「貞淑な淑女」すぎる妻をないがしろにしたら呪われて、人生つみかけ。だがしかし負けないと心を決めている。
【注意】このお話は、いくばくかの残虐な描写や性的な描写、微量の男性同士の関係があります。また全体をとおして、クズで身勝手な男性による語りとなっています。15歳未満の方や、少しでも嫌な予感がした方は全力で逃げてください。
その娘を見たとき、一目で恋に落ちた、というわけではなかった。
ありふれた濃い茶色の髪、そばかすの散る生白い顔、おどおどとした表情。
かろうじて、菫色の瞳だけが綺麗だと思えたくらいか。
ただ、だからこそ、心が惹かれたのかもしれない。
彼女は、ライトンのホテルにつとめるウェイトレスだった。
ライトンといえば、この国でも有数のリゾート地で、私のようなジェントリー階級の人間が宿泊するホテルは、それなりの格がある。
従業員たちも多くは見栄えのよい、教育を受けた人間が多く、洗練されたサービスを提供するのがふつうだ。
そんな中、彼女は見た目もさえず、所作も、サービスもあか抜けず、場違いに見えた。
本人もその自覚があるのだろう、周囲をうかがって怯えたような視線を絶えずあちこちに向けていて、それがいっそう彼女のみじめさをうきだたせていた。
まるで、田舎のねずみが紛れ込んだようだ。
なんとなく彼女を目で追うようになって、数日後、彼女が私のテーブルの給仕を担当することになった。
朝食は、いつもトーストにママレード、濃いミルクティと決めている。
だがおろおろと私のまわりをうろつく彼女の姿をもっと眺めていたくて、オレンジジュースとオムレツ、フライドベーコンとトマトも追加した。
そして、震える手でグラスにオレンジジュースを注ぐ彼女に、名前を尋ねた。
すると彼女は、その菫色の目を大きく見張って、ささやくような声で答えた。
「エミリと申します、お客様」
その大きな目には、ありありと絶望がうかんでいた。
自分はなにか失敗をしたのか、叱責をうけるのではないか、仕事を失うのではないか。
そういった類の恐怖である。
このところ新興国におされて、この国の経済は打撃を受けており、国内のリゾート地の従業員たちは首を切られることを恐れている、というコラムを昨日新聞で読んだことを思い出した。
私は、彼女を夜のパーティでのダンスに誘い、ドレスがないという彼女にドレスと靴、いくらかのアクセサリーを贈った。
たいていのリゾート地のホテルでは、ダンスの相手をする人間が数人雇われているし、彼らは衣服を贈られることもままある。
しかしウェイトレスがそういった待遇を受けるのは、めったにあることではない。
エミリはライトンの街で適当に買わせたドレスを「このお店のドレスなんて、私にはもったいないです」と固辞し、小さな宝石がついたアクセサリーに怯えた。
エミリはダンスもうまくなく、周囲の視線に怯えてまともにポールポジションもとれず、踊っているときには、私の足を何度も踏んだ。
それでも私は、何度もエミリをダンスに誘い、そのたびにドレスや装飾品を贈った。
エミリはぎこちない笑顔で礼を言うが、彼女が喜んでいないのは明らかだった。
いくらドレスを贈っても、装飾品を贈っても、エミリはエミリのままだった。
少しも表情は華やぐことなく、おびえたねずみのまま、美しく花開くこともなかった。
私は、他人から自分がどう見えているかはわきまえている。
年齢は、29歳。
ジェントリー階級の人間らしく、それなりに長身で、ひきしまった体躯。
若干女性的で神経質な性質が現れているものの、それなりに整った容姿。
そしてなにより、豊かな地所を持つ富裕な独身者。
普通ならば、上流階級の女性ならともかく、ワーキングクラスの女性ならば、好かれれば喜ぶ相手だろう。
けれども、エミリはただただ私が見せる好意的な行動に恐縮するばかりだった。
一方で、私はエミリのおこぼれをねらってうろちょろしていた別のウェイトレスから、彼女の情報を得ていた。
エミリは早くに父を亡くし、つい先日、母親も亡くしたという。
その母親の治療費のために、エミリは幼いころからずっと働きどおしだったのにも関わらず、いくばくかの借金もあるそうだ。
