第30話 シューベルトこそ本当の作曲家
家に帰った理央は、自分の部屋でピアノを弾いていた。今度国際コンクールを受けるにあたり1次予選で弾く曲をもう仕上げなければならなかった。その曲はシューベルト作曲ピアノソナタ第21番 変ロ長調である。
「いい。シューベルトの深さを絶対に伝えるためには、とにかく音にこだわるの。最初のbの音一つ一つにね。このソナタはシューベルトの最後のソナタにして傑作なの。理央ちゃんの腕が試されるんだからね。でなければつまらないシューベルトになってしまう。この曲は傑作だから、尚更。」
ピアノの先生に言われた一言。
趣味で始めたピアノ。しかし彼女にとってシューベルト、リスト、ショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフは、もう身近な作曲家になりつつあった。
シューベルトのピアノソナタ21番1楽章。とにかく、この曲は、深い。病弱なシューベルトが死の淵と戦いながら書き上げた。
穏やかな曲調の中に、神秘的な美しさと悲痛な叫びを感じる度に理央の心に響く物があった。
(この1楽章の。第2主題、なんで変ト長調なのってずっと考えてた??これはシューベルトの言葉なのかな。曲を通してまだ生きたいって言いたかったのかな。)
神秘的な美しさとも言える、21番の第2主題。歌謡的な歌曲の王であるシューベルトらしさが出ている。シューベルトの鱒や冬の旅などの伴奏を弾いた事がある理央なら尚更その美しさが理解出来た。
そんなシューベルトのピアノソナタが響く中、ピンポンが鳴った。
「圭一、本当に来るなんて。」
「はい。」
「こんばんは、入って。」
ドアを開けると、理央がいた。恐らく今日はご両親も外出しているのだろう。
理央はピアノを弾くのをやめると、部屋へ俺を招き入れた。
「こんな遅くに大丈夫なのか。両親は?」
「お姉ちゃんもお父さんもいないから、ねえ、ごめんね。こんな遅くに。」
「さっきピアノが聞こえたんだ。シューベルトのピアノソナタ21番だよね。傑作のピアノソナタ。今度弾くのか?」
「あっ聞こえたんだ。すごいね。あんな地味な曲誰もわかってくれないんだ。ねー。お願い話があるの。私の話聞いてくれる?」
すると理央は、部屋へ俺を招き入れた。そう一度入ったことがある。一度彼女のピアノを聴いたことがある。
「ねえ。圭一。私のこと本当に好きなの?なんかさ、最近冷たいし、それにあの山田ルビーって女の子とも会ってたみたいだし。私と付き合う気ないってことなの?ねえ。私正直な気持ちを聞きたいの。」
「それは好きに決まってるだろ。何回も言ってるじゃん。じゃあなきゃなんだよ。もしかして妬いてるのか。山田ルビーとは、本当に何もないんだ。俺は本当に君だけだからさ。恥ずかしいからはっきり言えないけど、俺の気持ち。だから、ごめんね。こんな男で。」
俺は謝った。そうこれはカップルにある第一次別れ期になのかと察した。恐らく理央が呼び出した理由はそれかもしれない。
「それが本当の気持ちなの。私はねあなたと会えて本当に嬉しかったし。思ってんだー。私があなたにとっての1番でいて欲しいって。だから、これが本当の仲直りだよ。ねえ。あたしには正直でいて。でもその気持ち、私には伝わってこなかったよ。お互いの気持ちを気遣って出せないのは、もうやめよう。だって私達カップルだよ。私、あなたと別れたくない。本当に孤高にはなりたくないもの。シューベルトのこのソナタみたいに。」
理央はベットに座りながら、楽譜を見ている。そう本当にこのソナタが好きなのが伝わってくる。
恐らく俺には、理解できないのだろう。元々、好みが全く違うからなー。
「聞きたい。理央のシューベルト。なあ、聞かせてくれるか。孤高なんかじゃない。自分の殻に閉じこもっちゃダメだよ。シューベルトの気持ちも、全部、ぶつけて、自分の気持ちも、俺が聞いてあげるから。だから孤高になるかもしれないなんて考えちゃダメだ。なあ。聞かせて。」
「圭一。」
理央は、楽譜を取り出すと、シューベルトのソナタを弾きはじめた。そう変ロ長調の第一主題を弾き始めた。あのとても優しくて素朴な始め方。今まで俺が聞いてきたピアノソナタとは全然違う。音色が優しくて訴えかけるような、ショパンのような華やかさは激しさは全然なく、本当に純粋に音楽の極致とも言える、このソナタ。
シューベルトこそ本当の作曲家だ。
俺もクラシック音楽を好む人間。本当に音楽を癒してくれるのはシューベルトの音楽なのかもしれない。




