#22 見難いアビスの子
水晶の深淵の先に鳥は初めて飛び込んだ。いや、正確には押し込まれた。
「寄り鳥、見鳥。二人は一人。」
鳥の前には、相変わらず言語明瞭意味不明なチェシャが居た。
「鳥さん鳥さん何処から来たの? 」
突然、チェシャとは別の声がした。声はすれども姿は見えない。鳥は辺りをよく見回した。何しろ巨人の子供を蛾蝶の幼虫と見間違えるほどの目の悪さである。すると、凄く見難いのだが、子供が立っていた。
「何処って… 外の世界からだ。お前さんは何者だい? 」
「私は桃の女王。急に鏡の国が不安定になって、赤の女王と白の女王が力を合わせて生まれたの。この国を守らなくちゃいけないの。」
「そいつは外の勇斗って奴に言ってくれ。ただの鳥に国を救うなんて無理な話しだ。」
勇斗の名前を聞いて急に桃の女王は色めき立った。
「勇斗が居るのか? 彼の者なら、鏡の国を救えるに違いない。」
おそらくは桃の女王にも根拠なんてない。すると突然、地面が揺れた。
「あ、誘拐犯っ! 」
それは鳥が娘を蛾蝶の幼虫と間違えて拐った巨人の一家だった。おそらくは勇斗に鳥と同様、水晶に入れられたのだろう。
「だから、あれは間違えたんだって。それににしても、だいぶ縮んだねぇ。」
鳥が言うように巨人の一家は普通の人間と変わらない大きさになっていた。鏡の世界は平面である。遠くの物は小さく映るし、近くの物は大きく映る。しかし、鏡自体は平面なので、この世界では実物の大きさは関係なかった。
「外で何が起こっているんですか? 」
水晶の深淵に外の出来事は届かない。桃の女王には不安しか無かった。その頃、勇斗は必死に今まで来た道程を戻っていた。
「ドリアードっ! 」
「何をしに来た? 我らドリアードは、この森に生まれ、この森で枯れる。外の世界とは無縁の存在と言ったはず。」
そこはアリスと出会った階だった。
「もうすぐ、この塔は崩れる。この水晶に入ってくれないか? 」
「繰り返す。我らドリアードは、この森に生まれ、この森で枯れる。外の世界とは無縁の存在である。」
「なら、俺も繰り返す。この水晶に入ってくれ。アリスの為にっ! 」
すると大きなドリアードがやって来た。
「アリスの為にここまで戻って来てくれたのですね。貴方にアリスを預けて良かった。しかし、そうであるなら尚更、水晶に入る訳にはいきません。今、この塔は貴方の宝剣エクリプスによって、かろうじて支えられています。その貴方が脱出する為には我らドリアードがエクリプスの代わりに一時の時間を作るしかありません。もはや時間に猶予は無いのです。異世界の方にこれ以上、御迷惑を掛ける訳にはいきません。ぐずぐずしていると元の世界に帰れなくなりますよ。」
「しかしっ! 」
すると大きなドリアードは勇斗の手に一本の苗木を渡した。
「この苗木は我らの末裔。何処かの森に植えて貰えれば、我らの一族は繋がります。アリスと苗木をお願いします。」
ドリアードの覚悟の堅さに勇斗も説得を諦めるしかなかった。
「しかと預かったぜ。」
長きに渡って七宝を守り続けた塔は、その役目を終え崩壊が始まった。
「勇斗っ! 」
白雪とアリスが同時に声を挙げた。メイジーやペロ、ローズも心配そうに崩れ行く塔を見守るしかなかった。ただ、コッペリアは崩れる塔の粉塵の中へ行こうとした。
「コッペリアちゃん、危ないって。」
コッペリアは止めようとしたハーメルンの手を振りほどいた。
「マスターは必ず降りて来てくださると約束してくださいました。」
「いや、この崩れ方じゃまだ危険だって。」
「魔力供給範囲を出ると動けなくなるぞ。」
ハーメルンの言葉は無視しようとしたコッペリアだったがラフィネスクの言葉に足を止めた。塔の外では思うに動けないもどかしさを感じていた。すると白雪の宝鏡スペクルムが、ガタガタと揺れてチェシャが飛び出してきた。
「桃の女王からの伝言さ。待ち人来たりて笛吹かず。陰たる剣が陽を浴びる。」
「桃? 」
外の皆は桃の女王を知らない。それでもアリスは、まだ立ち込める粉塵に向かって風の宝杖パーセムを振るった。一陣の風が粉塵を吹き飛ばし、中から一つの人影が現れた。と、同時に白雪、アリス、コッペリアの三人が駆け出した。
「埃まみれでも、モテモテじゃのぉ。ローズ。」
リリスに促されてローズが四人の上から水を降らせた。
「リリス、今度こそ、元の世界に帰れるんだろうな? と、その前にこの苗木を植えられるような森を知らないか? 」
この世界に勇斗を召喚したのはリリスである。色々とありすぎたが、七宝は全て持ち出した。だが、リリスは白雪を召喚したアンナに躙り寄った。
「お主、還し方を知っておるか? 」
「普通、召喚獣なら役目が終わるか倒れるか時間で還るんだけど… 。」
「マスター、帰還方法が不明なようです。七宝の譲渡の延期を提案します。」
コッペリアの提案に勇斗は頷いた。
「最初に言ったよな。あんたを助けたからって、戻れる保証は無い。高飛車で胡散臭いって。方法は自分で探すとするさ。」
勇斗はリリスに背を向けた。




