52 過酷な魔物狩り
気付くと俺とシルヴィは、うっすらと霧が掛かった真っ白な空間にポツンと立っていた。
何故こんな所にいるのかも分からない。
そもそも自分達は今、吹雪が止まない極寒の北方にいる。
だからすぐに分かった。
「夢か」
「夢ね」
シルヴィも同じ結論に至ったみたいで、特に動揺した様子は見せていなかった。
でも、こういう夢を見る時は決まって誰かが俺達に何かを伝えようとしている時。
近くではなく、どこか遠くにいる誰かが。
生きている人ではない可能性すらある。
そんな俺の予想は的中し、霧の向こうから薄っすらと人のシルエットが浮かび上がり、少しずつ全身が見えてきた。その姿を見るのは2度目であった。
「張青蘭……」
「何であなたが?」
彼女の名は、張青蘭。
2000年前に召喚されたフェニックスの聖剣士で、海底遺跡で俺に鳳凰の鏡を与えてくれた人だ。
だが、彼女がこの世界に召喚されたのはもう2000年も前だ。恩恵の影響で不老不死になっても、寿命以上生きる事が出来ない為とっくに死んでいる。海底遺跡の時の様なホログラムでもない限り、その姿を見る事はまずない筈だ。
そんな俺の疑問を他所に、青蘭は淡々と言葉を発した。
『ジオルグ王国の、デオドーラの洞窟で待っている。2000年後の後輩よ』
「あっ!?」
気付いたら俺は、昨日チェックインした宿の個室のベッドの上で仰向けになっていた。ほぼ俺と同じタイミングで、隣で密着するように寝ていたシルヴィも目を覚ました。
「なぁ、あの夢」
「デオドーラの洞窟でしょ。そこに来てって」
「ああ」
デオドーラの洞窟で一体何があるというのだろうか?
鞄の中にしまってあった鳳凰の鏡を取り出して、何となく眺めてみた。
鳳凰の鏡は、大襲撃が起こる場所を事前に教えてくれる鏡で、後に召喚される後輩聖剣士の為に青蘭が残してくれた遺産。
これと似たような物を、2000年後の俺達の為に残しているの言うのだろうか?
それとも、他に理由があるのだろうか?
「だけど、ジオルグ王国ってだけでも面倒なのに、デオドーラの洞窟に行かないといけないなんて」
「知ってんのか?」
「噂でしか聞いたことが無いけど、通称『悪魔の洞窟』とも呼ばれていて、足を踏み入れた人間は全てがあの洞窟から生きて出たことが無く、音も光も存在しない無の空間が広がっている洞窟って聞いているわ」
「無の空間」
シルヴィも詳しくは知らず、実際に中がどういう状態になっているのかも分からないのだという。というか、入った人間全員が誰も戻って来なかった為知っている訳がない。
全て憶測の情報ではあるが、一見すると何処にでもある人口の洞窟なのだが、中は光すら届かず、光の玉を飛ばしてもすぐに霧散して消えてしまう。
入り口までなら入っても問題なかったので、そこの岩を削って調べてみたらおよそ2000年前に出来た洞窟である事が分かった。
奥へ入った人は声も何も響く事なく、その後二度と戻ってくる事が無かった。更に詳しく調べる為に何十万もの捜索隊を中に入れたのだが、それでも誰一人として戻ってくることが無かったという。
その為当時のジオルグ国王は、この洞窟の事を「悪魔の洞窟」と呼ぶようになり、平民であっても入る事も近づく事も固く禁止させたのだという。
「洞窟自体が魔物で、入った人を食っているんじゃないかと憶測が出されたけど、あの洞窟からは生き物の気配はまるで感じられなかった事からアッサリと否定された。それ以前に、入り口から採取された石の破片は間違いなく自然の石で、生き物の痕跡が全く検出されなかったのよ。まぁ、実際に見た訳ではないから何とも言えないけど」
「その洞窟に一体何があるというのだろうか?」
その悪魔の洞窟と呼ばれている洞窟で、青蘭は俺達に一体何を伝えようとしているのだろうか?
そして、そこで一体何があるというのだろうか?
