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なんの恨みがあってか俺の腹部に勢いよく足を突き立てる羊。
(こんの…クソ羊っ!!!!!)
毛に突っ込んだ手でそのまま毛を毟るつもりで全力で腹からどけようとするがビクともしない。痛みを無視して両手で動かそうとしてもダメだった。
冷静に見えるゴマのようにつぶらな瞳が憎らしい。
(い、息が…げんか…い…)
ボコンッ
息を止める限界が来て肺か最後の空気が出る。
(こ…んな…ア…ホ羊なんか…に…!!!)
羊を動かすのを諦め必死で腕を動かし水面へ向かおうとする。息をしたいが吸い込まれるのは水ばかりで息苦しさは解消されな…い?
(苦しくない??)
「主人さまー、ここに入るならゆっくり寝てないとダメですよー?私も一緒に入りますから二人でゆっくり致しましょー?」
俺の動作が理解できないのか羊は首を傾げながら宥めるようにそう話しかけ、猫のように香箱座りをする。
「話すことも出来るのか」
肺に空気が無いせいかもう口からは泡は出ない。
「出来ますよー、ここはエーテルというあちらの世界で言う龍脈の中と言っても過言ではないですからー」
そのまま「さぁさぁ、リラックスリラックス〜」と早々と眠りに入る羊。子供はよく寝てよく遊びと言うが流石に寝すぎじゃないだろうか。
眠りに入りテコでも動かせなさそうな羊をみてここで横になる選択肢しか無い事を悟る。
水面を通して外の光が撓んで幻想的な雰囲気を醸し出している。
「はぁ。これからどうなって行くんだろう。」
驚きで怒りが消え失せた俺は誰に言うともなく呟いてこれまでの事を思い返す。
少し前まで特に何も不自由なく過ごしてきた。
朝起きて会社行って寝ての繰り返し。
昼には樹蔭君の持ってきたお菓子を食べて、夜は時々同僚達とも飲みに行く。
休日にはゲームをしたり、買い物に行って日用品を買い揃えて過ごしていた。
あの頃はこのまま老いて死ぬだけのつまらない人生だと思っていたが、今ではそれが非常に恋しい。
あの事件と遭遇してからは激動だった。
初めての検査入院に初めての聞き取り調査対象。
アホ羊に驚かされて神社に行ってケモノに喰われて…
「はぁ…、碌なことがない」
そう言えば病院に来てた刑事は大丈夫だろうか。
あの事件の事を調べていると言っていたが、俺が消えた事であの人もかなり慌てているんじゃないか。
ん?あれ、待てよ?
俺が喰われた件と倒れて病院に運ばれた件って一緒なのか?
喰われた衝撃が大きすぎて猫又の事をすっかり忘れてた。
あの時は猫の化け物って言ってたからてっきり猫又の事かと思っていたけど、俺を喰ったケモノも見ようによっては猫の(顔のついた)化け物に見えなくもない。
もしかしてあいつらケモノの仲間なのか?
そうだとしたら俺は猫又達を掻い潜って、化け物を倒してこの体を元に戻さないといけないのか。
(出来る気がしない…)
全く関係がなかったとしたら、ケモノが終わったらあの猫又の件も何かしなくちゃいけないのかよ。
「領域とかいうところに行ったら色々また聞けるというし、考えるのは後にしよう」
気分転換に羊の毛に手を突っ込みその感触を楽しむ。
過去に一度だけ触ったことのある羊と比べてその毛は意外と柔らかく滑らかな肌触り。見かけはモフモフだが触れてみるとサラサラのフサフサという感覚が合わさりそれはもう天国のようだった。
「アホ羊のくせにスッゲェ気持ち良い。」
こんなアホな羊はこれ以上存在しているとは思いたくないが、こんな毛に囲まれて眠りに落ちれたら最高だろうと思う。
しばらくワサワサと戯れているうちに俺にも眠気が出てきたので少しだけ…と寝ることにした。
どの位眠っただろうか、身動き出来ない痺れにも似た強張りで目を覚ます。腹の上にいる羊はまだ寝ているようで幸せそうなアホ面で寝ている。
どうせ力一杯動かそうとしても動かないのだから少しでも体を解そうとモゾモゾと動く。
「不思議だな、重さは感じないのにこんなに動かせないなんて」
それなりに力を入れて動いたにも関わらず、微動だにしないのを見て不思議に思う。
「確かここにたんこぶが出てたんだよな」
そう言いながらそっと額を触る。
思ったよりゴツゴツとした感触で暖かい岩でも触っているかのようだった。そのまま角に手を伸ばして見るとビリッとした静電気のようなものが走った。
「これは電気でも纏っているのか?羊と言われた時も青い光が出てたし、この角にはあまり触れないでおこう。」
しかし、電気かぁ。
この姿で電気って、かなり昔に出たマヨビッチとかいうヒロインが出てくるあのドラゴンみたいだな。確か嵐の時には凄いはしゃいでいたんだよな。
ヒロインの塩対応とは裏腹にそれはそれは素晴らしいドット絵で感動した。今見ても感動する。
版権的な問題があるらしいが出来ればまたドット絵でお会いしたいものだ。
そんなことを考えているとムニャムニャと羊の目が開く。
居酒屋の時に見た爬虫類のようにすぼまった瞳でも羊や山羊独特のあの目ではないことに気付いた。まるで小動物のように黒目が大きい。その黒目の奥には宇宙のような銀河のような不思議な輝きがある。
「お前、意外と綺麗な目をしてるんだな。」
「あら〜、主人さまお目覚めでしたかー。おはようございますー。そろそろ上へ戻られますかー?」
よっこいしょと俺から降りずにそのまま立ち見下ろすようにして問いかけてくる。
「戻れるもんならとっくに戻りたかったんだけど、お前が邪魔で動けなかったんだよ」
「それは大変失礼しましたー。主人さまからの側にいると気持ちが良くてついつい眠ってしまいましたー」
では、上へ参りましょうと俺から降りて首の後ろを咥えたかと思うと勢いよく水上へと飛び出す。その勢いのまま一回転した為俺は脱水中の洗濯物のように遠心力の凄さを思い知りつつ
ビタンッ!!!
と音を立てて床に叩きつけられた。
「お、お前は俺を殺す気か…?」
もはや神獣と言う事を忘れ、ただでさえ痛む体にビリビリとした容赦ない痛みを加えてくれた羊の首元を掴んで怒りのままに問いかける。
「す、すみませんー!すみませんー!あまりにも気持ちよく外に出れたものですからついー!!」
「‘つい’で毎回こんなんされたら治るもんも治らんわーー!」
そのまま勢いで羊をビタンッと床に叩きつけ、ふと思う。
(…?動かそうと思った時には動かせなかったのになんで今動かせたんだ?)
しかし、その疑問は長く考えることは許されなかった。
「そこまでです。」
後ろから宮司の声が聞こえた。