萩尾 修 2
「赤本選ぶなんて、久しぶりだな。」
赤本、入試の過去問が5年分、1970年代に設立された出版社のこの過去問集は「赤本」の愛称で受験に関わる人々から親しまれている。
萩尾は近場の医学部の赤本を三冊ほど開くと、少し驚いた。
「なんだ。これは。」
学生のレベルが低下しているというよりも、教える側のレベルが低下しているじゃないか。と、感じた。赤本の問題集と回答と解説に充てる分量が減り、赤本の使い方に関する分量が増え、扱う大学に関する記述までが細かく記載されている様に「これは使いにくい」と感じ、そうなのも仕方のないことかと、ため息をついた。
「なるようになれだ。」
萩尾はそう、自分にいい聴かせると、よくよく考えてみると、自分が赤本を開いたのは、中・高の入試の時のみで、大学受験の時には赤本を利用してはなかったことを思い出した。
「学びたいことを学ぶ場として、大学を思っていたんだけどな。」萩尾は、二十年前の学生生活を少し振り返り、「しょせんは、単位製造工場だ。」と、自分の想いを侮蔑した。
「俺たちの頃とは、ずいぶん様子が変わったものだな。」
と問題の掲載されたページをめくりながら、萩尾はつぶやいた。
こうした、出題された問題に対して、無駄に上から目線で斜に構えた感想を漏らすあたりが、萩尾を社会から孤立させたのだと、本人も自覚してはいるのだが、会社員を辞めた今、書店の店員や他の買い物客からの目線を気にする必要はなかろうというのが、今の萩尾の態度である。
四十を過ぎて、大学に通いなおすという選択をする自分を励ます、萩尾なりの精一杯の虚勢でもある。
これなら、二年、いや、一年で何とかなるだろう。と、萩尾は目算をつけた。
二次試験対策に赤本を二冊買い、センター統一試験の問題を一冊。英語の単語帳を一冊と、暗記科目用のものを三冊。無職の男には痛い出費ではあるけれど、貯蓄の切り崩しと、デイトレで日銭は稼いでいるのでなんとかはなった。ギャンブルが得意だったなら、パチンコでもすればよいのだろうけれど、いかんせんアニメやドラマが好きなので、パチンコやスロットはやらないでいた。
「この際だ。問題の主題や、出題者の意図なんてものは、どうでもよいと割り切ろう。」
萩尾は自分の為に、自分の考え方を保持するのを止めた。
萩尾が大学に通っていたころ、家族からは「資格が大事だ」と、口酸っぱく言われ続けていた。就職してからも、先輩達と「資格が有無と仕事ができるかできないかは、関係ない。けど、資格があるだけで、高い給料もらってる奴らがいる。」と、馬鹿話ばかりを繰り返していた。そう言うことで、世間を馬鹿することで、自分が優位に立っているかのように錯覚している訳ではないが、ベキ論を語るのが気持ちがよかった。
そうした折につけ、「けど、本当にやりたいなら自分で資格取ってしまえばいいじゃないか。」と、家族の会話を思い出しながら、自分の受けた教育を振り返ることを繰り返してきた。
「けど、まあ、金の問題だよなぁ」萩尾は、自分にかけてもよいだろう、家族のお金と期待、それから自分のやりたいことができる範囲でバランスが取れるような選択をしていた。しかし、実際には家族からの期待は思っていたよりも大きかった。そして、かけてくれるお金も、想像以上に多かった。
ただ、それは萩尾の希望を叶えるためというよりはむしろ、家族を納得させる為に使われる者でなければならなかった。「そんなのは、金を払ってやるのだから、ただ働きをしろといっているようなものじゃないか。」と思春期には歯向かったりもした。
「勉強って、学ぶことじゃねえんだな・・・強いて勉めるんだな」
萩尾は高校の同級が、かけてくれた言葉を自分にいい聞かせた。今回は、学ぶことの楽しみというものはないものにしよう。点を取り、資格を取って、ゲームに参加するコインを手元に集める。その為の手段に過ぎないと割り切ろう。
書店からの帰り道そんな風に想いながら、萩尾は買った本類を机に投げ置くと、再び布団で横になると、ふて寝した。
そして、目が覚めると机に向かって赤本を開き、一問、また一問と問題を解いていった。