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【書籍化進行中】【短編版】魔女の秘薬

3/6 加筆・追記

「────婚約を白紙に、でしょうか」

「マリエッテ、長い間不安にさせてすまなかった。王女の件は耳にしているだろう?」


 呼び出された王宮の一室に入るまでは、私の婚約者であった。

 この国の王太子であるリュヒテ殿下は、感情の見えない顔でそう言った。


 部屋の中には殿下の側近たちと、国王陛下、王妃殿下がいる。

 皆、そろって難しい顔をしていた。


 私が入室したばかりの時はここまで難しい表情では無かったのだ。


 ある方は幼い頃からの親しみを込めて、でも申し訳なさそうに視線を伏せて。

 ある方はもう決断したのだと、静かに私を見据えて。

 

 しかし、揃ってまるでジクジクと血を流す傷を見るような反応ではあった。


 どんなに居心地の悪い空間でも臆してはならない。

 王太子妃教育で学んだ通りの挨拶を済ませ、椅子へ腰掛けるように促された時だった。


 派手に扉が開く音に、下ろそうとしていた腰が浮いた。

 次いで部屋の中に場違いなほど明るい声が響く。


「ここにいたのね、リュヒテ!」

「ミュリア、どうしてここに」


 ミュリア、と呼ばれた隣国の王女殿下は王太子殿下しか見えていないかのように、まっすぐ飛びついた。


 私はもう何年もそのようなことをした覚えがない。


 その懐かしさすら覚える光景を見ながら、もしここに王太子妃教育でお世話になった先生方がいらっしゃったら大変だったわ……と他人事のように心の中で呟いた。


 親密そうにリュヒテの腕に絡まるミュリア王女の白く嫋やかな手や、熱を持って見上げる瞳。距離や空気。


 実際に目の当たりにしたのはこれが初めてだった。


 当然と言わんばかりにミュリア王女の背にはリュヒテ殿下の手がまわされ、親し気に触れた。こんな幼い仕草も、マナー違反さえも許容しているとまざまざと見せつけられた。


 それでも、私は微笑んだ。手本通りの淑女のように。他人事のように。


 だから、リュヒテ殿下に私との婚約を白紙にしたいと言われても微笑んだままだった。


 私は心に麻酔をかけたのだ。1年も前から。




 殿下と私の婚約は、幼い頃に結ばれたものだった。

 当時は様々な政治の流れにより、私の生家であるダリバン公爵家の協力が必要だったためだ。


 政略ではあれど、私たちの間には真心があった。穏やかに心を育む時間があった。良い関係を築けていると思っていた。


 私は殿下と心を通わせ、穏やかな、温かい心をわかちあっていた。

 それが変わってしまった。


 自身の心に、黒い染みが出来たのは殿下が王立学園へ入学した頃だった。

 殿下や殿下の側近である友人たちより1つ年下の私は、1人だけ取り残されてしまった。


 でも1年だけだ。殿下と会える時間は減るかもしれないが、手紙のやり取りや長期休みにはお会い出来る。何より1年も経てば今まで以上に学園で会えるのだからと。


 その分、この1年は勉学や教養などに力を入れようと自分を鼓舞していた。

 手紙の頻度は目に見えて減り、長期休みは予定が合わなかったが、殿下の世界はこうして広がっていくのだと理解していた。

 

 だが、そんな私の耳には色々な噂が入って来てもいた。


 殿下の入学と同時に、隣国から留学生として王女が来訪された。

 その王女と殿下はたいそう気が合うようで、四六時中行動を共にされているというものだった。


 その噂を耳にするたび、胸に黒い染みがポツポツと数を増やし、滲んで広がっていくようだった。


 どんどんどんどん、自分の気持ちが黒く染まっていくようで苦しかった。


 厳しい家族や講師や周囲からの重圧に耐えてこれたのは、殿下と心を共有出来たからだ。その思い出は確かに自分の糧になっていた。それがどんどん色あせていくようで、叫びたいほど悲しかった。


