37 尻拭いと悪夢の幻覚
「オラオラオラァ!」
「いい加減にしろ!周りの被害を考えろ!」
「腰抜け楠木は引っ込んでろ!ニーズヘッグは、俺一人で倒す!」
ニーズヘッグを倒す、その事しか考えていない石澤に注意を促すが、石澤は俺の言う事なんて全く耳に入れようとはしなかった。可愛い女の子の前でカッコいい所を見せよう、そんな幼稚な事しか考えていないのが見え見えだ。もちろん、町を救うという意思もあるのだろうけど。
「あの疫病神が!」
「ヤマトの町をめちゃめちゃにする気でござるか!」
「ハッキリ言って邪魔です!」
「所詮は名ばかり聖剣士か!」
うちの女子4人それぞれの、石澤に対する意見は御覧の通り。誰一人として、石澤の事をカッコイイなんて思っていない。むしろ邪魔者や、疫病神扱いをしていた。
そうとは知らずに、石澤は魔物を倒しながらどんどん前に進んでいった。その近くにあった建物や、まだ近くにいた人達も巻き込んで。建物は燃え盛り、魔物や火の手から逃げ惑う人達で溢れかえっていた。
これ以上はもう見ていられない。
「ニーズヘッグは一旦後だ!逃げ遅れた人達の避難を最優先させるぞ!」
「分かったわ!」
「拙者とリーゼ殿で魔物どもに対処でござる!」
「任せて!」
「楠木様とシルヴィア様は、住民の避難誘導をお願いします!」
「分かった!シルヴィ!」
「えぇ!」
「俺も協力する!あの馬鹿の尻拭いは気に食わんが、そんな事も言ってられない!」
石澤の事は一旦放って置いて、俺とシルヴィと上代で逃げ遅れた人達の救出と避難を優先させた。
「水の聖霊よ、楠木様とシルヴィア様を火の手から守ってください!」
精霊魔法を使って、桜様は俺とシルヴィの近くで燃えている火を消してくれていた。
「大丈夫ですか!」
「落ち着て、私達の後に続いてください!」
「怪我人や子供やお年寄りには、手を差し伸べて下さい!」
魔物や火の手から守りながら、俺とシルヴィと上代は逃げ遅れた人達を先導していった。椿が言うには、魔物の襲来や大襲撃や天災等の災害が起こった時は王都の西側にある神社、つまり上代と石澤が転移してきた神社に住民を避難させるようにしているそうだ。無人の神社ではあるが、王都に住んでいる人々全員を避難させるだけの広大なスペースがあるのだという。
住民達もそれを理解しているのか、全員が一心不乱に西側にある神社を目指して走っていた。重症者や、動けないお年寄りは、桜様が精霊を使って運んでくれていた。
その間も石澤は、建物への被害も顧みない攻撃を繰り返しているのが爆発音から知る事が出来た。
(かなり派手に戦っているな)
幸いなのが、あの辺りに逃げ遅れた人達がいないという事である。それでも、建物への被害は甚大であった。椿を敵に回したくないあのクソ王女が怒りそうだが、損害賠償を請求されても応じないだろうな。
そんな事よりも、椿とリーゼが魔物を倒してくれたお陰で俺とシルヴィと上代は魔物に気を取られる事無く、避難誘導がスムーズに進んだ。当然の事ながら、住民達は魔物やニーズヘッグよりも、被害を顧みずに攻撃を行った石澤にへの怒りの方が強かった。
「皆さん!こちらへ!」
神社には、物凄い数の人達が避難していた。王都と言っても、フェリスフェアの王都の4分の1に広さしかない為、住民全員を避難させるには十分な広さであった。入り口にあった大きな九尾の狐の石造がかなり特徴的であった。
避難民の中には、国王陛下や王妃様、それに幸太郎様もいた。
リーゼと王宮に仕えている医師が、怪我人や重傷者の手当てに当たっていた。
「すまない楠木殿。感謝いたします」
「いえ。それよりも」
国王陛下に感謝されても、俺は素直に応じる事が出来なかった。何故なら、王都の方を見ると北側は完全に火の海になっていた。犯人は言うまでも無く、石澤であった。聖剣士が町を破壊して回るなんて、同じ聖剣士として恥ずかしすぎる。
