62 2000年前の真相
あの村を出てすぐ、俺達はフロストドラゴンを追ってデオドーラの洞窟の方へと向かった。何故フロストドラゴンが、悪魔の洞窟とも呼ばれているデオドーラの洞窟に行ったのかは分からないが、目的地が近かったので丁度良かった。
「まったく。せっかくあの2人を捕縛してやったのにあんな事するなんて」
「こんな事だったら、あのまま暴れさせれば良かったわ」
「リーゼ、そんな事言うな。シルヴィもそれくらいにしろ」
2人の気持ちは分かるが、ここでは俺達は犯罪者も同然であり、2000年の長きに渡って憎まれ続けてきているんだ。むしろ追い出されたくらいで済んで良かったと思う。
と言うか、それを踏まえた上であの2人を捕縛された事を喜ばれるなんて、一体あの村の人達に何をしたというのだろうか。
「ご主人様達がこういう仕打ちを受けるのは仕方がない事ですし、それが嫌ならさっさとナサト王国へと向かうべきです」
「そうだが、その前にあのフロストドラゴンを倒さないといけないし、その後はデオドーラの洞窟に行かないといけないからな」
俺だって出来る事ならジオルグ王国(こんな所)になんて行きたくなかったが、青蘭が俺達に伝えたい事が何なのかを知る為に行かなくてはいけない。だからこの国に来たのだから。
「それはそうと、そろそろ気を引き締めた方がいいぞ」
しばらく歩いていると、目の前に何処にでもある洞窟が見えるのだが、その入り口の前には柵が建てられていて、更には立ち入り禁止の看板までもが建てられていた。
おそらくあれが、俺達が北方に残り続けてまで向かおうとした洞窟、デオドーラの洞窟なのだろう。
そして、そのデオドーラの洞窟の近くに先程のボス級のフロストドラゴンがジッと立って俺達を見下ろしていた。けれど、その目は俺達を睨んでおらず、むしろ穏やかな目で見ていた。
「竜次」
「ああ。あのフロストドラゴンは今、俺達に対して全く害意を向けていなかった」
そもそもあの時も、俺達にではなく鹿島と香田にのみ害意を向けていた気がした。あの時は必死だったから気付けなかったが。
しかし、だからこそフロストドラゴンの目的が全く読めない。
このフロストドラゴンは、何故そんな穏やかな目で俺達を見ているのだろうか。
そしてこのフロストドラゴン、俺が今まで見てきたドラゴンとは違う。直感ではあるが。それを確認しようと思う。
「一体何のつもりなんだ?」
「竜次様、フロストドラゴンに語り掛けても返事が来る訳がないだろ」
「いや、勘でしかないが、フロストドラゴンには人間と同等の知性と言語能力があると思うんだ。でなきゃ俺達にも襲い掛かっていた筈だ」
だけどそうしなかった。それこそが、フロストドラゴンにちゃんとした知性がある証拠でもある。明確な目的を持って行動し、攻撃する相手をしっかりと把握しているのだから。今まで戦ってきた厄竜は、視界に人間が入った時点で即座に攻撃に入っていた。
あくまで勘でしかなかったが、俺がその事をリーゼに説明するとフロストドラゴンの口角が上がってニヤリと笑ったように見えた。
そして
『勘とはいえ、よくぞ見抜いたな』
フロストドラゴンは喋り出した。
「喋った!?」
「フロストドラゴンが!?」
「信じられません!?」
シルヴィとリーゼとルビアもかなり驚いた。当たり前だろうな、今まで凶暴なドラゴンとして伝わってきたフロストドラゴンが、実はそんなに凶暴ではなかった上に知性があって言葉を話す事が出来るのだから驚いて当然だ。俺だって未だに信じられないのだから。
しかし、そうでないと2度もフロストドラゴンの接近を事前に察知できなかった理由に説明がつかない。仮に俺が気付かなくてもシルヴィが気付かない訳がない。
『私の様なドラゴンは初めてのようだが、私の様なドラゴンなら東方にはたくさんいる』
「そうだけど、まさか東方以外であんたみたいなドラゴンがいたなんて思わなかったわ」
