第1話「いちりんめ」
「――ですから、やっぱり教授のご指導が必要なんです!」
夕暮れの研究室。背後の出口が、やけに重い。
私――佐藤 琉狐は机を挟み、教授と呼んだ男性、その人と向かい合っていた。
「……だからさ、佐藤。やめとけ、とは言わない。言わないけどさ...」
彼、坂西教授は、椅子にもたれたまま、わざとらしく片眉を上げた。いつもなら「まーたキメ顔〜」と内心で笑うところなのに、今日は笑えない。
「危険性は分かってます。印瞳家の調査は危ない。
けれど!その家が壊滅した今!世間の目が向いている今だからこそなんです!きっとあの家の裏には、大きな想いと陰謀が...!」
「慣れてるんだ。」
ルコが拳をふるって語る中、前のめりに座り直したバンザイ教授。手を組みこちらをじっと見つめる姿は、いつものカッコつけでは無かった。
「今回は、揉み消す奴らが慣れてる。そんな気配がする。
……内容が深刻すぎるんだよ、佐藤。いつもの趣味で手を出せる範疇じゃ、ない」
窓の外、赤い夕焼け空から差す日を受けながら、私は突っ立っているしかなかった。
「……止めはしない。独り言なら呟いてやる。
だが、割に合わんよ。ほんとうに」
独り言……刑事ドラマですか。
そうツッコめはしなかった。
◆◆◇◇
帰り道、冬の風が耳の裏を切るみたいに冷たい。マフラーに顔を埋めながら、私は考える。
(この街で調べられることは、調べ尽くした……と思う)
図書館の郷土資料。古い宗教史。事故当時の行政資料。新聞、SNS、動画投稿サイト。
……しかし、如何せん人が足りない。
何かを知っている人が、それに通ずる縁が、足りない。
(...現地、行くかあ〜?)
スマホを開くと、前に見ていたまとめ記事が目に入る。
『印瞳家事故、“何かの儀式”?――生き残りがいる?』
『都市部に関係者? 政府、反社会的勢力、宗教団体との繋がり』
指が勝手にスクロールする。読めば読むほど、情報は増えるのに輪郭が薄くなる。真実が遠ざかる感覚。
(……いや。都市にも関係者がいるかもしれない)
私は足を止めて、駅前の雑踏を見た。人が多いほど、何かが紛れやすい。どこかで誰かが、知っているのに黙っているかもしれない。
(もっと準備を重ねてからにしなきゃ)
自分に言い聞かせて、スマホを閉じた。指先が冷えている。
そのまま吸い込まれるように、私はいつものカフェへ向かった。気づけば足が覚えている。そこなら、呼吸ができる気がした。
◆◆◇◇
カフェ「こまいぬの耳」は、駅前の喧騒から一本外れた通りにある。ガラス越しに見えるランプの橙色が、冬の夕方に似合う。
ドアベルをガーンと鳴らした。
「おっ、ルコちゃん! いらっしゃーい!」
カウンターから顔を出したのは藤澤和――フジサワさんだ。エプロン姿で、髪はちょっと跳ねている。いつも通り、妙に元気。
「いつもの?」
「はい!お願いします」
「了解! 今日も研究? えらいねえ」
軽口のくせに、ちゃんと“私が疲れてる”ことをすぐに見抜いてくれてる気がする。私は少しだけ肩の力が抜けた。
「……まあ、はい!煮詰まってます!」
「うんうん、いい香りがしてきたんじゃない?お料理と一緒だよ。」
フジサワさんは下手くそなウィンクをして、コーヒー豆を挽き始めた。相変わらず、キザくて軽くて、でも妙にあったかい。
「ご注文は」
思わずビクリと跳ねた。
頭上からの声。背後に誰かが立っている。
上を見上げると、見知らぬ店員さんが私を覗き込んでいた。
セミショートの茶髪に緑の双眸。瞳孔がひし形...?綺麗な瞳なのに、クマが滲んでしまっていて勿体ない。要するに、だ。
(ダウナー系イケメン!!)