「いずれにせよ、ドルトムン王国に向かうにはどうしてもジオルグ王国に行かないといけないから、行ってみないと分からないって事だな」
「そうだね」
分かんない事をあれこれ議論しても仕方がないので、俺達は魔物狩りへ行く準備を進めた。
「この天気で魔物狩りだなんて。お客さん、あんた命知らずですね」
宿を出る時、フロントの人からそんな事を言われた。
そして俺は、その人の言っていた事の意味を後で知る事になった。
だがその前に――――――
「へぇ、なかなか良い髪じゃないですか。艶があって瑞々しくて」
「まぁね!」
アニメや漫画だったら間違いなく鼻が伸びているだろう。自慢の髪を褒められたシルヴィのドヤ顔を横目で見て、俺はカツラを作っているお店に行って昨日切ったシルヴィの髪を売った。シルヴィ本人の意思とは言え、愛する人の髪を売る事には大なり小なり抵抗はあった。
とは言え、転移が出来ない以上そんな事も言っていられない。
「それで、いくらで売ってくれる?希望としては、銀貨20枚くらいね」
自意識過剰とかではなく、シルヴィの髪の価値はそんな物ではないと思っている。だけど、この村の経済状況を考えると銀貨20枚でも出せるかどうか怪しいだろう。
「銀貨20枚だなんてとんでもない!銀貨50枚に金貨も追加で1枚出そう!本音を言えば、それ以上は出せませんけど」
まさか銀貨50枚だけじゃなく、金貨1枚まで出してくれるなんて予想外であった。まぁ、それでもかなり安いと思うからな。
早速俺は、銀貨が入った布袋と金貨1枚を受け取った。俺は銀貨を受け取り、金貨はシルヴィに渡した。
「すまんが金貨はシルヴィが持ってくれんか」
「いいわよ。何かあった時の為に金貨は必要だもんね」
「そうだな」
自分から預けたとはいえ、嫁にお財布を握られた旦那の気分になった。だけど、意外にしっかりしているシルヴィに預けるのが正解だと思う。
銀貨50枚を持って俺達は、早速武器屋に足を運んでナイフや素材を入れる袋等を買ってから村の外に出た。価格は、銀貨43枚とお高めであった。残りは銀貨12枚。
準備を整えて村を出たはいいが、出て早々俺はある事を失念していた事に気付いた。
「よくよく考えたら、馬車道以外は全部分厚い雪で覆われているんだったな……」
そう。村の外は10メートルを超える雪が、壁の様に馬車道のすぐ横にそびえ立っていた。積もった雪に対して使う表現ではないかもしれないが、これはもはや雪という名の壁にも思えた。しかも、春までは止むことが無い吹雪のせいで視界を奪われてまともに前を見る事が出来ない。
「流石に北方全部がこんな感じという訳ではないわ。一部の地域ではここまで雪が積もっていない場所だってあるから、たぶん大丈夫だと思うわ……たぶん?」
そこは疑問形で返さないで欲しいぞ。不安になるじゃないか。
仕方ないので俺は、雪の上へとジャンプして乗った。シルヴィが制止したような気がしたが、その時には既に俺の足は10メートル近くある雪の上に足を付けていた。
そして、足がついてすぐにズボボボボボと身体が埋まっていき、あっという間に雪の中へと埋もれてしまった。
(冷たい!しかも息が出来ない!出られない!)
身動きも取れず、体温が一気に奪われていく!雪崩に巻き込まれたみたいな感覚だ!
