第77話 本当の雨だれの前奏曲
駅で俺とゆりは電車に乗った。電車の中でスマホを開き何かを見ているゆり。それは音楽のアプリだった。目が悪かった俺はその音楽のタイトルがよく見えなかったがポップスじゃないことだけはわかった。
「聞いてみる??
最近またハマっているの。。
この曲」
「いいのか??」
俺はそういうと彼女のイヤホンを片耳にした。そしてそのままゆりは再生ボタンを押した。流れてきたのはピアノの曲だった。激しく荒々しく聞いた事もないような曲だった。ただ
その曲を最後まで聞いた時に俺は焦燥感に打ちのめされた。
「この曲知らねえや、、ただすごい激しくて技巧的な音楽だね。」
「じゃあこの曲は聞いたことある??」
そういって流した曲はショパンの曲だった。そう。昔太田胃酸のCMソングで使われた曲だ。
「これ太田胃酸の、、ってかもしかしてこの曲も今聴いた曲もショパンの曲だよな??」
俺はそのメロディにピンときてゆりに聞いた。するとゆりは答えた。
「そうだよ。最初に流したのはね、、ショパンの前奏曲第8番。あの有名な太田胃酸の次の番号の曲なの。。
そして私が一番好きなショパンの曲。。
この曲はね、、私の初恋の曲なの。。」
「前奏曲ってあの有名な何だっけ、、雨だれの前奏曲とかだ。そうだ。前奏曲って一曲じゃなかったんだ。」
「違うよ。全部で24曲、、ショパンが24曲書いたのは前奏曲と練習曲。。どちらもバッハの平均律クラヴィーア曲集から着想を得たの。そしてこのショパンの前奏曲第8番こそ本当の雨だれの前奏曲なのよ。この曲を初めて聞いたのは小学校の時だった。」
「小学校でこの曲に出会ったのかよ。」
電車を降りるとゆりの家に着いた。豪邸だ。
「お邪魔します。」
そう言って俺は彼女の部屋に入った。今日はお父さんもお母さんもいないみたいだ。誰もいない中、彼女の部屋に入る。その部屋にはグランドピアノが置かれていた。ベッドにグランドピアノ、、そして本棚には少女漫画と楽譜の山が置かれていた。一冊の楽譜を取り出した。ショパンのプレリュードと書かれた曲集だった。
「なんか弾いてくれよ!!お前、、ピアノ弾けんのか??」
「いいよ、、じゃあさっきの曲弾いてあげる。」
そういうとゆりはピアノを弾き始めた。ショパンのプレリュード第8番。本当の雨だれとゆりが言っていた曲だ。雨だれというよりは大雨のようにも聞こえる。右手の激しい動きがより一層激しさを増してゆく。彼女の表情が変わった。
かっこよさだけじゃない。美しさも兼ね備えている。俺の頭の中でピアノを弾く彼女だけが輝いて見えた。今、彼女はステージに立っている。幻想的な風景が浮かび上がった。そして気がつくと俺は拍手をしていた。
「すげえな、、お前、、ピアノまじで上手いな、、ティンパニも叩けてピアノも弾けるってどんだけすげえんだよ。」
「そんな事ないよ。私は本当はピアノの方が好きなの、、私がピアノを始めたのは幼稚園生の時だった。お母さんはピアノの先生でねお母さんが私にピアノを教えてくれた。厳しかった。逃げたかった。でもずっと弾いてたら楽しくなった。そして出会ったの。ショパンに。最初に弾いたのはノクターンって曲だった。ノクターン第1番。そしてワルツ第1番。。でもなんか楽しくなかった。ノクターンもワルツも良い曲なのに楽しくなかった。初めてショパン弾いて楽しいって思えたのがプレリュード第8番なの、、、難しいけど弾いて楽しかった。」
ゆりは話し始めた。お嬢様だからピアノ弾くんじゃない。ピアノって金持ちなら弾けて当然みたいなジンクスがあった。昔の貴族や富豪のお嬢様はみんなピアノが弾けた。そう。上流貴族の嗜みだったのだ。
「お前にとって人生を変えてくれた曲なのか、、なあお前が一番好きな作曲家は誰なんだ??」
「ショパンよ。私はショパンがこの世で一番好き。」
ゆりは答えた。ショパン世界中に多くのファンがいるピアノの詩人とも呼ばれた作曲家。彼女の家にあるショパンの楽譜の数々が好きだという証拠を物語っている。
「なあもっと教えてくれよ。プレリュードってどんだけ難しいんだ??」
「プレリュードはショパンの曲の中でもかなり異質な曲なの。ショパンは20歳の時にピアノ協奏曲を書いたのよ。そのテクニックの練習用に練習曲を書いたの。この練習曲がエチュードと呼ばれているの。全部で24曲。ただこの練習曲があまりにも難しくてね。当時のピアニスト達は震え上がったみたい。でもこのエチュードにはモデルがあるの。それがバッハの平均律クラヴィーア曲集だよ。ショパンはバッハを尊敬していた。エチュードが24曲なのもバッハを意識したからなのよ。ただエチュードでは全ての調性で曲を書けなかった。プレリュードはエチュードを受け継ぎバッハと同じく全ての調性で曲を書いたの。24曲あってどれも性格が違う。穏やかな曲も有れば怒り狂ったように激しく弾く曲もある。
ただ私はこれだけは思うの。ショパンの曲の中でエチュードとプレリュードが特にかっこよくて怒り狂ってるなってね。だから私はプレリュードとエチュードが大好きなの。」
「ショパンっていうのは穏やかな曲のイメージがあったけどそうでもなかったんだな、、確かバラードとかスケルツォも激しいよな!!」
「そうね。ショパンは内向的な性格だったけど心の中では激情に燃えてたのよ。自分の身体を蝕む結核の病魔と戦っていた。エチュードは、、ショパンの祖国に戻れないやるせない怒りと革命によって崩壊したワルシャワへの絶望、、プレリュードは自分の身体を蝕む結核への死の恐怖。これが私の感じる曲集イメージよ。これを見て!!」
「これは???」
俺は一枚の楽譜を見た。自筆譜のコピーだ。そこに描かれていたのはWinter windと書かれた超絶難しいピアノ曲だった。
「これって木枯らしじゃねえか、、これ自筆譜なのか。。」
「よく知っているわね。私でもこの曲は弾けないよ。でね、この曲の名前教えて上げる。木枯らしっていうの、、エチュード最後の三曲の真ん中を飾る超絶技巧練習曲なの。私はいつかこの曲が弾きたい。死ぬまでにね。」
そういうとゆりは冒頭のメロディを弾き始めた。




