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メンズエステ2  作者: みぃ
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3

クイーンサイズのベッドで一人で眠っていた。寝室の窓にはクリスタルガラスのビーズでできたカーテンがかかっていて、夜でも、下の道路を通り過ぎて行く車のヘッドライトを反射して、まるで流星群の中で横たわっているみたいだった。

天井や壁やお母さんのお化粧台の鏡の中にも光が飛び散り、屈折し、拡散され、プリズムみたいに虹色に煌めいて、一瞬の後には流れ去って消えた。  

 夜中に一人で目を覚ますと、流れ星の洪水が起きるのを待った。


 もっと前には、夜中に目を覚まし、隣で一緒に寝たはずのお母さんを探した事もあった。

 青い透き通る光が差す寝室を見回して、明かりもつけず声も出さずに。オバケに見付かるのが怖くて。手探りしてシーツを撫で、広いベッドからおりて、炬燵とテレビのある居間にも、丸いテーブルと二脚の椅子がある台所にも、誰もいないのを見て回った。月の光と隣の棟の階段からの明かりで、室内は水溜りのように青白く照らされていた。お母さんは窓にカーテンを掛けない人だったから夜の光は全部部屋に差し込んでいた。

 お風呂場にくっついてるトイレも見た。それからいつも入るなと言われている小さいお母さんのもう一つの化粧台が置いてある部屋もソロっとドアを開けてみて、覗いてみたけど、そこにもお母さんはいなかった。

玄関に靴を見に行ってみたけど、沢山あって一足減ったかどうかなんて分からない。いつ出て行ったのか気が付かなかったけど、すぐに帰ってくると思って起きて待っていた。寝ていれば良いのにね。


「子どもだからね。」とミルクちゃんが言った。


 光の色が白く強くなっていき、空が白み、窓の外で世界が少しずつ目を覚まし始めた。自転車や犬を連れた人やジョギングをする人達が下を行き来しだした。私がいたのは公営住宅の4階の端っこの部屋だった。窓辺に寄って下の道を歩いて行く人たちを見下ろした。

 明るくなるともう怖くはなかったけど退屈で、玄関に座ったり冷蔵庫の前に座ったりベランダに出てみたり布団に潜ってみたりした。

 小さい頃いつもする空想があって、自分は本当は特別な力を持っていて本気になれば魔法が使えるんだとか、願い事が叶えられるんだとか、友達がいるんだと思っていたから、一生懸命その世界の詳細を考え始めた。

 そのうち少し寝て、起きたら夕方だった。

 お腹が空いてたから冷蔵庫の前に座って普段なら怒られるような飲み方や食べ方でお腹を満たした。練乳を吸ったり牛乳をパックから飲んだり指で摘んでハムを食べたりチョコとゼリーとヨーグルトとアイスクリームをいっぺんに食べたりして。それから陽が沈んで夜になり、私はお母さんが帰って来た時のために何か作っておいてあげようと思って冷蔵庫の中にあったミニトマトとレタスを洗ってサラダを作った。

 それでも待っても待っても全然お母さんは帰って来ない。サラダを盛り付けた皿は冷蔵庫に入りきらず、腹が立ってきて、中身をゴミ箱に捨ててしまった。

 炬燵の上にあったボールペンで床や壁に絵を描いてみたけど上手く描けなくてつまらなくて、ハサミに持ち替え、どんな物が切れるか色んなものを切ってみた。コードとか床とか壁とか毛布とか。一応お母さんの服や大事にしている物は切ったり刃を立てたりしないようにした。でもどんなに待ってもお母さんは帰って来なかった。いつの間に寝てしまったのか分からない。

 そして目が覚めると私はベッドの中にいて、隣にはお母さんが寝ていて、朝になり起き出して来たお母さんは、何度聞いても、夜にいなくなったりしてないって言い張った。

 だけど私は時々一人で夜中に目が覚め、そういうことに慣れ、夜に家に誰も居なくても驚くような事ではなくなっていき、それが習慣化してだんだんと最初からでも一人で眠ることができるようになっていった。