おかげで24歳と年ごろだというのに、恋人どころか男友達もまったくいない。
それどころか、遊ぶ暇もないから、女の友達すらほとんどいないという。
最近では私と「うまくやっている」せいで、一部の従業員から嫌がらせを受けているが、今のこの不景気では、彼女はこの仕事をやめることもできない……。
私は、良い情報をもたらしてくれた彼女にたっぷりと礼金をはずみ、その日の夜のパーティで、彼女に求婚した。
周囲からの注目と嫉妬の視線をたっぷりと浴びて、エミリは蒼白になっていた。
「私のようなものでは、立派な旦那様にはふさわしくありません」
そういって求婚を退けようとするエミリの言葉を笑顔で無視し、彼女の前にひざまずき、私は彼女の指に大粒のルビーの指輪をはめた。
「そういう君がいいんだ。そのままの君で、私の妻になってくれないか」
言葉は柔らかいが、口調は下の者に命令するときそのものの口調で言った。
そして、視線で、彼女のドレスやアクセサリーを示す。
周囲の視線ばかりを気にして生きている彼女は、それを敏感に悟った。
無理やり押し付けられたとはいえ、受け取ってしまった高額な贈り物。
見る人間にとってはシンデレラストーリーのようなプロポーズ。
同じ従業員の娘たちからは嫉妬の目が降り注ぎ、管理職からは受け入れるのが当然だという強制的なまなざしが贈られている。
それを、断ったら、どうなるのか?
察した彼女は、おずおずと私の求婚にうなずいた。
周囲は祝福の声をあげ、彼女の怯えはないものとされた。
次の日、私はホテルをひきはらい、彼女を連れてレトナ・リーンへ行き、結婚式をあげた。
そして、北部の田園地帯にあるこの屋敷へと、彼女を連れて帰ってきた。
北部の地主階級の屋敷では典型的な石造りの屋敷に、連れて来られたエミリは呆然としていた。
そんな彼女をエスコートして、屋敷に入る。
ふだんは海外をとびまわっていてこの屋敷には、ほとんど戻らないので、使用人は必要最低限しかおいていない。
けれど、出迎えにそろった使用人たちに頭を下げられて、エミリの顔色はどんどん青くなる。
「彼女が、私の妻のエミリだ。そのように仕えるように」
端的に言うと、使用人たちは無言で頭を下げた。
その視線が、非難がましいものであることを承知していながら、それらに気づかないふりをする。
荷物を従僕に預け、エミリをメイドに任せ、足早に自室に戻る。
クラバットを乱暴に引き抜いて、椅子に投げたとき、執事のナチェスがそっと部屋に入ってきた。
「旦那様……」
ナチェスは、私の祖父の代からこの屋敷に仕える執事で、私のことも子どもの時からよく知っている。
彼の言いたいことは、わかっているつもりだ。
「……なにも言わないでくれ」
寝台に座り、顔を覆って、そういうと、ナチェスはそのまま言葉をのんでくれた。
彼の忠義がありがたく、同時に、使用人にすら同情される自分の人生に反吐が出た。
私の人生は、成人するまでは極めて順調だったと思う。
裕福な地所を持つ家の一人息子として生まれ、両親や周囲のものからそれなりに愛されて育った。
容姿も、才能も、それなりに恵まれ、パブリックスクールでも、カレッジでも、友人たちと楽しく過ごした。
学び、遊び、将来を語り合い……、自分の未来が明るいものだと、自分は自分の人生をこの手でつくりあげていくのだと信じて疑わなかった日々。
今思えば、なんと輝かしい日々だったことか。
だが、そんな輝かしい日は、妻となったロザリアの手によって打ち砕かれた。
そして、今も、私の人生は砕かれたままだ。
ロザリアと婚約したのは、カレッジで学んでいたころだ。
同じジェントリー階級の娘で、親の決めた婚約者だった。
顔を合わせたところ、ひとつ年下の彼女は華やかな美人で、ともに踊れば蝶のように軽やかに舞った。
気の強い、高慢な娘ではあったが、そういった性質を隠すことさえ思いつかないほど、のびのびとした性質の彼女のことを、私は嫌いではなかった。
彼女とともに夜会に出れば、周囲の男たちから嫉妬の視線が熱いほどで、それが自尊心をくすぐっていたことも否定はしない。
そうして、私たちは望まれるまま、なんの障害もなく結婚した。
そしてその初めての夜、思いもかけなかった障害に気づいた。
