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メンズエステ2  作者: みぃ
6/6

6 お婆ちゃん

小学一年か二年生の時の事だ。

スーパーでみんながお菓子を買う時に、ヒロトくんだけは

「俺今いいわ」と言ってレジのところからフラリとみんなと離れ、先に出口の方へ向かった。

 何故かその時はそれが大人っぽく格好良く聞こえた。

もうすぐ中学生で頭も顔立ちも良いヒロトくんが言うことややる事は仲間内で常に一目置かれていたから、私達は自分達が買うお菓子を急に子供っぽくつまらなく感じた。

それなのに外へ出てブラブラ歩き出し、手に持ったじゃがりこやポッキーやグミをみんなが食べ始めると、ヒロトくんもポケットから次々にグミやチョコレートを出して食べ始めた。

 ハルくんとレンくんは

「いつの間に買ったの?」

「家から持ってきてたの?」と聞いていたが、私には分かった。

ヒロトくんは盗ったんだと。ハルくんとレンくんがスナック菓子のコーナーで喧嘩しながら買うものを選んでいる最中にヒロトくんはどこに行ったのかなぁと隣の棚を探しに行って見かけたのだ。ヒロトくんは淀んだ暗い気配を全身にまとわりつかせてジッと一点を凝視しているところだった。

 歩きながらポイポイ口に入れて食べている今まさに手に持っているグミをその瞬間も手に持っていた。異様な気配を放っていたので、声を掛けられずに後退りしてレンくん達の方へ引き返したのだが、あの後ヒロトくんはきっとポケットに入れていたのだ。そしてレジを通さずに持って来たのだ。


 自分にもそういう事をやった覚えがある。だからよく分かった。

幼稚園や保育園に行く度に何か家に持ち帰って来た。園にある物を。折り紙とかテープとかペンとか、誰の物でもなくて数が沢山あり少しくらい減っても気付かれなさそうな物ばかり。

 先生から注意され、お母さんからも怒られたけれど、なかなか盗癖が治らなかった。

 一番最後に盗った物だけが所有者のハッキリしている人の持ち物だった。

それは大好きな優しい若い女の先生の机の上にあった透き通る薄桃色の石だった。この先生は園児達から一番人気があった。綺麗で優しくて、他の先生達と違って怒ったり大きい声を出したりしないで最後まで子どもの言い分をちゃんと聞こうとしてくれるから。

 この先生の周りには子どもが磁石みたいにくっついて回った。職員室の中にまでくっついて行く園児達がいつもいっぱいいた。


 その日は私もそんな取り巻きの一人だった。

 石は多分ローズクォーツの原石で、持ち主の先生と凄くよく似て品が良く綺麗で心をときめかせた。石は先生の机の上に置いてあった。私には初めて見る珍しい物だった。

 重たいし、大きいし、掌の中に包み込んでは隠し切れないけれど、それでも私はこの先生が凄く素敵な大人の憧れの女性だったので、この人の持ち物だからなおさら羨ましくて欲しくてたまらなかった。ローズクォーツから目が離せないでボーッと見惚れているうちにその先生と取り巻きの友達達はどこかへ行ってしまい、見回すと職員室の中に誰も居なくなっていた。私は手を伸ばした。そしてそっと盗んだ。

 面と向かって頂戴なんて言い出せるわけがない。私にくれるわけがないから。だからだ。

手に持って、そのまま職員室から出た。誰にも気付かれなかった。

 多分教室に行かなければいけない時間なのだ。廊下には誰もいないし、発表会の歌の練習をするピアノの音が外まで流れて来ていた。私は廊下で手に持った石に見惚れていた。するとあの先生とくっつき虫の園児達が三人くらい私を探しに廊下へ出てきた。園児達は意地悪なので私は半分は嫌いだったがそれでも彼女達は必要不可避な私の友達でもあった。