 そんな不確かな噂にかき乱される自分が情けなかった。


 でも、殿下は否定してくれない。確かめさせてくれない。私がおかしいのだろうか。


 答えの出ない気持ちに蓋をして、心に染みをつくる黒が騒ぐたびに見ては痛まないように麻酔をしてきたのだ。


『お二人は仲睦まじいご様子でいらっしゃる』

『側近方もお二人を見守っているご様子で、両国間ではお話がまとまっているやもしれませんね』

『では、マリエッテ様は……』


 微笑んで、信じて、待って


 一人で立っていた。


 それも、もう終わりなのだと。虚しさが足元からじわじわと這い上がって来る。




「マリエッテ、聞いているか?」


 返事がないことに焦れたのか、リュヒテ殿下はこちらに身を乗り出した。

 その腕にはミュリア王女がいる。

 ミュリア様は申し訳なさそうに、こちらをうかがっていた。


 お二人の顔をぼんやりと視界にいれながら、「はい」と微笑んだ。もう癖なのだ。心がどれだけ血を流していても、顔は微笑みの仮面を下ろせない。


 もう私にはこれしか残っていないから。


「それで、マリエッテも明日から学園に入学するだろう。その前に、私たちの婚約を白紙にしておきたいんだ。わかってくれるだろうか」


 『わかってくれるだろうか』なんて、呑み込めと同義ではないか。

 この部屋には国王陛下も、王妃様もいらっしゃる。つまり、もう決定事項なのだ。


 私不在のまま今後の話し合いはなされ、すでに決まってしまったことなのに。

 なにをわかれというのだろうか。


 自分の立場だろうか。責任だろうか。世情だろうか。


 本来なら、自分から身を引きわずらわせるなとでも……いや、これは被害妄想か。

 たまにこうして自分の管理下を離れた黒が暴れてしまう。


 いっそ誰か私の中で暴れる黒を殺してくれないだろうか。


 溜息を噛み殺し、理解を示す表情で口を開いた。


「かしこまりました。では、殿下はミュリア王女様とご婚約されるのでしょうか」

「あ、あぁ……さすがにすぐ再婚約とはならないよ。1年後になる予定だ」


「そうですか」


 重い空気がのしかかる。

 責めるような口調にはなっていなかったはずだ。これはただの確認だ。

 不自然では無かっただろうか。私は一応、当事者なのに“何も知らされていない”のだ。これぐらいは聞いてもかまわないだろう。


 私の耳にはたくさんの噂は届いていたが、実際にどうなのかは確認していなかった。

 それはリュヒテ殿下からの手紙や心配するなという言葉を待っていたからだとかもあるが、本当のところ私は怖かったのだ。


 実際にリュヒテ殿下を見てしまえば、心がどこにあるのかわかってしまいそうで。


 だから、今日、この場に立って。もう終わりなのだと理解した。


 私は黒を抑えた。黒にのまれてはならないのだ。最後まで。

 もう終わりだからこそ、リュヒテ殿下には無様な私を見られたくなかった。


「マリエッテさん」


 この重い空気を破ったのは、ミュリア王女だった。

 王女はずいっと近づき、私の手を握った。


「マリエッテさん。ごめんなさい!私がリュヒテを好きになってしまったから!」

「ミュリア、今は」

「でも、マリエッテさんが可哀想で!」


 ホロホロと花弁のように流れ落ちる涙が、王女の美しい瞳に光を与えていた。


「過分なお言葉です」

「では、私とリュヒテのことを許してくださるの……?」


 まただ。

 許す、だなんて。私の中の黒が吠えた。


 それを押し込み、王女の手をそっと外し一歩下がる。


「許すも何も、わたくしは決める立場にございません」


 ひきつりそうな頬を持ち上げた。


「まぁ……」

「ミュリア、もういいだろう」


「そう、そうよねっ!二人は政略だったんだものね。よかったわ。私、マリエッテさんからリュヒテを奪ってしまったんじゃないかって苦しかったの」


 ふふふ、と明るい声が浮き出ていた。


 視線が、刺さる。

 刺さった棘が抜けない。




「────まさか。お慕いしておりました」


 棘で割れてしまった部分から、じわじわと黒が漏れ出て行く。


 やめて。もうこれ以上、苦しくなりたくない。

 今更何を言っても結末は変わらない。


 それなのに、黒が私の舵を奪っていく。


「幼き頃から顔を合わせ、名を呼び合い、共に過ごした時間……。わたくしは幸せでした。あなた様の隣に立って恥じぬよう、あなた様の力になれるよう、あなた様との未来を信じ、見続けてきました」


