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シレイ  作者: フクロウ
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つなぐ手

 自販機で買ったアイスコーヒーを飲むと、幾分か気持ちが落ち着く気がした。一息ついたところでペットボトルをバッグに入れると、柊奈乃はぽつぽつと話し始めた。


 柊奈乃と清水は、ドーム近くの病院の待合室で紬希の診断と治療が終わるのを待っていた。無理矢理腕を引っ張ったときに擦り傷や軽い打撲ができたためだ。念のため簡単な検査も行われた。


 柊奈乃は公園や自宅での出来事、そしてドーム会場での事件をかいつまんで話し、原因と考えられる『ともだち』についても自分の考えを思った通りに話した。百聞は一見にしかず。紬希が腕を引っ張られるところを見ていた清水なら、非現実的な話もきっと信じてくれるだろうと思っていた。


 清水はうんうんと、時折相づちを打ちながら話を聞いてくれた。その傍ら、手元のスマホでずっと何かを調べながら。柊奈乃が話し終わったところで清水はスマホの画面を見せた。


「お祓い……?」


 小さな画面には神社の写真とともに赤い字でその文字が躍っている。


「話聞いててさ。いわゆる、その、なに? ……お化けに取り憑かれてるというか」


「う、うん。わかります。そういう話聞いたことありますから」


「でしょ? もしかしたら、紬希ちゃんもそうなんじゃないかなって。ねえ、何か心当たりないの?」


 心当たり、と聞かれて即座に浮かんだものはある。というよりも怪異が起こってからずっと頭をよぎっている記憶がある。だが、これは記憶の底に沈めたもの。簡単に引っ張り出すわけにはいかなかった。海面から上と下では違う世界があるように、深海に広がる世界はグロテスクなもので構成されている。


 だから柊奈乃は当たり障りのないように話をすることにした。


「私が昔いた保育園で事故があって、そのときに柊奈乃と同じ3歳になったばかりの子が亡くなってしまったんです」


 できるだけ遠くを見ようと思った。待合室の奥、玄関を出て駐車場のその奥に複数の針葉樹が立っている。その木を見ていれば、何も思い出さずにすむ。


「『ともだち』と口にしていたから、もしかしたらと思ったんです。同じ3歳で。でも、その子が亡くなったのは5年も前だから、そんなまさかっ……て。だけど」


 両手を握り、また開く。


「手のひらの感触はたしかにあって」


「その子が引っ張ってたの?」


「姿が見えないから本当にそうかはわからないです。だけど、紬希に取り憑くとしたらそれくらいかなって」


「じゃあさ」


 清水がまたスマホの画面を見せてくる。


「ここに行ってみたら? 今、いろいろ調べてたんだけど、この神社がお祓いで有名なところみたい」


 柊奈乃は、スマホを見つめた。画面には大きく『二坂神社』と書かれていた。



 神社を紹介してもらったところで紬希の治療が終わり、柊奈乃は清水に丁寧にお礼を述べて車へと向かった。(かたわ)らにいる紬希の手をしっかりと握ったまま。


 車に戻るとすぐにチャイルドシートをつけて、自分もシートベルトを装着する。今は何者かに引っ張られるのが最も恐ろしかった。こうして動かしようのない状態にしておけば、ひとまずは安心できる。


 どっと疲れが出た。今日何度目かわからない長いため息が漏れて車内を重い空気が包む。紬希はそんな母の顔をじっと眺めていた。


「どうしたの?」


 視線に気がついた柊奈乃は紬希の目を見つめて力なく微笑んだ。


「ママは、つむぎをたたいたりしないもんね」


「叩く? え、どういうこと?」


 急に突拍子もないことを言われてうろたえてしまう。暗がりの中で瞬く瞳が、不安そうな色をしていた。


「ビョーインのせんせいが、なんかいもきいたから」


(何回も? なんで、そんなことーー)


 理由に気がつくと頭がカッと熱くなった。同時に胸の辺りに重たいものがのしかかる。怒りと悲しみが同時に押し寄せてきた。


(疑われたんだ。虐待を)


 紬希の首には締められたネクタイの跡ができてしまった。ドームでのケガも直接的には柊奈乃が腕を引っ張ったから起こったこと。一連の怪異にそれが関わっているなんて思わなければ、疑われるのは母親である柊奈乃自身だった。