そんな時、突然回りの雪が溶けだし温かい熱が俺の全身を包み込んでいった。その直後、俺は雪の中から脱出してシルヴィに抱き留められていた。
「すまんシルヴィ。助かった――――」
お礼を言おうとした直後、シルヴィはバッと俺を離し、鬼の様な形相で俺を見ていた。あ、これは怒っているな。
「雪の上に立とうなんて何考えているのよ!一歩間違っていたら雪に埋もれたまま二度と出られない事だってあるし、何より壁が崩れでもしたら雪崩の原因にもなるのよ!そうなったらあの村だって被害を受けるし、こんな雪が一気に雪崩れ込んだらいくら温熱石でも溶かしきれずに機能を失う事だってあるのよ!そうなると私達では責任が取れないのよ!」
その後、10分近くシルヴィのお説教を聞く羽目になった。
まぁ、確かに雪の上を歩こうなんて考えた俺が阿呆だったし、崩れた雪が道を塞ぐだけじゃなく近く村や集落を襲う事だって考えられる。そうなったら、たちまちこの国の王侯貴族に目を付けられてしまう。迂闊だった。
シルヴィ曰く、ここ等の雪は強い衝撃を受けると即座に崩れてしまう為、魔法で爆発を起こす事も火魔法を派手にぶっ放す事も出来ない。平地でありながら雪崩が起こってしまうのだそうだ。
ちなみに、シルヴィが俺を助ける時に使った魔法は、俺の周囲を熱で溶かし、更にその周りを冷気で冷やしていたそうだ。
「まったく!今回は大丈夫だったけど、あまり派手に魔法を使う事も、大きなアクションを起こす事はしないで。軽はずみな行動をして命を落とす事故も毎年起こってんだから」
「気を付けます」
そりゃ、考え無しに雪の上に立とうとした俺が悪いから仕方ないけど、何もそこまで怒らなくてもいいんじゃね。確かに、あまり目立つなと言った矢先にこれだから分からなくもないけど。
「って事は、剣術だけで対処しなくてはいけないって事か?」
「そうね。だけど、剣で雪を傷つけても駄目」
「それでも雪崩が起こってしまうのか!?」
「そうよ」
最悪だ。
戦い方を制限されるだけでなく、こんな止む事のない猛吹雪の中を危険な魔物と戦わなくてはいけないのだ。だから宿の人は、「あんた命知らずですな」って言ったのか。
「今更だけど、この時期に魔物狩りをする奴っているのか?」
「全くいない訳ではないけど、わざわざこんな環境で制限された戦いしか出来ない所に赴く人なんていないわね」
「やっぱりね」
ゼロじゃないけど、殆どいないに等しいみたい。当たり前か。
だけど、銀貨12枚では次の目的地に付く前にそこを突いてしまうし、それ以前にこの国の隣にあるロガーロ王国に入国する事が出来ない。入国で1人銀貨20枚も取られるなんてあり得ないぞ。
「馬車があったら普通にポンと出せたのに」
「仕方ないでしょ。お金も道具も余っていた素材も、全部レイシンに置いて来てしまったのだから」
「こういう時、転移石があると便利なんだろうな」
「無理言わないで。転移石は北方では全く掘られないのだから、国王を恐喝しても絶対に出せないと思うわ」
「マジかよ……」
転移石が手に入る可能性も無し。本格的に歩く以外に方法がないと言うのかよ。
「北方では全然採れないのに、南方ではたくさん採れるみたいなのよね。それでも、数は全体的に見てもかなり少ないけど」
「こんな事なら、転移石も懐に入れておけば良かった」
ゾフィル王国で捕縛したスルトの連中から何個か押収したが、その全てをゾフィル国王に取り上げられてしまった為、結局は持っていないという事にもなる。こんな事なら、1~2個くすねておけば良かったなと後悔するばかりだ。
今更言っても仕方ない為、俺とシルヴィはひたすら馬車道を真っ直ぐ進んだ。
しばらく歩くと行き止まりに、雪の壁が崩れて道が塞がっている所に着いた。
「こりゃ酷いな」
「モグラギツネの仕業ね。アイツ等、雪の中をモグラみたいに掘り進んでいく魔物で、そうやって獲物に気付かれない様に近づいたところで出てきて襲い掛かってくる魔物なの。でも、出てきた後はこの様に雪崩が起こってしまうから、この国では最優先で駆除が求められている魔物なの」
「うわぁ……」
魔法も抜きで雪崩を起こす魔物と戦えと?
危険じゃねぇ?
命が幾つあっても足りないぞ。
その前に俺達は死なないのだった。
「で、そんなモグラギツネの食べ残しをスノーラットが食べるのが本来の生態系なのだけど、そんな物をいちいち探すなんて面倒臭いという事で、人里に来て人間を襲う様になったんだよね」
「それだけこの国には採れる餌が不足しているって訳か」
だけど、それは人間側も同じ。
この時期の海は分厚い氷に覆われていて漁が困難で、しかも海の魔物はそんなのはお構いなしに襲い掛かってくる。本当に何故、こんな環境で人間が生きていられるんだ?
