1章:闇魔法属性の娘
闇魔法属性の娘
魔法に覚醒した時 属性は闇だった。
火魔法の大家であるロレーヌ家の娘としては異質だった。
娘の母親は気味の悪い娘を嫌った。
「おぞましい」
母親は娘を家に閉じ込めた。
娘は属性は闇でも技術の一つと魔法所に書いてあった事を信じて一人で研鑽していった。
人形を魔力糸で操ることができるようになった娘は母親に褒めてもらおうと一生懸命練習した。操り人形を魔法で操作しダンスを踊らせて母親に見せたが偏見の強い無知な母親は娘を認めなかった。
「なんて親不孝な娘なの おぞましい」母親は娘から人形を取り上げてその場で破壊した。
娘は絶望した。 「この魔法は人から嫌われる。」
壊された人形の残骸を前に、娘は涙も出ないほどの虚無感に襲われます。「この魔法は人を不幸にする、おぞましいものなんだ」と。
しかし、彼女が部屋の隅で膝を抱えていた時、自分の「影」が、彼女の悲しみに寄り添うように揺れました。
闇は拒絶ではない: 光が強ければ強いほど、影は深く、そして優しく寄り添うもの。
技術の本質: 母親が「不気味」と切り捨てた人形の舞踏は、実は宮廷魔術師ですら驚愕するほどの「多重制御」でした。
新たな出会い: 絶望して家を飛び出した彼女の前に、ロレーヌ家の火魔法では決して救えなかった「光に焼かれそうな人々」を癒す、闇の賢者が現れるかもしれません。
冷たい石造りの床に、バラバラになった木製の人形の残骸が転がっていた。それは娘が指先を血に滲ませ、闇の魔力糸を何度も通して作り上げた、唯一の「友達」だった。
「おぞましい。火の誇りを知らぬ不浄の子よ」
母親の吐き捨てた言葉が、耳の奥で火傷のように熱く残っている。ロレーヌ家の象徴である黄金の炎は、娘には一度も灯らなかった。代わりに現れたのは、音もなく、熱も持たない、底なしの「闇」だった。
閉じ込められた部屋の隅で、娘は膝を抱えていた。窓から差し込む月光すら、自分を責めているように感じる。
「この魔法は、人を不幸にする。私を一人にする、おぞましい呪いなんだ」
そう呟いて目を閉じたとき、不思議な感覚が走った。
自分の足元から伸びる「影」が、生き物のように蠢き、そっと彼女の頬を撫でたのだ。それは冷たくもなければ、不気味でもなかった。むしろ、燃え盛る火魔法の熱に晒され続けていた彼女にとって、その影は静寂に満ちた唯一の安らぎだった。
闇は拒絶ではなかった。光が強ければ強いほど、その足元には必ず寄り添う影がある。誰にも見向きもされない暗がりの中で、彼女が一人で磨き上げた「魔力糸」の技術は、もはや遊びの域を超えていた。数百本に及ぶ不可視の糸を同時に操り、人形に魂を吹き込む。その精密な多重制御は、力任せに火を放つだけのロレーヌ家の魔導師たちには到底到達できない、神の領域に近い技術だったのだ。
「……まだ、消えていない」
娘は立ち上がった。壊された人形の破片へと手を伸ばす。闇の糸が、まるで血管のように木片を繋ぎ止めていく。形は歪でも、それは彼女自身の意志で再び動こうとしていた。
その時、閉ざされていた扉が、外側から音もなく「溶けるように」消滅した。
驚いて顔を上げた娘の前に立っていたのは、漆黒の法衣を纏った老人だった。
「火の光は目を眩ませるが、闇は真実を浮き彫りにする。お前の糸、それは人を操るためのものではなく、壊れた世界を繋ぎ止めるためのものだな」
老人は、かつて歴史から消されたと言われる「闇の賢者」だった。彼はロレーヌ家の誇る猛火を潜り抜け、ただ一人、影の中に潜む類まれなる才能を見つけ出したのだ。