 でも、普通はそう思うのだろう。子どもを見る医師として当然の冷静な対応なのだろう。


 胸の辺りをぐるぐると巡る感情を無理矢理呑み込むと、柊奈乃は笑顔で質問した。


「そっか。紬希は、『ともだち』の話、先生にした?」


「うん。したけど、なんもいってくれなかった」


「そうだよね」


 やっぱり信じてくれるわけがない。不可解なことよりまずは現実的な解釈をするのが普通だ。柊奈乃自身も最初は信じていなかったことを思い出して、妙に納得してしまう。


 だからこそ強く思った。紬希を守れるのは自分しかいないということを。


「紬希」


 柊奈乃は少しでも紬希の不安が消えるようにといつものように優しい笑顔を浮かべる。


「ママがついてるからね。大丈夫。ずっと一緒だから」


 二人は笑顔でうなずき合い、柊奈乃は車のエンジンをかけた。暗闇の中に白い半円の明かりがついて、車が徐々にスピードを上げて動き出した。


 夜の中を照らすその光が、柊奈乃には一筋の希望の光に見えた。



 家に着くと、圭斗が玄関先で待っていた。今日の出来事を話そうとする前に、開口一番放たれた言葉は、「なんだ、遅いな。ご飯はどうするんだ?」だった。


「それより今日紬希がーー」


「話は後にしよう。紬希もきっとお腹空いてるだろ」


「そうじゃなくて、大事な話なの」


 圭斗は大きく息を吐くと、前髪を掻きながらリビングへと戻っていく。


「ちょ、ちょっと!」


「話はご飯用意しながらでもできるだろ? ごめん、俺すごいお腹空いててさ、頭回んないの」


 そう言って、圭斗はネクタイを緩めながらさっさとリビングへと消えてしまった。柊奈乃は仕方なく紬希を先に家に上げて、今日の即売会で残った商品や飾り付けなどを詰め込んだ大量の袋を持って中へと進んでいく。


(だいたいそんなにお腹空いてるならカレー温めてご飯も炊いて食べたらよかったんじゃない? 私が即売会だって知ってるんだからさ)


 柊奈乃はわざと大きな音を立てながらリビングへと進み、手早く準備をして夕食の支度を始めた。


「ーーそれで……ねぇ、本当に聞いてる?」


 キッチンでカレー入りの鍋を温めながら、柊奈乃は短く紬希の身に降り掛かっている怪異について話していた。しかし、圭斗は紬希がつけたユーチューブを一緒に見ていて柊奈乃が話している最中、一度も顔を向けることがなかった。


「ねぇ!」


 持っているお玉を投げつけたくなる。危機感の共有が全くできないことに、苛立ちとともにもどかしさも感じていた。


「聞いてるよ。大丈夫だって。幽霊とかお化けって、そんなのいるわけないだろ」


 圭斗はヘラヘラと頼りない笑みを見せる。


「俺、調べたんだ。空想の友達について。イマジナリーフレンドって言うんだってな。子どもには本当に実在する友達みたいにリアルに感じるらしい。そういうのあるらしいよ。なあ、紬希」


 圭斗は紬希の頭を撫でてビール缶へ手を伸ばした。


「お酒はやめて」


「なんで? 話は終わりだろ?」


「終わってないよ! 今の話聞いて不安にならないの? 紬希が心配にならないの? 私、病院の先生に疑われたんだよ! 虐待って!!」


 紬希が柊奈乃の方を見た。


「ママ、おこってるの?」


「そうだ! ママはすぐ怒るからな~ほら、紬希がびっくりしてるって」


 唇に痛みが走った。気づかない間に唇を噛み締めていたらしい。


(誰のせいだと思ってるの? あんたのせいじゃない!)


「まあ、仮にそういうのがあったとしてもさ、柊奈乃はいつも一緒にいるんだから大丈夫だろ。今度はちゃんと目を離さいでおけばいいんだから。紬希もママから離れたらダメだぞ~空想のともだちにてをつれてかれないようにしないとな」


 冗談めかした言い方に言葉が出なくなった。何も言う言葉が見つからずに視界が涙で滲む。


 テレビから流れる音が一際大きくなった気がした。柊奈乃は口に手を当てて、声を殺しながら涙が溢れるのを堪えた。ぐるぐるとお玉を回しながら。



 食事を終えて後片付けを終えたあと、柊奈乃は「疲れたから先に寝る」と嘘をついて紬希と一緒に布団へと潜り込んだ。嘘、とも言い切れない。実際に昨夜から一睡もしていないしいろんなことがあって頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 昨日、あんなことがあった寝室で寝るのは正直怖かったが、紬希と手をつないでいれば安心だと思えた。それにもう、父親に頼ることはできないとも思っていた。そして、何よりももう考えることを放棄したいくらい疲れ切っていた。


 布団に入って「おやすみ」を言ったあと、すぐに紬希は目を閉じてかわいい寝息を立てながら眠りについてしまった。


 柊奈乃はそんな紬希の頬を軽くつまむ。柔らかくて温かい。そう思いながら、おそろしく早いスピードで深い眠りの底へと落ちていった。

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