魔物に詳しいシルヴィでさえ、東方の龍以外で凶暴でないドラゴンの存在は知らなかったみたいだ。
『無理もない。私達は皆から忘れ去られているのだから。青蘭が憎まれると同時に、我が種族の生態が改ざんされてしまったのだから』
「どういう事だ」
『そなた達も気になっていたのであろう。何故北方ではその青年、ひいてはフェニックスの聖剣士が憎まれているのか』
「確かに」
「そもそも恨まれているのは、2000年前に召喚されたフェニックスの聖剣士であって、竜次様ではない筈」
「2000年前のフェニックスの聖剣士の青蘭と、今のフェニックスの聖剣士である竜次は全くの別人。同じ様に憎むのが筋違いだわ。それ以前に、今の北方の人達は何故フェニックスの聖剣士を憎んでいるのかすら忘れてしまっている。憎しみだけを伝えて、肝心の内容を伝えていないんじゃ話にならないじゃない」
リーゼとシルヴィの指摘に、ルビアは唇を噛んで俯いていた。彼女自身も、先祖がフェニックスの聖剣士を憎む理由が分からず、憎しみだけを刷り込まれていたのだから。
『ま、北方の人々が青蘭を憎むのは無理からぬ事だ。何故なら彼女は―――』
その後フロストドラゴンは、2000年前に起こった出来事を俺達に話してくれた。
その内容はあまりにも衝撃的過ぎて、俺達は言葉を失ってしまった。
「そりゃ憎まれもするよ……何も事情を知らなければ余計に」
『しかし、2000年という永き年月の中で北方の人達にとってそれが当たり前と思う様になり、やがて力のある者達が平民達を搾取するようになり、世界を混乱に陥れようと考える程荒み切ってしまった。そこで私は、そんな奴等が世界を破滅させぬために2000年もの間、事前に防いでいったのだ』
そういう事か。だから、フロストドラゴンは特定の人物しか襲わず、普段はあまり人里には現れないのか。そして、襲われた人達は皆世界を破滅させる程の危険な人物と、このフロストドラゴンに認定されてしまったからなのか。
王都に現れたのは、デゴンの抹殺の他にウランの採掘所の破壊が目的で、あの村に来たのは鹿島と香田を狙っての事だったのか。尤も、あの2人はもはや再起不能状態に陥っている為、わざわざ殺す必要が無くなったという。
「あなたは2000年前のフェニックスの聖剣士について詳しいみたいですが、あの人と一体どういったご関係なのですか?」
放心状態のルビアが、フロストドラゴンと青蘭の関係について聞いてきた。「悪魔」と呼ばないのは、青蘭がかつて犯した罪とその訳を聞いたからだと思う。
『私は青蘭のパートナー、ダイガの契約魔物だったのだ。彼もまた、青年のパートナーと同じ召喚術師だったのだ』
「そうか」
「青蘭のパートナーも、私と同じ召喚術を得意としていたのね」
「そんで、あんたはその人と契約をしていたって訳か」
その関係でフロストドラゴンの生態が、北方の人達によって改ざんされてしまったのか。青蘭に対する憎しみが、こんな形でフロストドラゴンにまで来るとは。
『ダイガが亡くなった事で、彼との契約も解かれてしまったが、私は今もダイガを慕っているし、彼の故郷である北方が世界を破滅させないようにしてきたのだから』
なるほど。だから青蘭の事もよく知っていたのか。
「でも、だったら何故言ってくれなかったのですか……そんな残酷な真相があったのなら、彼女を……フェニックスの聖剣士を恨む事なんて無かったのに……」
自分達の憎しみの訳を知ったルビアは、自分達が今まで抱いていた憎しみが身勝手な感情からだった事を知り、膝を付いて蹲った。
『私から話せることはそれだけだ。詳しい事は、デオドーラの洞窟に入って直接本人に聞いて来ると良い。あの洞窟には青蘭の意志が封印されていて、何百年、何千年か後に召喚される新しいフェニックスの聖剣士に伝える為に用意された。青年の前に召喚されたフェニックスの聖剣士は誰もこの北方に足を踏み入れなかったから、今まで青蘭の意思が伝えられることが無かった』