「石澤の代わりに謝罪します。申し訳ありません」
「いや、上代殿が謝る事ではありません」
「あの者ですね。問題ばかりを起こしているという黒い聖剣士というのは」
王妃様も、石澤に対してかなりご立腹の様子。町にこれだけ大きな被害を出せば、一国の王妃として当たり前である。上代が謝っても仕方がない。
「町にいる魔物は全て倒されたみたいだが、その代りに被害が凄いな」
「ニーズヘッグとその周辺にいる魔物はまだ健在みたいだけど」
俺とシルヴィは、町の外で様子を窺っているニーズヘッグに目をやった。町の襲撃は魔物達に任せて、親玉のニーズヘッグは高みの見物という感じであった。それが、ニーズヘッグのやり方なのだろう。
そしてそれは、知能レベルの高い生き物程ニーズヘッグが生み出す悪夢に陥りやすい。人間なんて尚更だ。いくら石澤でも、悪夢の幻覚を見せられて正気いられる訳がない。
「シルヴィ。お前はここに残って、住民の皆を守ってくれ」
「竜次は?」
「俺は上代と一緒に、ニーズヘッグを叩く。聖剣士が出した損害だ。俺と上代で何とかする」
何て言っているが、要は石澤の尻拭いをしてくるという事である。また、ニーズヘッグの幻覚を見せられて石澤までもが暴走をしないかという心配もある。
それにシルヴィ達を巻き込ませる訳にはいかない。
「あの男が犯した罪なんだから、竜次が責任を感じる事なんてないわ」
「だけど、アイツのせいでここまで被害が大きくなった。世間から見れば、俺もアイツも同じとみなすものだ」
どんなに違うと訴えても、聖剣士という一つのグループに入ってしまっている以上、1人が問題行動をとるとグループ全体が悪く見られてしまうものだ。そんな中で、自分達は無関係だと言っても尻拭いを行わないと更にそのグループに悪い印象を与えてしまう。
腹が立つけど、アイツも聖剣士である以上、アイツが不祥事を起こせば俺達までもが犯罪者扱いされてしまう。キリュシュラインと近しくない国で、そんな扱いをされるのは御免だ。漫画の主人公なら、その逆境にもめげないのかもしれない。だが、実際に被害に遭うと周りに向けられる好奇な視線と、何もしていないのに凶悪犯扱いされて違法な取り調べや、周りの人達の視線に恐怖を抱いてしまうものだ。
あんな奴のせいで、これ以上あの恐怖を感じるのは御免だ。
そして、その責任は聖剣士である俺と上代が取らないといけない。
「楠木の言う通り。あんなんでも聖剣士だから、聖剣士が犯した罪は聖剣士で罪滅ぼししないといけない。手助けは不要だ」
「だからシルヴィ達は、ここで待っててくれ」
「ちょっ!待って竜次!」
シルヴィの制止も聞かず、俺は上代と一緒にニーズヘッグの方へと走って行った。
「一応気配を探ってみたが、やっぱり町中には魔物は1体もいないみたいだ!」
「石澤も、魔物を倒すのは良いが、灰にしてしまっては元も子もないだろ」
魔物の素材はお金になる為、そのお金で街の復興支援に充てる事が出来るのに、石澤は手当たり次第に魔物を聖剣の炎でどんどん焼いていってしまっている為、せっかくの素材も燃えて無くなってしまう。こうなるともう一文にもならない。
「だったら、せめてニーズヘッグとその周囲にいる魔物の素材だけでも回収しないとな!」
「ああ!」
幸か不幸か、石澤はニーズヘッグの元に辿り着いているみたいだけど、何故か目の前に立ったまま動こうとはしなかった。
しかしその理由は分かる。石澤は今、ニーズヘッグが見せている幻覚に苦しんでいるのだ。失敗や挫折を経験したことが無い石澤にとって、悪夢の幻覚は物凄い苦痛を感じるだろう。それによって動けなくなっていると思う。
「ッタク!調子に乗って突っ込むから、こんな事になるんだ!」
その後も、石澤が動く気配は感じられず、ずっとニーズヘッグの前でジッと動けないでいた。
かと思ったら、突然石澤が燃え盛る町の方へと走って行った。
