38 正規パートナーと懸念
ニーズヘッグの見せる幻覚から解放され、俺と上代は聖剣を構え、シルヴィ達もそれぞれ武器を手に持ってじりじりとニーズヘッグとの距離を詰めた。
フアアァアアアアアアアアアアアアアアア!
「うわぁ、なんて迫力に欠ける咆哮……」
「私も初めて聞いたけど、何だか情けない感じがするわね」
ドラゴンとは思えない情けない咆哮を上げて、自分の周囲を囲う魔物達を俺達に襲わせた。その数は、ざっと見て100を超えていた。
「私に任せて。一気に半分は減らしてあげる」
「拙者の獲物も残して欲しいでござる」
襲い掛かってくる魔物達の対処を、自分達に任せるように言って前に出てくるリーゼと椿。
「大丈夫なのか?」
「ああ」
「お姉様はとても強いのですよ」
何故か自分の事のように薄い胸を張る桜様。
確かに、椿ならたかが100ちょっとの魔物なんて楽勝で全滅させるだろうな。
リーゼも、魔法を使えば一瞬で100ちょっとの魔物を全滅させられるだろうな。
「それなら、拙者が材料を取ってくるでござる」
「頼む」
「材料?」
材料って何のことなのか分からず、俺は思わず椿に聞いたが、椿は答える前に魔物達の中へと走って行った。
そんな中で椿は、蜂の魔物を1体真っ二つに両断し、その内の片方をリーゼに向けて投げ飛ばした。当然の事ながら、蜂の亡骸からは大量の薄紫色の血が流れていた。
その蜂の亡骸を受け取るとリーゼは、薄紫色の血を自分の掌いっぱいに付けた後亡骸を放り投げた。
次にリーゼは、自分の親指の先の皮を噛み切り、そこから流れ出た血を蜂の魔物の血が付いた掌に付けた。
「くらえ!」
両手をパンと合わせると、すぐに掌を魔物の大群に向けて突き出した。その直後、椿の周りにいた蜂の魔物が音を立てて爆発した。
「もういっちょう!」
今度は右側から攻めてきた複数の蜂に向けて、リーゼは先程と同じ様に掌を突き出した。その直後、蜂の魔物はまたしても音を立てて粉々に吹っ飛んだ。
「あの魔法は、魔物の血に自分の魔力が篭った血を掌に付ける事で、その血の魔物と同種の魔物だけを見えない魔力衝撃波で爆発させる攻撃魔法で、群れで攻め込んできた時にとても有効なの」
「なるほど、材料って魔物の血の事だったんだ」
しかも、一度に最大で20体もの同種の魔物を屠る事が出来る為、前回の海上での大襲撃でもこの魔法がかなり活躍したそうだ。欠点として対象の魔物の血が必要となる為、1人でいる時はわざと魔物の血を浴びる事があるそうだ。何て猟奇的な魔法なんだ。
そんなリーゼと椿の活躍により、100以上いた魔物はあっという間に全滅した。時間にして、2分ちょっとしか経っていない。
残るは、ニーズヘッグだけとなった。
「ニーズヘッグの討伐は譲るでござる」
「任せるぞ」
そう言って2人は、左右に分かれて俺達にニーズヘッグの討伐をさせる為に譲った。取り巻きを失ったニーズヘッグは、完全に怯えた様子で動けないでいた。これが本当に、史上最悪の厄竜として恐れられているのかと疑いたくなるくらいに。
「シルヴィ、俺に力を貸してくれ」
「えぇ。私は何時だって、竜次と一緒にいるわ」
聖剣とファインザーを握る俺とシルヴィと右手の紋様が、それぞれ金と銀に強く光った。
「凄い光だ。俺や石澤では絶対にありえない輝きだ」
「正規に組むべきパートナーと組んで、そのパートナーと強い絆で結ばれると紋様も強く輝くのです」
「正規のパートナー、か。だから楠木はあんなに凄い力を発揮する事が出来たのか」
俺とシルヴィを見て、感嘆とした声を上げた上代。
「前に組んでいた連中は、タダ後ろから見守るだけで何もしなかったな。どうりで全然恩恵の力が十二分に発揮できなかったわけだ」