 私がスカートの後ろに何かを隠すのを彼女達は目敏く見ていて、

「今何を隠したの?」

「見せて見せて」と言って覗き込んできた。

私は仕方なく先生には見えないように屈んで隠しながら友達にだけチラッと見せた。

「あっ、綺麗…」

「もっとちゃんと見せてよ」

私は首を振りながら服の中へ隠したけれど、目が合った先生は、ニッコリ微笑んで私の目を見つめ返しながら言った。

「先生にも見えちゃった」

ギョッとして凍りつき私は先生の目から目が離せなくなった。先生も私を見詰めていた。怒らずにニコニコしていた。でも目の奥に何か意味のある強い光が宿っていた。怖いような笑顔でジッと私の目を見て頷いた。


 それ以来私は物を盗らないようになった。怒られても治らなかった盗み癖が(だって盗る以外に手に入れる方法がないんだから仕方がない。ちっぽけなどうでも良い自分が少し盗むくらいこの広い世界にとっては大したことじゃないはずだ…と思っていた)あの大好きな先生の微笑みのおかげで盗むのが怖くなり、もう止めようと思った。


 こんなに綺麗な物なんて見た事ないと思った、盗んでまで手に入れた石だったのに、もう私には重荷だった。持っていたくなくなってしまった。

 今さら職員室に返しに行くこともできない。人が沢山いて、戻すところを見られてしまう。砂場に埋めようか、鞄に入れて持って帰ってからどうするか考えようか、服の中に石を隠し押さえてウロウロ運びながら捨てる場所を探した。そして自由な遊び時間の終わりがけになって薄暗い溝の中に枯れ葉を集めて敷き詰め、そこに寝かせて置いた。

後ずさって少し離れて見ても石は薄暗い溝の中で微かにキラキラ煌めいていた。


 あの先生の笑顔の意味を何度も考えた。

(あなたのやったことは分かってるよ。それはあげる。内緒にしておいてあげる。でもね…)

人が大事にしているかもしれない物を盗むのは小さなどうでも良い悪い事ではなく個人的な深く根の残る悪い事なのかもしれない。みんなはもともと私を普通の人だと信じてくれているのかもしれないのに、盗みがバレたら自分が悪い子なのもバレてしまう。一番気付かれてはいけないのはそこなんだと思った。この心の中にどんな悪魔が潜んでいるか、他人に気付かせてはいけないんだ。

 せっかくあの先生は他の先生達と違って私にも他の園児達と同じように優しくしてくれていたのに、もう前と同じ気持ちで私を見てくれないかもしれないと思った。

(他の先生達は私を〝問題児”と呼び合っていた。私や他の子達にも聞こえる声で。そしてこちらを見る目は他の子達を見る目とは違い冷たく鋭く見下して監視する目だった。初めから何か悪い事をやらかすのを待っていてやったら見逃さずすぐ叱ってやろうと待ち構えているみたいだった。)


 園に入って初めの頃に、みんなが先生達に構って欲しくてペタペタちっちゃい手で先生達の体を叩いて気を引いているのを見た。そんな風に叩いて良いんだと思い、でもこんなに大勢いるんだからみんなと同じようにしていたって誰が誰か分からなくて振り向いてもらえないじゃないかと思って、私は遠くから助走をつけて走って行って後頭部をめがけて飛び蹴りしたのだ。そうすれば一番構ってもらえると思って。

