春
最終話です。最後は事の発端の春が主人公です。
ずっと満たされなかった。
生まれ落ちたその瞬間から私には役割が与えられ、自らの意思により自身の在り様を決めたことはなかった。だから一つくらい決めてみたかった。
もう20代でいられる時間が終わってしまう。この機会を逃したら、もう私は永遠に自分の時間を過ごせないのではないか。そんな強迫観念が私を突き動かした。
人生初めてのボイコット。あるいはサボタージュ。どうしてこんな行動に出られたのだろう。それはおそらく自分の役割を、その重要性を信じていなかったからだ。しかし結果的にたくさんの人に迷惑をかけた。冬華は東京タワーから出ることが許されず、夏海は変な提案をし、千秋は柄にもないことに付き合わされ、王子係長は責任を追及され右往左往し、日本国民は原因不明の寒波に戦々恐々とした。ごめんなさい。
もう後戻りはできない。最初で最後の悪あがき。無様なことこの上ない。それでも私の我儘のために、みんなが作ってくれたチャンスを、用意してくれた舞台を台無しにはしたくない。その結果がどうであれ、何らかの結末が得られたならまた元の生活に、公務に従事する生活に戻るのだ。だからせめてそれまでは、時間制限つきのシンデレラのように、思いっきり羽を伸ばそう。そして国家の為に従事しよう。何故なら私は「春の女王」なのだから。
でもだからって羽を伸ばすにも程ってものがあるでしょ、冬華が冷めた目で夏海を見やる。
「でさー、そん時に冬華から電話がかかってきて、私変な声出しちゃったんだから」
顔を真っ赤にした夏海が据わった眼で周囲を一瞥し、一人で高らかに馬鹿笑いした。男性陣の笑顔は引き攣っている。それもそうだ。これはもう合コンとは言えない。女子会に成り下がっている。
東京タワーの地下には女王が生活する部屋とは別にもう一部屋存在する。地下へ下る階段を挟んで反対側、簡素なアルミ扉の向こうに何もない空間が広がっている。ここはかつて第二次大戦中に防空壕として拡張された洞窟だった。それを都はいつか使うかもと、電気設備を導入し、化粧壁を並べ立て、フローリングを敷き詰めて、なんちゃって会議室に作り替えていた。机も椅子もない、ただの部屋のような空間。今まで活用された様子もない。それでも今回は大変役立った。タワーの地下には8人も並んで食事できる場所が他になかったからだ。
別に6人であれば、そこら辺の居酒屋などでも合コンは開催できた。しかし私は我儘ついでにもう一つ注文を付けた。冬華も参加するように、と。しかし冬華は地下から出られない。何故なら役割上、女王は4人のうち1人は必ず地下にいなければならないからだ。この季節を回す役割が天変地異をもたらす可能性を見出してしまった今、地下がもぬけの殻になった時に何が起こるか想像もつかなかった。結果会場は地下、その場に料理人とウエイターを派遣してもらい、簡易的な食事処を設置することとなった。
「空いたお皿をお下げ致します」
若いが落ち着きのあるウエイターがうやうやしく申し出てきた。
「あ、じゃあじゃあビール!えーっと飲む人、飲むね、みんな飲むね!お兄さん、ビール8人分!」
一人で上機嫌な夏海は、全員の了解を得る前にオーダーを通した。それを聞いた千秋は青ざめる。
「ちょっと夏海、私いらないって」お酒の飲めない冬華は困り顔で抗議を申し立てるが、えへ、何?きゃはは、と伝わっている様子はない。
「いいよ冬ちゃん、私飲むから」私は冬華の不満を受け止める。頬を膨らませながらも冬華は矛を収めた。
夏海はもう冬華のことは頭にないのか、居心地の悪そうな男性陣に絡んでいる。不慮の事故、あるいは世間の理不尽に直面したかのように、4人とも笑顔が崩れている。が、もはや夏海には何も届かない。
合コンの言いだしっぺだからだろうか、夏海は序盤から張り切っていた。お酒の場を盛り上げようと躍起になり、ぐいぐいとお酒を飲み干し、理性を失ってしまった。ごめんね、なっちゃん。心の中で謝罪する。
