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あの出来事を誰も口にしない。
確かに普通ならあんな出来事があった後その事で持ちきりになるはずだ。あまりにも不自然だったのに自然だと受け取ってどうでもいい事だと何故か他人行儀に割り切っていた。
樹蔭君は続ける。
「その割にはTVではやってたみたいですけど、一部の地域でしか起きていない現象なら他地域の人が何かしらメールや電話で聞いてきてもおかしくないじゃないっすか?うち結構おしゃべりな母がいるんすけど、少し前に実家連絡した時すら全くそういうのがないからあの噂が本当なんじゃないかって、俺怖くて怖くて……」
「さっきも言ってたけどその噂ってそんなに怖いものなの?あ、でも、そうだな、あの出来事は気になっていなかった訳じゃなかった。あの出来事についてって言う意味では話した事が無いというか話そうとした事なかったよな。」
言われて気付いた違和感を自分で口にする事でさらに違和感が増す。いや、違和感を通り越して全身に不快感が広まって行く。これは一体…?
それに噂。あの出来事に関する情報はテレビやネットのごっちゃんで少し見た程度ではあるもののここまで怖がるような噂はなかったはずだ。でも、ただの‘噂’という言葉なのに耳にし口にする事で第六感みたいなのがザワザワと背筋を冷たくしていくのが分かる。
そしてあの城の現れた日、樹蔭君が言っていた事を思い出す。
『ここ最近、路地裏とか人気のない所で血溜まりが出来ている事があるって話聞いたことありません?』
冷たくなって来ていた背筋が、今度は頭から氷水を被せられたように体が冷え、心臓は大きく早く鼓動する。そんな様子に気づく事なく樹蔭君はこちらを見やりながら口を開く。
「先輩には話して…あぁ、話そうと思った時にあの出来事があったんで話せなかったんすよね。」
俺とは反対に樹蔭君は話す事で少しは落ち着いたのか、深呼吸するように息をして酒を飲み続きを話す。
「噂というのはザッと話すと最近…と言っても城が現れる前なんですけど、どっかの宗教団体がなんらかの儀式を行う為に人や動物を使ってこの街の要所で血溜まりを作っているっていう話なんですよね。」
「血溜まり…主説と諸説…?それが城を呼び出す儀式だったっていう感じだったのか?」
背中を伝う汗と煩くなる鼓動に気付かれぬようなんとか下を動かしあくまでも自分が関わったのは通り魔であるという演技をしつつ相槌を打つ。
「そうなんすよ。で、その諸説の中には異形の形をしたモノが人を襲い抹殺し血溜まりを作り、事が済んだ後はその血溜まりに沈むよう消える。城は異形のモノの城で血溜まりはそこに繋がっている。と言うのがあるんですよね。」
「なるほど。と言う事は樹蔭君は俺が異形の通り魔に襲われて血溜まりを作るくらいの出血を伴う大怪我を負った為に面会謝絶の入院をしたと思った訳だ?」
まるで自分の怯えを、あの猫又の言葉を吹き飛ばすように笑いながら、ないない!とその場の雰囲気を軽いものに変えようとする。
その甲斐あってか樹蔭君にも笑顔が戻り気分転換に次は何を食べようかと話し始めた時だ。
店の照明が消えた。
「「え?」」
せっかく自分も場の雰囲気も軽い感じになってきたのになんてタイミングの悪い事だろうか。一瞬人の声が全く聞こえなくなり一瞬シンとなり、聞こえてくるのは調理中と思われる何かを焼いたり炒めているような音だけだ。
そして見えているのは暗闇と何故か光っている苔ジオラマの羊。蓄光なのだろうか、ちょっと緑がかった青みのある光を発して…こっちを向いた。
「……っ!?」
動いた!?
驚きで思考が止まっている間にそれは段々大きくなり俺の頭の横を通り、俺と樹蔭君の間にあるテーブルの上まで移動しこちらを見て浮かんでいる。
つぶらな瞳が可愛くすごくフワフワでモコモコだ。
そのまま驚いて固まっているうちに非現実的な光景にあの事件の事が再びフラッシュバックし冷や汗が吹き出る。
まるでそれが合図だったように突然つぶらで可愛かった羊の目が猫のように光り瞳孔がすぼまり口が開く。
「………!!!!!!!!????」
開いた口にはまるで猛獣のような犬歯が並び今にもこちらを食いちぎらんばかりだ。
「ぅぁっ……」
もう少しで大きな声で叫びそうになったその時、照明の灯りはもどり、人の声もまた何事もなかったように騒めきとなる。
「あー、びっくりしたっすね。ただの停電みたいで良かったです」
まるで何もなかったかのように樹蔭君は照明が消える前と同じようにメニューを見出す。
「え?あ?羊は???」
「羊?羊はラムチョップがあるみたいですよ?珍しいチョイスしますね」
「いや、そうじゃなくて…」
あの羊は俺にしか見えてなかったのか?
あの時みたいに他の誰にも見えていなかったって言うのか!?
「ラムチョップ以外ですか??うーんと、あ、ラム肉のニンニクの芽炒めって言うのがありますよ」
丘の上にいた羊は消えていた。
あの出来事は本当でそして本当に俺にしか見えていなかったようだ。今すぐ席を立ってこの場を去りたいがまるで金縛りにあったように恐怖で動けない。
正直恐怖でどうにかなりそうだったが、今この場には一人ではないと言う事実を必死に頼りにして気持ちを抑え込む。それだけで必死だった。
それからちゃんと会話は出来ていたんだろうか?あんまり覚えていないが、あの店で飲んだ後は事件で打った頭が痛むと言って帰った事くらいしか覚えていない。
帰り道では何も起こらなかったのは幸いだった。
明日、早退してでも教えてもらった神社に行こう。