 あずま先生というその先生は座って他の子供たちの相手をしているところだった。

 力加減には程というものがあるなんて知らなかった。家ではもっと強い力が飛び交っていたし、外ではそうではないらしいとまだ学んでいなかった。

 本当に悪い事をしようというつもりではなく、どの子よりも構ってもらいたいと純粋に思って全力で甘えたつもりなのだ。

 でも、あずま先生は首の骨を痛めてしまい、その時は凄まじく滅茶苦茶に叱られ、その後怖がられるようになった。

「あの子は何をしでかすか分からない」

「凶暴な子だ」

「背後を取られてはいけない」

と一気に職員室で噂されるようになり、目を付けられてしまった。

あずま先生は

「あれから首が痛い」

「痛い痛い」とずっと言ってるししょっちゅう首の後ろをさすったり首を回したりしているので

(悪かったなぁ…許して欲しいなぁ)と思って何度かお花を摘んで渡そうとしたり今までで一番まん丸に近い完璧な仕上がりの泥団子を渡そうとしたりした。けれど、目を吊り上げてその都度

「生垣を毟った!またこの子はっ!」

と怒ったり、

「汚い…また中に何入れてきたのやら…ウンコとか虫の死骸とか…?」

と迷惑そうに受けとってくれないし、聞こえるように他の先生達にも悪くとった解釈を広めて回るので、ああもう何をしても無駄だ、私は嫌われたのだ、と分かった。

全く同じ事を他の子ども達がしても、可愛い生き物を見守る温かい目で嬉しそうに世話を焼くのに、こちらに向くと目が反射的に変わるのだ。


 先生も怖いし園のルールも意味が分からず、嫌だった。

特にお昼寝の時間という集団儀式には狂気性さえ覚えた。

 変な時期(夏の終わり頃)から気まぐれなお母さんの思い立ちでフラリと途中入園した私には、それまでのうちにみんなにすでに根付いていた集団行動が全部奇異な宗教儀式めいて見えた。変なところに来てしまったとたじろいだ。

 眠りなど生理的に自然に訪れるものを人工的に一斉に生み出そうという謎の発想、整然と敷き詰められた子供用の布団のあのトラウマを呼び覚ます光景、そして何の疑いもなくそこに入って目を閉じる人形のような洗脳された子ども達、意識を失っている子ども等の顔を覗き込んで歩く先生達…ちゃんと眠っていないと叱られる…クレイジーだ…

それでもあまり問題ばかり起こしていてもいけないなと思い、無理やり目を閉じて我慢して寝ていた。そして窮屈な恐ろしい夢を見た。

 懐中電灯を持って見回る事になった先生達。一人一人横たわる子供達の目蓋を持ち上げ、ちゃんと眠っているか確認して歩く。寝たフリをしていた子はそれに気付かれ、不良品として、巨大な銀色のギザギザな指の多い手に握られ、持ち上げられ、どこかへ運び去られてしまう…そして握り潰されて地面に滴り落ちてくる…


「お昼寝の時間オレも寝ないよ。隣の布団で寝ようよ。今日」

と誘ってきた男の子がいた。

 発表会のバルーンの練習をしにみんなでゾロゾロ薄緑色の廊下を歩いて体育館に向かっている最中の事だ。ひまわり組はみんなひまわりの花の名札に平仮名で名前を書いていたがその子の名前がまだ読めなかった。

「ダメだよ。エッチだからその子」

周りの女の子達が私に耳打ちしてくれたり同じ内容を大声で叫んでその男の子を追い払おうとしてくれたけれど、私は所詮子どもの言うエッチなんて大したことないだろ、大丈夫だ、むしろ子どもがどんな風にエッチすると言うのかと興味を持った。

「じゃあ今日隣に布団を敷くよ」と約束した。

「あーあ知らないよー、」

「せっかく教えてあげたのに」

「エロー」

と周りの女の子達が口々に揶揄ってきた。

 お昼寝の時間になると約束通りその子の隣に布団を敷いて横になった。

「さぁ寝ましょう。」といつものように先生が言った。

「シーッ、みんな静かに…お喋りしなーい」

先生がそばを離れていくと、すぐに隣の子が這って私の布団の中へ潜り込んできて両腕と両脚を巻き付け自分の体を私に押し付けて擦り付け羽交い締めにしてきた。凄い勢いで口をベロベロ舐めてきた。気持ち悪くてイヤイヤと首を振ってもやめてくれない。口の周りや顔や耳や首や喉や色んなところをベロベロ舐めてくる。服の下にベタベタする手を突っ込んできて触りまくるし、パンツまで勝手に脱がせようとする。私はアッという間に泣きそうなほど後悔した。

