ともだち
しかし、柊奈乃の予感は的中した。お客さんがまるで来ない。立ち止まって、いや通りすがりにちらりとブースを見てくれるだけならまだしも、そもそもお客さんがブースに全くやって来なかった。
「ママーぜんぜん、ひとこないよ」
「本当だね……みんな入口の辺りで止まってる……」
お目当てのものがあるのか人気店なのか、とにかく奥まで人が入ってこない。様子を見ていれば、品物を受け取ってそのまま他のブースは一瞥もせずに帰る人たちもちらほらといた。
「これは、運が悪かったね。会場の運営側があえてそうしたのかもしれないけどさ。入口付近の前列、みんな個人のネットショップを持ってる有名な人たちだよ。フォロワーも多いしさ、きっとここでしか買えない限定商品とか出してお客さん呼んでるんじゃない?」
「じゃあ、そのお店のブースだけに来てるってことですか? せっかくここまで足を運んでるのに?」
清水は腕を組んで大きくうなずいた。お手製のクローバーをイメージしたシンプルなイヤリングがちょうど照明に当たってキラキラと揺れめく。
「そういうこと。ハンドメイドってさ、いっぱいあるじゃない。やっぱりお気に入りのお店を見つけちゃえばもうずっとそこでいいか、みたいな感じになる人も多いと思うんだよね~。ハンドメイドが好きだからいろんなお店を見て回りたいっていう人もいると思うけどさ。あそこまで強いブースが並んじゃったら、もう満足しちゃうお客さんも多いかも」
「そんな……」
柊奈乃は、昨夜やっとの思いで完成させたポスターを指で触った。少しでも目立つように、お客さんの目に触れるようにと作ったのに、このままでは誰の目にも止まることなく終わってしまう。
「え〜マリーかわいいよ。だれもかってくれないの?」
「あっ! ううん、まだ大丈夫だよ、紬希ちゃん! まだ始まったばかりだからさ! ほら、ヒナちゃん、すぐに不安そうな顔しないで。自信持っておすすめしないと、お客さんも買いたいと思わないでしょ」
「そうですよね……だけど」
正直、こんなに差があるなんて思わなかった。アプリでも全然売れないのに即売会でも売れない。人気になるチャンスなんて本当にあるのだろうか。
「あった、あった、若葉〜!!」
遠くから声が割り込んできた。見知らぬ若い女性だったが、耳につけているクローバーのピアスを見て、すぐに清水のブースのお客さんだということがわかる。
「おー来てくれてありがとう!」
励ましてくれていた清水も「ごめんね」と耳元で言うと、女性客を自分のブースに案内しておしゃべりを始めてしまった。柊奈乃は、まとめた後ろ髪を撫でながら自分のブースへと戻ると、大量に並べた商品を見て紬希に聞こえないよう小さく息を吐いた。
それからも柊奈乃のブースに客らしき人は現れなかった。清水が何人か自分のところへ来た客を紹介してくれたが、求めているものが違うのか陳列している商品を少し眺めて、申し訳程度に柊奈乃と二言三言交わしただけですぐに他のブースへ行ってしまう。昨日、SNSで応援メッセージを送ってくれていた人も、今のところ来てくれる気配はなかった。
清水の言う通り、時間が経って会場中を回るお客さんも増えてきて、それぞれのブースが賑やかになり、会場全体は活気が溢れていた。どこを見渡しても楽しそうにお客さんと談笑しているハンドメイド作家たちの姿を見て、柊奈乃の口からはまたため息が漏れ出た。
(このままじゃ、本当にムダに終わっちゃう……)
売り上げがなく終わるだけならまだいい。問題は家に帰って圭斗にどう伝えるかということだった。ただでさえ、ハンドメイドは仕事ではないと思っている圭斗に、出店費も回収できずに赤字で終わってしまったと伝えれば、それこそ「もう、辞めたら?」と言われてしまう。そして、仕事に出て早く紬希を保育園に、と。
(ーーそれだけは絶対に嫌!)
