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シレイ  作者: フクロウ
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重い後悔

(……交通事故に遭って、ここへ運ばれたんだ)


 病室へと戻ると、柊奈乃はすぐに枕元のライトをつけた。混乱した頭を落ち着かせるためにも今一度状況を整理しようと、余計なものは何一つ置かれていない一人部屋の狭い病室を見回した。


 ベッド横に設置されたキャスター付きの棚には、柊奈乃のトートバッグだけがぽつんと置かれていた。ベッドの下に丁寧にかかとを揃えて置かれていた革靴を履いて、バッグを手に取りまたベッドへ腰掛ける。


 おしぼりにティッシュに紬希の着替えに念のためのおむつーーしっかりと整理して入れたはずなのに事故の衝撃のせいかバッグの中は雑多に詰め込まれていた。その中から目的のスマホを取り出すと画面を開く。いくつもの通知の中から圭斗からのメッセージが目に留まった。


 おそらく、状況を伝えるためのメッセージだろう。そう思って開くも、眩しいほどの明るい画面に映された言葉の羅列に、柊奈乃は目を見開いた。


「このバカ! 車壊して何やってんだよ!」「子連れだってのに恥ずかしい。相手に頭下げたの俺だぞ? 何もしてないのに恥かかせやがって!」「言ったよな? 紬希をちゃんと見てろって。お前、ホント母親失格だわ」


 それだけだった。そこには励ましなどはもちろんのこと、紬希の様子を知らせる内容も自分の体を心配する内容も何も書かれてはいなかった。書かれていたのはただただ暴言の類い。柊奈乃はそっとスマホの画面をオフにすると、か細く長い息を吐いた。乱れていた髪の毛を手ぐしで軽く直すと、その手を口元に持っていく。


 震えていた。微かに震える唇の動きに自身の感情の変化に気がつき、戸惑いながらも柊奈乃は努めて平静を保とうとしていた。真っ暗闇の中で身じろぎもせずに膨大に感じられる時間の流れに身を任せる。やがてベッドのシーツが動くと、再びスマホの画面に明かりがついた。


「本当にごめんなさい。私じゃ頼りないから、紬希をしっかり見ていて。明日、会いに行くから」


 本心とは裏腹の言葉を並べた。本当は言ってやりたいことは山ほどある。聞いてほしかった思いもたくさんある。だいたいあんなに不安を伝えたのに私一人に任せきりにしたのは誰なのか。本当は誰が紬希を守っているのか。ーーだが、今はすべてを呑み込んで紬希の命を守るために行動しなければいけない。


 送ったメッセージに既読はついたが返信は来なかった。それでも釘を差したのだ。いくら鈍感な人だからって何か紬希に異変が起これば動いてくれるだろう。


 柊奈乃は、真っ白な布団を肩まですっぽりと被った。体はとても冷たく熱が出たのではないかと思うほどの寒気がする。


(……明日、紬希の無事を確認する。そして、それからーーそれから?)


 どうしたらいいのだろう、と思った。逃げても逃げても追いかけてくる。理由なんてわからない。理由なんてないのかもしれない。どうしてか紬希を狙ってどんなに離れても憑いてくる。


(あれは、本当にあの子なんだろうか?)


 目が覚める前、あのときの夢を見ていた気がする。あの神社前公園で高い遊具から落ちたときの光景。頭がスイカのように割れて中から真っ赤な血が溢れ出てきた。


 事故以来初めて記憶の奥底にしまっていたその記憶が鮮明に思い出され、柊奈乃は身震いした。真冬でもないのに歯の奥がカチカチとうるさいくらいに当たる。


『ほりせんせー』


 と、呼ぶ声が聞こえた気がした。


 石塚樹。何かあるたびにいつも甘えたような声で話しかけてくれた。何度も何度も。保育士の時代は微笑ましかったはずの幼い声が、今は呪詛のように聞こえてしまう。


 一つ記憶を思い出せば付随する記憶が次々とスポットライトのように浮かび上がる。


 クラスの子どもたちに馴染めなくて遠巻きに眺めている樹に最初に話しかけたのは柊奈乃だった。そのときはまだやせ猫だったマリーのイラストを見せて遊びに誘ったのが樹が心を開いてくれたきっかけになった。


 樹とはマリーの絵をよく描いていた。最初はやせ猫だったマリーはやがて少しぽっちゃりとした樹を反映させるようにでぶ猫になっていき、一緒に絵を描く友達も増えてきた。樹の中ではまだ友達ではなかったのかもしれない。それでもマリーを通して樹は他の子どもたちとも触れ合い、少し遅ればせながらも順調にクラスに馴染めていくはずだった。


 その歩みが成長が糸が切れたようにぷつんと唐突に切れたのだ。あの日、あの場所で。


 血溜まりの中に動けないでいる樹に対して、柊奈乃は駆け寄ることも声を掛けることもできなかった。もしかしたら即死だったのかもしれない。だが、もしかしたら幾ばくかの意識は残っていたのかもしれない。沈みゆく意識の中でまだ3歳になったばかりの幼い命は何をどう感じ、どう思って逝ったのか。


(二坂神社の神主さんは7歳までは神のうちと言っていたけど……もしかしたら)


 柊奈乃の中で最悪な想像が頭をもたげる。


(恨んでいるのかもしれない。手を離してしまった私を。助けられなかった私を。……見ていることしかできなかった私を……)


 だからってどうして紬希を? 紬希を産んだのは保育士をやめた後のこと。あの子は紬希のことなんか知るはずがない。


 そこまで考えを巡らせたところである考えが浮かび、柊奈乃は愕然とした。


「……マスクだ」


 紬希に付けていたマスクはいつもマリーのイラスト入りだった。紬希が喜んで付けていたマリーのマスクのせいで、あの子が紬希に興味を持った?


 そう言えば二坂神社でマリーのマスクを落としたとき、あの子の動きが急に止まった。そのあと駐車場でわざわざマスクを置いて……。


 あの子はマリーのことを覚えている? そして、マリーを通して紬希と私が結び付けられてしまった?


(私のせいだ。何もかも私のせいだ……)


 布団を頭まで被ると、柊奈乃は震える自身の体をきつく抱きしめた。

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