 どうせ子どものやる事だと甘く考えていたが遥かに予想を超えて、その子のしてくる事は生臭くてベトベトしていて汚くて闇の深さを感じさせた。

私は抱き締め合ったり、背中をさすり合ったりするぐらいの事を想像していたのだ。お母さんとするエッチごっこよりも、この子のやり方はギトギトして押し付けがましい。

 でも、先生を呼んだり誰かに助けを求めるのはダメだ、バレないように何とかやめてもらわなければと思った。自分でも招いた事なのだし、この現場を見られるのは恥ずかしい。

それでも相手の男の子の力が強すぎて一人ではどうにもできないと諦めかけ暑苦しい布団から顔を出し息継ぎするように周りを見回してみたが、やっぱり誰かに言える勇気がなく、大きな蛇に巻き付かれたみたいに声も出せず無言でのたうち回って離れようと格闘した。私が頭をベシベシ叩いたり蹴ったりするとその子は言った。

「大人しくしろ。良い子にして、ジッとして。言うことを聞け…」

まるで誰か大人の真似をしてるみたいな質の違う喋り方だった。この子の事が可哀想な妖怪みたいに思えてきた。怖くてどうしようもなくなり、もう怒られるのを承知で布団から明るいところへ這い出すと、目立つ所に立ち上がった。すると相手は巻き付けていた手足を解いて布団の中から恨めしそうに目を光らせてこっちを見上げてきた。

「何してるの?どうしたの?」と先生がすぐに一人で突っ立っている私のところに近付いてきて、まずオネショを疑い布団をめくった。それから私の視線を辿り、隣の布団に戻って寝たフリをしている男の子を見て、

「この子が何かやったの」と聞いた。

その言い方は私よりその子に非があるともう既に確信している感じだったので、この男の子は隙を見せた子にはすぐに同じ事をする常習犯なのだと気付いた。

 男の子は布団から引っ張り出されて立たされ、みんなからかなり遠く離れた廊下の端まで布団を滑らせて移動させられた。

「ここで寝なさい」と言い付けられていた。

 かなり個性の強い子で、廊下でみんなで歩いている時にも急に女の子にしがみ付いて離れなくなり、先生が二人掛で引き剥がそうとしても腕と脚で必死に巻き付いて大声を上げ死に際みたいな壮絶な愛の告白を叫んだりした。

 彼は次の餌食を見付けるまでのしばらくの間、私を自分の片割れだと思って遠くからでも見付けるとすぐに飛んできてしがみついたり手を繋いだりしてきた。けれど、別の女の子が入園してくるとすぐにその子と仲良しになり私の事が誰だったかも忘れてしまったみたいにこっちには注意を向けて来なくなった。


 私は幼稚園の囲いの一番端と隣の灰色の雑居ビルとの間に挟まったり、生垣に登ろうとして低い木をなぎ倒したり、穴を掘りまくったりして保育所からの脱出口を模索した。

 そしてついに塀や囲いやフェンス伝いにぐるりと内周を一回りしていて、校舎裏の草叢の中へ突き進んでいき、こちらへ噴き出すような草ぼうぼうの中でフェンスに破れたところがあるのを見付けた。砂場用のスコップで穴をぐいぐい広げ、ヒヨコ色の制服をビリビリにして穴の外へ抜け出すと、高い壁とフェンスの隙間の薄暗い狭い鬱蒼と茂る草の中に自分なりの獣道の第一歩を踏み固めて作った。そこから闇雲に一方向へ歩き続け、スコップを振り回して飛び出してくる虫や粘りついてくる蜘蛛の巣と戦い、手が切れるギザギザの鋭い草を蹴って蹴って踏み倒し、もう後戻りもできないので泣きたくなりながら必死になって前へ進んだ。