「えー!彼女いるのー!?じゃあだめじゃん、こんなとこ来たらー!」
男性が一人失言してしまったようだ。夏海が罪人を吊し上げるようにわんわんと騒ぎ始めた。罪人たる男性は、しまった、と手に顔をうずめた。
「彼女、いるんですか?」今まで端の方で気配を消していた千秋が驚きの声を上げ、直後顔を赤らめて俯いた。狙っていたのだろうか。奥手な彼女の反応は意外だったが、それでも私は嬉しくなって、「秋ちゃん、狙ってたの?」と思わずいじめてしまった。
すると千秋はもみじのように真っ赤になり、手元に残っていた梅酒を一気に飲み干すと黙りこくってしまった。
余計なこと言っちゃった、と私が罪悪感に浸っていると、「いや、違うんです」と罪人が弁解を始めた。
「彼女はいましたけど、クリスマスの前に別れちゃったんで」目が泳いでいる。しかし千秋は希望が湧いたのか、少し顔を上げた。
「うっそだあ!目ぇ泳いじゃってるもん!」酔っぱらっている夏海が、即座に目聡く追及し、不衛生、不衛生、と手を叩きながら連呼し始めた。千秋はまた下を向いた。
「夏海、意味わかんないよ」うんざりした様子の冬華は、それでも一応つっこむ。
残りの男性3人はというと、夏海の矛先を恐れてか、息を潜めてちびりちびりとコップに口をつけていた。
「ビールお待たせ致しました」ウエイターが笑顔で8つのジョッキを運んでくると、夏海の不衛生コールは鳴りやんだ。そして「お兄さん、イケメンだねえ」と標的をウエイターにシフトした。
「じゃ、じゃあ、俺たちはこれで」ありがとうございました、と男性4人はぺこぺこと頭を下げ、ネオン街に消えていった。まるで追剥にでもあったかのようで、私は思わずふふ、と白い息が漏らしてしまう。
見送りは私一人。夏海はあのまま酔いつぶれ、フローリングの上で大の字になって高いびきをかいている。千秋は運ばれてきたビールを一気に飲み、そのまま隣の部屋のトイレに駆け込んだ。そして冬華は夏海に上着を掛けた後、千秋を介抱している。
それらは全て私が我儘を言ったせいで起きたことだ。申し訳なく思っている。しかし、彼女たちは付き合ってくれた。嫌々でも開催してくれた。私はそのことがとても嬉しかった。
「お疲れ様です」後ろの扉が開き、二人の男性が姿を現した。誰かと思ったが、今日一日中働いてくれた料理人とウエイターだった。二人とも私服に着替えている。
「お料理は口に合いましたか」強面の料理人は苦笑いしながら尋ねてきた。
「はい、とっても。あ、でもキッチン狭かったですよね。すみません」
「いえいえ、それほど、と言っても、まあ狭かったですね」しどろもどろとしながらも正直に言う料理人を見て、私は笑う。
「いい人はいましたか」ウエイターが微笑みながら聞いてきた。
「いえ、でも楽しかったです」
「それは良かったですね」彼はふふ、と笑った。
「それでは失礼します」二人は連れ立って東京タワーを後にした。
ひんやりとした空気が頬に当たり、酒で逆上せた頭が心地よく冷えていく。
合コンの結果は燦々たるものだった。それでも私は満足していた。今まで漠然と、しかし心の底から欲しかったもの、それはすぐ近くにあったのだ。私には頼もしい同僚たちがいる。そんな当たり前のことに今日まで気づかなかった。何気ない、彼女たちとの時間がたまらなく愛しいものだと痛感した。そしてそれらが私の宝物なのだと分かった。
お礼を言わないと。夜風に冷えた体を擦りながら、小春は東京タワーの地下に降りていった。
その後、日本では何事もなかったかのように季節が回った。そして同時に、密かな女子会が季節初めの恒例行事となった。
ご精読ありがとうございました。完成してあれですけど、これはラブコメではないですね。そして童話とも言い難いですね。ごめんなさい。