ロザリアは、夜会では女王のように振る舞い、男たちを視線ひとつで従わせていたが、この階級の少女らしく、生娘だった。
あだっぽい視線や訳知りな言葉は、ただの背伸びした少女のお遊びにすぎず、ほんとうの彼女は少女らしい潔癖な慎み深い少女だった。
……結婚しても、それはかわらなかった。
結婚して初めての夜、ほとんどすべての夫婦がするであろうことをしようとした私を、彼女は嫌悪した。
「汚らわしい」
「ありえない」
「気持ち悪い」
自分が正しいと信じて疑わず、確固として私を拒絶するロザリアの言葉と視線に、若かった私の気持ちは萎えた。
それ以来、私たちは寝室を別にし、家の中でも顔も合わさない最悪の新婚生活を送り始めた。
その直後、私の両親が事故で死に、私たちをいさめる人もなくなったことも、私たちが関係を修復し損ねた大きな要因だったのかもしれない。
ロザリアとの結婚生活に見切りをつけた私は、適当な期間をおいて彼女と離婚し、新しい妻を迎えようと決めた。
しかしロザリアは、夜の夫婦生活を拒絶していること以外は瑕疵のない妻だった。
ロザリアの親戚筋には、無視できない有力者もおり、理由なくロザリアを離縁することはできない。
ロザリアが夜の生活を拒んでいるといえば、あちらも離縁もやむなしと考えてくれるかもしれないが、それを表ざたにするのは恥だという思いもあった。
それでなんとなくロザリアと離婚もできないまま、2年がすぎた。
2年もたてば、人は慣れる。
ロザリアとの破綻しきった結婚生活に慣れた私は、その日、同じクラブに所属する年上の友人のジェフと寝ていた。
ジェフは40代の官僚で、私より少し年下の子どももいる。
だからか、女性や同じ年頃の男たちには決して話せなかった、ロザリアとの関係についても口にできた。
「実は、妻とは関係を持ったことがないんだ。潔癖な淑女なんて、嫌になる。いっそ離婚したいんだが、それも難しくて」
「あの華のロザリア夫人と?ずいぶん贅沢なことを言うんだね」
ジェフは笑いながら、枕元から小瓶を取り出した。
「それなら、これを使えばいい。なに、女なんて、一度抱いてしまえば従順になるさ」
自信たっぷりのジェフに言われると、それもそうかと思った。
ロザリアとの結婚生活にはうんざりしていたが、離婚するのも難しそうだったので、子さえつくれればよいかと思ったのだ。
そして、その夜、メイドに命じて、ロザリアが寝る前に飲む紅茶にその薬を混ぜた。
ロザリアはぐっすりと眠り、一晩中、なにをされても目を覚まさなかった。
その夜のロザリアは、確かに従順だった。
けれど翌朝になって目を覚まし、自分に何があったのか知ったロザリアは、私のことを許さなかった。
私の姿を見るたびに金切り声をあげる妻に、私はとうとう本気で見切りをつけた。
それまで、私は女性を相手にするときは、娼婦か未亡人などのあとくされのない人間しか相手にしなかった。
けれど、ロザリアと離婚することを決めてからは、次の妻となるような女性とも交流を持つことにした。
ロザリアの両親は、娘の不始末に気づいているのか、そんな私をとがめることもなかった。
どちらにしても2年もの不仲な夫婦生活は、彼らが気づいていないはずもない。
私と離婚したなら、彼女にも別な相手をと考えていたのかもしれなかった。
ロザリアは、あれ以降、あてつけがましくも部屋に閉じこもるようになり、社交の場にもすっかり顔をださなくなっていたから、それも自然ななりゆきだったのだろう。
私はロザリアとの離婚に向けて動きながら、ミリアムという商人の娘と親しくなった。
ミリアムは、なかなか都合のいい女性だった。
ロザリアのような華やかな容姿ではないが、小柄で幼げな容姿はそれなりに人目を惹く。
裕福な商人の娘で、持参金はたっぷり持っていそうだが、煩わしい縁戚がなさそうなのもよかった。
教養はあまりないようだったが、野心だけはたっぷりとあり、私という格好の餌に出会うと、全力で食いついてきた。
結婚前の淑女が、既婚者の男性と関係を持つなど、かなりの危険をはらむ行為だ。
けれど、ミリアムはチャンスを見つけると、恥じらっているふりをしながらも積極的に私と関係を結び、それ以降も自らチャンスをつくりだしては関係を持った。