 そのもっと前には、夜の幼稚園にも通っていた。お昼の幼稚園と同じでお母さんも私もルールや小言や集団のマナーに馴染めず、すぐに行くのをやめてしまったけれど。

 夜の幼稚園でやらなければならない事はたった一つ。とにかく寝ることばかり。

 整然と並んだベビーベッドの大群が戦車みたいに立ちはだかる隣に、床中一面に子供用サイズの布団がズラリと並べて敷いてあった。体育館のような空間で、職員室の中だけが明るく、子ども達を監視する窓から白とオレンジ色の光が漏れて、床に水溜りのように照っていた。

何列もある布団と布団の間の隙間を先生に連れられて歩いて行き、

「これがあなたの布団。ここから出ないようにね。この中で大人しく眠るように」と言いつけられた。

 眠り易くするために照明を落とした暗い壁に、無音で子ども向け番組が映し出されている。何か喋っているアンパンマンと仲間達。大変な事態が起こったようにみんなで騒いでいるが、口がパクパク動いているだけで何を言っているのか分からない。バイキンマンも出てくるが何を言っているか分からない。真剣に観よう理解できるはずだと思って頑張って見ていると虚しくなってくるだけだ。見ないようにしようとするにはチカチカし、眠るには気が散る。周りを窺ってみると、ちゃんとみんな眠っているのか、大人しく自分の布団の中でじっとしている。

「眠れ眠れ」と強要されると眠れなくなる。お昼の幼稚園ではお昼寝の時間に眠れないし、夜の幼稚園でも眠れない。なんでなのかな、起きろと言われると全然起きられないのだけれど…

 でも本当には眠っていなくても、自分の布団の中でじっと大人しくしてさえいれば叱られることはない。

 布団と布団の間を縫って歩き回り、一人一人顔を覗き込んでは、起きているか寝ているかをいちいち聞いて回っている子がいた。自分の三人くらい手前からもうヒソヒソ声が聞こえてきていた。

「寝てる?起きてる?」

目をパッチリ開けて待っていると、私のところまで来てニコニコして言った。

「起きてる?遊ぼう?」

悪戯っぽい満面の笑みで真っ直ぐこちらを見つめてくる。目がキラキラしている。女の子は私の布団の周りを誘うように何周も走り回った。見回りをしていた先生が大股で近づいて来て、捕まえようとするが、パッとすばしっこく逃げ、また戻ってくる。鬼ごっこみたいで楽そうだ。私も布団の上に立ち上がり、走り出し、二人でケラケラ笑いながら一人の先生を翻弄した。走る子は三人に増え四人に増えた。どれだけ地響きを立ててドタドタしたって深い眠りについている子達は全然起きない。誰かが躓いて踏んづけてしまった子がワーンと凄まじく泣き出し、職員室からもう二人先生が出て来て鬼が急に増えた。

「止まりなさい…!いい加減にしておきなさいよ…」という大人の本気度合いが増した声に危険を察知して、私はすぐ立ち止まり、おとなしく捕まえられ、最初から走っていた女の子はまだしばらく走り回ってから、一番最後に先生二人がかりで取り押さえられた。ひょうきんな女の子は冗談のつもりでまだニヤニヤしていたが、私はシュンと縮こまり小さくなっていた。

 私達は他のせっかく静かに寝ている子達を起こさないように、明るい職員室に連れて行かれ、そこで両腕を強い力で掴んで本気の怒りの顔を目の前に突きつけられ、厳しく叱られた。全員平等にというよりも特に最初から走っていた子が厳重に叱られた。

「なんでみんなと同じように静かにしていられないの?他の子まで誘って。先生が何回止まりなさいって言ったと思う?ええ?何回言われましたか?言ってみなさい!」

揺すぶられ、腕をきつく掴んで引き摺られるように各自の布団に連れ戻された。周りの布団で起きて気付いている子たちがこっそり見守り聞き耳を立てる中、先生に布団に押し込まれ、駄目押しに殺した声でもう一度注意された。