なんて事を考えていると、こちらに向かってくる脅威を気配で察知した。それも、かなりの数の。
「これはたぶん、スノーラットね。モグラギツネは単独で行動するから、あんな風に群れで行動することが無いのよ」
「だけど……」
「えぇ。これっぽっちも嬉しくないわね。使える素材が毛皮だけだもん」
「えぇっと…………全部で23匹。銅貨230枚って所か」
まぁ、それでも十分すぎる稼ぎになるけど、この国の情勢を考えると買い叩かれるのがオチだろうな。おそらく、1匹銅貨1枚なんて考えられる。しかも肉はかなり不味い上に、食べると食中毒を起こすらしいから処分しないといけない。ハッキリ言って迷惑だ。
「本当なら魔法でとっとと蹴散らしたいところだけど……」
「分かっていると思うけど、雪崩が起こればこっちも危なくならやめた方が良いわ」
「チッ!結局肉弾戦のみで対応しなくちゃいけないか」
しかも、剣で雪の壁を傷つけない様に戦わないといけない上に、吹雪のせいで視界不良。あの魔人、よくも最後の悪足掻きなんて迷惑な事をしてくれたな。
しかも、姿を現したスノーラットは俺が予想していた以上にデカく、世界一大きな犬のグレートデン並みに大きいぞ。小学校の時に動物園で見た事があるけど、あまりの大きさに怖くて近づけなかった事を今も覚えている。
見た目に関しては、白鼠をそのまま巨大化させたという感じであった。毛がふさふさで温かそうなの以外は。
「油断しないで、スノーラットはあんな見た目だけど物凄くすばしっこいから」
「分かっている」
鼠だからその辺は何となく想像はついている。だけど、聖剣士特有の力のお陰なのか、動きがやたらとスローに見える。この魔物に限らず、他の魔物や人間に対してもそういう風に見える。例外が2人ほど、いや、最近増えて3人になったけど。
そのお陰なのか、スノーラット1匹を難なく一突きにする事が出来た。
そう、1匹は。
「クソ!あと21匹も仕留めないといけないなんて!」
シルヴィが1匹倒してくれたけど、それでもまだ21匹もいる。
救いがあるとしたら、この馬車道の幅が大きな馬車が2台分通れるくらいに広いという事なのだが、それでも動きが制限される事には変わりがない。
こちらが不利な状況であることには変わりないのに、あのデカイ鼠どもは雪崩が起こる可能性なんて全く考えず雪の壁を走って近づいてきた。
こんな時に魔法が使えないのが辛い。
いくら動きが遅く見えても、制限された条件と過酷な環境の中で戦っている中でこの数を相手にするのはなかなかに骨であった。肉弾戦と言っても、基本的に剣を縦に振るか突くかのどちらかしか出来ない。横に振る事も出来なくもないが、その場合雪の壁に接触してしまう危険性もある為あまり使いたくない。
そんな中でも俺とシルヴィは、何とかスノーラットを全て倒す事が出来た。その時、剣の先が雪の壁を掠ってしまって内心ヒヤッとしてしまったが、何事もなくて本当に良かった。
そんな訳で俺とシルヴィは今、倒したスノーラットの解体を行っていた。革製の手袋を付けているが、それでも手がかなりかじかんで痛かった。
その上、毛皮を剥いだ跡の残骸からは鼻が曲がる程の強烈な悪臭が漂っていて、臭い段階でもうこの肉は食べられないと分かった。
全てのスノーラットの毛皮を回収し終えた直後、雪の壁の中からこちらに向かってくる気配を感じた。実物を見た訳ではないが、雪中からという時点でこの魔物が何なのか分かってしまった。
「離れるわよ、竜次!モグラギツネがこっちに近づいて来るわ!」
「ああ、やっぱりな!」
俺とシルヴィは大急ぎでその場から離れた。その直後、雪の壁の中から物凄く大きな前足と長い爪を生やした、がっしりとした筋肉質な大きな白いキツネが飛び出してきた。あれがモグラギツネか。
しかも、その反対側の雪の壁から更に別のモグラギツネが2体も飛び出してきた。
