3 青い秘境
『頼まれ屋アリア』は川のそばにある。その川、アイルベリア川は、イルヴェリア山脈から流れている。川に沿って歩けば、目的地にたどり着けるのだ。
「オルファ香さあ、買うって手はないの?」
アリアが文句を言った。ハア? と、ヴェルゼが呆れたような声を出す。
「そんな高いもの買えるくらいなら、苦労はしないさ。一束で一万ルーヴはするんだぞ。どこにそんな金がある」
アリアは仰天した。
「い、一万ルーヴですってエ!? 高位役人の月収とほぼ同額じゃない! ……あー、ごめん。さっきの一言忘れて」
ヴェルゼは苦笑いする。
「姉貴はまず、お金の価値基準から覚えるんだな」
そうこうしているうちに、山へと続く道へ着いた。
「川の源流へ行かなくちゃあ」
言いながらも、空気を少し、張り詰めさせる。このあたりは密猟者が多く、油断ならない。
「でもヴェルゼ。オルファ香の見た目、分かるの?」
そうだな、と、彼は言い、骨で出来た杖を構え、何ごとか低くつぶやいた。すると。
「ワオ、ヴェルゼ。あたしの幻影の魔法、マスターしたんだね!」
そこには、小さな青い花を咲かせた、美しい木が。今にも消えてしまいそうに在った。
「闇魔法しか使えなかったオレに、色々と教えてくれたこと、感謝する。……これを探せばいいんだ」
それは、言葉で伝えるよりも、ずっとわかりやすい方法だった。
「サンキュ、ヴェルゼ! お姉ちゃん、うれしいわ!」
「やめろ、ヘンな言い方するな。気持ち悪い」
「あははごめん! じゃ、続きいこ!」
「……調子のいいやつ……」
日が暮れる頃になった。道なき道を進んでいたら。突如、視界が開けた。
「たぶんこのあたりに……って、この木! ヴェルゼ 、来てよ!」
「……なんだ? 見つかったのか?」
アリアの声に答えれば。視界の開けた先に……
「――青い花の木! オルファだ!」
見間違えようのない美しい木々が、その先に広がっていた。
「オルファの森……!? こんな……こんな秘境が……!」
満開に咲く青い木々。青い空との美しいコントラスト。オルファ特有の澄んだ香りが鼻腔をくすぐり、これまでの疲れを癒していく。
「すっごい所ね!」
アリアが驚くのも無理はない。ヴェルゼでさえ、実物にお目にかかったことはなかった。
その香りは、あまりにも清涼で。万病の薬、と呼ばれる所以がわかったような気がした。
「木の枝を少々いただこう」
オルファ香は焚くもの。焚くには枝が要る。
枝を折る、というときになって、悲しみの記憶が頭をよぎる。
――あの日。
ふるさとを追放されたのは、神木の枝を折ったから。シドラに懇願されて。そしてヴェルゼは、すべてを失った。
「……あたしがやろうか?」
アリアの言葉に黙り込み、彼は無言で枝を折った。青い花が、地面に散った。
「……ディ・エスト・ナーヴェ・ハイネン……」
呪文のような一言をつぶやくと、秘境に背を向けた。
帰り際に、ヴェルゼが唱えた呪文。
それは、目隠しの呪文。
密猟者の多いこの山脈から。美しい秘境を守るために。
いつの日か、また来たいと思っていたから。
オルファ香は見つかった。さあ、帰るとするか。
そんなこんなでその依頼は終わった。少年の兄は治り、慈善事業とアリアが譲らなかったのでお代は貰えなかったが、余ったオルファ香を売れば、なんとかなりそうだった。
「ふう、疲れたぜ」
ヴェルゼがつぶやいた。
「正直、山登りはきついな」
「確かに。魔道士には荷が勝ちすぎるわね。でも……よかった」
「ところで、『アリア』は、いつ単なるボランティアになったんだ? しっかり金を取れって」
「あんたは鬼ね! 貧乏者から金を取れって? ふざけんなだわよ」
「相変わらず甘いな……。まあ、それも姉貴の良さか。オルファ香の収入はあるし、今回は何も言わない」
「珍しいわね。怒らないの?」
ああ、と、ヴェルゼは頷いた。
「おかげで青い秘境も見られたしな。満足だ」
「青い秘境?」
「あの、オルファの木々の森のことだよ。あれは綺麗だった」
「そうね……」
青い秘境。澄んだ香り。イルヴェリア山脈の奥の小さな楽園。
いいものを、見た。
「また、時間があるときに、いってみようぜ? 二人で。」
今度は焦ることなしに。思う存分、あの静寂を味わおう。
ひっそりとたたずむ、青の秘境で。
まだ続きます。