機械仕掛けの神(17)
千歳は巨大兵器〈アルファ〉を前でうろうろと歩き回っていた。その歩調は足早で、足音がよく響いている。鴉が逃げ出したという連絡を受けてから、千歳の怒りは治まることを知らなかった。
「ルシエルは何をしていたのよっ!」
鋭い爪によって千歳の近くで機械の整備をしていた男の首が血飛沫を上げた。
床に転がる首を力強く蹴飛ばした千歳は肩で息をしながら心を落ち着かせていく。
千歳の気まぐれで殺された男は運が悪かったで済まされ、他の者たちは見て見ぬふりをして自分の仕事を続ける。
〈アルファ〉の調整はだいぶ前から整っている。それなのに関わらず、〈Mの騎士〉であるゾルテが〈裁きの門〉によって審判を下され、代わりになるはずだった鴉は逃亡した。そして、〈Mの巫女〉を捕らえたという連絡はまだ来ない。千歳の苛立ちは募るばかりだ。
天人に伝えられている伝説では、神は己の姿に似せて天人を創った。しかし、それは己を美化させた存在であり、その美しさの奥には神の持つ悪を備えていた。だから、楽園で反逆者が現われたのだと云われる。
天人の次に神は己の姿に似せて地人を創り出した。天人を清らかな炎で創ったのに比べ、地人は天人を創った時に出た汚泥で創られたと云われる。しかし、この地人も神の望む種族にはならなかった。
――神は去った。全ての生けるものたちを置き去りにして去ってしまった。
そして、千歳たちは神に代わる存在〈アルファ〉を創り出したのだ。
地人の住む地上に堕とされ、堕天者がなぜ身を潜めて暮らさねばならないのか。千歳は天人は地人の上に君臨するものだと信じている。それは自分が堕天者となった後も変わらない。
堕天者たちが身を潜めて暮らさねばならないのは、地上を管轄するヴァーツの存在があるからだ。
地上に堕ちた天人は楽園には還れない、それはヴァーツも同じことだった。還れないのなら、地上を楽園にするしかない。ヴァーツも堕天者もそう思っている。
千歳はもう待てなかった。
「この地上を支配するのはヴァーツでもアンチ・クロスでもルシエルでもない。このわたしが支配するのよ」
永遠とも思える時の流れを刻んだ。生きた時間に比べれば、地上で過ごした時間など短いものだ。しかし、その時間は千歳にとって耐えがたいものだった。だから一秒も待てない。
苛立ちを覚える千歳に近づいてはいけないという暗黙のルールがある。それを知っていながら、男が駆け寄って来た。それほどまでの事情があるということだ。
「千歳様、ハイデガー様が消滅したと連絡が入りました」
「ハイデガーが!?」
驚きはした。天人には死という概念が抜け落ちているところがある。そのため、他者の死に対して実感がわかない。だが、ハイデガーの消滅を実感した千歳は妖艶とした笑みを浮かべた。
例え力のある堕天者とて、自分に牙を向ける可能性がある者は必要ない。千歳の目の前には凄然と立つ〈アルファ〉がいる。千歳にはこの守護神がついている。この神に魂さえ宿れば、全ては千歳の手の内に治まる。
巨大な神を見上げる千歳の横顔に男が話し掛ける。
「ハイデガー様の部隊は殲滅させられ、〈Mの巫女〉の所在は掴めていません」
「それで、ハイデガーを殺ったのは誰なの?」
「〈Mの巫女〉と行動を共にしているらしいトラブルシューターの夏凛という人物か、もしくはハイデガー様の向かわれた館の主である魔導師か……詳しいことはわかっていません」
「それにしても地人に殺られてしまうなんて、ハイデガーも悔しかったでしょうね。命令よ、〈Mの巫女〉を早急に探しなさい」
艶かしい笑みを浮かべる千歳を見て男はぞっとした。〈Mの巫女〉を探さなければ命が幾つあっても足りない。
男が去ってすぐに別の男が現われた。その男の顔を見た千歳は驚きの表情を隠せなかった。
「まさか……なぜ、どうやって〈裁きの門〉から出て来たの……?」
「余の主と名乗る者に連れ出された」
そこに立っていたのはゾルテであった。それが千歳には信じられない。夢か幻としか思えないのだ。
「ありえないわ、そんなことができる者がいるはずがない」