「チッ!あの馬鹿!」
「まずは石澤を止めるぞ!」
「ああ!」
上代の意見に同意し、俺達は火の海と化した町の北部へと入っていった。熱くて、呼吸をするだけで喉が焼け爛れてしまいそうになる。
だが、そんな事を感じている場合ではなかった。
「うおおおおおおおおおお!」
まるで狂った様に暴れ回り、周りの建物を破壊して回る石澤が突如目の前に現れた。
「楠木ぃ!完璧なこの俺に恥をかかせ、女の子にフラれるという屈辱を味合わせた事!その上シルヴィアちゃんみたいな完璧女子を奪うなんて、絶対に許さねえぇ!」
狂ったように暴れ、罵声を吐きながら俺を探す石澤。その罵声の内容が、石澤が俺を陥れた理由。
「屈辱って、そんなアホな理由で……」
「なんて程度の低い恨みなんだ。たかが女にフラれたくらいで楠木を逆恨みするなんて」
上代の言う通り、石澤が俺を恨む理由がかなり幼稚で程度の低い馬鹿馬鹿しい内容であった。
けれど、女にフラれた=俺のせいだという繋がりがいまいち分からない。最初はシルヴィの事を言っているのかと思ったが、女の子にフラれた後に「その上シルヴィアちゃん」だからおそらくシルヴィの事ではない。
では一体、誰の事を指しているのだろうか?そもそもこの世界に召喚される以前から、石澤が女子にフラれるなんて話は一度も聞いたことが無い。
(一体誰にフラれたというのだ?)
そして、そのフッた女子が俺に近しい人だったという事なのだろうか?
だが生憎、元の世界で俺と近しかった女子なんている訳もない。強いて言うのなら、石澤と共謀して俺を陥れた梶原と、剣道部のマネージャーを務めた宮脇くらいだ。梶原の事はかなり嫌っているし、宮脇ともそんなに近しい間柄でもなかった為、あそこまで恨まれる覚えなんて無かった。
「とにかく、あの馬鹿を止めないと!」
「楠木!」
石澤に恨まれる覚えはないが、アイツが俺を探しているというのなら望み通り相手をしてやるまでだ。
「楠木いぃ!」
俺の姿を見つけた石澤が、鬼の様な形相で何度も火球を放ってきた。俺は聖剣で火球を切り裂いていき、これ以上建物に当たらないようにした。
「嘗めた真似をしやがってえぇ!」
「アンタに恨まれる覚えなんて無い!」
石澤が自分の間合いに入った瞬間に、俺は聖剣で石澤の聖剣を弾き、その直後に石澤の蟀谷に蹴りを入れて気絶させた。
マリアに鍛えられたお陰で、今の石澤をすんなりと倒す事が出来た。
「石澤を瞬殺するなんて、かなり強くなったな」
「師匠が強すぎるからな」
そもそも、女遊びばかり行っている石澤なんかに負ける訳がない。
正直言って、こんな男の事なんてどうでも良いのだが、一応は聖剣士という肩書があるみたいなのでここで死なせる訳にはいかない。
気絶した石澤を、上代が肩で担ぎながら俺と共にニーズヘッグの元へと走り出した。
燃え盛る炎と、崩れた建物の瓦礫を避けて走った為、少し時間が掛かってニーズヘッグの元へとたどり着いた。
「ようやく、親玉のお出ましだな」
「だが油断するな。心の傷やトラウマは誰もが持っているもの。特に楠木、お前のはかなり深いからな」
そんな事は言われなくても分かっているが、このままニーズヘッグを放置する訳にもいかない。
それに対してニーズヘッグは、俺達をジッと見下ろしたまま襲い掛かる気配が感じられなかった。というより、わざわざ襲う必要なんてないと言った感じだろうな。その周囲にいる魔物達も、それを分かっているのだろう。
「ッタク!嘗めた真似をしやがって」
「今まで戦ってきたドラゴンと違って、コイツはかなり知能が高いな」
石澤を下ろしながら、上代はそんな憶測を立てた。知能が高いからそこ、わざわざ自分から襲う必要がないと理解しているのだろうな。
でも、それが厄介だ。
「知能が高いからこそ、自分を傷つける事無く町を襲う方法を身に着けたんだろう」