確かに、俺もシルヴィもあの魔人によってトバリエ王国に飛ばされなかったら、そんな地方に足を運ぶことなんて無かった。
『だからこそ行って聞いて欲しい。青蘭の言葉を』
「だけど、入ったら死ぬんだろ。中で一体何が」
『死んだりなどせん。フェニックスの聖剣士とそのパートナー以外が入ると、強制的に違う地方の洞窟へと飛ばされるようになっているのだ。入った人間は誰1人として死んではおらん』
「「「「…………」」」」
そういう事か。
入った瞬間に住み良い気候の土地に飛ばされるのだ、誰もこんな極寒地獄でしかも独裁国家な祖国に帰ろうなんて思わないわな。そのまま現地に永住した方が良いに決まっている。
しかし、ジオルグからすれば突然人がいなくなって二度と戻って来なくなったのだから、入ると死ぬのだと思って恐怖を抱いてしまったのだ。
『これ以上ここで立ち話もしてはなんだ、そろそろ入って欲しい。中で青蘭が2人を待っている』
そう言ってフロストドラゴンは、視線をデオドーラの洞窟へと向けた。
「分かった。シルヴィ」
「えぇ。何処までも付いて行くわ」
「私とルビアはここで待っている。話を聞いたらちゃんと戻って来て」
「……待っています」
リーゼとルビアに見送られながら、俺とシルヴィは手を繋ぎながらデオドーラの洞窟の中へと入って行った。
「事前に憎まれた訳を聞いてても、直接本人から語られるとやはり……」
「私も怖いし、竜次にもその願いは絶対に願わないで欲しいわ」
「そうだけど……」
分かっていても、周りから懇願されると拒否しきれる自信が無い。
シルヴィと二人ボッチになってしまうと分かってても。
しばらく歩いて行くと、周囲が白色の土壁に覆われた空間に到達し、俺とシルヴィが入ると同時に中央から光の粒子が溢れ出し、それが凝集して人の形になった。形を成した直後、光は一瞬にして霧散し、その中から長い黒髪の女性が現れた。その姿は、イルミド王国の海底遺跡で見た姿と同じであった。
「あんたが」
「よく来てくれました。2000年後のフェニックスの聖剣士様。私は、張青蘭。2000年前に召喚された、君の先輩にあたるフェニックスの聖剣士」
2000年前のフェニックスの聖剣士、張青蘭が俺とシルヴィの前に姿を現した。
「あなたが、2000年前のフェニックスの聖剣士。青蘭ですか?」
「はい」
目の前に現れた青蘭は、俺の質問に対して首を縦に振って肯定した。
「尤も、これは私の記憶であって、本体は2000年前に寿命を終えて亡くなっています。恩恵を使って、あの時の事を全て話す為に記憶をこの洞窟に残したのです。この姿も、恩恵を使って作ったのです」
「へぇ……」
「まるで生きているみたいだね」
シルヴィの言う通り、とても記憶だけの存在とは思えないくらいに感情と表情が豊かで、茶目っ気もあった。まぁ、声だけよりもちゃんと姿があった方がこっちも変に畏まらなく済むけど。
「それはそうと、改めて自己紹介をしましょう。私は張青蘭。2338年生まれの元地球人。召喚された当初は大学生だったです」
「2338年……って!俺がいた時代よりも300年も未来から来たのか!?」
「ちょっとどうなってんの!?」
「召喚される聖剣士全員が、同じ時代の人間だという保証なんてありません。私の時もいろんな時代の人間が召喚されました。一番古い時代だと縄文時代から召喚されたって人もいました」
「さいで……」
つまり、俺達みたいに同じ時代から一斉に召喚される事は殆どないという訳か。
それにしても、縄文時代の人も召喚されたんだ。召喚された当初はかなり驚いただろうな。
だけど、2000年前に俺のいた時代よりも300年先の未来人が召喚されるなんて、何だか複雑。この世界では年は青蘭の方が上なのに、地球では生まれた年は俺の方が先って。
「それよりも、君達も自己紹介をしてください」
「お、おう。俺は楠木竜次で、青蘭と同じ地球人だけど、俺はあなたよりおよそ300年前に生まれて、しかも召喚される時は高校卒業を1ヶ月後に控えているという時期だったんだ」