姿を現したモグラギツネ3体は、毛皮を剥がれたスノーラットの残骸に勢いよく食い付いたが、それと同時に雪の壁に亀裂が入り、直後に広範囲の壁が崩れて雪崩が発生した。
「急いで!巻き込まれたらただじゃすまないわよ!」
「分かっている!」
いくら死なない身体でも、雪崩に巻き込まれたらひとたまりもないし、雪に埋もれた状態でモグラギツネに襲われでもしたら即アウト。常人なら完全に死亡フラグだ。
「いくら死なない身体だからと言って、雪崩に巻き込まれるのは御免だ!」
それからどのくらい走ったのだろうか、気付いたら雪崩は収まっていたが、すぐ後ろの馬車道はかなりの距離が崩れた雪によって埋もれてしまった。
「酷いな」
「モグラギツネは雪の中で生活している魔物だから、雪崩に巻き込まれても全然平気だけど、ここまで高く積もるとこの馬車道に使われている温熱石はもう使い物にならないでしょうね」
だから温熱石が何時も不足しているのだな。
モグラギツネによって発生した雪崩により、許容範囲を超えて雪が溶かしきれなくなった温熱石が機能を失い、ただの石になってしまう。損失があまりにも大きすぎる。
それ故に、トバリエ王国ではモグラギツネは害虫扱いされ、討伐が求められているのだと理解した。
「でも、この状況でモグラギツネを狩るなんて……」
「無理よね。普通の人なら出てきた瞬間に雪崩に巻き込まれて、雪に埋まって動けなくなった所をパクッとされちゃうんだから」
「分かっているけど、鼻は凄く良いんだよな」
「えぇ。たった1滴の血の匂いも嗅ぎつける程にね。その1滴の血の匂いを、1キロ以上先からでも嗅いでしまうの」
「犬や熊以上だな……」
過酷な環境で生き抜く上で、僅かな血の匂いでも瞬時に嗅ぎ分けられる様に嗅覚を発達させたのだろう。流石に犬や熊でも、ここまでの鋭い嗅覚はないだろう。
「どうする?戻ってモグラギツネを討伐するか?」
「いいえ。魔法を使って更に大きな災害を起こす訳にもいかないし、そもそも雪の中ではモグラギツネの方に分があるわ。本当なら、出てきた瞬間に仕留めて逃げたかったんだけど、あのタイミングで出て来られると流石に対処できないわ。モグラギツネの討伐は、常に雪崩に巻き込まれるギリギリの勝負になるのよね」
まぁ、だからスノーラットの遺体は早めに処分したかったのだろうな。解体せずにそのままにしても結果は同じだっただろうし、こればかりはどうする事も出来ないな。
「仕方ない。戻るか」
「そうね。銀貨2枚と銅貨30枚でも十分な稼ぎと言えるし」
雪の中では流石に戦えないと判断し、俺とシルヴィはスノーラット23匹分の毛皮を持って村へと引き返した。
その途中、雪の中からこちらに向かってくる1体のモグラギツネの気配を察知した。
1体だけならなんとかなる。
「シルヴィ」
「えぇ」
俺とシルヴィは一旦立ち止まり、モグラギツネが出てくるその瞬間をジッと待った。
そして1分後、爪を立てて牙を剥き出しにさせたモグラギツネが、雪の壁の中から勢いよく出てきて襲い掛かってきた。
その瞬間にシルヴィが、ファインザーでモグラギツネの首を刎ね飛ばし、落ちてきた胴体を俺が受け止めた。
モグラギツネの胴体を担いだ俺は、生首を持ったシルヴィと共にその場から急いで離れた。すぐ後ろでは、モグラギツネによって雪崩になった雪が俺達を追いかけていた。
「ワリィな、首なんかを持たせてしまって!」
「良いわよ!胴体なんて大きくて重いから、私では担ぐ事なんて出来ないわ!」
互いに声を荒げてしまったが、雪崩から必死で逃げていればそうなるのも仕方がない。
雪崩のリスクと隣り合わせで戦わないといけないなんて、この国の魔物狩りはかなり命懸けになるな。命が幾つあっても足りない。
(でも待て。シルヴィって意外と馬鹿力だから、胴体を持たせても良かったんじゃね)
