16.打ち解けていって
「そういえばフロー、もう話したの?」
「うっ……ま、だだけど……別にいいでしょうそれは」
セーマの噂が収まって五日ほど経った頃、リュミエのカウンセリング後の待ち合わせた場所も兼ねて中庭に集まるのが定番になった頃……淡々とした口調でリオンがフローレンスに投げかける。
セーマとリュミエには何の話かわからず顔を見合わせた。
「なんだ?」
「何か話したい事あるのフロー?」
「僕達がリュミエさんに近付いた理由だよ」
「何であなたが答えるのよ!」
リュミエの問いに勝手に答えたリオンの長い耳をフローレンスが引っ張る。
セーマはふとフローレンスとの会話を思い出した。
「そういえば、打算があるって言ってたな。俺に近付いたのもリュミエへの印象を良くしたいからって」
「あなたも何でリュミエの前で言うのよ! 耳を出しなさい!」
「私……?」
ささっと耳を隠すセーマの隣でリュミエは不思議そうに自分を指差した。
フローレンスはそんなリュミエを見て観念したようにため息をつく。
「……リオン」
「ああ、『穏やかな霧』」
リオンが杖を掲げて魔術を唱えると、四人の周囲が白んでいく。
水属性の魔術のようで、霧を出しているらしい。霧の先はうっすらとしか見えない。
そんな魔術の霧が四人を包むと、フローレンスは突然制服の上を脱ぎ始めた。
「ひゃあ!?」
「うお」
リュミエは咄嗟にセーマの目を両手で覆って目隠しする。
自分の手で耳を隠し、リュミエの手で目を隠されてとあまりに愉快な格好の男子生徒がここに生まれた。
フローレンスが上着を脱ぎ、肩を露出させると頬を赤くしていたリュミエの表情が変わる。
「え……」
「これが、私達がリュミエに近付こうとしていた理由よ」
フローレンスが上着を脱いで背中を露出させると、フローレンスの背中には石のようなものが埋め込まれていた。
いや埋め込まれたというよりも肌が変化して自然と生えたかのような。
リュミエの困惑した表情を見て、リオンは杖を掲げたまま口を開く。
「これは呪いだよ」
「呪い……?」
「ああ、僕は見ての通り半森人で父は人間なんだけど……母方の祖父が生粋の森人族でね……。一度フローと一緒に会いに行った時にフローに呪いをかけたんだ。人間の血と混じっている僕への嫌がらせだね」
「ひ、ひどい……」
「リュミエ、セーマにも見せていいわ。私も彼の事調べた事あるからお互い様よ」
フローレンスに言われてリュミエはセーマの目から手を離す。
セーマはフローレンスの背中の一部が石になっているのを見ても驚く事は無かったが、興味深そうに眺め始めた。
「竜族の『竜の息吹』は浄化の力があるでしょう? だからこれをリュミエ様に浄化して貰えないかと思って近付こうとしていたのよ……こんな呪いをかけられてるってばれたらランスター家の弱みになってしまうわ。すぐにでも解きたいのだけれど、正式に魔術師に依頼したらそこから漏れてしまう可能性もあったから」
「それに森人族の"神秘"だからね……生半可な魔術師では解除できない。大金を払った上に弱みを握られてるなんて賭けにも程があるからフローは今まで誰にも頼めなかった。そんな時にこの学院に入ったら……同級生に竜族がいるって聞いてすぐに調べたんだ」
「あ……」
調べたと聞いてリュミエは申し訳なさそうに顔を伏せる。
調べた結果、フローレンスとリオンがリュミエの何を聞いたのかわかってしまう……リュミエが『竜の息吹』を使えない竜族の落ちこぼれという噂をまず最初に聞いたに違いない。
「期待に添えなくてごめんなさい……」
「リュミエが謝る必要なんて無いわ。いくらランスター家が私の代で勢いを伸ばしているとはいえ伯爵家……竜族の伝手なんてあるわけないし、作れるわけもないって所にあなたがいてくれたんだもの。希望が見えたみたいで本当に嬉しかったのよ」
そう言ってフローレンスは上着を着る。
フローレンスが髪を整えたのを見て、リオンは周りに出来ていた霧を解除した。
「どうかしら? もしあなたに『竜の息吹』が使えたら何とかなる……?」
フローレンスがそう聞くと、リュミエは小さく首を横に振る。
「私は未熟だから……使えたとしても、フローごと燃やしちゃうと思う……。『竜の息吹』は確かに呪いを浄化できる光属性だけど、本質は竜族の魔力を使った攻撃だから……」
「薄々そうなんじゃないかって思っていたけれど、やっぱりそうよね……呪いを何とかできても丸焦げになるのは勘弁だわ」