「あらまぁ、ここでは私の方が先輩でも、地球では私の方が後輩にあたるのですね」
「みたいです……」
微妙な心境だ。
「シルヴィア・フォン・エルディアです。お会いできて光栄です」
「優雅な動作だけど、もしかしてお姫様だったりします?」
「一応そうなります。キリュシュラインによって滅ぼされましたので、今は王女でも何でもありません」
「あの国ですか」
「知ってるのか?」
「記憶だけではありますが、2000年もの間に起こった出来事は全て把握しています。死ぬ前に使った恩恵の力のお陰ですけど」
「もう深く追求しない」
俺以上に恩恵の力を上手に使い、俺以上に豊かな発想力を持っていた。だから恩恵「奇跡」をここまで使いこなす事が出来たのだろう。
尤も、個人情報までは入手できないみたいだ。
「それはそうと、本題に入ってくれないか。その為に俺とシルヴィをここに呼んだんだろ」
それを言った直後、それまでの明るい顔から一変して険しい表情を浮かべた青蘭。彼女としても、2000年前の事を語るのはとても辛いのだろう。
だけど、話さなくてはいけないと思ったからこそ、自身の記憶をこの洞窟に残し、俺とシルヴィを呼んだのだ。
だからこそ俺は、聞かなければいけないのだ。2000年前に何があったのを。
事前にフロストドラゴンから聞いているが、詳しい事は直接本人に聞かないと分からないものだ。
「当時私はイナンバ王国、現在のナサト王国でフェニックスの聖剣士として召喚されました。他の4人もそれぞれ別々の国に召喚され、それぞれ聖剣を授かりました。夢で既に心を通わせていたから、ダイガとはすぐに出会う事が出来たし、すぐに恋に落ちた。今のあなた達のようにね」
改めて指摘されると恥ずかしかったけど、夢がキッカケという地球人感覚ではかなり幼稚な理由で互いに好きになったという共通点があってなんだか嬉しく思えた。
「ダイガの協力もあって、私達はこの世界を滅ぼそうと企んでいる悪魔と呼ばれる存在と戦う為の力を身に付けることが出来ました。ダイガと、他の聖剣士とパートナーの協力もあって、何とか悪魔たちを駆逐する事に成功しました。しかし、直前で悪魔の王サタンが己の魂を1本の剣となり、新たに魔人を生み出して大襲撃を起こす様になりました」
「それなら海底遺跡でも聞いた。罪のない人達が、魔剣によって魔人に変えられたことも、怪物どもの正体についても」
「でしたら話が早いですね」
その後青蘭は、何とか魔人に変えられた人達を元の人間に戻せないかどうかを考えたが、大襲撃の対処も並行して行うとなかなか思うようにいかなかった。青蘭1人では魔人になった人を戻す事が出来ず、元に戻すにはどうしてもパートナーであるダイガの協力が不可欠であった。戦いながら行うのは難しかった上に、当時は何時何処から魔人が現れるのかが分からなかった為思う様に外出来なかったという。当時の魔人の数はかなり多く、今の比ではなかった。
そこで青蘭を初め聖剣士達は、先に魔剣を見つけ出して討つ事を優先させた。幸運な事に魔剣の持ち主はすぐに見つかり、討ち倒す事は出来なかったが、何とか魔剣の脅威を退ける事が出来た。
だが、これで全てが解決した訳ではない。何故なら、魔人に変えられた人達はずっとそのままで、人類にとって最大の脅威である事には変わらなかったのだから。
「私はたくさんの人達にお願いされました。最愛の人を、愛する我が子を元の人間に戻して欲しい、という人達からの強い懇願が後を絶えませんでした」
なので青蘭は、パートナーであるダイガの力を借りて魔人に変えられた人全員を元に戻そうとした。魔剣の脅威は去った為、改めて元に戻す事が出来ると思い安心したという。
だが、もうちょっとで恩恵が発動するというタイミングで脳内に声が流れた。
―――この願いを叶えるには代償が必要となります。それでも使いますか?