椿と同様に過去の獅子の聖剣士の血を引いている為、シルヴィもその影響で華奢な体付きとは裏腹にかなりの馬鹿力を持っている。普段はあまり見せていないが、やはりその力は同い年の女子と比べても次元がまるで違う。下手をしたら、バキバキの筋肉を持つマッチョな男よりも遥かに力が強い。
だがそれは言わぬが花。シルヴィも女子だから、椿と違ってその辺は少し気にしているみたいだから。
それに、雪崩から逃げている今はそんな事を考えている場合ではない。
それからひたすら馬車道を走り、俺とシルヴィはようやく昨日泊まった宿がある村が見える所まで来ていた。すぐ後ろには、雪崩によって埋もれてしまった馬車道。
「村で解体するしかないか……」
「それしかないけど、気を付けた方が良いわ。人里に来ても、モグラギツネに襲われるリスクは十分にあるから、最大限の警戒をした方が良いわ」
「だったらこんな国とっとと出て行けばいいだろうに、何でここの住民は他所の国へと引っ越そうとしないんだ」
理由は分かり切っているのだが、それでも口に出さないとなんだか気が治まらなかった。
ハッキリ言って、ここは人が住めるような環境ではない。
生き物はあまり住んでいない、秋から冬は海が凍るから漁にも出られない。1年中雪で覆われているから植物も育たない。モグラギツネが雪から出てくる度に雪崩が起こり、被害は甚大になる。
そもそも何故、こんな過酷な環境に国を築いて永住しようと思ったのだ。
聞けば、この国の人口は年々減少傾向にあって、広い国土の割にはこの大陸で最も人口が少ないらしいじゃない。
その原因が、この過酷な環境に耐えかねて他所の国へと移住しようと歩いていた途中でモグラギツネやスノーラットに襲われて、全員が命を落とすのだという。
(モグラギツネやスノーラットからしたら、またとない獲物なんだろうな)
そんな事を考えながら歩いていると、何やら村の方から不穏な気配を感じた。殺気立っているとか、モグラギツネの襲撃を受けているとかではない。
でも、妙な胸騒ぎを感じる。
気配を殺して建物の陰に隠れると、村の中央にある広場で豪奢な馬車と、安っぽいながらも鎧を着た兵士達が一斉に建物の中へと入って行き、5分後くらいには金と食料が入った布袋を持って出てきた。
そんな兵士達に縋り付く様に村人達が腕を掴むが、兵士達はそんな村人達を次々と剣で切り殺していった。
その光景は、とても見るに堪えられなかった。
「おそらく、月に一度の税金の徴収だと思うわ。徴収なんて言っているけど、実際は力と権力で無理やり奪って殺しているだけよ。この国に限らず、北方にある国は何処もこんな感じなの」
「酷いな」
住民の生活を蔑ろにし、金を搾り取れるだけ搾り取り、足りなかったらその分の食料まで奪っていくのかよ。まるで、領民に対して死ねと言っている様な行為だ。自分達は偉い立場にある人間だから、自分達がよこせと言ったら全て渡し、死ねと言ったら死ななければいけないという人の道から外れた外道の様な決まりだ。
しかも兵士達は、金も食料も両方出せない人からは若い娘と妻を強引に馬車に乗せていった。よく見ると、両手を縛って抵抗できなくさせていた。
こんな光景を目の当たりにしているというのに、俺は何も出来ないと言うのか。
「気持ちは分かるけど、耐えて。ここで目立つ行動をとると、竜次の立場を更に悪くさせてしまうわ。そうなるともう、魔人ではなく世界中の人間を巻き込んだ人間同士の争いに発展してしまう。北方の連中は、事を大きくさせるのが好きだから」
そう言っているシルヴィだが、モグラギツネの生首を持っている手は怒りを押し殺すかの如く震えていた。よく聞くと、バキバキバキと骨が砕ける様な音も聞こえていた。恐ろしい馬鹿力だ。
徴収と名の搾取を終えた兵士達は、馬車に乗り込んで意気揚々と村を出ようとした。
その直前に、先頭を走っていた馬車が俺達の前に止まり、中に入っていた兵士がふてぶてしい態度で出てきた。