そりゃ、ただ一緒にいるだけでは恩恵の力を最大限に引き出すことは出来ない。パートナーと共に戦い、共に絆を深めていく事で恩恵は真の力を発揮する事が出来るのだから。都合の良い情報だけを取り入れて、肝心なところは全く調べようとしなかった結果である。
上代も、いかにパートナーとの絆が大事なのかを実感したみたいだ。
そんな上代に、桜様が無邪気に前に出て言った。
「まだまだこれからです。上代様も、正規のパートナーといっぱい仲良くなれば絶対に強くなれます。楠木様みたいに」
「持ち上げないでくれよ。俺だって、シルヴィがいないと本当に駄目なんだから」
「それで良いのです。聖剣士とパートナーの関係というのは、そういうものなのですから」
そう言って桜様は、再び上代の方を向いた。
「ですから上代様も、まだまだこれからです」
子供らしい励まし方をした後、桜様は自然な感じで上代の手を握った。
すると、上代の紋様が浮かび上がり、黒から金へと変わった。それと同時に、桜様の右の手の甲から銀色の獅子の紋様が浮かび上がった。黒から金に変わったという事は、呪いで契約したメンバーと上代は正式に手を切った事になる。
「どうやら、桜様はパートナーの上代の様だな」
「えぇ。あいつだったら、少しは安心できるわ」
もしも石澤だったらどうしようと心配したが、上代だったのでひとまず安心した。同時に、シャギナが石澤の正規のパートナーである事が分かってしまった瞬間でもあった。
「まさか、君みたいな小さな子供が俺の正規のパートナーだったなんて」
「私はあなたのパートナーで嬉しいと思います。あと、私はこう見えても13歳です」
「それは失敬」
何てやり取りの後、上代と桜様もニーズヘッグの方を向いて剣を構えた。上代は聖剣を、桜様は刀を抜いて。
フアアァアアアアアアアアアアアアアアア!
自分を守ってくれる魔物をすべて失い、もう逃げられないと感じたニーズヘッグはやけくそになって爪で攻撃を繰り出してきた。俺達4人は、そんなニーズヘッグの攻撃をアッサリと躱していった。
(何て単調で分かりやすい攻撃なんだ)
そもそもニーズヘッグが厄竜として恐れられているのは、相手の人格崩壊を招く幻覚を見せる事で、人間同士の争いを併発させて互いに殺し合わせる事が出来るからなのである。よって、ニーズヘッグ自身は大した力を持たない比較的弱いドラゴン。ブレスもあまり吐かなければ、パワーも並のドラゴンに比べればやや劣ってしまう。
しかも、幻覚は一度かかって解いてしまえばこの先二度と幻覚にかかる事は無い諸刃の剣。こうなるともう、厄竜・ニーズヘッグなんてただ大きいだけの独活の大木でしかない。
「でも念には念を入れて、こいつを呼ぶわ。呼ぶのはかなり久しぶりだけど」
そう言ってシルヴィが、右手を前に出して目の前に召喚陣を展開させた。かなり久しぶりという事は、最初に契約していた4体の内の1体か。ファングレオ、ファイヤードレイク、ガラバカイの他にもう1体。
「久々に出番よ。雷の化身、豪鬼」
シルヴィの呼びかけに反応するかのように、突然召喚陣に雷が発生し、そこから赤紫色の18メートルくらいはある巨人が現れた。巨人と言っても、頭からは2本の角が生えていて、口が耳まで裂けていて、長く突き出た牙が特徴的でその姿は日本古来より伝わる鬼に酷似していた。
「うおおおおおおおおおお!」
大きな雄叫びを上げながら、豪鬼はニーズヘッグの両手首を持ち、その瞬間に全身から電気を放出させた。
フアアァアアアアアアアアアアアアアアア!
電撃を食らったニーズヘッグは、迫力に欠ける咆哮を上げながら苦しんでいた。
「雨の聖霊よ、ニーズヘッグの頭上に雨を降らせて!」
そこへ更に追い打ちをかけるかの如く、桜様が雨の聖霊に指示を出してニーズヘッグの頭上に雨を降らせた。それによって、ニーズヘッグの全身を覆う電気が更に激しくバチバチと音を立てて大きくなった。
フアアァアアアアアアアアアアアアアアア!