通常の男なら、ミリアムは適当に遊ばれて終わりだっただろう。
遊びは積極的な女と、結婚は貞淑な淑女とするのが紳士の常識だ。
けれど、私は貞淑な淑女という生き物には、うんざりとしていた。
少なくとも、ミリアムならば、結婚後に私を拒んだりはしないだろう。
私はミリアムとの結婚を視野にいれて動くようになり、夜会などでも彼女と抜け出すことが多くなった。
そんなある日のことだ。
私とミリアムが知人の夜会を抜け出して小部屋で戯れていると、とつぜんロザリアがその部屋に入ってきた。
そして、私とミリアムをにらみつけると、またあのお得意の金切り声で「汚らわしい」と叫びだした。
これが自分の屋敷でなら、もう慣れたもので、そんなロザリアを無視して部屋から追い出し、誰かに彼女を引き取らせて終わりだ。
しかしここは自分の屋敷ではなく、悪いことにロザリアの叫び声を聞いた人々が集まってきていた。
服を乱し、寝台に座る私とミリアム、そして激高するロザリア……。
人々の戸惑いが嘲笑に変わるのを感じて、私はかっとして立ち上がり、ロザリアに近づいた。
するとロザリアはいっそう金切り声をあげ、隠し持っていたナイフで、自らの首を掻っ切った。
ロザリアの白い首から、真っ赤な血しぶきがあがった。
それは私の頬にもぺちゃりとかかり、無意識にぬぐった手をも汚した。
一瞬の沈黙の後、その場は女性たちの叫び声と、男性たちの怒号であふれかえった。
すぐに医師が呼ばれたが、ロザリアはそのまま冥府へと旅立った。
残された私を、醜聞と恥辱の淵に陥れて。
人々は、そろってロザリアに同情した。
美しく才気あふれる女性を妻にしながら、彼女からの尊敬を勝ち得ず、あまたの男女と関係を持ち、最近では彼女と離婚して、尻軽なこれといって秀でたところのない女性にいれあげていた愚かな男。
それが、私への評価となった。
友人たちは、一部ひそかにロザリアを慕っていた人間以外は、私に同情的だった。
しかし彼らが私をかばっても、かばいきれるものではないほど、私の体面は傷ついていた。
ミリアムもまた、同じような立場にいたが、彼女はあの日のロザリアを見てから、すっかり精神の均衡を崩していた。
まるで以前のロザリアと同じように、私の顔を見ると金切り声をあげて叫び、平素は部屋に閉じこもっていたらしい。
私がロザリアの後始末に追われている中、彼女もまた首を切って死を選んだと聞いた。
だから私だけが、この件で大きな傷を受けたといえた。
ロザリアとミリアム、二人の自死のせいで、私はこの地方の社交界から締め出された。
幸いにして、地所の経営には大きな影響はなかったが、妻を迎え、子を成すという嫡男の義務のほうは難航せざるをえなかった。
とはいえ、兄弟もない身である。
いつまでも独身でいるわけにもいかない。
3年後、私は友人の紹介で、新しい妻を迎えた。
小さな商売をしている子だくさんの商人の娘で、容姿もどこにでもいそうな普通の娘だった。
こちらに利益はないが、あのようなスキャンダルがあった身だ。
この程度の娘を妻にするのもやむなしと割り切った。
その妻は、おとなしい性質で、こちらの要求には粛々と従った。
慣れない社交を覚え、教養を覚え、私の与える贈り物に目を輝かせた。
少しずつ私への愛情と信頼を育たせ、和やかな笑みを浮かべる彼女に、私の心もほだされていった。
彼女は、そんな私の愛情に敏感に気づき、花がほころぶように美しく色づいていった。
私は、このような結婚生活も悪くないと思うようになった。
子も、しばらくすれば恵まれるだろうと。
しかし、そんなある日。
妻は、なんの前触れもなく、自室で首を切った。
私が、友人の家に泊まっている夜のことだった。
順調だった結婚生活が絶たれたことは、衝撃だった。
私は失った妻を思って泣き暮らした。
だが同時に、妻の死因が首を自ら切るというロザリアやミリアムと同じものだったことに、私は恐怖した。
……これは、偶然なのだろうか、と。
ロザリアの呪い。
そんな愚かな言葉が、脳裏をかすめた。
馬鹿馬鹿しい、そう思う横から、そもそもミリアムが……、あの貪欲な女があの程度の醜聞で自ら死を選ぶだろうかと疑念がわく。