「おい。それはモグラギツネの亡骸じゃねぇか。ここに来て貴重な食糧と素材が手に入るなんて、ラッキーだな」
誰がお前等みたいな奴にあげなくてはいけないのだ。
そう言いたいところだけど、下手に抵抗したらどんな言いがかりをつけられるのか分かったものではない為、俺とシルヴィは渋々モグラギツネの亡骸を引き渡した。それだけじゃ足りない兵士が他に何か物欲しそうな顔をしていた為、シルヴィは断腸の思いで金貨を差し出した。
金貨を受け取った事で満足したのか、兵士達は再び馬車に乗り込んで村を発った。
「竜次には悪いと思っているわ。でも、たった1体のモグラギツネごときで引き下がるとは思えなかったから」
「いいよ。あの場はそうするしか方法がなかったから」
それに、もし金貨を出さなかったら代わりにシルヴィが連れ去られるところだった為、あの判断は正しかったと思う。
もしシルヴィを連れ去ったら、向こうでたくさんの貴族が屍となって転がり、大問題となっていた所だ。
「ちょっと竜次。今とっても失礼な事を考えなかった?」
「いや、そんな事は無い。気のせいだ」
安易に人の思考を読まないで欲しい。
仕方なく俺達は、残ったスノーラットの毛皮を換金する為に素材屋に足を運んだ。
だが
「すまない。アイツ等のせいで今無一文なんだよ。金ならこっちが欲しいくらいだよ。いや、それ以上に今は食料が欲しいぞ」
と、そんな感じで何処も買い取ってくれなかった。何処も銅貨1枚も手元に残っておらず、その上水も食料も何も残っていない状態になっている為、素材よりも肉を欲しがっている様子であった。
とは言え、この国の貴重な食糧と言えばモグラギツネの肉くらいしかなく、あとは海に行って魚等を取るくらいしか出来ない。
「港町?あそこならもうとっくの昔に滅んでいるよ。住んでいた住民全員が、領主によって金と食料を根こそぎ持っていかれて、しかも今の時期は海が凍っているから漁にも出られない。そんな状態で生きていける訳がないだろ」
と、5件目くらいに訪れた商人から聞いた。
どうやら、港町はとうの昔に住民全員が餓死してしまい、村は完全なゴーストタウン化してしまっているみたいであった。住民の亡骸は、スノーラットとモグラギツネが全て食べてしまったらしい。
「金も食料も全部持っていかれた。もう生きていけない。食中毒を起こす危険性があっても、毛皮ではなく肉が欲しかったぞ。しかもこの寒さだから、1週間もしないうちに飢え死にしてしまう」
最後に今着ている服を買ったお店に来たが、覇気が無くなりすっかり絶望しきった顔をする店主。ここでもスノーラットの毛皮は買い取ってもらえず、逆に何で肉を持ってこなかったのだという感じで睨まれてしまった。気持ちは分かるけど、お金も薬も何もないこの環境で食中毒を起こすと絶対に死ぬぞ。
(ま、それ以前にスノーラットの亡骸はモグラギツネによって全部食われているだろうな)
とは言え、このような状況下だから睨まれても仕方がないと思って割り切る事が出来た。
だが、この後の言葉はどうしても聞き捨てならなかった。
「それもこれも全部フェニックスの聖剣士のせいだ。アイツがこの北方地方をこんな地獄に変えたせいで、俺達がこんな苦痛を味わう羽目になるんだ。しかも、今回召喚されたフェニックスの聖剣士は特に最悪で、手当たり次第に女を襲っている強姦魔らしいからな」
キリュシュラインの戯言をそのまま鵜呑みにした情報だが、実際に耳にするとかなり腹が立つ。嘘情報だと分かっていても、ここまで月日が経ってしまうとここの人達にとってはもうそれが真実になるのだろう。
(どいつもこいつも、何で俺の言葉を聞こうとしないんだ)
香田と言い、鹿島と言い、そして石澤や犬坂と言い、俺はアイツ等に何か恨まれるような事をしたのか。殆ど接点なんて無いに等しいのに、どうして俺ばかりを貶めるんだ。