「悪夢の幻覚は、その為に身に着けたのだろう」
今の所、ニーズヘッグは俺達をただただ見下ろしているだけではあるが、ここから一体どんな方法を使って俺と上代に幻覚を見せるというのだろうか。
「とりあえず、まずは周りにいる魔物どもから片付けないとな」
「ああ…………っ!?」
ニーズヘッグの前に、俺と上代が魔物どもを倒そうと動き出した瞬間、突然周囲の景色が変わり、地球の学校の教室らしき所に俺は立っていた。
いや、間違いなくここは学校の教室だ。何故そう断言できるのかというと、ここは俺がかつて過ごした中学校の教室だからだ。
その懐かしの教室にはたくさんの生徒がいて、その中に俺と当時まだ茶髪のセミロングだった梶原もいた。あの頃の俺には、まだ友達がたくさんいてそれなりに学校生活も充実していた。
だが、あの出来事があってから、俺の学校生活は180度変わってしまった。
次の瞬間、物凄い剣幕で石澤が教室へと入り、俺の前まで来て掴みかかってきた。
浴びせてきた罵声も、言ってきた言葉も当時の様子をそのまま再現されていた。
そして、梶原までもが俺にありもしない罪を着せた。
「何で、何で今更これを俺に見せるんだ」
取り押さえられる俺の目の前で、石澤と梶原が抱き締め合い激しくキスをする所を見せられた。その時の2人の姿が、高校に入ってからの姿に変わった。梶原の髪型も、キリュシュラインで最後に見た時の茶髪のロングになっていた。
『石澤君って、本当に何をやっても完璧にこなせるし、成績も優秀でスポーツも万能、その上凄く優しくて爽やかなパーフェクトイケメン。ここまで完璧な男子を好きにならない女子が、この世にいるのかしら』
『何分り切った事を言ってるんだ。君みたいな可愛い子は、あんな男に相応しくない』
『そうよ。なのにあの男は、幼馴染という特別な特権を利用して私に近づいてきて本当にうんざりなのよ。だから、石澤君に相談してあの男を犯罪者に仕立て上げる事にしたのよ』
やめろ。
それ以上は。
『ま、麻美をこんなに悩ませたんだ。楠木にはふさわしい罰だ』
やめろ!
俺を見ながら、言うな!
これは幻覚だと分かっていても、どうしても気持ちが追い付いて来ない。2人が俺を見ながら、あの時どんな事を思って俺を陥れたのだと考えると、胸が引き裂かれそうな感覚に陥ってしまう。
「これは幻覚だ……あの2人が実際に何を思っていたかなんて分からないんだぞ……」
全部ニーズヘッグの罠だという事も理解しても、当時の古傷が再び痛み出した。
その直後に再び景色が変わり、今度は警察の取調室の中になった。
目の前には、震えながらも必死で強気な態度を装う俺と、机を叩いき、大声で何度もあの時の出来事を自白するよう迫る50代くらいの中肉中背の男性がいた。スーツに茶色いコートという、刑事ドラマなどで出てきそうな刑事さんそのままの格好をしていた。
「香田……!」
そう。あの男が俺に最低な取り調べを行った刑事、香田雅弘警部補だ。
香田は、事件があった日に俺が何処で何をしていたのかを全く調べようとはせず、石澤の証言を何の疑念も抱くことなく完全に信じ切っていた。
そんな香田の取り調べは、とにかく最低としか言いようがなく、当事者の俺にとっては最悪な悪夢でもあり、恐怖でもあった。
なかなか求めていた回答を言わない俺に、香田は俺の髪の毛を引っ張って壁に叩き付けたり、顔を机に叩き付けて耳元で鼓膜が破れんばかりの大声を上げたり、「私は性犯罪をやりました」という文章を書けと強要する等をしてきた。
それでも応じない俺に、香田は付き添いの部下達を退出させて、椅子に座っている俺をかなり強く蹴飛ばし、更には殴る蹴る等の暴力を行ってきた。それに対して香田は、梶原にも同じ事をしたのだろとしつこく言ってきた。同じ事をしただろと何度も言ってきて、そのくせ自分が犯した暴力を棚に上げて無かった事にした。