という声であった。俺も、転移能力を得ようとした時に同じ言葉を聞いた事があった気がした。
最初は自分に降りかかるものだと思ったが、直後に詳細情報が青蘭の頭の中に入り、それを知った瞬間に頭が真っ白になってしまった。そして、青蘭は直前になって「奇跡」を発動させるのを躊躇ってしまった。
「その結果恩恵は暴走してしまい、北方をこんな極寒地獄にしてしまいました。けれど、あの時の私はどうしてもその代償を支払うのが出来なかったのです」
自分やダイガが代償を支払うと思ったら、その代償は自分とパートナー以外の人間全員が受けるものであったのだ。
そう。これこそが北方の人達が青蘭を、フェニックスの聖剣士を憎む理由であった。
青蘭は魔人を人間に戻すという願いを叶える事を躊躇い、直前で中断してしまった事で恩恵が暴走し、北方を人が住むには厳しすぎる極寒地獄へと変えてしまったのだ。
「命を差し出せと言われたら差し出す覚悟はできていました。けれど、求められた代償がこの世界に住んでいる人達の私やダイガに関する記憶だったのです」
それは、この世界に住んでいる人全員から自分とパートナーに関する記憶を全て消去するというものであった。願いの大きさに比例して、聖剣士とパートナーと交わした約束や制約や思い出等々、とにかくフェニックスの聖剣士とパートナーに関する記憶そのものに関わる代償が発生する。
「記憶と言うのは本来無くなるものではない筈なんだが」
「恩恵が求めた代償です。本来なら不可能な記憶の消去なんて容易な事です」
更にその代償に厄介な事もあって、一度失った記憶と絆が二度と戻ることが無いのはもちろん、また同じ相手と再び関わり合いになろうと声をかけても反応する事が無く、まるで2人が見えていないみたいに関わる事が無くなってしまうのだという。
それを改めて聞いた俺とシルヴィは、身体の震えが止まらず互いに抱き合うように身を寄せた。
今までの旅で親しくなった人達や、共に戦ってくれた仲間や他の聖剣士達から自分とダイガに関する記憶が全て無くなってしまい、関係が白紙どころか存在すら認識されないレベルになってしまうらしい。
更にその当時青蘭は、この世界の危機が全て去った後ある約束をこの国の人達と交わしていた。
それは、例え罪人であっても無闇に人の命を奪わせない様にさせるというものであった。
「君も気付いていると思いますけど、この世界では相手が罪人や悪者であれば人を殺しても罪に問われないのです。ゾフィル王国で起こった赤鬼事件で、それを感じられた筈です。けれど、やはりその考え方はどうかしていると思い、全ての危機が去った後で各国の代表と話し合ってそういう認識を改めさせて、無くそうと思ったのです」
確かに、旧ゾフィル王国でシルヴィがスルトの構成員を殺めた時、マリアも椿もその事に関してお咎めなしという感じであった。
この世界ではそれが当たり前なのだと割り切ったのだが、冷静に考えるとやはりそれは異常な事であった。
青蘭はその考え方を改めさせようと奮闘し、その認識を改めさせる方向で話し合いは進んでいたそうだ。
しかし、あの時恩恵を発動させるとせっかくまとまった話が全て無かった事にされてしまう上に、各国の代表達からも青蘭やダイガの存在が記憶からなくなってしまう。
自分達が積み重ねてきた努力と、時間をかけて紡いできた絆が全て無くなってしまうと思うと途端に怖くなり、青蘭は恩恵を発動させる事を直前で躊躇ってしまったのだ。
「今にして思えば、ダイガだけが私の事を覚えてくれますからそれでも良かったと思えます。ですが、それは死んだ後だから言えることであって、生きているうちにこの世界で二人ボッチと言うのもとても悲しいものなのです。それまで親しくしてくれた人達に拒絶されるのは、とても恐ろしいものなのです」
それに耐えられそうになかったから、青蘭は魔人に変えられた人達を元に戻すのを諦めたのだという。
二人ボッチだから完全に孤独ではないと思うかもしれないが、当事者からすればかなり辛い事になるだろう。
「当然のことながら、大勢の人から敵意剥き出しで非難され、時には石や刃物も投げられました。その瞬間、多くの人達から憎悪を向けられました」
「酷い話だわ。この世界の為に戦ってくれたのに、要求が受け入れられないと分かった途端に掌を返して、敵意や憎悪を向けるなんて自分勝手すぎるわ」
当時の人達の身勝手すぎる行動に、シルヴィは怒りを露わにしていた。「奇跡」という名前のせいで皆が勘違いし、救いを当たり前のものと捉えて要求するようになってしまったのだろう。