「来なさい。光に焼かれ、救いを求める者たちが、その静かな夜の力を待っている」
娘は、もう迷わなかった。自分の魔法を「おぞましい」と断じた母親の家を背にし、彼女は賢者の差し出した手を取る。
闇魔法。それは人を呪うための力ではない。
光の届かない場所で、誰にも気づかれぬよう、優しく世界を補綴するための、あまりにも繊細な愛の形だった。
賢者に導かれ、ロレーヌ家の屋敷を去った娘――リィネは、人里離れた深い霧の森にある、古びた魔導工房に身を寄せていた。そこは「影の聖域」と呼ばれ、光に焼き尽くされ、居場所を失った者たちが集う場所だった。
「お前の糸は、壊れたものを繋ぐためにある」
賢者の言葉通り、リィネの闇魔法は進化を遂げていた。かつて母親に「不気味」と切り捨てられた人形操作の技術は、いまや傷ついた人々の欠損した四肢を補う「魔導義肢」を動かすための、極細の神経伝達系へと昇華していたのだ。火魔法が破壊と浄化を司るなら、彼女の闇魔法は静寂と再生を司っていた。
ある日、森の境界に一人の騎士が倒れ込んだ。皮肉にもその紋章は、かつて彼女を追い出したロレーヌ家の同盟軍のものだった。騎士は火竜のブレスを浴び、全身の神経を焼かれ、指一本動かすことができない。
「助けて……くれ……。動けないんだ……」
リィネは迷った。自分を「おぞましい」と呼んだ者たちと同じ血を引く男。見捨てれば、それこそ復讐になる。しかし、リィネの指先から自然と闇の糸が伸びた。
彼女の糸は、騎士の焼けた神経の身代わりとなり、筋肉の隙間を縫うように入り込んでいく。闇は冷たく、痛みを鎮める鎮静剤のように男の体を包み込んだ。リィネが指をかすかに動かすと、動かぬはずの騎士の腕が、彼女の操り人形のように滑らかに持ち上がった。
「動く……。あんなに熱く、痛かった体が……静かだ」
騎士は涙を流した。彼にとって、リィネの闇は「おぞましい呪い」ではなく、燃え盛る地獄から救い出してくれる「慈悲の夜」だった。
数ヶ月後、リィネの噂は大陸中に広まった。「影を編む聖女」がいると。
かつてのロレーヌ家の母親は、その噂を聞きつけ、自分の娘だとは露知らずに、戦地で動けなくなった長男を救ってほしいと頭を下げに来た。
リィネはフードを深く被り、母親の前に立った。母親は相変わらず、眩しいほどの金色の火魔法を纏っていたが、その瞳には焦燥と恐怖が宿っていた。
「私の息子を……ロレーヌの跡取りを救ってください。あの不浄な闇に蝕まれた者を、あなたの奇跡で……」
リィネは、母親が「闇」を不浄と呼びながら、その闇の技術に縋っている矛盾を冷ややかに見つめた。しかし、怒りは湧かなかった。ただ、かつて壊された人形の木片を見た時のような、遠い悲しみがあるだけだった。
「お望み通りに。ですが、光では救えぬものがあることを、お忘れなきよう」
リィネが指先を振ると、数千本の闇の糸が天を舞い、光に焼かれた人々の苦痛を吸い取っていく。その光景は、恐ろしくも、神々しいまでに美しかった。
彼女はもう、誰かに褒めてもらうために踊る人形ではない。
夜の静寂を統べ、壊れた世界を影から支える、真の魔導師として歩み始めたのだ。
リィネは、目の前で額を地につけ、必死に懇願する母親を見下ろした。かつて自分を「おぞましい」と呼び、唯一の心の拠り所だった人形を粉砕したその手は、今や恐怖に震え、救いを求めてリィネの漆黒の法衣を掴もうとしている。
母親は、目の前の「影の聖女」が、自分が捨てた娘だとは夢にも思っていない。ただ、火魔法では癒せぬ息子の重傷を治せる唯一の希望として、盲目的に縋っていた。