冗談っぽくフローレンスは笑い飛ばす。
リュミエに責任を感じさせないようにしているのは目に見えてわかった。
「あなた達は心配ないだろうけど、この事は他言無用よ」
「あ、で、でもお母様ならもしかしたら……」
「嬉しいけど駄目よ」
「僕達は気にしていないけど、竜族と森人族ってあんまり仲良くないからね……森人族が人間に呪いを、なんて知られたらそれを理由にさらに溝を作ってしまう可能性もあるから内緒にしてくれないか」
「……わかった」
リュミエは力になれないのが不甲斐無いのか目に見えて落ち込んでいる。
自分が『竜の息吹』を使えれば、母親のように優秀であれば……そんな事を考えているのが手に取るようにわかるようだ。
「こっちの都合なんだからあんまり気にしないでリュミエ」
「うん、ごめんねフロー……」
「だからあなたのせいじゃないってば……どう考えても悪いのはリオンの御爺様だから」
「うん、もうそこは仰る通りすぎて僕も何も言えないというか……」
涙目のリュミエをフローレンスが慰める中、リオンは先程から黙っているセーマが少し気になったのか声を掛ける。
「セーマも悪かったね、こんな話をしてしまって」
「ん? いや別に。肉体を変える魔術は珍しくないし、見慣れてる」
「あなた……私が悩んでいるっていうのに……」
「だから思い悩む必要はないって言ってるんだ。この学院は魔術を学ぶには一番の場所だろ? 森人族の"神秘"だから強力ではあるんだろうが、珍しくない呪いなのも確かだから腕を上げて自分で解いてやればいい。そのじいさんにできる一番の仕返しだろ?」
セーマが言うとフローレンスは虚を突かれたかのように目をぱちぱちさせて、にやりと笑う。
「なるほど……確かに私好みだわ」
「そういうのにやる気出すタイプだろフローレンスは」
「わかっているじゃない。私は――」
次の瞬間、フローレンスの表情が少し険しくなる。視線はセーマではなく、その後ろのほうを向いていた。
背後に何かあるのかとセーマも振り返ると、そこにはおずおずとこちらに歩いてこようとしている茶色のショートカットの女子生徒……アニーがいた。
「どうしたアニー、何か用か?」
「あ、あの……」
「噂のことなら気にしなくていいぞ、アニーからすれば俺がいるのはおかしいから疑問に思うのもわかる」
リュミエは心配そうにセーマを見上げる。
アニーが噂の発端だというのは上位クラスでは周知の事だ。だがそれを理由に排斥されてはいない。アニーもまた何も知らなかったのだとセーマもわかっているからだ。
あれは仕方のない事だった。そう納得してはいるが……それでも村での事を思い出に美化は出来ない。
誰かが声を上げてくれたら。
誰かが信じていてくれたら。
連れていかれる時にそう願って、そう願う事すら出来ない場所に連れていかれた。
それ以前の出来事はもう擦り切れてしまっている。
「ただ……俺は村にいた時の事をほとんど覚えていない。覚えているのは連れていかれる時の事だけだ。だから、昔話だけはできない」
「……っ」
セーマがそう言うとアニーはショックを受けたように目を見開いたかと思うと、何かをこらえるように振り返って走り去っていく。
「いいの?」
「ああ、本当に覚えていないし……思い出せても俺にとっては辛い出来事だったから」
そう言って、セーマはアニーの背中を見ながら少し寂しそうに呟く。
「だから、同級生として接してくれるならと思ったんだが……あの様子だと違うみたいな」
それを聞いて他の三人は驚いたように固まって、フローレンスは呆れるように大きなため息をついた。
「はあ……? あなたね……って思ったけどあなた初対面で攻撃した私達の事も説明したらあっさり受け入れてたわね」
「森でも言っただろう。お人好しなんだよセーマは」
「セーマくんは私が『竜の息吹』を使えないって悩みにも本気で悩んでくれたもんね」
「なんだよ三人して……言っておくけどおだてても何もしないからな」
そんな事を話しながら四人は中庭で雑談に興じ、日が落ちかける時間になるとそれぞれ寮に帰っていった。
こうして……セーマの師が求めた学院生活そのもののような日々をセーマは送り始める。
そこにある当たり前の日々。同年代の友人達との日常。
かつて理不尽に奪われた少年らしい時間をただ過ごすだけでいい。
――数日後、アニーともう一人、二名の生徒が行方不明になりさえしなければ。