23
「ただいま戻りました。」
「………」
「…zzz」
黒虎の言葉に対して部屋に響くのはいびき混じりの寝息。
おそらくことほぎのものだろう。
「……?」
あると思った返事が無く、気配は二つあるのにことほぎの声しか聞こえない事に違和感を覚えたのか黒虎の耳がピクピクと動き周囲の状況を把握しようとしているのがうかがえる。
そして危険がない事を確認出来たのか、耳の動きが止まり歩きだし目的の場所へと移動する。
「………!!!」
目にしたものに驚いたのかその目の瞳は細く毛は逆立つ様にボリュームを増したようになり、肌には鳥肌も立っている。
黒虎は言葉を失ったのかそのまま暫く呆然としていた。
目の前に見えたのは瓶を持ちそれを注視している柊の姿。よく見ると瓶の中には色付きの何かが完成している。
だが、目に入った物はそれだけではない。黒虎の目の前にはそれが霞んで見えるほどの光景が広がっていた。
その光景は海。
黒虎は海をまだ見た事がないが、話ではそういうものがあるという事は聞いた事があった。
湖よりも広くその水と陸の境目には砂浜が広がっており、そこの住人は砂浜で城を作り砂城祭りなるものが催されているという事だった。
目の前に広がる光景には祭りの様なものは無く、どちらかと言うと祭りが終わった後の様な崩された一つの砂城が波打ち際にあるだけだった。
その光景と波の音や時折聞こえる鳥の声、そして湖にはない独特な匂い。海や砂浜の向こうにうっすらと眠りこけていることほぎや家具類が見えなければ別な領域に入り込んだと勘違いしてしまっただろう。
「あ、主人様…これは?」
なんとか言葉を絞り出すが声が小さかったのか柊は気が付かない。
恐る恐ると言った感じで少しずつ柊の近づく。
手を伸ばせば届きそうな距離にまで来た時、柊が気配に気づいたのか不意に黒虎の方を向いたその瞬間、それまで黒虎に見えていた光景などはすべて元の通りに戻った。瓶の中身を除いて。
・・・・・
・・・
・・
「…と言う訳なんです。」
「なるほど、わからん。」
今俺は黒虎から黒虎が見たと言う光景を教えてもらっていた。
俺は自分でも驚くほどの出来栄えの瓶の中身に見惚れ、なんでこんなのが出来たのかと訳がわからないまま瓶の中の景色を見ているうちに頭がぼーっとした所までは覚えている。
昔の記憶そのまま切り取ったかの様なその中身に郷愁にかられて…なんとなく気配に気づいたらいつの間にか黒虎が後ろにいた。
呆気に取られた様な黒虎があんぐりと口を開け、普通の人間よりも少し鋭めの犬歯が見せたまま固まった姿はまるでフレーメン反応の様だった。
そんな黒虎が俺と目が合い正気を取り戻し、俺を取り巻く様に瓶の中の景色が広がって、しかも音や匂いまであったと説明してきたんだから驚きだ。
「俺はただ昔を思い出してただけだけどなぁ。」
「昔…?主人様とこの領域は生まれたばかりではないのですか?」
俺がこぼす様に呟くと黒虎が不思議そうに聞いてくる。
「あれ?そう言えば言ってなかったっけ?領域は出来たばっかりみたいだけど、俺は生まれた訳じゃないんだよね。」
俺はそう言って宮司とことほぎとの出会いとほとんど成り行きで主人になってここにきた事を教える。
その過程で俺がこっちの世界の存在でない事も明かすことになったのだが、その話を聞いていた黒虎の表情は固く険しいものだった。
初めはことほぎのポンコツ具合や恐らくは災獣だと思われる存在の事でそういう表情になったのかと思っていた。
しかし…
「主人さま、お下がりください。」
突然戦闘モードになったことほぎが俺と黒虎の間に割り入ってきた。
「黒虎、これはどういうつもりですか?」
突然の戦闘モードと行動にどういう事かと聞こうとしたが、ことほぎが有無をも言わさぬ雰囲気で続けて黒虎に問い質す。その言葉に何を言うのかと思い黒虎をよく見てみると、その手は毛に覆われ鋭い爪が伸びており、体を覆う被毛の部分は逆立つ様に膨らんでいる。
「ことほぎ様、麒麟に属する貴方ならご存知でしょう!?あの世界の者たちは私達にっ…!!!」
そう言って後ろに飛び下がり両腕を地につける。
その体勢はまるで獲物に飛びかかろうとする肉食獣の様だ。
「黒虎…」
その姿に名前を呟く様にしか言えない俺。
その間に黒虎の被毛の部分がどんどん広がり体の形も変化していく。
そんな黒虎にことほぎが声をかける。
「黒虎、落ち着いて下さい。あの世界の者達はこちらには干渉できない筈です。貴方は何を言っているのですか?」
「Grrr…!麒麟に属する貴方が知らないはずはない!私は…っ…私達はっ…!!!」
語気を荒げそう言った黒虎の気配が強まると一気に変化が進み出す。
「主人さま、何か変です…!私が引き続き注意を引きますのでその間に黒虎を探ってみて下さい!」
「わ、わかった!」
ことほぎは引き続き黒虎に話しかけ、出来るだけ俺に意識が向かない様にする。
その間に俺は黒虎を刺激しない様慎重に意識を向け探った。