「この布団から出たらダメだからね」

先生達が行ってしまうと、さっきまであんなに楽しそうに元気良く無邪気に走り回っていた子がしくしく泣いているのが聞こえてきた。楽しくしようとしていただけで、別に悪気があったわけではなかったのだ。

 夜の幼稚園はお母さんの事情にも都合が悪くなり、やがて行かなくなってしまった。わざわざお金を払わなくても、どうせただ眠るだけなら家にいてもできるだろうと母も判断したのだ。


「火だけは使わないでね」とお母さんは私に言った。

「もし使う事があったら、その後は絶対に元栓を閉めて。」

そして元栓のありかと開けて閉めるのをやってみせてくれたけれど、ふと考え込む顔になり、一瞬後には気が変わっていた。

「いや、やっぱり火は絶対に使わないで。」


 夕方、シャワーを浴び綺麗に身支度を整えて玄関からお母さんが出て行った後に、すぐに寝室の窓を開けて下の道路を見下ろすと、髪をなびかせ細いヒールで走り出して来て車に駆け寄る美しい若い女性の姿が見下ろせた。

ドアを開けて待っている男の人に何か明るい声で話しかけてから、車に乗り込み、走り去っていく。

たまにこちらを見上げて手を振ってくれる事もあった。お母さんが行ってしまうと、私は窓から頭を引っ込めて、壁に掛かっている今日は着ていかなかった彼女のコートの中に潜り込み、胸いっぱいにお母さんの香りを吸い込んだ。


 居ないと寂しいけれど、いると怖い人だった。母は。


 明け方に帰ってくるお母さんの体からは夜の匂いがして、朝はゲロを吐いた。苦しそうで、見ているこちらも辛くなる。お酒が飲めない人なのだ。本当は。あまり近寄ると叩かれるかもしれないので、背中を撫でたりせず、吐いた物を自分で片付ける母を遠ざかって見ていた。


 お母さんの休みの日には二人で並んで眠った。

機嫌の良い時のお母さんは素晴らしく優しかった。自転車の荷台に乗せてもらって二人で歌いながら買い物に行ったり、ホットケーキを食べきれないほど焼いて積み上げてくれたり…でもいきなり機嫌は悪くなり、突然何の前触れもなく殴られ、物をぶつけられた。

昨日良かった事が今日はダメだった。歌うことは禁止。話しかけるのも禁止。視界に入るのもダメ。ついさっきまでは笑ってくれていた事で突然叱られたり叩かれたりした。

 一体何が引き金になって急に怒りだすのか分からなかった。私の顔を見ているのが嫌なのかなと思うことさえあった。あまりいつも意地悪だから。

 この人は私の本当のお母さんじゃないのかもしれない、と疑い、だんだん本気でそう信じ込み始めた。

…この人は私の本当のお母さんじゃないんだ…だから私のことが嫌いなんだ、絶対こんな意地悪な人が私のお母さんのはずない…

 暗闇の中で恐ろしい顔をした母がこちらに寝返りを打つのが見える気がして、子どもを食べる妖怪と一緒に寝ているようで、二人で横になる夜はなかなか寝付けないようになった。


 一度、不注意でお母さんが大切にしていたステンドグラスのランプを落として割ってしまった事があった。どんなに滅茶苦茶殴られるかと思って身構えて待ったけれど、破片で手を怪我しなかったかと聞かれただけで済み、何だか信じられなくて、ボンヤリ立ち尽くし、跪いて割れたガラスを指で摘んで掃除するお母さんをジッと見下ろしていた。優しい母は不気味だった。


 機嫌の良い時のお母さんは怖いほど優しく、どこの家の親にも負けないくらい子どもを可愛がろうと必死みたいだった。


 リボンやレースの縁取りが何重にもついたヒラヒラのお姫様のドレスのような子供服を何着も持っていた一時期もある。それに似合うヒールの可愛い幼児靴もいっぱい持っていた。ある日フラッと入った子供服店で何の記念日でもないのにそこにある全部の種類を買ってくれたのだ。

店員さんがどんどんいろんな色やデザインの違うドレスを出して持って来てくれて、私は鏡の前で何着も着せ替えてもらい、お母さんはそのどれも全部に手を叩いて喜んでくれた。