 突如、光溢れる道路へ出た。小さな溝一つを越えると、車や自転車や人が行き交う自由な世界が広がっていた。


 ブラブラ自由な町を歩いた。いざ伸び伸びと規則も監視も何もない無限の広がりの中へ飛び出すと、逆にどこへでも行け過ぎて、途方に暮れてしまい、どこへ行けば良いのか誰かに聞きたい程だった。圧倒的な自由にクラクラした。

いつもならお母さんの自転車の荷台からしか見た事がない景色だった。しばらく歩き回っているうちに偶然知っている道に出て、公営住宅に辿り着いた。4階まで上がり鼠色のペンキの剥がれた自分の家のドアをノックしてみたが誰も出てこず、もう一度ノックするかコンクリートの階段に腰掛けて考えた。中でユースケと母は寝ているのかもしれないし、二人とも出掛けているか、起きていてノックの音が聞こえていても居留守を使っているのかもしれない。

 忍足で玄関の覗き窓から外を見に行き唇の前に指を一本立てながら振り返る母の仕草が思い浮かんだ。

階段を降り、自転車置き場に行ってみて、お母さんの自転車を探すと、見当たらなかった。

 団地の細長い誰のものなのか分からない花壇の花に青いホースで水をやっているお婆さんがいた。何気なくブラブラそちらに寄って行き、くっついて回って花の名前を聞いたりちょっとしたお手伝いを引き受けたりしていると、その優しい少し腰の曲がったお婆さんと仲良くなった。

「あんたはどこの子?」と聞くので、「おばちゃんとおんなじ」と目の前の建物の自分の家の窓あたりを指差した。

お婆さんは腰に手を当てて空を仰いだ。全部真っ直ぐには伸びない背中みたいだった。

「おばちゃんちは?」

「そこ」お婆さんはベランダの柵から緑の蔓が鍋から吹きこぼれた泡の様に垂れている二階を指差した。

「そろそろ帰らないとお母さんが心配するよ。おばちゃんももう帰らないと…」

寂しい雰囲気が漂った。私はまだお婆ちゃんと一緒にいたかった。ついて行きたいなぁ誘ってくれないかなぁと何となく期待しながらホースを巻くのを手伝った。お婆ちゃんは優しい話し方や見た目に似合わず、大きなバッタが裏返したバケツの上にとまっているのを見付けるとスコップを音もなく掴み鋭い一撃でバッタを真っ二つにした。バッタはそれでもまだ這いずって逃げようとし、お婆ちゃんはその頭の方を無表情に踏ん付けた。そして私がジッと見つめていたのに気付いて急に慌てた優しい微笑みを浮かべた。

「おばちゃんの好きなお花を食い荒らすのよ、この悪い虫は。…おいで。アイスキャンディがあったかしら、あったらあげるね。無かったらなかったで何か飲む物くらいはあるでしょう…」

「おばちゃんは一人暮らしなの?」

「そうよ。息子がいたけどねぇ。貴女くらいの時は机の引き出しにいっぱい毛虫を入れてたり、バッタを入れてたり…知らずに開けちゃって家中にバッタが飛び出して…天井にもいっぱいくっついて…箒で椅子に登って取るのに苦労したわねぇ…逃げて届かないところへまた行くしね。お父さんは放っておけって言って全然手伝ってくれないし…」

お婆さんは大事そうに慈しみ深く息子さんの話を語りながら先に歩き出し、私はその大人になった息子さんは今何歳くらいでどこにいるのだろうと考えながらついて行った。


 お婆さんの家の中はすっきり片付いて無駄な物がなくうちと同じ間取りなのに広々としていた。靴棚が一つもない玄関、テーブルも小さく椅子も一人分。戸棚も一つ。

そのかわり窓には2種類もカーテンが掛かっていた。レースの本来は白いカーテンは今は夕陽を受けて仄かなオレンジ色に染まっている。そして銀の刺繍の分厚いクリーム色のカーテン。これを閉めると外の世界が急に無くなってしまったように音も遠退き、部屋の中はギュッと狭くなりお婆さんの声は大きく鮮明により親密に聞こえるようになった。