「……ごちゅ」
「あぁ大丈夫大丈夫、この子常連さんだから。
いつもの、って注文してたんだよ。ありがとね、ヨスガくん」
フジサワさんが両手を振りながら、店員さんに笑いかけて説明した。
「えっ、そうなんですか。申し訳ありません。」
「いいっ、いや、いいんです!そういうことも!そういうこともあります!大丈夫です!」
パッと顔を上げて謝罪する店員さん――ヨスガさんに、私は思わず席を立って顔を上げるよう促す。
その姿を見ていたフジサワさんが、まるで面白いと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
やめて欲しい。そういうの。
「よしよし、ヨスガ、休憩入れ。ちょうどいい。ルコちゃんと文化トークしてきな。
ルコちゃん、ソファー席移動ね。」
「「えっ?」」
声が重なったが、その温度は天と地ほど違った。
ヨスガさんを見上げると、その顔は戸惑いを隠していなかった。というか、断る理由を探している顔。
けれどフジサワさんは、笑いながら私たちの背中を押す。
「大丈夫。会話はコーヒーよりカロリー低いから」
「っはは、意味が分からないですよ」
フジサワに硬かった表情を砕かれて、ヨスガさんは席に座る。座る動作が静かで、目を引いた。
どうぞ、と彼が向かいの席を示したので、私も席に着く。
「ヨスガくんは紅茶だよね〜、ルコちゃんは蜂蜜たっぷりウインナーコーヒー、と。持ってくるよ!」
この店内で最年長とは思えぬ軽やかさでカウンターに入っていくフジサワさんと、ヨスガさんを交互に見る。
……どうしろと!!
「面白い注文ですね、メニューに見覚えがない」
「へっ!?」
「『蜂蜜たっぷりウインナーコーヒー』。甘いのがお好きなんですか?……でも、結局コーヒーは苦いから……。」
「は、はい!甘いのも苦いのも好きです!」
「そうですか。僕はコーヒーをあまり飲んだことがなくて。初めて飲んだときはびっくりしましたよ。こんな変なものを飲みにカフェに来る人が大勢いるなんて」
「ヨスガくーん、それチクチク言葉〜。」
フジサワさんの一声にひとしきり笑ってから、私は口を開いた。
「佐藤 琉狐です。初めまして。」
「……僕は縁といいます。今日からここで働かせてもらう予定です。」
「おー初勤務!いいですね!」
◆◆◇◇
簡単な会話が続いた。ヨスガの絵の話。ルコの大学の話。ヨスガがルコより年下だと知ったときの、ルコの驚き。
一息ついて、ルコは出されたコーヒーを飲んでいた。
そっと、両手でカップを置く。
「私、最近……趣味で調査を始めたんだ。」
「調査?」
「うん。印瞳家の事故って知ってる?私、前からあの一族について調べてたの。」
店内の音が一段遠のく。カップを置く音、ミルの回る音、すべてが薄い膜の向こうになる。
「……どうして?」
理由を問う声が、思ったより硬い。ルコはすぐに息を吸った。
「昔からの習わしとか、習慣とか、宗教って、本来はきっと、みんながより良い生活をするために、人のためを想って作られたものだと思うんだ。」
まっすぐな言葉。子どもっぽいほどの信頼。そう思われているだろう。けれど。
「だから、そういう文化の起源にある“優しさ”を掘り出して、現代で文化を利用したり、都合のいい解釈で人を傷つける奴らを……」
ルコは拳を小さく振るう。
「ボコボコにしてやるんだよ!民意でっ!」
ヨスガの目がしぱしぱと瞬く。次に、口元に手をやり、唇を引き締めた。
気の抜けた笑いを堪えている顔。でも、それは馬鹿にしている笑いじゃない。
「それで、私は印瞳家に目をつけたの。
昔からの習わしを大切にしているから。それが悪い利用なのか、いい利用なのか、知りたくて。」