リィネは、無言のまま指先を微かに動かした。
数千、数万の闇の糸が、夜の帳が降りるように静かに、横たわる兄の体へと吸い込まれていく。焼かれた皮膚、断ち切られた神経、粉砕された骨。それらすべてを、闇は拒絶することなく包み込み、精緻な手際で繋ぎ合わせていった。
「……ああ、熱くない。なんて、静かなんだ……」
意識を取り戻した兄が、安らかな吐息を漏らす。母親は歓喜に震え、「おお、神よ! この聖なる御業に感謝を!」と叫んだ。かつて闇を「不浄」と断じたその口が、今は闇の技術を「神」と崇めている。その滑稽さに、リィネの仮面の奥で小さな、氷のような微笑が浮かんだ。
母親が恐る恐る顔を上げ、フードの奥にあるリィネの瞳を覗き込もうとした。しかし、リィネは一歩下がり、その視線を深い影の中に隠した。
「……救われましたな、ロレーヌ夫人」
リィネの声は、魔力によって低く響く別人のものに変えられていた。母親は、その声に聞き覚えがあるはずもなかった。ただ、その圧倒的な魔力の威圧感に、蛇に睨まれた蛙のように竦み上がる。
「は、はい……! ありがとうございます、聖女様。この御恩、一生忘れません。……しかし、これほどまでに清らかな力が、なぜ『闇』などと呼ばれているのでしょう。不気味な連中の魔法とは、まるで別物ですわ」
母親は、救われた今でさえ、自らの偏見を捨ててはいなかった。彼女にとって、目の前の奇跡は「例外」であり、自分の娘が持っていた闇は依然として「おぞましいもの」のままなのだ。
リィネはその言葉を聞き、確信した。正体を明かす必要など、もはやどこにもない。自分を否定した過去の亡霊に、今の自分が誰であるかを理解させる価値すらないのだと。
「……光は、時に真実を焼き潰します。あなたが『不気味』と切り捨てたものの中にこそ、真の救いがあったのかもしれない。それを知らぬまま、光の中で生き続けるのが、あなたへの相応しい報いでしょう」
意味深な言葉を残し、リィネは背を向けた。
「あ、あの……! お名前だけでも……!」
母親が追いすがろうとするが、リィネの周囲の影が渦を巻き、一瞬にして彼女の姿を飲み込んだ。
後に残されたのは、完全に回復した息子と、呆然と立ち尽くす母親だけだった。母親は一生、自分を救ったのが「あの娘」であることに気づかず、自分が捨てた才能の大きさを知ることもない。
リィネは、もう振り返らなかった。
彼女の指先から伸びる糸は、今や一人の母親に認められるためではなく、世界という巨大な、そして壊れやすい「操り人形」を影から支え、修復するために紡がれている。
暗闇の中にこそ、真の慈悲がある。
彼女は名もなき「夜の超越者」として、光の届かぬ場所を歩み続ける。
リィネの指先から伸びる漆黒の魔力糸は、今や一つの生命系のように完成されていた。彼女の周囲には、かつての壊れた木屑から生まれ変わった、三体の精巧な操り人形が静かに浮遊している。
一体は、盾を構え、あらゆる衝撃を影の粘性で受け流す重厚な守護者。
一体は、不可視の刃を纏い、闇に紛れて敵の急所を突く俊敏な狩人。
そして最後の一体は、リィネが幼い頃に壊されたあの日形に似た、柔らかな布を纏った癒し手。
三体を同時に、かつ別々の意思を持っているかのように精密に動かす「多重制御」。それは、並の魔導師が一生をかけても到達できない、精神の並列処理を必要とする神業だった。
ある時、国境付近の街が、制御を失った火属性の魔獣たちに襲われた。街はロレーヌ家が守護していたはずだったが、あまりに激しい猛火の前に、誇り高き火術師たちは退却を余儀なくされていた。