アイスキャンディは無かったので私は柿の種を貰って椅子に座ってカリカリ食べた。自分が座らせてもらったせいでお婆ちゃんが座る椅子が無いのだけれど、それでも座って座ってと言い続けるので私は座ったのだ。物置にしているらしい、うちではお母さんが自分の部屋にして使っている小部屋から、もう一つ同じ椅子を引っ張ってくると、小花柄のエプロンを外し、お婆さんも私の真向かいに腰を下ろしてニコニコ見つめ合いながら自分も柿の種の小袋を開けてポリポリ食べた。

 このお婆さんは私の本当のお婆ちゃんよりもかなり年上だった。本当のお婆ちゃんはこのおばちゃんの半分の半分の半分くらいの歳だ。

 けれど本人が自分のことを〝おばちゃん”と言うから私にもそう呼んで欲しいのかなと思っておばちゃんと呼んでいた。



 ミルクちゃんがこちらを向いていた。

「本当のお婆ちゃんには会ったことあるの?」

話してという割にこちらに耳を向けて外を眺め、ぼんやり聞くともなく聞くばっかりだったミルクちゃんが、珍しくこちらを真っ直ぐ向いて聞いてきた。

「会ったことあるよ。」

「どんな人?」

「うーん…」私はちょっと困った。「うーん…」ともう一度唸った。

「…印象に残らないような人だったのかなぁ…」

 偶然お母さんとその人はばったり駅で出会った。母は人混みの中ではぐれないようにとしっかり私の手を繋いでくれていたのだけれど、突然ハッと立ち止まり、四方から人がぶつかって来て迷惑そうにしていても構わず、遠くに目を凝らして立ち尽くした。どうしたんだろうと思って、私もお母さんと同じ方向を見てみた。爪先立って。すると向こうでもこちらを見つめて立ち尽くしている女の人がいた。

お母さんとそっくりな背格好。細い腰でリボンを巻いて留めたガウンのようなコートを着ていた。豊かな黒髪を一つ結びにして纏めていた。黒い細いリボンの飾りが付いた皮の品の良いブーツを履いた脚がすらりと伸びていた。

 二人は近寄り、柱の陰の人波から少し外れたところで立ち話した。

その人はちょっと私の頭を撫でてくれたけど、あまりこっちを見なかった。お母さんには元気そうで良かったとかちゃんと食べてるかとか聞いていた。

誰なんだろうと思っていたら、その人がサヨナラと手を振って行ってしまった後に、お母さんが教えてくれた。『今の人があなたのおばあちゃんだよ』って…」

「その一度だけ?会ったのは?」

「そう。」

「ふーん…どんな人?」

「だから…あまり思い出せないけど…どうして?急にお婆ちゃんの事だけ食いついてくるね」

ハッとしたようにミルクちゃんは口ごもり、照れ隠しに笑みを浮かべた。

「お婆ちゃん私にはいなかったから、つい気になって」

「ふーん。…ミルクちゃんの家族は?」

「お父さん一人。つい最近死んだけど」

「そっか…」

「探せば多分いるけどね。どこかに他の家族が。私にも」

「探さないの?」

「探そうかなと思ってるよ。ただ…もし見付けたとして、相手にそれを伝えるかどうかだよね…」

私は首を傾げた。

「だってハナちゃんは、急に私が『お姉ちゃんだよ』って言ったらどう思う?」

「嬉しいよ」できるだけ即答した。

何でこんな話になったんだったっけと考えながら。




続く

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