強烈な電撃を食らい、全身が真っ黒になったニーズヘッグは、棒立ちの状態のまま動く事が出来ないでいた。鱗は駄目になったが、元々薄くて壊れやすい為売っても安値で買い叩かれるのがオチである為、黒焦げになってもどうって事もない。
「行くぞ上代!」
「ああ!」
動けなくなったニーズヘッグに、俺と上代はほぼ同時に走り出し、そしてほぼ同時に聖剣でニーズヘッグの身体を肩から袈裟懸けに切っていった。この攻撃を食らったニーズヘッグは、切られた箇所から大量の血を噴き出しながら倒れていった。
「シャギナの時とはキレが全然違うな」
「楠木こそ、強くなったじゃねぇか」
互いに称賛し合いながら、俺と上代は同時に聖剣を鞘に納めた。上代も、正規のパートナーを得た事で力が格段に上がったみたいであった。
―――お前達は、悪魔を呼んだ。
「ん!?」
「どうした?」
上代には聞こえなかったみたいだが、俺にはハッキリと聞こえた。老婆の様な声が、俺の耳に届いた。
その声がする方を向くと、血痰を吐きながらもこちらを睨むニーズヘッグの姿があった。声の主は、先程倒したニーズヘッグであった。
(そういえば、現存している個体は全て雌だったな)
女性の声をしているのも、当たり前なのかもしれない。
―――お前達が召喚されると同時に、あの悪魔の魂を宿した奴も一緒にキリュシュラインに召喚された。お前達のせいで、この世界は征服される。あの悪魔によって。
「っ!?」
衝撃の告白に、俺はいきを飲んだ。あの時召喚された生徒の中に、サタンの魂を宿した奴がいると言うのか。
―――悪魔が召喚された事によって、この世界は再び恐怖に支配される事になる。私達は、逃げるしかなかった。
その言葉を最後に、ニーズヘッグは完全に息絶えた。
(悪魔……)
それは確か、遥か大昔に絶滅したと言われている種族だったな。しかし、悪魔の王・サタンの魂は魔剣に姿を変えて大襲撃を引き起こしていると聞いている。
(ニーズヘッグの言葉が本当だとしたら、あの時召喚された中に魔剣を持っている奴がいると言うのか?そして、その魔剣の持ち主は今もキリュシュラインにいると言うのか?)
ファフニールが縄張りから抜けて、他の地方の他の厄竜の住処へと進出したのはそのせいなのか。厄竜達は、サタンを恐れて逃げ回っているんだ。
けれど、これ等を証明するには情報が少なすぎる上に、召喚された生徒は100人。そこから1人を特定するなんて、ましてや魔剣らしきものを持っている奴に心当たりなんてない。それ以前に、それっぽい物を持って召喚された奴なんていなかった。
では、ニーズヘッグは一体誰の事を指しているのだろうか?聖剣士として選ばれた俺、上代、石澤、犬坂、秋野の5人を除いた残り95人のうちの誰が、魔剣を持っているというのだ。
気になる事はあるが、今は考え事をしている場合ではない。だってまだ、これで終わりではない。
一度聖剣を納めた俺は、燃え盛る町の方へと近づき、10メートルで立ち止まった。
「あの馬鹿が燃やした街を何とかしないとな。シルヴィ」
「もちろん。力を貸すわ」
俺が呼んですぐ、シルヴィが俺の隣へと駆け寄り、手を握ってくれた。
そして、明確かつ強い思いを込めて右手を前に出した。それと同時に、俺とシルヴィの紋様が更に強い輝きを発し、王都の上空を雨雲が覆い、雨を降らせた。
雨が降った事で、王都の半分を燃やしていた炎が徐々に勢いを弱めていき、10分後に火は完全に消し止められた。
「これでもう大丈夫だ」
「えぇ。後は、魔物とニーズヘッグの素材をお金に変えれば復興は可能よ」
「そうと決まったら、とっとと素材回収といきますか」
雨が降る中、俺達は倒した魔物の素材の回収作業に入った。
こうして、ヤマトを襲った魔物騒動は幕を下ろした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔物騒動の翌日。
俺達はニーズヘッグから王都を救った事を称賛され、ヤマト国王から勲一等と謝礼金が手渡された。ニーズヘッグの素材の買取金は、全額王都の復興の為の資金として回してもらい、俺達は厄竜討伐の報酬のみを貰った。その金額は、金貨200枚。そのうち180枚を、町の復興の為に寄付した。
ちなみに、ニーズヘッグの素材というのは骨と肉と角と爪くらいで、牙と鱗は他のドラゴンに比べるととても脆くて素材としての価値が無いそうだ。だからシルヴィは、ニーズヘッグの全身を黒焦げにさせたのだな。牙が素材として使えないのは知っていたけど、まさか鱗も素材としての価値が無いなんて思わなかった。
