12.冷ややかアウェイ
「よく平気で……」
「由緒正しいこの学院に薄汚いネズミが紛れ込んでるみたいだな……」
「恥ずかしくないのかしら」
「上位クラスに入れたのもどんな手を使ったのやら」
セーマが教室までの廊下を歩いているとそんな声が耳に届く。
アニーの話をきっかけに噂はあっという間に一年生全体に広まってしまったようだった。
今回の実習で上位クラスに入れなかった者の中には当然貴族もいる。そんな妬み嫉みが噂と一緒に爆発し、セーマに向けられているようでもあった。
わざと足を引っ掛けるように突き出された足をひょいと飛び越えながらセーマは難しい表情で教室へと向かう。
(まずい……噂がエスカレートして退学になんてなったら調査が続けられなくなる……)
しかしそんな声はセーマにとってはそよ風にもならない。
彼が心配しているのは学院側が体裁を気にしての退学処分……セーマは平民であるため表立った後ろ盾など存在しない。よって切り捨てるのに何の躊躇もいらない。
事実はどうであれこんな面倒な噂を抱えた生徒はとっとと追い出したほうが効率的なのは間違いない。
学院を退学させられたら当然生徒失踪について調べるなんて事はできなくなる。
師から与えられた仕事をこなすため、意地でもここに齧りつきたいというのがセーマの意思だった。
……もっとも、師にとっては生徒失踪についてなどただの建前なのでそんな事は望んでいない。師の心弟子知らずとでもいうべきか。
「おはようセーマくん」
「リュミエ」
自分自身ではどうする事もできない問題について頭を悩ませていると後ろからぽんと肩を叩かれて振り向く。
周囲は冷たい目でセーマを見ているが、リュミエは昨日までと変わらなかった。
「リュミエ、一緒にいると面倒な事になるかもしれないぞ?」
「そんな事より私は怒ってるよ」
「え?」
「昨日、一緒に町を回るって約束してたのに……待ってたんだよ?」
「あ……いや、昨日は勘弁してくれ……。それにそれどころじゃなかったからさ」
「じゃあいつか埋め合わせしてね?」
周りの声を気にする事無く笑顔を向けてくるリュミエにセーマも気が抜ける。
心無い言葉を浴びながら二人で教室に入ると、教室の空気が変わる。広い教室ながら、明確に視線がセーマに集まっている。
その中にはこの状況の発端とも言えるアニーもいて……だがアニーは何かに怯えているようだった。恐らくはこの状況を作り出した事でセーマに恨まれていると思っているのかもしれない。
「リュミエ、俺と一緒にいると周りの声が気になるだろ」
「昨日私が全く同じ質問したよ? セーマくんなんて答えた?」
「うぐ……」
「今日は私の勝ちだね」
「何の勝負だよ……」
呆れながらも言い返せる言葉がない。
セーマにとってリュミエが変わらずいてくれたのは頼もしくはあるが、状況が一変するわけではない。
噂について何かしら考えなければいけないが、噂について否定する以外に何も思いつかなかった。だが、ただ否定した所で意味がないのはセーマでもわかる。
「否定するにもちょっと複雑なんだよなぁ……」
「噂の事?」
「ああ……どうしたもんか……」
このまま注目され続けては下手に動けない。調査も必然やりにくくなる。
周囲の話に耳を傾けるが、外よりは陰口が少ないのが意外といえば意外か。もっと直接的な嫌がらせでも行われるかと思えば、セーマを非難するような話やこちらを見て馬鹿にしたように笑う者がいるくらいなものだった。
「一度砂漠に行った時に見たサボテンってあるじゃない? あれって元々葉っぱだったらしいわよ……! どうなったらああなるのかしら……?」
「フロー、それを聞いて僕はどう反応すればいいの?」
こんなどうでもいい会話をしている連中もいたりする。
セーマが何とか調査を継続できる環境に戻せないかと頭を悩ませていると、鐘が鳴るのと同時に上位クラスの担任であるレイリーナが教室に入ってきた。
昨日と同じく時間に正確で、ダークブロンドの長髪を揺らしながら教壇に立った。
「おはよう諸君。上位クラスとなってから初めての授業だが昨日伝えた通り座学は大して変わりない。気楽に授業に臨むといい、気を楽にし過ぎて内容が抜けてはいかんがな」
レイリーナが言いながら資料を取り出すと、
「気楽になんて出来ませんよ。上位クラスに相応しくない奴が紛れていますから。集中している間に問題でも起きたらと気が気ではありません」
教室の後方から馬鹿にするような声でそんな事を言う生徒が出てきた。
一部の者はくすくすと笑ってセーマにちらっと視線を向けており、また一部の生徒はくだらないと言わんばかりに無反応、セーマの隣のリュミエはむっと怒りが少し表情に出ている。
セーマは今生徒の間で流れる噂の中心。その生徒はこのくらいの軽口は当然とばかりににやけているが、
「相応しくない? 授業を妨害する君の事か?」
「え……」
レイリーナの反応は冷ややかだった。鋭い目付きがまるで射抜くようにその生徒に向けられる。
「ここにいるのは先日の実習での課題で優秀な成績を収めた者しかいない。ここに相応しくない者はいないはずだが……私の評価が間違っていたとでも言いたいのか?」
「い、いえ……」
「くだらない事を言う余裕がある君はさぞ上位クラスに定着するのが余裕と見える。次の実習を楽しみにしているぞ。
では今日は術式の残存についてを学んでいく。代表的なものは加護や呪詛などの契約型の魔術が挙げられるが……」
レイリーナは発言した生徒を切り捨てるようにして何事も無かったかのように授業を始めた。これくらいの嫌味は挨拶程度に思っていたその生徒からすればいたたまれなくて仕方がないだろう。
セーマにとっても意外なやりとりであり、学院側は今広まっている噂の中心であるセーマを疎んでいると思ったが……まさか庇うような発言までしてくれるとは思わなかった。
これはレイリーナの人柄によるものなのか、それとも……?
(監獄にいた犯罪者だと思われてる俺を庇う意味はなんだ……? 貴族が大勢通うこの学院でそんな噂が立っている奴がいるのはかなり体裁が悪いはず……)
セーマにとってはありがたい事だが、逆にその対応が更にセーマの頭を悩ませる。この様子ならもしかすれば学院側は自分を処分する気は無いのかもしれない。
ほんの少し期待を抱きながら授業は終わる。集中できなかった自覚は当然あった。
「セーマ」
「……! はい?」
授業が終わるとレイリーナが名指しでセーマを呼ぶ。
レイリーナは鐘が鳴ると必要事項だけ伝えてすぐに退出するのがいつもの流れなので珍しい。
「ガイゼル校長から授業が終わったら君を連れてくるようにとの事だ。ついてこい」
「……はい」
――やっぱり退学かも。
セーマは内心で諦めかけながら立ち上がって、心配そうにするリュミエに見送られながらとぼとぼとレイリーナの後ろをついていった。