それでも、何とか罪を認めようとはしなかった。やった覚えが無いのだから、答えられる訳がない。
求めている回答を言わない俺に、今度は『親が悲しむぞ』や『お前がやったんだよ』等を何度も言ってきた。何度も、何度も、まるで暗示をかけるかのように。
「いい加減にしてくれよ!もう見たくない!こんな、こんな!」
香田の地獄のような取り調べに、俺は何度も心が折れかけ、こんな悪夢からは早く逃れたいといつも思っていた。
そんな時、示談が成立したという朗報が入り俺はめでたく釈放される事となったが、最後に香田は
『俺は諦めないから。お前が行った事は、人間の風上にも置けない最低な行為だ。お前を逮捕するまで、犯した罪の報いを受けるまで絶対に諦めないからな』
そう言って、牢屋にいる俺に向けて唾を吐いて去って行った。
「っざけんじゃねぇぞ!何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!何で俺が……!」
何で何もしていない俺が、何も悪い事をしていない俺がこんな酷い目に遭わなくちゃいけないんだ!
釈放された後も、俺の地獄の日々は続いた。
周囲の人達からは犯罪者を見る様な目で見られ、机に落書きをされたり、カッターナイフで傷つけられたり、更には教科書やノートをズタズタに引き裂かれていたり、靴をハサミで切り刻まれたりされた。そんな目に遭っても、先生達は俺の言葉に耳を貸そうとはしてくれず、助けてもくれなかった。
町に出たら、道行く人達に後ろ指を指されてコソコソ何かを言ってきたり、石を投げてきたり、更にはわざとぶつかって来て突然セクハラしてきたと大きな声で叫ぶ女だったりと、最悪であった。
それから時は流れ、高校入試で第一志望校の入試の面接の時を迎えた。けど、入った直後の教師達の言葉に、俺は耳を疑った。
『出て行け』
その一言だけを言い、俺は呆気なく追い出されてしまった。当然の事ながら、結果は不合格。
そしてまた、景色が変わろうとしていた。
「もういいだろ!これ以上は、もう見たくない!」
思い出したくもない!
考えたくもない!
頼むから、もう見せないでくれ!
そんな俺の悲痛な叫びも届かず、今度は高校の生徒指導室へと景色は変わった。椅子に座らされた俺を、ビシッと身なりを整えたお堅い感じの女性教師、周りからはクールビューティ何て呼ばれていた赤みを帯びた短い黒髪の若い先生が睨み付けていた。20代後半くらいの。
この教師の名は、鹿島知美。特進クラスの授業を受け持つことが多い、この学校に勤めている教師の中でもずば抜けた知能と才能を持った先生であった。一方で、人を能力だけで判別し、能力のない人に対してはとことん冷遇するという嫌われ者でもある。
『示談が成立したからと言って、調子に乗り過ぎじゃないの。犯した罪の報いを受けない方が間違っていると思わないの?』
『何もしていないのですから、報いを受けるも何も』
次の瞬間、鹿島は椅子に座る俺の頬に思い切り平手打ちをした。あの時の鹿島、全然手加減をしていなかった。
『いい加減にしなさい!いつまでもそんな事を言うの!』
『本当に、何もしてないんですから』
『口答えをするな!お前みたいな凡庸な人間は黙って才能のある人の言う事に従えばいいのよ!』
この教師は、相手を能力と才能だけで判別して、相手の人柄や人間性を否定して罵る才能至上主義者。「努力は裏切らない」というのが口癖だが、鹿島の場合は恵まれた才能によって何の苦労もする事も、失敗や挫折を全く経験する事なくとんとん拍子で上手く事が進んでいったからである。
しかも、更に最悪な事に周りにいる連中も鹿島を甘やかす奴ばかりである為、挫折する事も苦労する事も一度も経験する事が益々なくなっていったのである。