称賛された俺や上代とは逆に、町を火の海にした石澤には多額の損害賠償の支払いが命じられた。その合計金額は、金貨8000枚。
かなり高額な金の支払い要求に、石澤は血相を変えて猛反発した。
「この町の為に俺は命懸けで魔物達と戦ってきたのに、何で損害賠償を請求されなくちゃいけないんですか!むしろこっちが金を貰って賞賛すべきではないのですか!」
やはりと言うか何と言うか、魔物を倒したのに全く称賛されない事に納得がいかない様子であった。
しかし、町の損害の9割が石澤によるものである為、国王陛下と王妃様の怒りは相当なものであった。自分は称賛されるべきだという石澤の要求を跳ね除けて、頑なに損害賠償の請求と街の復興資金の支払いを要求した。
結局、石澤が国王陛下と王妃様の要求に従わなかった為、堪忍袋の緒が切れた2人は「従えないのなら早々にこの国から出ていけ」と言った。当然の事ながら、石澤の今後ヤマトへの入国を一切禁止させた。
本当は、重罪人として奴隷商に引き渡して鉱山島に送り出したかったのだが、大襲撃が治まっていないこの状況下で石澤を摘発させるのは得策ではないと判断し、石澤の入国を一切禁止させる事で妥協した。石澤を訴えるのは、大襲撃が治まってからにするという。
納得のいかない様子ではあったが、金貨8000枚というあまりに高すぎるお金を払うよりはマシだと思い、渋々懐から転移石を取り出してキリュシュラインへと帰って行った。
町を救った英雄になる筈が、町を破壊した事によって犯罪者として扱われる事になるなんて。いや、あれは考え無しに戦った石澤が全面的に悪い為、同情する事が出来なかった。
これにより、ヤマト王国とキリュシュライン王国との関係が更に拗れる事になるのは確実だが、王も王妃も全く気にした様子を見せていない。元々国交断絶状態にあった為、今回の事で更に拗れてしまっても今更だという事らしい。
ちなみに後日、意外な事に石澤に要求した金貨8000枚をキリュシュライン国王が全額負担して支払ったそうで、これには国王陛下と王妃様もかなり驚いた。でも、これは親切心からではなく、出した金を手切れ金として支払い、今後一切干渉しないという意思の表れであった。同時に、石澤を指名手配されては困るという意思も込められていたそうだ。
そんなこんなで、多額の支援金によって町の復興はスムーズに進み、建物の復旧はまだ時間が掛かるものの1ヶ月後には元の生活に戻る事が出来た。
そんな城下町の様子を、俺と上代は城の窓からジッと眺めていた。
「いくら魔法があっても、建物の復旧はまだまだかかるみたいだな」
「それでも、町にいつもの活気が戻ったのは良かったと思う」
俺と共にニーズヘッグを倒した上代も称賛され、国王陛下と王妃様も上代が桜様のパートナーである事に安堵の表情を浮かべた。
同時に、石澤の正規のパートナーがあの最悪の殺し屋であるシャギナである事が分かり、結局は頭を抱える事になった。
更に補足情報として、桜がパートナーになった事で上代は正式にキリュシュラインと手を切る事を決めて、このままヤマト王国に滞在する事を決めた。
「良いのか?」
「問題ない。あいつ等だってもうバカじゃないから、キリュシュラインが本当にヤバイ国だって言う事は良く分かっている。今後は桜と絆を深めていく事にした」
「そうか」
それと同時に、石澤の動向についても調べて情報を与えてくれるそうだ。まるで忍者や、フェリスフィアの諜報員みたいだ。
「それにしても意外だ。上代が石澤を摘発する為にいろいろと調べていただなんて」
「名前は言えないが、そいつから石澤の本性を聞かされていたから、3年間じっくりと情報を集めてきたんだ。知れば知る程、石澤のゲスな本性が浮き彫りになって腸が煮えくり返る気分になるがな」
「そこまで情報を集めておきながら、何で摘発しないんだ?」
「証拠を掴むのに苦労したからだ。いくら情報があっても、証拠が無ければ警察は動いてはくれない。あの野郎は無駄に面の皮が厚いから、そう簡単には尻尾を出さないんだ。お陰で、証拠を掴むのに3年も掛かってしまった」
「想像がつく」
石澤の表向きの印象は、爽やかで優しいイケメン男子で、勉強もスポーツもどれをとっても優秀という完璧超人。そんな石澤の本性を知っているのは、おそらくごく僅かだろう。その内、摘発しようと考えている人なんて片手の指で数えられる程度しかいないと思う。