俺の隣にいるシルヴィなんて、分かりやすいくらいに怒りに震えていて、掴みかかるのを我慢しているのか自分で自分の右手を必死に抑えていた。
「あんたも気を付けな。あの悪魔と同姓同名という不運はあるが、きちんと言えばすんなり分かってもらえるから」
そう言い残して店主は、店の奥へと引っ込んでいった。
結局、買い手が見つかる事なく俺とシルヴィは意味もなく村の中を徘徊する事になった。
「何なのよ!あのクソ親父は!」
「落ち着け、声が大きいって」
店を出た途端、俺の事を悪く言った店主に対して怒りを爆発させるシルヴィ。こんな閑静な村で大声を出されるとかなり目立つ。幸い、誰も聞き耳を立てていなかったみたいでホッとした。
だけど、同時に俺の為に怒ってくれている事が嬉しく思った。
「しかし、ここまで買い手が見つからないと、髪を買い取ってくれた人に申し訳なく感じるな」
徴収前だったとはいえ、銀貨50枚に金貨1枚までくれたのだから本当に気前が良かった。だが、そのせいであの人は超高額の税金を払う事が出来なくなり、食料と店の商品を全て押収されてしまったみたいだ。
「これではまるで、この村の人達全員に死ねと言っている様なものね。それで自分の首を絞めているとも気付かずに」
「確かに、税金を出す相手がいなくなると自分達だって生きていけなくなるというのに、この国の連中はそれが分からんのかな」
この国に限らず、ナサト王国を除く北方全ての国は国民から普通ではありえない程高い税金を課し、更には国民達の貴重な食糧まで大量に徴収するという馬鹿げた行動をとっている。
そんな行動をとっても、優越感に浸っていられるのは今だけだ。こんな事を何時までも続けていると、やがて国民が全員飢え死にする事になる。自分達の為に死ねるのだから名誉だろ、なんて言っているかもしれないがそんな事をしてもその先に未来なんてない。待っているのは破滅だけだ。あのキリュシュライン王国がマシに思えてしまう程、北方の国々のやり方は破綻している。
「お父様がいつも言っていたわ。国民を大切に出来ない王が納める国に、繁栄も平和も存在しない。国というのは、そこに住んでいる人達がいて初めて成立するものであって、国王や貴族が支配しているから国が成立しているのではない、と」
「シルヴィのお父さんは、本当に国民を大切にしていたんだな」
「えぇ。だから、洗脳されていると分かっていてもあんな風にお父様達を糾弾する民達を見て、私は今まで感じたことが無い程の激しい怒りを感じたわ。例え洗脳されただけだと分かっていても、あんな心無い罵声を浴びせる人達の為にエルディア王国を再建させようとはとても思えない」
裏切りを何よりも嫌うエルディア王家らしく、シルヴィは自分の家族を激しく糾弾した民を許せないでいた。それが例え、あの暴君によって洗脳されたせいだとしても。
その後、俺達は昨日泊まった宿でもう一泊した後に早々にこの村を出て次の村へと向かう事を決めた。これ以上この村に残っていても、俺達に出来ることはもう何もない為、それならもうさっさと隣国のロガーロ王国を目指してさっさと進もうという事になった。
だけど、ロガーロ王国もここと大して変わらない独裁国家らしく、しかもあの国には北方最強の剣士と呼ばれているロアという女剣士がいるらしいからな。そのロアが、ロガーロ国王に対して絶対の忠誠を誓っているらしいので国民からはかなり嫌われている。
そして、そのロガーロ王国を抜けると次の目的地であるデオドーラの洞窟が存在するジオルグ王国になる。
「道のりはかなり長いだろうが、それでも俺達は前に進むしかない」
青蘭が一体何の目的で俺達を呼んでいるのか、そしてその目的は何なのか分からないまま、俺とシルヴィは眠りについた。
俺達が眠っている間に、トバリエ王城で大変な事件が起こっている事も知らずに。