とある助手のこぼれ話
その男の名前はヴェルナー・バロン・シュトローム。
下級貴族___男爵家に次男として生まれた男である。
領地は幽かばかりあるぐらいで、貴族階級になんとか引っかかっているような家だった。
その為、ヴェルナーの兄は城で軍隊の方に勤めている。
生憎ヴェルナーは運動が得意ではなかったが、幸い勉学の才はあった。
ヴァーズン帝国の首都シュヴァンツの有数の学院に特待生として入学し、自らの道に対して光を見いだし、未来に心を弾ませていた。
でも、それが幻想だと気付いたのは、入学して幾ばくも経たない頃だった。
何処へ行こうとも、身分と言うのが付いて回り、交遊は家や一族の利害や覇権拡大の場と成り果てていた。
教師とて例外でなく、特に現学長がその傾向を強く見て取れた。
貧しい男爵でしかなく、いくら成績が良かろうとも、ヴェルナーを見る目は表に出しているか否かの違いがあれども、嘲笑を浮かべていた。
ヴェルナーはそんな彼らを逆に馬鹿にして、目を背け、ただひたすら学問の徒とし励む。
それが幸運なのか、それとも不幸なのか、ヴェルナーの研究が認められ、国家研究所にスカウトされた。
自己の研究が国に認められ、さらなる精進を心に決め、研究所の扉を開いた。
___そこは、地獄だった。
腐臭に、鉄の臭いに、うめき声に、叫び声。
スペルナ神が悪しき魂を浄化する場とされている地獄でさえ、希望を内包しているのに研究所には絶望しかなかった。
自らの実験の為に何人、殺しただろう。
ヴェルナーの神経がそんな考えを振り払うように、今日も手を動かす。
ここは有益だが、秘された場。
彼がどんなに優秀だろうが、秘密を保持するために、逃げ出したら彼を殺す事ぐらい簡単に想像付いた。
死にたくなくて、ただひたすらに被験者に情けを掛ける事なく続けていった。
ヴェルナーが研究していたのは『いかにして人はスキルを取得するのか』という点だ。
そのメカニズムが解明されれば、他国よりも軍事を遥かに増強を可能にし、テラ大陸の覇権を手にするのも難しくなくなるだろう。
テラ大陸において最古にして今最大の領土を持っている卑しい魔人族の領地すら、奪い取る事が可能になるに違いない。
(そうすれば、俺は認められる)
散々ヴェルナーを馬鹿にした伯爵家の男や告白してこっぴどくヴェルナーを振った顔だけ女やヴェルナーの研究を馬鹿にした教師を見返す。
もう、それしか男にはなかった。
日々血塗られる中、狂わないのはそれしか持っていなかったからだ。
良心も、正義も、愛情も、友情も、親愛も、当たり前の幸せも、何一つ持っていなかったからだ。
いや、捨ててしまったと言う方が、正しい。
ヴェルナーが狂ってしまない為には必要だった。
男は繰り返す。
来る日も来る日も、自身の研究の為の犠牲を、良心を誤摩化しながら。
「被献体10245、出ろ」
「…………」
繰り返す日々の中、代わり映えのしない毎日に感情を押し殺しながら生きていた。
本日の検体は、中々保っている個体だ。
毒や痛み等の状態異常系や六元素における火・水・土属性の攻撃耐性ができている。
本日からは風属性を中心にやっていくことになるだろう。
齢八つのボロボロの子供を横目でちらりと見遣りながら、現実から目を逸らす。
薄暗い廊下を抜け、実験室に入る。
ヴェルナーは思わず顔をしかめた。
この研究所の主にして狂人のクリストフェション・フェルスト・グラナートとその狂信者であるオスヴァルト・ディーツがいたのだ。
基本的に個々で研究していく形をとっているココで、二人がいるのはおかしい。
無言のまま検体をいつも通り拘束していく。
その間にクリストフェションはヴェルナーの実験記録を斜め読みし終えたようだ。
朗らかに微笑む研究者は、明日の天気でも言うように、決定を告げた。
「今日は電撃耐性の実験をしましょう」
「大ですか?」
「う~ん、悩みますねぇ」
嬉々として狂信者は、殺傷能力の高い魔術を進める。
ヴェルナーは内心眉を潜めつつ、宥める。
「……小からやって行った方が被検体の損傷が少なくてすむ」
「ヴェルナーは優しいですねぇ」
嗤う嗤うその男の狂気がヴェルナーは怖かった。
薄笑いするその笑顔は、蝕に対峙させられているような、寒気を運ぶ。
ふっとヴェルナーに耳打ちした。
「そろそろ殺して解剖した方が良いのは、貴方も解っているでしょ?」
「……はい」
「無効化系スキルは発言しなくても概ね耐性スキル系のデータは集まりましたしね」
「教授も別のスキルの実験がしたいですよね!」
「ふふふ、面白いモノであればなんでも良いのですよ」
卑小な命など、彼らにはどうでも良いのだと、思い知らされる。
所詮、数値でしかないのだと、気付かされる。
(勇気なんてない)
感情を押し殺すように唇を噛んだ。
ギリリと握りしめた拳に自身の爪が突き刺さる。
痛みは気にならない。
(ただ、時間を消費するだけ)
怖いモノから目を逸らして、息を殺して、逃げて。
自身を騙して、誤摩化して、気付かないフリをして。
その男は生きていく。
「あぁ、死んでしまいました」
完全にヴェルナーが壊れるか、殺されるまで、この狂気の箱庭に、その男は生きた。
そう、生きたのだ。
ある助手は言った。
生きるとは、『逃げる事』であると。