とある【観測者】のこぼれ話
《逝ったか……》
ぽつりと、光球___【観測者】は呟いた。真っ白な空間___【世界の狭間】は不自然に波紋を造っている。先ほどこの場にいた青年を異世界に渡らせた影響だ。
【観測者】は楽しそうに嗤った。
《来たのか》
【世界の狭間】に前触れもなく、二人の男が現れた。一人は濡れ羽色の髪を後ろで緩く一つに結わえた、藍色の瞳を持った柔らかい雰囲気の男。もう一人は輝く金髪を背中に流した、血のように赤い瞳をした鋭い雰囲気の男。どちらも共通しているのは、その優れたる容姿だ。百人が百人、老若男女問わずに、見惚れずにはいられない、そんな容貌をしている。
「我らが主よ、これはどういう事でしょうか」
「『来たのか』じゃねぇよ」
【観測者】に声を掛けた黒髪の男___イルフェスの対なる生を司る主神・インフェルナは、渋い表情で問う。言葉使いの荒い金髪の男___イルフェスの対なる死を司る主神・スペルナは、噛み付いた。
そんな彼らの様子を【観測者】は小指の先程も気に掛けていない。上位神と中位神の格の違いははっきりと線引きされている。上に逆らえないのは、古今東西・異世界異種族と言えども、違いはない。しょっぱい話である。
《異邦人・胡浩蓮には手出し無用》
「……我々の問い答えて下さらないのですか?」
イルフェスの声がやや低くなり、丁寧だがどこか詰問の響きを帯びた。もしもこれが中位神以下だったら、その威圧に耐えかねて、立ち所に従うだろう。もしもこれが単なる人間だったら、自ら死んででも逃れようとするだろう。しかし、相手は上位神。その程度でどうにか出来る訳もなかった。
《生きるとは、何だと思う?》
「はぁ?」
「何だいきなり?」
どこまでもマイペースな【観測者】は双神に訪ねる。それに応えなど期待もしない、独り言のように更に言葉を続けた。
《生きるとは、抗う事だ。
このが世の力に、理に、思想に、抗う事だ。
そして自らの意思を世界へと示す》
朗々と【観測者】は告げる。それは【観測者】自身の永久に等しい時間の観測結果に他ならない。矮小な命達の小さな叫びは集まり大きな流れを創り出し、時に自身よりも遙な高みの存在を引きずり下ろす事すら可能にする。
「それがどうしたんだよ」
《あれ(レン)はそれがない》
故浩蓮の人生は相対的に見ても恵まれたものだった。両親親族共に健在で、仲も悪くない。経済的に貧窮している訳でもなく、友人などの人間関係にも恵まれている。頭は飛び切り言い訳ではないが、要領は悪くない。
それなのに、 満 た さ れ な い 。
野方図に時間を消費し、目的も希望も絶望すらもない。他者が望む多くのモノを持っているのに、その価値を気付く事もなく、蓮は生きる事に飽いていた。たかが二十年と幾ばくの人生に、飽きたのだ。上から落ちた鉄骨で呆気無く命の終わる瞬間でさえ、生きる事を望んでいなかったのだ。
《だから、奪って、這いずらせてみたくなった》
【観測者】は嗤って言った。最期の記憶を奪い、あの世界に当たり前に在った全てを奪った。親の温かさも、友人の優しさも、豊かだった物も、権利も、そしてあの世界にあった筈の来世も___。這いずって、あの魂が壊れてしまうのも良し、立ち上がるのも良し、消滅するも良し。停滞気味の観測世界(イルフェス
)に新しい波紋を創れたら、それはそれで面白い見せ物になる。そんな予感が【観測者】にはあった。
《だから、よろしく?》
そう言うだけ言うと、座している場に【観測者】は帰った。【世界の狭間】には二柱の神だけ。どちらともなく、溜め息が漏れた。中間管理職は胃痛との戦いである。神と言えども。
「……【運行表】の手直しをしないとな」
「……千年ばかしで作業が終われば良いのですが」
「だと良いな……」
彼らもまた元居た場へと帰るべく、集中する。そして、誰も【世界の狭間】には居なくなった。ただ延々と白い空間だけがそこに残った。