本人は努力の賜物だと言って自慢しているが、実際は甘やかされ放題甘やかされてきた甘ったれ女なのである。そんな生活を産まれてから27年も無駄に過ごしてしまったが為に、このような人格破綻者へと成長してしまったのだ。それ故、たくさんの生徒達からはかなり嫌われていた。
他の教師共も、才能に溢れた鹿島を無下に扱う事が出来ず、あの女の言う事やる事を全て肯定してきている。
そのせいで更に調子に乗ってしまい、保護者からのクレームや苦情を「自分達の誤った育て方を、人のせいにして責任逃れをしようとしているだけの自分にとことん甘い無責任な親」、と言って全く聞こうとしないという始末。自分が悪い事をしているという自覚が全く無いのだ。
そんな価値観を持っているせいか、腹が立つくらいに恵まれた才能を持つ石澤の事を依怙贔屓していき、アイツの言う事全てを何の疑いも抱かずに信じ、全てが正しいと思っている。
そんな甘ったれ女の言う事でも、ほぼ毎日ネチネチ同じことを言われ続け、同じ罵倒を繰り返し聞かされれば頭も来るし、学校に行くのが嫌になるくらいのトラウマにもなる。しかも、今では法律で禁止されている体罰も平気で行ってくる。
そんな鹿島のせいで、俺は高校に入ってもクラスメイト達から酷い虐めを受ける羽目になり、俺がいくら無実を訴えても鹿島がそれを跳ね除けるからどんどんエスカレートしていった。
「いい加減にしてくれ……もう、いい加減に……」
せっかく忘れかけていた辛い日々を、こんな形で見せられる事になるなんて。しかも、それを更に抉る為にいろいろと脚色までしてきて。
「これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ。これは幻覚だ」
ニーズヘッグが見せている、相手を苦しめて憎悪を刺激する為の幻覚だというのは分かっていても、気持ちがどうしても付いて行くことが出来ない。
そんな俺に更なる追い打ちをかける様に、今度はこの世界に召喚されてすぐの事が映像として俺の目の前に映し出された。
初日は、魔物をたくさん狩って、その素材を売って生きていけばいいと思っていた。
けれど次の日から、キリュシュラインの暴君とクズ王女によって冤罪を掛けられ、重罪人として命を狙われる事になり、俺は元の世界以上に窮屈で苦しい生活を強いられる羽目になった。
その上、命を助けた筈のエルにまで冤罪を掛けられて、梶原の時と同様の裏切りを受ける羽目になった。
どうして、異世界に来てまでこんな思いをしなくてはいけないんだ!
もう、うんざりだ!
『アンタなんて、石澤君の足元にも及ばないクズ中のクズ。正直言って、いつも一緒にいられて迷惑だったのよ』
『お前が罪の報いを受けるまで、俺は絶対に犯罪者であるお前を何処までも追い詰めてやる。お前を壊してでも』
『凡人未満のアンタなんて、才能のある選ばれた人間の奴隷として生きていくのが分相応というものなのよ』
「うるせぇええええええええええええええええええええ!」
景色は変わり、何もない薄暗い空間の中に1人俺は膝を付いて蹲っていた。そこへ、梶原と香田と鹿島の映像が俺の目の前に現れ、3人とも俺を嘲笑うかのような目で見て、俺を追い詰めるような事を言ってきた。実際に言われた訳でもないと分かっていても、やはり気持ちが付いていくことが出来ない。
『アンタなんて、いらないのよ』
『貴様の存在そのものが、この世の害悪となるんだよ』
『お前みたいな虫けらは、生きている価値なんて無いのよ』
「黙れぇええええええええええええええええええええええ!」
どいつもこいつも、俺の言葉を聞こうとしない!
俺の言う事を信じようとはしてくれない!
俺を見ようとはしない!
何で俺ばかりを一方的に悪者扱いするんだ!
俺の言う事全てが嘘だと決めつけるんだ!
俺の存在そのものを否定するんだ!
「……り…………う……じ……」
もう嫌だ!
何でこんな思いまでして、この世界の為に戦わなくてはいけないんだ!