 私の仮面は、仮面だけは、壊れていないだろうか。

 “王族の妃に相応しい微笑み”は、まだ作れているだろうか。


 ひたりと、リュヒテ殿下を見た。


「最初は政略だったかもしれませんが、共に過ごした日々に嘘はないと信じておりました」


 静かに伏せられていた陛下や王妃様の視線。

 痛ましいものを見ていられないと逸らされていた視線が、徐々に注がれていく。


「そして、あなた様からの。わたくしへの気持ちも嘘ではなかったと、想い出だけはそのままいただきます」


 私は婚約者であったリュヒテ殿下を見つめ続けた。目に焼き付けるように。


 もうこんなに重く、激情に駆られた目で見ることはやめるから。視線を逸らさないで欲しい。最後に絡む視線がこれだというのはあまりにも寂しいけれど。


 自分の気持ちを断ち切るように、今度は私から目を閉じた。


「あなた様とわたくしの未来は重なることは無くなりましたが、これからもずっと変わりなく。あなた様と、あなた様の大切な方の」


 ゆっくりと、頭を垂れる。


「幸せを、心よりお祈り申し上げます」


 顔を見られたくなかった。

 もう何も見たくなかった。


「この度は、おめでとうございます」


 愛しているあなたを嫌いになりたくなかったから。




「えぇ、そう……」

「……っ、あの、マリエッテ」


 頭上から殿下と王女様の声が同時に聞こえてくる。

 近づかれるような気配を感じ、身を低くしたまま後ろに下がる。


「わたくしのことを哀れと少しでも思うなら、もうここで御前を失礼させてくださいませ」


 一歩、近づけば。

 私も下がった。


「どうか」


 繰り返し、もうやめてほしいと訴えた。


 限界だった。漏れ出てしまった黒にのまれてしまいそうだった。

 泣いてわめいて、手を振り上げて、幸せになんてしてやるものかと呪詛を吐いてしまいたいと暴れる黒をおさえるのに必死だった。


 そんなことをさせるなんてひどいと、とにかく責めてしまいそうだった。


 誰よりも愛している人を嫌いにさせないでほしい。

 思い出を汚さないでほしい。

 最後に、それだけでいいのだ。

 