「助けて……熱い、熱いよ!」
崩れ落ちる家屋に取り残された子供の声。炎がすべてを焼き尽くそうとしたその瞬間、熱を帯びた空気が、不自然なほどの「静寂」に包み込まれた。
影の中から、三体の人形が躍り出る。
盾の人形が燃え盛る梁を支え、炎を影で押し留める。その隙に狩人の人形が魔獣の喉元を音もなく切り裂き、癒し手の人形が子供を優しく抱きかかえて安全圏へと運ぶ。リィネ自身は一歩も動かず、ただ十本の指を、鍵盤を叩くピアニストよりも繊細に動かしているだけだった。
「……信じられない。三体を同時に、これほど完璧に……?」
避難していたロレーヌ家の魔導師たちは、その光景に目を疑った。彼らの知る魔法は、火を放ち、破壊する「動」の魔法だ。しかし、目の前の少女が操る闇は、混沌とした戦場を一本の糸で調律していくような、圧倒的な「理」そのものだった。
その群衆の中には、かつて彼女を追い出した母親の姿もあった。母親は、自分の火魔法が全く通用しなかった魔獣を、こともなげに処理していく影の人形たちを、恐怖と羨望の混じった眼差しで見つめていた。
「あれは……あの魔法は、一体何なの……?」
母親は、その人形を操る糸の先が、かつて自分が「おぞましい」と断じて踏みつけにした、あの娘の魔力と同じ色であることに、最後まで気づかない。
リィネは、フードの奥で冷ややかに街の惨状を見つめていた。復讐をする気はなかったが、自分を捨てた「光」の無力さを、これほどまでに鮮明に見せつけられるとは皮肉だった。
「闇は、光が救い残したものを拾い上げるためにある」
三体の人形がリィネの元へ戻り、彼女の影の中に溶けるように消えていく。リィネは一言も発することなく、騒乱の街から立ち去った。
彼女にとって、もはや三体の操作は通過点に過ぎない。
いつの日か、数千の人形を操り、戦場そのものを一つの「劇」として終結させるほどの力を手にするだろう。彼女が紡ぐ糸は、もはや壊れた人形を繋ぐためのものではなく、崩れゆくこの世界の運命を、影から縫い止めるための楔となっていた。
静寂が支配する森の奥深く、漆黒の法衣を纏った老賢者が、眠るようにその生涯を閉じた。
「リィネ、世界は広い。光に焼かれた傷跡も、闇に沈んだ祈りも、お前の糸なら繋ぎ止めることができる……」
それが師の最期の言葉だった。リィネは涙を流さなかった。ただ、冷たくなっていく師の手に、自らの魔力糸をそっと這わせ、その温もりが消えるまで寄り添い続けた。かつて母親に拒絶された自分を、技術の深淵へと導いてくれた唯一の理解者。師の死は、リィネにとっての「安息の終わり」であり、新たな「夜の始まり」を意味していた。
師を弔い、リィネは古びた工房を後にした。背負うのは、師から受け継いだ魔導書と、彼女の影に潜む三体の操り人形。彼女が向かったのは、かつての家でも、隠者の森でもなく、多様な力が交錯する「冒険者ギルド」だった。
「属性、闇。……それと、人形使い、か」
ギルドの受付嬢は、リィネの差し出した登録証を二度見した。闇属性は珍しく、かつては不吉の象徴とされた。だが、目の前の少女から漂う魔力は、不気味さよりもむしろ、研ぎ澄まされた刃のような鋭さと、底知れぬ静謐さを感じさせた。
リィネは「リィネ」という名を捨て、師の法衣の色から取った「ノアール」という名で登録を済ませた。
最初の依頼は、鉱山に巣食う不浄の魔物の討伐だった。同行した冒険者たちは、フードを目深に被ったリィネを「お荷物」と侮っていた。
「おい、闇魔法なんて小細工、足手まといになるなよ。火魔法こそが魔物退治の王道だ」