「りゅう……じ……」
もう、何もかもどうでも良い!
こんな世界!
滅んでしまえ!
「竜次!」
「っ!?」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえ、その声の方を向くと長い金髪をなびかせて、青と緑のオッドアイの少女が、宙に浮いて優しい笑みを浮かべながら、年不相応に大きく膨らんだ胸に俺の顔を埋めるように抱き締めてきた。
誰だっけ……?
「負けないで!竜次はもう独りじゃないわ!」
俺の名前を、どうして知っている。
だけど、彼女に抱き締められていると不思議と安心感を抱く。
「感じるよ。竜次が傷付いている事も、心を痛めている事も、ずっと苦しかった事も、全部伝わっているよ」
「……え?」
「ずっと前から感じていた。竜次が聖剣士として、この世界に召喚される前からずっと」
「せい、けん……し…………」
「夢で竜次に触れる度に、竜次がこれまで受けてきた酷い仕打ちや、悲しみや苦しみ、そして心が悲鳴を上げている事も、助けを求めている事も全部伝わっているわ」
「助け……」
俺が、助けを求めていると言うのか?
誰も味方をしてくれず、皆が俺を傷つけ陥れるこの世界で。
「辛いわよね。誰にも言葉を聞いてもらえなくて、誰も信じてくれなくて、誰も助けてくれなくて」
「……え?」
何で、泣いているんだ?
俺の為に泣いてくれていると言うのか?
俺の痛みと苦しみが、本当に伝わっていると言うのか?
抱き締めた後少女は、俺の頬に手を添えてゆっくりと顔を近づけてきて、額と額を当ててきた。
「でも、あなたはもう独りじゃない。どんなに世界が竜次を苦しめようと、神が竜次の事を陥れようと企んでいようと、私だけはあなたの事を信じる。あなたの声をしっかりと聴いてあげる。ずっとずっと、あなたの傍にい続けるわ」
「ああぁ……」
それは、俺がずっと聞きたかった言葉だ。
いや、元の世界でも同じ事を言ってくれた人がいた。
『大丈夫だから。どんな事があっても、私とお父さんだけはあなたを信じて、守ってあげるわ』
母さん。
『お前が悪い事をする人間じゃない事は、父さんと母さんが一番よく知っているから』
父さん。
そうだ。
どんなに周りが俺の事を犯罪者呼ばわりしても、父さんと母さんだけが俺の味方になってくれた。俺の事を信じてくれた。
皆が石澤の言う事ばかりを信じる中、父さんと母さんは必至で俺の無実を訴えてくれていた。だから俺は、無気力無関心ではあったが道を踏み外す事無く今日まで生きていく事が出来た。
そして今、この世界で俺の事を信じてくれる人がいる。
そう、彼女の名は。
「シルヴィ。シルヴィア・フォン・エルディア」
その名前を言った瞬間、シルヴィがそっと唇を重ねてきた。同時に、俺の周りを囲っていた真っ黒い空間と、梶原と香田と鹿島の映像が音を立てて霧散していき、ニーズヘッグのいる所へと戻っていた。
そして、目の前には涙を流しながら俺にキスをするシルヴィの姿が見えた。
数秒後にシルヴィは唇を離し、真っ直ぐ俺を見た。
「シルヴィ……」
「良かった。戻って来れて」
神社で待っていた筈のシルヴィが、どうして俺の目の前にいるのだ?もしかして、これも幻覚なのかと思ったが、抱き締められている感じと温もりは幻覚でも何でもなかった。
「どうして、ここに?」
「竜次が傷ついているのが伝わったからよ」
「俺が?」
「聖剣士が心に深い傷を負うと、パートナーにもその痛みと苦しみが伝わってくるんだ」
「え!?」
じゃあ、俺がついさっき受けていた苦しみと同じものを、シルヴィにも感じさせていたと言うのか!?