しかし、それが叶わないと知った途端に激しく罵倒した上に、憎悪を向けるなんて確かに勝手すぎる。青蘭の気持ちをこれっぽっちも考えていない。
そのすぐ後青蘭は、せめて自分を召喚してくれた国だけでも元の気候に戻す為に再び「奇跡」を発動させたが、その代償として各国の代表達と交わした約束が記憶から消されてしまったという。
再び暴走して更に酷い災厄を起こす訳にはいかず、青蘭はこの条件を受け入れる事にした。
「だから罪人や悪人をその場で殺しても罪に問われないという風習が、今も残ってしまったのね」
シルヴィの言う通り。代償によって失ってしまった記憶は二度と元には戻らず、再び触れる事が出来なくなってしまう。もう一度その事について案を出すと、全員が口を揃えて「この世界にはこの世界のルールがあるのだ!」、と言って激しく青蘭を罵倒し、耳も傾けてくれなかったという。
(恩恵から発生する代償ってここまで徹底しているのかよ)
一度願ってしまうときちんと発動させなければならず、もし中断してしまうと暴走し、この世界に災いをもたらしてしまう。今まで感じなかったが、俺に与えられた恩恵って実はかなり恐ろしいものなのかもしれないな。
まぁ、流石に2000年も経てば代償も無くなっていき、俺が青蘭と同じ提案をしても罵倒される事はないそうだ。時効というやつだ。
「気候を元に戻したって言うけど、その割にナサト王国は他の地方よりも低いままなんだけど。そりゃ、他の北方の国々に比べたら気候や暮らしは安定しているけど」
「まぁ、元々寒い地域だったからというのもあり、現ナサト王国の気候を戻してもそこが寒冷地帯だという事実を変える事は出来ませんので」
「そういう事か」
他の皆は、ナサト王国は比較的マシな気候だと言っていたが、そうではなく元々そういう気候だっただけの様だ。
「まぁ、そんな訳だから、北方の人達が私を憎むのも仕方のない事なのです。私は彼等の生活環境を地獄に変えてしまったのです」
「理不尽な理由だ」
それをフロストドラゴンから事情を聞いたルビアは顔を歪ませ、膝を付いて落ち込んでしまった。北方を過酷な環境に変えたことは怒っても、そんな残酷な代償を支払ってまで要求に応える必要はないとも思っていたみたいだ。
北方全土の気候を改善しようと思っても、その為に支払わなければいけない代償も決して小さくもなかった。だから青蘭は、自分が召喚された国の気候を戻した後は代償を伴う願いを強く思う事が出来なくなってしまったのだ。
やむを得ず青蘭達聖剣士は、魔人に変えられた人を殺す事に決めたそうだ。
「それにしても、何で魔人に変えられた人を元に戻すのに代償が必要になるんだ。俺だって雨を降らしたり、毒に侵された犬坂を助けたり、洗脳された人の洗脳を解いたりしてきたが、代償を求められた事なんてないぞ」
「その理由は、それら3つの願いはその気になれば恩恵抜きで実施する事が可能だからです。特に地球では」
言われてみればそうだ。
地球でも、人口の雲を発生させて雨を降らせることが出来るし、解毒治療も普通に行われているし、時間は掛かるが洗脳されている人達を治す事も出来る。だから代償が発生しなかったのか。
転移能力を得ようとした時は、出来たらいいな程度に考えていたお陰で恩恵が暴走する事が無かったそうだ。
こうして青蘭と会話できる技術は俺のいた時代にはなかったが、青蘭のいた時代では普及しているらしい。だから、ノーリスクで願う事が出来たのか。
だが、魔人に変えられた人達は細胞や遺伝子レベルで身体を作り変えられている為、そんな技術は地球にも存在しない。しかも、人の身体を細胞や遺伝子レベルで作り変えるのは神の領域に達する上に、いかに化学が進んでも踏み込んではいけない領域。だから代償が発生したのだ。
他にも、気候や自然を操る行為等は絶対に行ってはならない最大の禁忌に属する為、それらも願ってしまうと代償が発生してしまう。
「ちなみに、相手を不老不死にさせる事と、死者を蘇らせる事、相手の身体を作り変える事、相手の心を変えさせる事、大量虐殺を願う事は絶対に出来ません。どんな理由があっても、その願いだけは叶える事は出来ません」
奇跡なんて呼ばれているけど、そこまで万能ではないという事し、そもそも叶えてはならない願いと言うのも存在するのか。
「私の後、青年の前に召喚されたフェニックスの聖剣士も、聖なる泉を生み出してしまったが為に代償を支払う事になったそうです」
「マジか……」