まして、妻は、死を選ぶような憂いなどなかったはずではないかと。
不安にかられた私は、地所の若い娘を、新たに妻に迎えた。
継母に邪魔にされて育った娘で、適当にあまい言葉と贈り物を与えれば、水を吸った樹木のようにすくすくと私への愛情と自信を育んで、美しく花開いた。
そして、ある夜、私が書斎で仕事をしているときに、首を切って死んだ。
私は、慄然としながら、悟った。
これは、ただの偶然ではないと。
その後、私はふたりの妾、ひとりの妻を迎えた。
正式に結婚しなければ、ロザリアの呪いはかからないのではないかと考えて迎えた妾も、外国で結婚したのなら呪いをすり抜けることができるのではないのかと考えた妻も、ロザリアの呪いからは逃れられなかった。
死を迎えるまでの期間は様々だったが、彼女たちは私との結婚生活で幸せを感じてからしばらくすると、私が目を離したすきに首を切るようだった。
それで、今回、私は新しい妻として、エミリを選んだ。
あのすべてに怯えたような娘であれば、容易にここで幸せになることはないだろう。
いつしか、私はロザリアの呪いに立ち向かうことだけが人生の目的になっていた。
なんというむなしい、光のない人生なのだろう。
エミリ……。
あのどぶねずみのような娘を、妻とせねばならないなど、かつての私なら考えもしなかっただろう。
だが、いまや、私の妻となる女性が次々に死ぬことは噂になっており、それなりの家の娘を妻に迎えることは難しかった。
それに、それなりの家の娘を死なせれば、後の始末が厄介でもある。
とりあえず、ひとりでいい。
私の後を継ぐ息子を一人得られれば、あとはエミリがロザリアに呪われて死を選んでも、よいだろう。
その後は、私は二度と妻など迎えず、決まった女性はつくらない。
もともと私は、決まった女性がいなければ困るという性質でもない。
この呪いで困るのは、妻や妾が、私との子を成す前に死んでしまうということだけだ。
ただひとり、息子がいれば。
私は成すべき義務から解放され、残りの人生を自らの楽しみのために生きられるだろう。
昔は容易に思えたそれが、なんと難しくなってしまったことか。
けれど、それが、あの忌々しい女、私の人生を滅茶苦茶にした女への復讐になるだろう。
ロザリア。
あの悪女が、どのような呪いをかけようと、私はたやすく負けてやるつもりはない。
「今度の妻は、長持ちするとよいのだが……」
思うようにいかない人生の苦しみに、私は深いため息をついた。
ナチェスは、ため息をついた。
祖父の代からこの屋敷に仕え、今の主は子どものころから知っている。
聡明な良いお子様だったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
だが、主が新しい妻をこの屋敷に連れて帰った以上、ただ黙って見守っているわけにはいかなかった。
この屋敷の女主人が亡くなったのは、すでに4人。
妾などを含めると、7人にもなるのだから。
そのいずれもが自ら首を切っての自死だ。
主が不在の日に、首を切った女主人も多い。
けれど、それは本当に……?
ナチェス以下、使用人たちも徹底的に調べられたが、彼女たちが誰かに殺されたという証拠はなにもあがらなかった。
状況証拠だけをみると、確かに彼女たちは自ら死を選んだように思える。
けれど一方で、特に悩みもなかったはずの女主人たちまでもが、急に自らの首を切って死ぬなどおかしいとしか思えない。
自分たちの主が、次々に妻を迎えることも……。
疑ってはいけない、そう思っているのだ。
けれど、なぜ主は、妻が死んでも、そう期間もおかず新たな妻を迎えるのか。
そしてその妻は、なぜすぐに死んでいくのか。
警察に協力を求められれば、断れなかった。
主の言動を逐一報告する、それは執事としては失格だ。
けれど、これ以上、なにもせず新たな女主人に仕えることなど、人間としてできようか……。
「旦那様、奥様。お許しください」
ナチェスは、先代の主夫婦に謝罪した。
ほんとうに、なぜこんなことになってしまったのか。
警察の担当者に向けて書いた手紙を手に持ち、ナチェスは、またひとつ大きなため息をついた。