しかし現実は思い通りにはいかず、お客さんが来る気配はない。
「ねぇ、ママ? なにかあそんで!」
紬希は退屈していた。無理もない。お店番と言ったものの、やることがまるでないのであれば退屈する一方。むしろ、よく我慢してくれている。
「じゃあさ、絵を描こう。マリーの。今度その絵をTシャツにしてあげるね」
トートバッグから、用意していた画用紙とクレヨンを取り出して机の上に置く。紬希は「やった!」と大喜びでイラストを描き始めた。
「かおはくろで、めはきいろで……」
横に並べたTシャツに描かれたマリーで色の確認しながら描いていくのが微笑ましい気分になる。
「ねぇ、ママ? なんでマリーってふとってるの?」
「ああ、それはね。最初はやせてたんだけど、子どもたちがもう少し大きい方がかわいいよって言ってくれて」
「ふーん、みんなママのともだち?」
また友達だ。
「ん……違うよ。ママの昔ーーそう、保育園で働いていたときに見てた子どもたち」
「ふーん、あのね。つむぎのともだちもね、ほいくえんいってたんだって。なんだったっけ、どこか、とおいほいくえんだっていってたけど」
「そ、そっか。あの、絵を描くの集中しないとはみ出ちゃうよ」
慌てて別の話題に持っていく。紬希がクレヨンを持ち替えたところで、ブースの外から声がかけられた。
「すみません、お嬢ちゃんが描いてるの、この猫ちゃんのイラスト?」
話しかけてきたのは、柔和な瞳が印象的な初老の女性だった。柊奈乃の戸惑いをよそに、机の商品に顔を近づけながら物色する。
「すごい。猫ちゃんがいっぱい。この猫ちゃんの名前はなんておっしゃるの?」
「あっ、マリーと言います。あの、目がマリーゴールドのように黄色でーー」
「マリー!? 良い名前ね! 気に入ったわ! どんな商品があるのか教えていただけないかしら」
こんなに興味を持ってくれるなんて猫好きな人なのかな、と柊奈乃は思った。だが、話を聞いていくうちにそうではなくて、孫が猫好きだということがわかった。しかもその子の名前が「マリ」と言うらしい。
「素敵な商品ばっかりね。うちの孫にはまだ大きいかもしれないけれど、子どもって成長が早いじゃない? すぐに着れるようになるから何か買おうかしら。う〜ん、そうね……」
「あの、ゆっくり選んでください。ありがとうございます!」
人は、注目されているものに興味を持つ生き物だ。思わぬ偶然で初めてのお客さんが訪れ、喜びを感じている間もなく今度は別の男性が柊奈乃に声をかけてきた。
「こんにちは! 見せてもらっても?」
「あっ、はい。ぜひどうぞ!」
そして、注目が集まれば集まるほど、人はさらに群がる習性がある。今まで見向きもしなかったお客さんが柊奈乃のブースへと足を向け、あっという間にちょっとした行列ができてしまった。
こうなると急に忙しくなる。柊奈乃は商品を片手に、並んでいるお客さん一人ひとりに説明をして回った。説明だけではない。お客さんの話を聞いたり、その会話の中で相手がどんなニーズを持っているのかを察知して商品を勧めたりしなければならない。
でも、全く売れないのではないかと思っていたから嬉しい忙しさではあった。インターネットを介しては得られなかった生の反響に、柊奈乃は自分の頬が緩んでしまうのを抑えられなかった。マスクがなければにやついた顔をさらけ出していたことだろう。
しかし、喜びはすぐに鎮火された。
紬希のおかげだよ、と言おうとして振り返るもなぜか紬希はそこにいなかった。ザワザワした感情が身体中を支配していく。
(ーーウソ。だって!)
すぐ近くにいたはずなのだ。今の今までブースの椅子に座って絵を描いていたはず。側から離れてはダメと約束もした。
それなのにいない。
「……ごめんなさい」
商品を机に戻すと、急いでブースを出て辺りを見回した。が、どこも人でごった返しており、紬希の姿が見つからない。
「ヒナ! どうしたの!?」
柊奈乃の異変に気がついたのか、清水が柊奈乃の肩を叩いた。
「友達ーー」
「えっ? なに!?」
「紬希がどこにもいない! きっとまた友達に連れてかれたんだ!」
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