんな、いいのですか?」。
「人のご好意はありがたく受ける、それが基本だ、あかり‥‥‥翡翠さん、お気遣いかたじけない」。
恐縮しているあかりを見ながら、まといが静かに礼を言う。
「それじゃあ、行こうか」。
まつりの言葉で四人は揃って階下へと降りていった。
昼過ぎ、たまの湯の前に四人は立っていた。
「ここが私のお薦めした、たまの湯さんですわ‥‥‥まつり姉さん、あかりさん、まといさん、落ち着いたらまたゆっくりとお話しがしたいですわ」。
そう言うと、三人をたまの湯まで案内した翡翠は、小さくお辞儀をして南蛮堂へ戻って行った。
「まつりの幼馴染、淑やかで素敵な方でしたね」。
翡翠を見送り、振り返ったあかりが言う。
「ん?淑やか?淑やかね〜‥‥‥まぁ、今はそういうことにしておくよ」。
「何?その含みのある言い方」。
「そのうち解る日が来るよ」。
まつりがにっこりとした顔で、あかりに答えた。
「さてと、行くとしようか」。
あかりとまつりのやり取りを断つように、まといが言葉を発した後、三人は頷き合い、たまの湯の暖簾をくぐり、館内へと入っていった。
「いらっしゃいませ」。
帳場にいた女が三人に向かって、元気よく声を掛けてきた。
「三人して一晩、お世話になりたいのですが」。
まといが口火を切る。
「三名様ですね、当館は初めてでございますか?」。
「初めてです、ここの湯がいいと南蛮堂さんに薦められて来ました」。
「まぁ、南蛮堂さんからのご紹介‥‥‥今、女将を呼んで参りますので、少しお待ちくださいませ」。
帳場の女はそう言って店奥に入っていった。
「まといっていつも鉄仮面みたいに無表情なのに、こういう場面では別人みたいでしょ」。
まつりが茶化すようにして、あかりに小声で話しかける。
「聞こえているぞ、まつり」。
まつりが舌を出し、肩を竦めているうちに、年配の上品そうな女が帳場に入ってきた。
「たまの湯の女将でございます、南蛮堂様からのお客様ですね、いつも南蛮堂様からはご贔屓にして頂いております」。
「実は連れが南蛮堂の翡翠さんと幼馴染で、その伝手でここを紹介されまして」。
「そうでしたか、別館はいっぱいですが本館には空きがございます、南蛮堂様からのご紹介なら、いいお部屋をご用意させて頂きますね」。
「ありがとうございます」。
女将に礼を言うまといの後ろで、まつりが真顔に変わり、隣であかりはその表情を黙って見ていた。
「すぐに帳場の者が参りますので、こちらの宿帳にご記名お願いします‥‥‥それではごゆっくりとお過ごし下さいませ」。
まといの前に宿帳を広げて、女将は一礼すると店奥へと戻っていった。
宿帳に三人の名前『纏』『茉莉』『朱里』が連名で記されていく。
「へぇ〜、そういう漢字を書くんだね、二人とも、初めて見たかも」。
「まつりだって漢字で書いてるじゃないか」。
あかりがまつりにツッコミを入れる。
さっきの真顔は、何だったんだろうーー。
屈託のない表情のまつりを見ながら、あかりの胸にはひっかかるものが残っていた。
「それではごゆっくりご寛ぎ下さいませ」。
帳場に戻った女に案内され、三人は本館二階奥にある広い部屋に入った。
「聞いた!大風呂の奥に露天風呂があるんだって!早速浸かりに行こうよ」。
「待ってまつり、私らは任務で来てるんだよ」。
「あかりも結構堅いよね、でもさ、こういう任務だからこそ、普通を装わないとマズイと思うんだよ、それに敵さん動くのも夜だろうし、まといはどう思う?」。
「そうだな、普通を装うというまつりの言い分は解る、任務だというあかりの言い分も正しい‥‥‥私の意見は明るいうちに、先ずはこの建物と別館の情報収集、その中で大風呂にも露天風呂にも入り、館内構造も把握しながら、深夜の本番に備える、そんな感じだ」。
淡々というまといに、まつりが唖然とした表情になる。
「うん、そだね、まさしく、それは正論だよね〜」。
「私はまといの考えに意義なしだけど‥‥‥」。
まつりを見ながら、そこまで答えたあかりの脳裏に、不意に真顔になったまつりの顔が浮かんだ。
「ねぇ、さっき、まといが女将と話してた時‥‥‥まつり、急に真顔になってたよね。何か気になったの?」。
僅かにまつりの目が見開いたことを、あかりもまといも見逃さなかった。
「まつり、何でもいい、感じたことが有るなら共有してほしい」。
まといの言葉に、まつりは天井を見上げていたが、やがて顔を下ろすと口を開いた。
「知っているのは翡翠だけだった‥‥‥いつか二人にも話そうとは思っていた‥‥‥」。
知っているまつりとは違う雰囲気に、あかりもまといも深呼吸が必要だった。