「だが、余はここに存在する。余は〈裁きの門〉から出たのだ」
「いいわ、そう、別に構わない。あなたが戻って来てくれればM計画は遂行できる。〈アルファ〉の整備は整っているわ、あなたの核を捧げれば、〈アルファ〉は起動できる」
「〈Mの巫女〉はどうなっている?」
「心配ないわ、すでに〈アルファ〉に制御装置として組み込まれたわ。さあ、あなたの核を〈アルファ〉に捧げて」
千歳は待てなかった。だから堂々と嘘をついた。その嘘をゾルテは見破ることができなった。堕天者の成り切れていないゾルテは疑うということを忘れていたのだ。
「よかろう、余の核を受け取るがよい」
鋭い爪を自分の胸に衝き立てたゾルテは、そのまま一思いに自分の核を取り出した。
表面は濃い紅色をしており、内側から発せられるダークレッドから明るいローズのモザイクの濃淡が心を奪う。この核を宝石に例えるならば、類稀なる美しさを持つルビーであるピジョンブラッドに似ている。
鮮血の滴り落ちる核は天に掲げられ、ゾルテの手を離れて空にゆっくりと上がっていく。
まだ、魂の宿っていない〈アルファ〉の瞳が、ゾルテの核と反応して緋色に妖しく輝く。
低い重低音が格納庫に響き渡った。それは〈アルファ〉の咆哮であった。口を大きく開けた〈アルファ〉が叫んでいる。
核が炎を発し、巨大な闇の中に放り込まれた。核を呑み込んだ〈アルファ〉に魂が宿る。
〈アルファ〉の全身に浮き出ている血管のような模様が、蒼白い輝きから真紅に変わり、脈動感が溢れんばかりに生命根源の力が奮い起こされる。
重低音が空気を震え上がらせ、千歳の身体をゾクゾクと痺れさせた。
恍惚の表情を浮かべる千歳。目の前には千歳を地上の覇者へと導く魔神が聳え立つ。
全ては自分の中にあると千歳は確信した。だが――。
壁が叩き壊され、地面に穴が空き、魔神〈アルファ〉の咆哮が響き渡る。それは暴走だった。制御装置となる〈Mの巫女〉を生贄として捧げなかった千歳の誤算。全てはわかりきっていた結果だった。
暴走を起こすことなど千歳にもわかっていた。それでもどうにかなると思い込んでいたのだ。愚かな妄想を現実だと思い込んだ末路。
けたたましいサイレンが鳴り響き、赤いランプが点滅を繰り返す。技術者や研究者たちが逃げる中、千歳は魔神を見上げていた。
「わたしの命令を聴きなさい! おまえはわたしを地上の覇者とする道具なのよ!」
千歳の声は木霊するだけだった。
なぜ自分の言うことを聴かない。千歳は納得がいかず、怒りが腹の底から湧き上がってくる。
「わたしが支配者よ、わたしがおまえの創造主なのよ!」
やはり、〈アルファ〉は言うことを聴かない。
巨大な足が横に振られ、そこにたまたま立っていた千歳の身体を大きく飛ばす。骨が折れて肉を突き破り、全身血だらけになりながらも千歳は喚いた。
「わたしの言うことを聴かないものに用はないわ、おまえは塵よ、鉄屑よ!」
千歳の眼が大きく見開かれた。巨大な影が千歳の頭上に迫っていた。
骨が砕け、軟らかいモノが潰れた音がした。
上げられた〈アルファ〉足の裏は真っ赤な色で染まっていた。
〈アルファ〉に呑まれたゾルテの意思はない。では、〈アルファ〉には意思があるのか?
巨大な腕を振り回し暴れまわる〈アルファ〉は、やがて天に向かって吼え、背中に鋼色の翼を生やした。翼に魔導力が集まり黄金に輝き出す。
天井には地上へと続く道がある。
模造の神が天に向かって飛び立つ。
大きく羽ばたかれた金属の翼から、本物の翼のように羽根が抜け落ち舞う。
強風に煽られ千歳が顔を覆った。次の瞬間、魔神〈アルファ〉が飛んだ。壁にぶち当たりながら、ぎこちなく地上に向かって行く。
天井には光が見えない。地上に通じる昇降口は閉められたままだった。それでも〈アルファ〉は地上に向かって突き進んだ。
強烈な音を立てながら鋼鉄の扉が破壊された。
爆発が巻き起こり、地の底から唸り声がした次の瞬間、道路を破壊し、ビルを倒壊させ、巨大な影が街中に姿を現した。
空に浮かび、地上を統べる者の風格を持つ〈アルファ〉が激しく吼えた。
新たな神が今、人間たちの前に姿を現した瞬間だった。