 それだけでも願ってはいけないのだろうか。


「……あぁ、下がってよい」


 それが通じたのか、国王陛下の芯に響くような声が静かに落とされた。


「父上、少し待ってください」


 リュヒテ殿下の焦ったような声に被せるように、カンッと国王陛下の杖が床に打ち付けられ、静寂が訪れる。


「……マリエッテやダリバン公の忠義、忘れることは無い。また改めて場を設けよう」


 そのまま私は王宮から逃げた。

 あの部屋から、自分の責任から、自分の中に巣食う黒から、逃げることを選んだ。


 ────【恋心を忘れる】という魔女の秘薬を飲んで。



*************************************



 目を開ける。


 朝だった。

 とても気持ちの良い朝だ。空気が澄んでいて、気持ちがいい。


 ぼんやりとしていた意識がだんだんと輪郭をとらえると、喉に残る不快感がわかった。

 そういえば昨日の薬はとんでもなく不味かった。毒物なんじゃないかと一瞬思ったが、そのまま死んでもかまわないとすら思っていたのだ。


 しかし、どうやら毒ではないみたいだ。


 だって、とても清々しく、普通の気分だったからだ。

 妙に元気だとか多幸感があるわけでもない。悲しくもないし、怒りもない。何も無かった。


 自分の中が空っぽで、目に映る景色をただそのまま見るだけ。色も温度も、そのまま自分の中に染み込んでいく感覚だ。今はただ、朝の空気が気持ちよかった。



 昨日のことは覚えている。とんだ“災難”だった。

 嫉妬か何か知らないが、頭がおかしくなっていたに違いない。

 魔女だとかいう怪しい存在に薬をねだり、それを口にするなんてとんでもないことだ。


「恋心って人を変えるのね」


 毎日つけている日記に目を通し、記憶に穴があるか確認したが全くない。

 変な恋愛小説でも読んでいるかのような酔った文章が気色悪いが、恋に頭を乗っ取られた乙女はそういうことをしがちなのだろう。


 朝食の席について両親と会話したが、婚約は白紙となったが家のことは気にするな、気を落とすなと気を遣われた。皆が妙に優しく、気色が悪かった。


 今まで家族とは王太子妃教育の一環で距離を置いた関係で過ごしていたと思っていたが、改めて見ると家族は家族なりに私を大切に思っていてくれたようだ。


 気色悪いが、なんだかむずがゆく感じて殊勝な態度でやり過ごした。もう少しだけ甘えても罰は当たらないだろう。


 ────そんな、いつもとは違う穏やかな朝だったのだ。あの顔を見るまでは。


「マリエッテ!」

「まぁ。殿下、おはようございます」


 学園の門を潜り、講堂へ行くところだった。

 新入生の人波が左右に割れる。


 そこから私の方へ歩いて来たのは、昨日ぶりのリュヒテ殿下だった。


 驚いたものの、名前を呼ばれてしまったら立ち止まらないわけにはいかない。


「よかった、無事に来てくれて……」

「ふふふ。初日ですもの、休むはずがございません」


 口に軽く手を当てて驚く。今の自分は“仮面”をつけていないからだ。

 そういえば、もう私は王族の婚約者ではないのだから必要以上のマナーや言動を求められることはない。順応が早くて自分でも驚いてしまう。


「マリエッテ……まだこうして話が出来るなんて、嬉しいよ」


 リュヒテ殿下はまるで恋愛小説の主人公かのような空気を出している。

 なんだか『言いたいことも言えない私たち』みたいな雰囲気を演出されているようで、居心地が悪い。


 もうその件は昨日で終わったと思ったんだが……。


「こちらこそ、楽しいお時間をありがとうございます。どうか、わたくしのことは“ダリバン”と家名で……」

「そんな、私たちの仲だろう」


 そんなもどんなも何も無いのだが。

 強制的に恋愛小説の雰囲気に巻き込むのはやめてほしい。


「……殿下、わたくしたちは昨日で立場を別ちました。これからは一家臣として、殿下を支える所存でございます」

「マリエッテ、いいんだ。昨日、君の気持ちを知れて思うことがあって、それで」


 婚約者で無くなった今、私はこれから新しい道を歩かなければならない。

 もちろん、殿下とは無関係な新しい道だ。


 ふむ。悪くない。

 昨日までは今まで歩いてきた道から逸れることが、とても悔しく悲しかった。しかし今は少しワクワクしていた。


 私は昨日まで殿下との未来のことを、1つしか無いかけがえのない道だと思い込んでいた。

 自分にはその道しかなく、これを失えば自分の存在意義すら危いとすら思い込んでいた。それ以外はどうすればよいのかわからず恐れてもいた。


 でもどうだろうか。

 私から婚約者は去っていったが、家族や友人や今までの積み上げていった努力は残っている。それがあれば、また何かしら出来るだろうと不思議と思えている。


 ────私の目はもう違う未来に向いてしまった。


「……殿下」


 まだ昨日のことを話したそうにしている元婚約者の顔を見る。

 確かに昨日までは輝いていたはずの婚約者は、今日はなんだか少し普通の青年に見えた。


「過去のことはもう過去です。やり直すことは出来ませんし、誰も望んではいません。これからの未来を、大切にしましょう」

「だが……」


 まだ過去に引きずり込もうと、留めようとする殿下の手をするりと躱し、心からの笑顔を向ける。


「通り過ぎた日々は懐かしく輝かしく感じるかもしれませんが、過去だからこそそう思うのです。自分に居心地の良い過去より、これからの未来を進みましょう」


 では、と半身を翻す。

 殿下は縫い付けられたかのように動かない。


「新入生へ過分なお気遣いをありがとう存じます。では、また後ほど講堂で。殿下のスピーチを楽しみにしております。遅れるわけにはいきませんので、ここでわたくしは失礼させていただきますね」


 返事を少し待ったが、何もないので軽く頭を下げてからその場を後にした。

 昨日は逃げるような気持ちでいたが、なんてことはない。


 私は先に未来へ進んでいるのだ。




こちらの短編の続き【魔女の秘薬一新しい婚約者のためにもう一度「恋をしろ」と、あなたは言う一】の投稿をはじめました。もしよろしければそちらもお付き合いください。

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― 新着の感想 ―
なんか終わりが^^;中途半端感が(^^;;
[気になる点] うーんモヤモヤエンド その後どうなるのか気になります
[良い点] マリエッテが心からすっきり出来たようでよかったです! [気になる点] 浮気しておきながら愛していたと過去の事実を突きつけられてまたすぐ心変わりしている男がどうなるか、ちょっと気になります、…
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