第二話 不安と安堵と
ぽんぽんとテンポよく進んでいくので比較的読みやすいと思います。
宝石商で魔法使いだと自称した男は、急に何を思ったのか藍海を引き取ると穏やかな声で言った。
当然彼女の思考は追いつくはずはなく、唖然と彼の顔を見つめていた。
「とりあえず面倒な手続きも終わったことだし、まずは家に帰ろう。それで大丈夫?」
大丈夫と言われると何を言ったらいいのか困ってしまい、言葉がでないのは多々ある。今回は多々ある中の過去最高のどう答えたらいいのかという困難になってしまった。頷けばなんとかなると彼女は決断し、頷く。
「マスター、いろいろありがとう。また来るよ」
マスターさんに頭を下げて店から出る。お世話になりました。
家に行こう、と言われてその不思議な胡散臭い男の背中について行く。先程いた喫茶店は路地裏の入り組んだところにあったようで、この人について行かないと迷子になると確信している。彼は右へ左へと狭い路地をすいすいとステップを踏むように進んでいく。喫茶店は本当に隠れ家的な、もはや隠れ家なお店だということが痛いほどわかる。
しかし、どうして私を引き取るなんて行動に出たのだろうか。この人が遠い親戚だからとはいえども、そもそもの根拠がない。私を引き取っても迷惑なだけだと思う。何もできない。何も知らない。いてもいなくても同じ。いないほうがいいに決まっているのに……。
「着いたよ」
「わぷっ!」
考えていたらいつの間にか到着していた。と同時に背中にぶつかった。
「大丈夫? 待ってて鍵開けるから」
家の外観は伝統的な日本の邸宅そのもの。和な雰囲気が充満している。家の囲いの内側には樹木があり、どうやら庭も存在しているようだ。
「ここが仮だけど私の家。本当の家主は今ぎっくり腰で入院中。お店の手伝いで私が来ている。家の方は自由に使って構わないそうだから、ゆっくりするんだよ?」
「お店、ですか」
「喫茶店で宝石商とも言ったね。実は私が経営しているお店は日本じゃなくて海外なんだ。時々宝石を求めてこちらに来るけれども今回はそのついでで手伝いをしているってことさ。お店は正面にあるよ」
やっぱりなんか胡散臭い。
家の内部に入ると段ボールが積まれていた。クリスと名乗った胡散臭い男はぶつぶつ文句を言いながら、大小様々な段ボールを片づけている。
「あの、クリスさん……私なにかできることありますか?」
「んー、君にできることかぁ。そうだな……あっ、お風呂! お風呂にお湯を入れてきてもらえるかな? お風呂場はこの廊下をまっすぐ行ったところだからすぐわかるよ。私はこれ片づけるから」
「はい、やっておきます」
少しは気を遣うことができただろうか。板張りの床をてくてくと進み、お風呂場へと向かう。お風呂場は広く、どこか銭湯のような雰囲気を感じさせるような水色のタイル張り。そんなタイルが貼られた四角くて広い湯船を兼ね備えていた。まさに銭湯。じゃぱにーず温泉。
お風呂の栓はしっかり確認して、お湯を蛇口から入れる。程よい温度のお湯をどばどばと投入していく。この温度で問題ないだろうか。熱くないだろうか、ぬるくないだろうかと不安にもなる。
「お風呂いっぱいになったら入っていいよ」
「はい」
お風呂の湯がいっぱいになるまであとどれくらいだろうか。
***
お風呂がお湯でいっぱいになったので、一番風呂をいただく。一番風呂なんて珍しいから、この感覚を大切にしよう。まず、お湯がとても綺麗。濁っていない。いつも少し汚れているから、汚れていないお湯は新鮮に目に映る。時刻は早くも18時。こんなに早くお風呂に入るのも初めてかもしれない。
そうしてお風呂を満喫して、お風呂から上がるとなんとバスタオルと着替えが用意されている。ありがたいことに変わりはない。しかし、いったい誰が……といっても誰とは想像がついてしまうのですが。