「これが警察ならもっと早かっただろうけど、警察でさえ石澤を疑わないから本当に困った。特に、お前を執拗に追い詰めた香田は石澤の言う事を完璧に信じているからな」
「思い出したくない奴だ」
香田は、俺の住んでいた町ではそれなりに上の階級にいた為、そんな香田が石澤を疑わないから、他の警察官も誰一人石澤を疑わない。ベテランの警察官でさえ騙してしまう程の石澤の演技に、怒りを通り越して脱帽してしまいそうだ。俳優の道に進めば、主演男優賞を受賞できそうなほどに。
石澤の本性を知っても、無理矢理関係を迫られた女性が大半を占めている為、全員が恐怖のあまり訴える事も相談する事も出来ないのだという。そのせいで石澤が益々調子に乗り、新たな犠牲者が出てしまう。何て悪循環なのだろうか。何度も言っているが、何でこんな奴が聖剣士として選ばれたのだろうか。
「そもそも石澤は、何であんな歪み切った性格になってしまったんだ?」
いくら恵まれた才能と、恵まれた容姿を持ったからと言ってあそこまで歪み切った性格になるなんて俺には考えられなかった。傲慢にはなるだろうけど、あんなに破綻した性格になるものだろうか。
「鹿島を覚えているか?」
「あぁ、あの甘ったれ女か」
自分の才能を鼻にかけ、事が上手くいっているのは自分の努力のお陰だと思い込んでいるおめでたい女教師。実際は、ただただ周りに甘やかされてきただけなのに。
「で、石澤の話をしてたのに何で鹿島の名前が出るんだ?」
「同じだからだ」
「同じ?」
「ああ。石澤も鹿島も、失敗や挫折を経験したことが無く、とんとん拍子で全て上手くいっているからなんだ」
「似た者同士、か」
つまり、類まれな才能に周りの人達が過大な期待を寄せすぎるあまりに石澤を甘やかしてしまい、失敗や挫折をする事でその才能が失われてしまう事を恐れてしまったのだな。その結果、石澤の周囲には常にイエスマンしかおらず、石澤自身も自分が完璧超人の選ばれた人間だと思う様になってしまったのか。
「失敗や挫折を経験させなかった事が、今の石澤を形成させてしまったのだ」
「確かに、石澤も成功するのが当たり前だと考えている節はあるし、鹿島も失敗や挫折をする人間はゴミクズだと言っていたからな」
「成功を収めた人間の中に、失敗や挫折を経験したことが無い人は1人もいない。むしろ、失敗や挫折の方が圧倒的に多いのに」
上代の言う通り。失敗や挫折を経験したことが無い人間なんて、おそらく地球上の何処を探しても存在しない。それはこの世界でも同じ筈。
この場合は、石澤と鹿島が異常なのである。周りが甘やかし放題甘やかし、失敗と挫折を経験させる事を避け続けた結果、あのような人格破綻者へと成長してしまったみたいだ。特に鹿島は、27年も生きてきたのにそれが分かっていないのだから、本当に27年も無駄に過ごしてきたも同然である。
「そんな訳で、この世界に召喚されなければ卒業式当日に石澤がこれまで犯してきた悪事と、その証拠をすべて開示させる事で石澤を告訴して、同時にお前に掛けられた汚名を晴らすという算段だったんだ。石澤みたいな奴は、失敗や挫折をして躓いてしまうと、立ち上がり方が分からないから苦しい言い訳ばかりをするし、そこに更に恥をかかせるとアッサリとボロを出すからな」
「そうだったんだ」
まさか、俺の知らない所でこんな事があったなんて思いもしなかった。
本当だったら、卒業式の当日に俺はあの悪夢から解放されていたのかもしれないんだな。
「だが、運命のいたずらによって俺達はこの世界に召喚されて、二度と元の世界に戻る事が出来なくなってしまった」
「ああ」
しかも、石澤がドラゴンの聖剣士になった事で更に調子に乗ってしまい、益々歪んだ方向へと性格が変化していった。あの暴君とクソ王女が、聖剣士様と呼んでもてはやすものだから。
「そんな優遇された環境に入ってしまった上に、聖剣士というだけで女達が寄ってくるから女癖の悪さは輪をかけて酷くなっているからな」
「その中にあのクソ王女が加われば尚更だろう」
「その結果、他所の国での石澤の印象は最悪なものとなった。5人6人くらいならまだ何も言われないだろうが、1000人以上の女と婚約すれば誰だって警戒するし、印象だって悪くなる。いくら一夫多妻が認められているこの世界でも、1000人以上の女と付き合って全員と婚約するなんて明らかに異常だからな。しかも、その中には婚約者がいた人や、結婚して夫がいた女までいるからどんどん印象が悪くなっていく一方だ」