「可愛い可愛い」と言って。私自身はもう少し飾りが少なくて安いので良いのになと思った。でもお母さんが大喜びなので嬉しかった。

 最後にどれを買うか迷って決められなくて、「全部」とお母さんは言い、私が一生懸命止めようとすると怒り出しそうな気配が漂った。

「何?全部可愛かったのにどれをやめておくの?子どもが親に遠慮なんかしないでよ」

そして結局全部買ってくれた。

 ドレスの中に体が入る間はそれを着て沢山写真を撮ってもらった。そればっかり着ていた。その他に服を持ってなかったから。

 すぐに体が大きくなってしまい、着る服が無くなると、お母さんの古いTシャツを引き摺りながら着た。


食べられる物が何も無い日もあれば、フライパンにてんこ盛りのミートスパゲティを作ってくれて、

「成長期だから全部食べなさい。食べ終わるまで椅子から降りちゃダメ」と言われる事もあった。

 お母さんが自分で食べるのはお皿に盛られた普通の一人分の量なのに、私が食べなければいけないのは大きなフライパンにてんこ盛りの量なのだ。食べ切れるわけがない。お腹がはち切れそうで、泣きながら何時間もかかって食べた。


 お母さんは極端な人だった。

いっぺんには受け取り切れないほどドッサリの愛情で窒息しそうだったり、愛がなかったり。中くらいのちょうど良いところではあんまりおさまっていられなくて、いつもどっちかに振り切れてしまっていた。


 きっと仕事を詰め過ぎたのだ。夢中で働きまくっていたら子供の事は忘れてしまう。そもそも子どものために必死で働いているのだとしても。常に子どもを優先しつつお金を稼ぐのは難しい。仕事か子供か、どちらかを選択しなければならないことの連続だ。

 自分が稼がなければ飢え死にする母娘二人の生活で、先は果てしなく長く、お金はいくらあっても足りない。仕事は蔑ろに出来ない。

(…ほんのちょっと子どもに我慢してもらうしかない…ほんのちょっと、もうちょっと…今とらなければ別の人に持っていかれてしまう割の良い仕事がゴロゴロ転がっている…今だけ…もう少し我慢してね…ごめんね…)

そう思いながら働きに出ていたのかもしれない。母は。


 普段子どもを犠牲にしてしまっているという反動から、休みの日に急に何着もドレスを買ってあげたりして甘やかそうとしてしまったのかもしれない。子供と普段一緒にいる時間が少ないから、その子の好みが把握できていなくて、押し付けるような愛情表現になってしまったのかもしれない。

 理想が高いお母さんは自分がこうならなければいけないと思っているような完璧な母親にいつまでもなれなくて、焦り、一人で思い詰めて苦しんでいたのかもしれない。誰にも相談できなくて。


 たまに遊びに行く祖父母の家では、年下の従姉妹達は自分の名前も漢字で書けるし時計も読めた。

「なんにもできないの?」と私はからかわれた。

「それで小学校に行かせる気か?虐められるんと違うか?」

と祖父が母に言った。

 それから私にとっても母にとっても地獄のような勉強の時間が始まった。


 子どもの頃はとにかく叩かれてばかりいたがその理由には思い至らずただひたすら怖いだけだった。でもやっとあの頃の母の歳に近付き、母の気持ちも考えられるようになってきた。


 他所の子に遅れをとってはいけないと思うから、少ない休みの日に時間をかけて足し算を教えるているのに、前の日に教えたところも全然できないとブン殴ってしまう。殴って鼻血が吹き出たら、ゾッとして、抱き締めて泣いて許しを乞う。

カッとなったら手が出てしまう自分に慄く。

自分のした事に自己嫌悪に陥り、それでも他に誰も頼る人がいないから平仮名の読み書きも自分が教えなければいけなくて、頑張って、またやってしまう。


子どもからは理解されずただひたすら怖がられ懐かれない。だんだん血と暴力に慣れ始める。狂気が日常になっていく。




続く

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