「そういう理由、なんだ」
「変ですか?」
「いや……」
ヨスガは言葉を探している。
「純粋だと思った。……よかった」
ルコは照れたように笑う。
その笑顔を見て、ヨスガの中に、別の言葉が湧いたようで。
「でも……何を根拠に、って思ってしまう。大義って、嘘か本当か分からない。昔の人が定めたものだって。」
ヨスガは続けた。
「どんなに崇めても讃えても何も返さない偉大な存在がいて。利用する者がいて。……それだけじゃない。自分の欲のために、ルール――文化を定める強者も、きっといる。僕は」
ヨスガさんはそこで言葉を切った。
紅茶の少なくなったコップに目を落として、どこか遠くを覗いている。
「そうかもしれない。」
ルコは口を開く。
「本当の歴史を知る人なんて、いない。けど、人がついていくのは……その人のためを想ってくれる人、だと思うんだ。」
言葉を丁寧に選んだ。
「たくさんの人が、ある人に習ったなら。その方が幸せになれるって感じた証拠でもある。騙されることもあるかもしれない……でも、人は進化する。もっと幸せになるために、より良い方法を見つけられる
だったら、今の最善を考えるんです。悪い人が悪いように文化を利用するなら、いい人は、いいことに文化を利用すればいい」
最後に、「いひひ」と笑う。照れ隠し。最後に付け加えた。
「要するに、ものは考えようってことだよ!」
ふっと、空気が和らいだと思う。
ヨスガさんが、そうだね、と、柔らかく笑った。
彼は背もたれに寄りかかり、窓の外を眺める。
「……ルコさんの研究、協力出来るよ。多分。」
「おーいヨスガくん、それ以上はこっち。」
フジサワさんが、奥の扉の前で手招きしている。ヨスガさんは立ち上がって、私に視線を向けた。
「その研究に関わる話で、知っていることがある。
……ご興味は?」
「あるに決まってる。」
◆◆◇◇
店の奥へと続く扉をくぐる。
その先は深いピンク色の壁紙に、ほのかに明るい証明。3つほど並ぶ重厚そうな扉、といった、どこか怪しげな廊下が広がっていた。
「こんなとこあったんだ...」
「秘密基地だよ。俺が仕入れてるのはコーヒーだけじゃないからね。例えばそうだな。近頃話題の政治家さん、ハルトミさんだっけ――彼の不倫相手の情報とか。」
「へ」
聞き捨てならない情報が飛び出た気がする。
私の前を歩くヨスガさんが、訝しげにフジサワさんを見た。
「それ言っていいんですか。」
「いーのいーの。俺、人を見る目には自信あるから。」
「……僕を前にしてそれ言います?」
「ああもちろん!」
個室に入る。扉が閉まる。外の音が、きれいに切れる。
ヨスガさんは奥のソファーの前に進み、フジサワさんはその横の壁に寄りかかった。
――私がすぐに逃げられるようにしてくれている。
直感が囁く。
逃げるつもりなどない。そう示すために、真っ先に席に座った。
ふーっと息を吐くヨスガさん。そして、言葉は紡がれる。
「僕の名前は印瞳 縁。
ぜひ貴女に協力したい。印瞳の、生き残りとして。」
――生き残り。そう言った。
「ただ、その前に。ひとつ聞かせてほしい。」
急に息ができなくなった。
ぬらり、白い、子供の手。骨ばったその手は、緩慢な動きでヨスガの背後から現れ、ヨスガの首、そして身体に巻きついた。
はっ、はっ、と浅く、辛うじて呼吸をしながら、それを眺めることしかできない。汗が、手元に落ちるのを感じた。
白い手の輪郭が、時折ぼやけながら、その持ち主が現れ出す。赤い着物に白い髪。三つ編みの、長い髪。顔はまっくら。先のないまっくら闇。
その頭が、こてん、とヨスガの肩に預けられた。
「……貴女が、どこまで知っているのか。」