「その時点で責任能力が皆無だろ」
結婚するというのは、そんなに甘いものではない。たくさん苦労したり、たくさん行き詰ったり、たくさんすれ違ったりする事だってある。その上子供が出来たら、成人して自分で稼げるようになるまでやりたい事は全部諦めて、身を粉にして家庭の為に働かなくてはいけない。お金だってかかるし。それはハッキリ言って、俺達の想像を超える程辛いものになる。それを、これからの長い年月を夫婦で共有しなければならないのだから。
なのに石澤は、ギャルゲーやおとぎ話の様な甘い考えでバンバン婚約するから、その結果1000以上という馬鹿げた数になったのだろう。しかも、石澤自身は自分さえ幸せであれば十分だと感じている節がある為、このまま結婚したとしても彼女達に対する責任感はゼロ。考えが軽すぎるのである。
石澤が、今以上に歪んでいる何よりの証拠となる。洗脳を施しているクソ王女も、流石に多すぎると思わなかったのだろうか。
「止めようとは思わなかったのか?」
「何度も止めたさ。けどスルーされた」
「おいおい」
止めても言う事を聞かないなんて、相当だぞ。
一昔前に流行ったとあるエロゲーの主人公並みの最低野郎に成り下がったな。あのゲームの主人公も、責任能力皆無な上に相当なゲスな性格をしていた割に、手当たり次第に関係を持っていたくらいに女にモテていたな。
「だけど、そんな事はどうでも良い。世界は変わっても、俺は情報をくれたあいつの為にも、そして楠木の汚名を晴らす為にも石澤を絶対に告訴してやる。あんな顔と能力だけのゲス野郎の思い通りになんてさせない」
上代の気持ちは非常に嬉しいのだが、聖剣士の間で内部分裂が起きそうな気がしてきて不安に思っているのは俺だけなのかな?石澤派と俺派に分かれて。
「それに、石澤の罪を白日の下に晒そうとしているの俺だけじゃない。お前のパートナーのお姫様も奮闘しているぞ」
「シルヴィが?」
「ああ。俺から石澤がこれまでにどんな悪事を犯してきたかを、根掘り葉掘り聞いてきたぞ」
まさか、シルヴィが俺の為に石澤を調べていたなんて知らなかった。おそらく、俺がその事を知ると止めると思ったからだろう。確かに、キリュシュラインが後ろ盾になっているので何かしらの報復を受ける事は間違いない。きっと、止めただろうな。
「お前は果報者だな。お前の無実を証明させて、汚名を晴らそうと奮闘してくれるパートナーがいるんだから」
「だけど、危険すぎないか?」
「それでも調べるだろうな。お前を陥れて、人生を滅茶苦茶にさせた石澤を絶対に許さない、って言ってた。おそらく、いや、間違いなく石澤を死刑台に送るつもりだろうな」
「死刑台にって、国際問題にならないか?」
「確かに、今聖剣士を殺そうとするのは人類に対する反逆になるのかもしれないが、事が終息した後なら別に問題ないだろうし、何よりも相手が石澤なら誰も文句を言わないだろう。それくらい、アイツが犯した罪は大きすぎるからな」
「うわぁ……」
聖剣士であるにも拘らず誰にも擁護されないなんて、もしもキリュシュライン国王が崩壊して無くなったらもう終わりだぞ。
「そんな状況になっているのに、何で石澤はあんなにお気楽に過ごしているんだ」
「そこまでは知らん。俺は石澤じゃないし、3年も近づいて観察してきたが、未だにアイツの考えている事は俺にも分からない」
まぁ、あれだけ面の皮が厚いのだから3年も接触して動向を調べてくれた上代でも、石澤が何を思って、何を考えて行動しているのか分からないのも無理ない。
「それはそうと、さっき鹿島の名前を出したけど、おそらく鹿島もこの世界に召喚されていると俺は思うぞ」
「はぁ!?」
ちょっと待て。最初に召喚された時にも確認したが、教師は誰一人として召喚されていなかったぞ。特に鹿島が何も言わずに黙って付いて来るなんてあり得ない。異世界召喚なんて普通に考えるとあり得ない現象だから、自称現実主義の鹿島なら絶対何かしらの反論をしてくるに決まっている。
「何でそう思うんだ?」
「だってそうだろ。俺達がこの世界に召喚されたのは、昼休みが終わって午後の授業が始まろうという時、予鈴が鳴る前だ。時間に正確な鹿島が、教室の近くまで来ていない訳がない」
確かに、鹿島はチャイムが鳴る5分前には既に教室の近くにまで来て、1分前になると教室に入る。上代の言う通り、それなら鹿島も異世界召喚に巻き込まれても不思議ではない。
