萩尾 修 1
主人公 萩尾 修 の登場です。
萩尾は布団から起き上がった。
離婚をきっかけに仕事を辞めて六年。当初は、不規則な生活を行っていたが、無職になってみると案外と生活は規則的になっていく。夜更かしを楽しめていたのは、初めの三年で飽き、働いていた頃よりもむしろろ睡眠をよく取り、五時か六時には起床し、朝食の準備をする前に近所の散歩に出かけるのがこの一、二年の習慣になっていた。
「まあ、こんなもんだよな。」
反省や後悔といった念に捉われるのは過ぎ去り、諦観に近い想いばかりを抱いていた。
「いつ死んでもかまわない。」
そんなことを言うやつのことを、馬鹿にしていたはずなのにな。
退学した大学での飲み会で、時おり後輩が「いつ死んでもいいって思ってます。」と話すのを聞くと、最初のころは、「いつ死んでもいいっていうのは、生きたいじゃないのか。それに、いつ死んでもいいという奴は、いざという時には死ねないことの方が多いぞ。」と、講釈をしていたこともあったが、次第に彼らの話も黙って聞くようになっていた。「死んでもよい」と主張する彼らの方が、「どう生きようか」迷っている他の学生に比べ、存外役に立つ働きをしている場合の方が多いと感じるようになっていったからだ。その一方で、「なにかやりたいことがある人間は、20歳ぐらいではすでにやっているし、やり終わっている。」とも日頃、口癖のように人に話してもいた。
そんな萩尾が、姉から
「そんなんだと、野垂れ死ぬよ!」
と、注意された日に、自分もまた「死んでもよい」と思うようになってしまったのかと、自身の想いを自覚してしまった。両親の離婚で苦しんだ日に、「生きよう」と決意したはずが、自身の離婚で苦しみ、生きることを諦め、死んでもよいと思うようになってしまう己の愚かさを嘲笑う気持ちで眺めていた。
「弁護士に金を払ったところで、しょうがないだろう。」
萩尾が結婚の相手に選んだのは、年上の浮気相手だった。この人となら一緒に生きていきたいと思った相手ではなく、幸せにならなくてもかまわないから、離婚をしない相手を選び、子育てがしたいと思い結婚をした。妊娠の知らせを聞いた時、「とにかく、産みたい」という言葉に「結婚しよう」と答えることができた自分を誇らしく感じていた。
だから、離婚したとして、八万円ほどの養育費の支払いと親族の助けがあれば、支援も合わせれば、子供を育てるのに苦がないという見通しも受け入れられた。
一方で、相手方の子供との面会を拒否する言動や、育児に際し、義母の負担を考慮してのお手伝いさんを雇う為の費用としての金銭の支払いに不信感を募らせるようになっていった。
「これでは、養育費ではなく、生活費のしはらいではないか。」
萩尾の親族はそれでも、払うことで、相手の気持ちが変わるといい、萩尾は調停から裁判がはじまるまでの間は支払ったが、一審で払うのを辞め、長女名義の口座に貯蓄するように変えた。
一審で、萩尾が相手方の父親の意向の確認を争点に挙げようとした際に、裁判官から「家父長権は撤廃されている」と付された萩尾は、子供から父親を取り上げ、母親まで取り上げる訳にはいかねぇよな。と裁判に出席することさえやめた。
相手の生活が立ちいくようにと思い用意した、萩尾の財産の資料も、単に弁護士への報酬にしかならないことを嫌った萩尾は、そのいくつかを二束三文で売り払い、いくつかを親族の名義に戻し、請求できなように変え、給与でさえ、差し押さえさえもできない様に、仕事も辞めてしまった。
「取れるなら、取ってみればいいじゃないか」という思いで、裁判所からの差押命令を眺める。そんなものが発行される一年も前には、すでに全部終わっているわ。
「周りに流されて・・・馬鹿な女だ。」愛そうと誓った女性を悪く思えるようになるのに、三年かかった。自分の力のなさを責め、改めようとするのを諦めるのに、もう三年が必要だった。
萩尾は、布団から起き上がると、洗面をし、身支度を軽く整え掃除をし、散歩に出かけ、出勤前の母親の為に朝食の準備に取り掛かった。出勤前の三十分前まで布団で寝ている母が、朝食をあまり取らないのを心配してのことだが、どうせ食事会に呼ばれて食べ過ぎているのだから、取っても取らなくてもよいとは思いながらも、トーストやサラダ、お茶や、コーヒーといった、母に言わせれば「簡単なものだけ」を用意しておく。
普段であれば、この後、ごみを捨てに行って、煙草でも吸い、パソコンに向かうのだが、この日の萩尾は、装いを改め、赤本を買いに書店へと向かうのだった。