「でも良いの。竜次の痛みと苦しみを、一緒に分かち合ってあげられるのだから」
「良いのかよ、それで」
「えぇ。竜次の苦しみを、半分抱えてあげられるから」
迷いのない返事。
嘘偽りのない純白をした気。
何処までも真っ直ぐ、目を逸らす事なく俺を見続ける眼差し。
「シルヴィは本当、強いな」
正直言って、俺なんかとは比べ物にはならない。
「俺は本当に、守ってもらってばかりだな」
「竜次だって、たくさんの人を守っているじゃない。私だってそうよ」
そんな風に言ってもらえたのが嬉しく、俺は彼女の涙を拭ってあげた。
「あの、2人だけの世界に入らないでもらいたいでござるが」
「シルヴィばかりズルいぞ」
「「あ」」
ジト目で睨む椿とリーゼの視線に、俺は気まずそうにシルヴィから離れようとするが、シルヴィが離れない為結局このままになった。
「そもそも、ニーズヘッグの幻覚から逃れる為には、相手の脳に自分の魔力を注ぎ込んで現実に引き戻せばそれで済んだのに」
「マリア殿の場合は、自分の魔力を自分の脳に注いで対処したみたいでござるが」
そんな方法で、ニーズヘッグの幻覚を打ち破る事が出来るなんて。
「でも、竜次の場合は心の傷があまりにも深すぎるから、そんな方法で幻覚を打ち破っても、人格崩壊は免れないわ」
「シルヴィ」
だからシルヴィは、魔力を注ぎ込むのではなく、ひたすら呼び掛けて、語り掛ける事で俺自身の力でニーズヘッグの幻覚を打ち破らせようとしたのだな。
「やっぱり、楠木は心の傷が深すぎるからニーズヘッグの幻覚に強い影響を受けたか」
「上代!?」
すぐ近くで、頭を抱えて少し苦しそうにしている上代と、そんな上代を心配そうにしている桜様の姿があった。
「お前は大丈夫だったのか?」
「そんな訳がないだろ。俺だってたくさんの理不尽や嫌がらせを受けてきたんだ、効かない訳がない。助けてもらうのがあと少し遅かったら、マジでヤバかった。リーゼロッテ様のお陰で、何とか現実に戻る事が出来た。あんなの、並の人間が耐えられる訳がない」
「ついでに、そこで居眠りをしている疫病神にも魔力を注いでやった」
そう言ってリーゼは、地面の上に仰向けになって未だに気絶している石澤を一睨みした。
「心の傷というのは、誰もが持っているものです。トラウマ、酷い虐め、理不尽な暴力等様々な形で心に傷を負うものなのです。ニーズヘッグは、その心の傷を抉って相手の憎悪を刺激する最悪な厄竜なのです」
「洗脳ではないから、俺達聖剣士でも普通にかかってしまう」
桜様と上代の言う通り。
実際にかかったから分かるけど、あれは記憶の改竄でも洗脳でもない。自分が過去に受けたトラウマを、最悪な形にして見せている。それが自分の抱えている心の傷なら、抗う術は持ち合わせていない。忘れてしまえだの、前を向けだの、気にするなという言葉が無責任に感じてしまう程に。口で言うのは簡単だが、実際に受けると簡単には抜け出せないものだから。
「さて、悪夢から抜け出せたのだし、そろそろ本題に戻るか」
現実に戻った俺達を見て、ニーズヘッグは驚愕の表情を浮かべながら徐々に後退っていった。自分の周囲にいる魔物達を盾にして。
「ニーズヘッグの幻覚は厄介だけど、一度解いてしまえばもう二度と掛かる事は無いし、ニーズヘッグ自身の力はそんなに強くないから苦戦なんてしないわ」
「そんな事を言えるという事は、シルヴィ達も一度かかった事があるのあ?」
「えぇ。その時はマリア様に助けられたわ」
「予め耐性を身に着けておいた方が良いと、ほぼ無理矢理同行させられたでござる」
「でもお陰でもうあの幻覚を見なくて済んだ」
どうやら皆、俺達よりも前にマリアによって耐性を付けさせられていたみたいだった。
幻覚にかからなければ普通のドラゴンなのだが、人間にとってはあの巨体は十分な脅威になる。油断できない事には変わりない、先程の幻覚を見せて苦しめさせられたお返しをしなければいけない。
「さて、反撃といくか」