そして、ここはどこ。クリスさんはどこにいらっしゃるの。と、お風呂からあがった後は捜索から始まった。
「どこだここ」
和室、洋室、また和室。2階に上がって、和室、洋室……とやっとお目当ての人物を発見した。どうやら猫と一緒のようだ。
「あの、服ありがとうございました」
「あぁ、それならケイティに言ってくれないかな。僕は関係ないんだ、それ」
「ケイティ?」
「猫だよ。化け猫さ。人間にも化けることができる。日本で偶然見つけてね。裁縫が上手なんだよ。いつも助かっているんだ」
彼の傍にいた猫の姿はなく、代わりに美しい銀の長い髪をした、すこし遊び心のある目つきの女性が立っていた。
「余がケイティにゃ」
「君の服は彼女が作ったんだよ」
「毛糸の服は作れにゃいが、普通の服なら少し作れるにゃ!」
誇らしげに言っている横で、「毛糸は遊んでしまうからね」とクリスさんは言っている。猫であるという事実は変わらないようだ。
「これからよろしくお願いします」
「あぁ、よろしく」「よろしくにゃ!」
その後、クリスさんは「ご飯にしようか」と言ってご飯の準備に取り掛かった。私はというと、ケイティと遊んだ。猫はいい。とてもかわいいし暖かい。
三十分くらいして、いい匂いが立ち込めてきた。ご飯だ。
「今日はオムライスに挑戦してみたよ」
「うわぁ……!」
ふわふわとろとろオムライスでした。半熟な卵がキラキラと輝いています。テレビでしか見られない食べ物が目の前にある。しかもソースはケチャップではなくて、デミグラスソース。マッシュルーム入りで、とても高級感が溢れている。
「食べないの?」
「食べていいのです?」
「いいよ、食べて。好きなだけ食べていいよ。あ、でもデザートはプリンだからその分のお腹は残しておいてね」
「いただきますっ」
口の中に入れると、デミグラスソースの芳醇な香り、ケチャップライスとふわとろ卵の見事なハーモニー。これをおいしいと言わず、なんというか!
デザートのプリンはまたとてもプルプルで、すも入っていなくまろやかな口当たり。カラメルソースもほろ苦く、プリン本体の甘さとちょうどいい感じにマッチしていた。
「それで、明日のことなんだけど」
「ふぁい」
プリン(二個め)を食べながら耳を傾ける。明日の予定を話すつもりらしい。
「明日は買い出しに行こうと思う。君に必要なものを買いに行こう。それでいい? 欲しいものがあったらちゃんと言うんだよ」
「……はい」
本当に欲しがっても大丈夫なのだろうか。あまりいい気にはならない。彼女が施設にいた頃は我慢の連続で、あまり欲しいものは欲しいと言えない環境だったのだ。
「あとちゃんと歯を磨いて、今日はぐっすり寝るんだよ」
これ違う、ただのお母さんだ。もしかして、この人本当にお母さんになりたいのか、もしくはそもそも性質なのか。悩んでしまうな。
悩みながら歯を磨いて、「寝る場所ってどこですか」と聞いてみる。
「ここが君の部屋……と言っても微妙だし、仮の部屋だけれども、私が日本にいる間はここで寝ていいよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、なさい」
しっかり寝る場所も提供してくれた。ここまで恵まれていて本当にいいのだろうかと、不安になる。確かに、クリスさんも、猫だけどケイティも本当に親切。親切の塊、凝縮という感じなのは認める。事実、本当に親切でおいしいご飯も、屋根のある家も、ふかふかの布団もちゃんと提供してくれた。やさしさからきているのはよくわかる。
しかし、私は……。
私はその優しさを毒だと思う。思ってしまった。
やさしさは時に毒にもなりうる……。