「でも、だったら何故あの時鹿島は城の召喚陣の中にはいなかったんだ?」
「俺の勘でしかないが、おそらく一度に召喚できる上限人数をオーバーしてしまったから、一番外側にいた鹿島があぶれちゃったんだろうと思う。その結果、城ではなく違う所に飛ばされたと俺は考えている」
「違う場所って事は」
「ああ。もしかしたら、旅先で遭遇するかもしれないって事だから一応注意した方が良いという事だ」
「最悪だ」
鹿島までもがこの世界に来ているだなんて、最悪過ぎる。
「とは言え、この世界の住民は鹿島の恵まれた能力の事なんて知らないし、自分を立ててくれる人なんて何処にもいないから路頭に迷っていること間違いないだろう」
「だろうな。理想だけでは食っていけねぇし、魔物狩りが出来そうには思えない」
元々記憶力がいいから、この世界の文字と言語はすぐに理解できるだろうけど、この世界には鹿島を甘やかす人なんて1人もいない。誰にも受け入れてもらえず、その上生きていく術も持っていない状況の中で一体どう生きていこうというのだろうか?最悪の場合は、盗賊に唆されてその仲間になって悪さをしているという事だが。
「でも同時に、石澤にはないちゃんとした知恵があるから、無いなら無いなりに農業なり開拓なりして生きているかもしれないな」
「あり得そう」
だが、農業も開拓も想像以上に大変な仕事。休みという休みなんて無く、365日フルで働かなければいけない過酷な仕事。町育ちで本当の努力をしたことが無く、失敗や挫折をしたことが無い鹿島に果たして耐えられるのだろうか。
「ま、あくまで俺の想像でしかないから断言できないけど、一応警戒はした方が良いぞ。あの女も石澤の能力に惚れこみ、高く評価していたから、石澤の言う事には何の疑いもなく信じるからな」
「分かってる」
石澤の言う事を疑わないという事は、キリュシュラインが流した嘘情報にも何の疑問も抱かず、鵜呑みにして信じるという事だ。それすなわち、鹿島が飛ばされた国では俺に対する弾圧がかなり酷くなっているという事になる。下手をすると、入国手続きの際に顔バレして取り囲まれる可能性だってある。
「失敗や挫折を経験したことが無い、才能のある人間に悪い人間は一人もいない。鹿島がいつも言っていた口癖だからな」
「そのせいか、俺も在籍していた特進クラスの生徒の事をかなり依怙贔屓していたけど、あんな教師を俺は絶対に認めない。失敗や挫折を否定するという事は、人が積み重ねてきた人生そのものを否定するようなものだから」
宮脇もそうだけど、上代みたいな教養のある特進クラスの生徒は鹿島の事を嫌っていたが、大半が鹿島の言う事に賛同していたのも事実。その為、特進クラスの生徒の印象はとにかくいけ好かない連中というのが強かった。上代や宮脇の様に、鹿島の考えに否定的な生徒もいたが。
「翔太朗様!お風呂の準備が出来ました!」
「分かった」
「お背中流しましょう!」
「結構。桜と一緒に入ると、俺が危ないから」
「えぇ~!」
「えぇ~!じゃない」
桜様に連れられて、上代は浴場へと向かった。実は上代、桜様の事を任された時、姉の椿から
「そなたの事は信用しているでござるが、もしも拙者の可愛い桜に手を出しでもしたら―――」
「貴様の股間にあるものを切り落とすでござる」
なんてドスの利いた声で恐ろしい事を言われて、上代だけじゃなく俺まで委縮してしまった。
そんな椿の警告に、上代は顔を真っ青にさせながら頷いた。見た目が幼いだけに、上代も桜様には手を出さないけど、桜様は上代の事を気に入ってしまいあんな風に一緒にお風呂に入ろうとしたり、一緒の布団で寝ようとしたり、膝の上に座ったりしてくる。その度に上代は、恐ろしい物でも見た顔で椿や王様、王妃様に弁解している。
桜様自身は甘えているだけなのかもしれないが、上代にとっては大事なものを切り落とされるかどうかの瀬戸際に立たされる為堪ったもんじゃない。
1人残った俺は、ニーズヘッグが死に際に言った言葉を思い出して外を見た。
「あの時、あの城に召喚された生徒の中に魔剣を持っている奴がいる」
あの場にいた生徒は、俺達も含めて100人。全員顔と名前を知っているが、その中で特にコイツが怪しいと思える奴が多すぎるのだ。
「聖剣士が持っているとも考えられないし、宮脇も持っているような雰囲気じゃない。となると、残り94人の中にいるというのだろうか?」
最初は、教室の外で巻き込まれたであろう鹿島ではないかと思ったが、ニーズヘッグはキリュシュラインに召喚されたとハッキリと言っていた。だから、鹿島の可能性は無くなった。