考えてみれば、あんな万能な泉をノーリスクで生み出す事なんて出来る訳がない。ただの泉やオアシスを作るのであったら問題ないが、あらゆる呪いの解呪や洗脳の解呪まで加えてしまうとそれはもう神の領域に入ってしまう為、代償を支払う事になる。治療ではなく、入るだけで治ってしまうのだから当然だ。
その代償と言うのが、自分を召喚してくれた国以外の全ての国の人達から、当時のフェニックスの聖剣士の活躍や功績に関する記憶が全て抹消されるというものであった。その時は当時の召喚主の国王が何とかしてくれたが、そのせいで当時のフェニックスの聖剣士は無能で役立たずなクズというレッテルを貼られたという。
だが、自分を召喚した国の人達の記憶には残っていた為、当時の国王は土地を半分その人に与え、半数以上の人達が移住してくれた事でフェリスフィア王国が建国されたそうだ。
「今ではそんなレッテルは風化されて忘れ去られていますが、当時はかなり酷いバッシングを受けたのです」
「最悪だ……」
そんな思いをしてまで生み出したのだから、それ程までに魔人や魔王の洗脳はかなり強力だったから、後に召喚される俺達の為に残酷な代償を支払って生み出してくれた。
けれど、魔人に変えられた人達を元に戻す事が出来るというのは大きな収穫であった。
「魔人が人間だったという事実はあまり広めない方が良いと思います」
「何故そんな事を言うんだ」
「それだけでなく、青年も決して魔人に変えられた人達を元に戻そうなんて考えないでください」
「青蘭!」
「落ち着いて、竜次」
「あなたや私もそうですけど、フェニックスの聖剣士に選ばれた人達って自己犠牲の精神が強い傾向があるのです。大勢の人の望みを叶える為なら、自分が苦しむ事も厭わない所があるのです」
「別に俺はそんな事は無いと思うぞ」
香田や鹿島がこの先どうなろうと知った事なんてないし、ゾフィル国王があの後どうなったのかなんて全く気にならないし、石澤に脅されていたとはいえ今でも梶原の事を許す事は出来ない。別にソイツ等の事を、自分が苦しい思いをしても助けたいとは思わない。
「本当にそう?」
「シルヴィまで」
「もし本当にそうなら、シャギナの毒で苦しんだ狂信女を助けようなんて思わないし、ゾフィルの赤鬼事件でもスルトの構成員を殺す事に躊躇いを持たない筈でしょ」
「それは……」
「彼女の言う通り。確かに、許せないと思う程嫌っている相手をどうでもいいって思う事はあるかもしれませんが、それでも完全に非情になり切れない部分があなたにもあります。そしてそれは私にも言える事でした。お世話になった国を助ける為に私は代償を支払い、せっかく方向性がまとまりつつあった約束も完全な白紙になってしました。自分さえ我慢すればいいと思うかもしれませんが、あなたが不幸になる事で悲しむ人達だっているし、そういう人達の思いを踏みにじってまで恩恵を使う方がよっぽど酷いです。これも今だから言えることです」
「…………」
青蘭に言われた後、実際に彼女に要求された願いが自分に降りかかった時の事を考えると、確かに俺はそれを断り切れる自信が無い。
「それに私は、この戦いに意味はないと思っているのです」
「どういう事だ?」
「魔剣が誕生した経緯は知っていますよね」
「ああ」
「今では空想上の存在になってるけど、2000年前まで存在していた悪魔の王の魂が魔剣になって人を魔人に作り変えているんでしょ。海底遺跡で貴方が説明した事よ」
海底遺跡に行くまで、シルヴィも悪魔の存在は空想上の存在だと認識していたし、俺もまさかこの世界には悪魔が存在していたなんて思ってもみなかった。
「そうね。確かにあの時私は悪魔が存在するって言いました。あなた達に余計な事を考えて欲しくなかったから。けれど、いくら隠してもいずれは知る事になるでしょう。ドラゴンの聖剣士が召喚されたのなら尚更です」
「どういう事だ?」
何で石澤が召喚されると隠し事が出来ないのだろうか?訳が分からないでいると、青蘭から驚愕の事実が発せられた。
「本当は悪魔なんてものは空想上の存在でしかないし、2000年前も今も、そしてどの世界でも悪魔なんて種族は存在しません」
「存在しないって、だって魔剣は……」
「本当に憐れなのは、悪魔と呼ばれてしまったある国の人達であり、あの時本当に救うべきは彼等だったのです」
「ちょっと待て!」
「悪魔と呼ばれてしまったある国の人達って、まさか悪魔の正体って……」
「お姫様の予想通り。悪魔の正体は、不老不死の研究を熱心に行っていたとある国の人達の事なのです。すなわち、2000年前の戦いは人間対悪魔の戦いではなく、人間同士の醜い争いだったのです」
衝撃の事実を前に、俺とシルヴィは言葉を失った。