それに鹿島は現実主義者だから、いきなり飛ばされたこの世界で足搔くに決まっている。そうなればすぐに国全体に広まる筈。俺の嘘情報でさえたった1日で広まったのだから、鹿島の事がキリュシュラインで話題にならない訳がない。それ以前に、着ている服がこの世界の物ではないから余計に目立つ。
その為、鹿島の可能性はまた限りなく低くなった。無論、ゼロじゃないから依然として容疑者の1人でもある。
「その前に、キリュシュラインにいるとも限らないからな」
何処にいるのか分からず、それどころか本当にこの世界の召喚に巻き込まれたのかも分からないまま、俺は部屋に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方その頃。
「モタモタしない。きちんと守りを固めれば、魔物どもは絶対に入って来れないわ」
「し、しかしながら、町の周辺を大きな壁で覆うにしても人手が」
「泣き言を言っている暇があったら手を動かしなさい」
ここは、北方にあるとある国にある小さな町。
そこで1人の女性が、町の人達に指示を出して町全体を覆う程の巨大な壁を作らせていた。人力で。
「あなたが望む壁でしたら、魔法を使えばすぐにでも」
「そんなものに頼る奴は負け組だ。人間なら、そんな非科学的なものに頼るのではなく、自分自身の力で積み重ねていかなければいけない。魔法を使って楽をするな」
「そんな、ご無体な!」
魔法が発達しているこの世界で、赤みが掛かった短い黒髪をした女性はその魔法を根本的から否定し、職人達に過酷な重労働を強いた。
その女性は、半年以上前に中年の男性と共に突然この町にやって来ていて、2人ともこの世界では見たことが無い服を着ていた。2人とも、この世界の文字と言語を短期間で習得し、魔物の襲撃に悩まされているこの町を救う為の提案を出してくれた。
だが、その提案というのが町の周りを覆う巨大な壁を作るというもので、その作業を魔法抜きで行えと命令してきたのだ。
「そもそも、この町の周りを囲うのに必要な金と煉瓦だって不足しているのです!それ以前にこの町全体を囲う壁なんかを作ったら、この町の経済は破綻します!」
「魔物から町を守りたいという、あなた達の要望に応える為に私が考えてあげたのよ。それをやる前から無理だなんて言うなんて、所詮は負け組の言い訳ね」
「現実的ではないとおっしゃっているのです!物流だって、この壁の製作で今はストップしている状態ですし、食料の仕入れだって止まっているのですよ!」
「その為に、町の南側で作物の栽培を行っているじゃない」
「この地域の気候を馬鹿にし過ぎです!北方は真夏でも0度を下回る程の極寒地帯!土壌も枯れていますから作物なんて育ちません!それ以前に、必要な種の仕入れが出来ていないのに栽培なんて出来る訳が!」
女性に食い下がる男性を、この世界の物とは違う服を着た中年男性が投げ飛ばし、寝技を決めて抑え込んた。
「言い訳ばかりするな。やる前から無理無理言ってんじゃねぇぞ」
「っ……!」
「言い訳ばかりしてないでさっさと働け」
中年男性は拘束を解き、男性は2人を睨みながら仕事に戻った。
「どいつもこいつも、やる前から無理だと言って」
「そう言わないでください。俺も投げ飛ばしちまったが、あいつの言い分も分かるんです。この世界の怪物どもはやたらと凶暴だし、しかも時々人里を襲いに来るらしいですから」
「だからって、逃げて良い理由にはならない。この国の王がボンクラである以上、私達が何とかしないといけないのだから」
「確かに、この国の王族は下民に対してかなり酷いらしいですぞ。特に、王子のデゴンはそれに輪をかけたクズだと聞きました」
「みたいね」
徐々に高さを増す煉瓦造りの壁を、鹿島知美と香田雅弘は自分達が行っている事がどれだけ問題のある事なのかも認識せず、ただただ働いている人達に作る事を強要していた。
「正直言って、教室の床から不思議な模様が浮かんだ時は驚いたし、端っことは言えその中にいた私もこんな所に飛ばされて」
「先生は理由が明確に分かっているから良いですよ。俺なんて、瞬きをしている間にこの世界に来てたんですから。救いがあるとしたら、先生と会えたことですよ」
「そうね。私も1人だと正直心細かったから、助かったわ」
そう言い残し、鹿島は香田の元を離れて他の建設現場へと足を運びに行った。