かつての家訓と同じ言葉を吐く戦士を、リィネは無視した。
坑道の奥、逃げ場のない狭い空間で、魔物たちが一斉に襲いかかってきた時、戦士の放った火魔法は乱反射し、味方の視界を奪うだけの目眩ましと化した。
「……下がって」
リィネの冷徹な声が響く。彼女の指先が、目にも止まらぬ速さで空を掻いた。
影から飛び出したのは、三体の人形。
守護者の人形が戦士たちの前に立ち、火の粉を影の外套で遮断する。狩人の人形が暗闇の中を滑るように移動し、魔物の急所を正確に貫いていく。そして癒し手の人形が、火傷を負った冒険者の傷口に闇の糸を這わせ、痛みを一瞬で吸い取った。
「なんだ、この動きは……。三体が、まるで別々の生き物のように……!」
暗闇の中、リィネの指先から伸びる糸だけが、微かな光を帯びて星図のように輝いていた。彼女にとって、この狭く暗い坑道は、まさに自分を表現するための舞台に過ぎなかった。
魔物を殲滅し、無傷で地上に戻った時、リィネを侮っていた冒険者たちは言葉を失っていた。彼らが見たのは、おぞましい魔法ではなく、圧倒的なまでに洗練された「美」だったからだ。
「この魔法が嫌われるのなら、それでいい。私は、私の糸で世界を縫い直すだけ」
リィネは報酬の金貨を手にし、雑踏の中へと消えていった。
師から教わった「闇の真実」を胸に、彼女は冒険者として、光と影の狭間を歩み始める。その先にあるのは、かつての自分を捨てたロレーヌ家をも凌駕する、至高の魔導師への道だった。
「漆黒の指揮者」の異名が冒険者ギルドに響き渡ってから、三年の月日が流れた。
かつて、たった一体の人形に心を預けていた少女・ノアールは、いまや五体の人形を同時に操る、大陸でも稀有な「多重統制」の達人となっていた。
彼女の周囲を浮遊する五体は、それぞれが戦場における一石の役割を完璧にこなす。「守護者」「狩人」「癒し手」、そして重力魔法を操る「重圧の巨像」と、魔力を増幅する「影の奏者」。五十本の魔力糸を独立して制御するノアールの精神は、もはや人間が到達し得る領域を遥かに超越していた。
ある日、ノアールは北方の「嘆きの古城」の調査依頼を受けていた。そこはかつて、光の軍勢によって滅ぼされた異端の魔導師たちの怨念が渦巻く、呪われた地であった。
古城の奥底、ノアールの前に現れたのは、実体を持たない亡霊騎士団だった。彼らは物理攻撃を一切受け付けず、倒しても闇の霧となって即座に再構成される。
ノアールは冷静に指を動かした。五体の人形が一斉に陣を組み、戦場を制圧していく。巨像が重力で亡霊たちを地面に縫い付け、守護者がその反撃を完全に遮断する。狩人の刃が亡霊の核を正確に裂き、奏者の振動が彼らの呪いを一時的に霧散させた。
「……さすがは漆黒の指揮者だ。あの亡霊どもを一歩も動かさせないとは」
同行していた冒険者たちが感嘆の声を上げる。しかし、ノアールの表情は険しかった。
闇魔法は、闇を支配し、繋ぎ止め、制御する力だ。それは「存在」を操るには無類の強さを誇るが、同じ闇の属性を持つアンデッドを完全に消滅させる「浄化」の力は持たない。
何度切り裂いても、数分後には亡霊たちは再び立ち上がる。制圧は完璧だが、殲滅ができない。闇は闇を飲み込むことはできても、無に帰すことはできないのだ。
「……キリがないわね」
ノアールは微かに眉を寄せた。彼女の技術は、アンデッドを「無害な操り人形」として固定し続けることはできても、彼らを救済し、消し去ることはできない。皮肉にも、ここで必要とされるのは、彼女が捨てたはずの、あの忌々しい「火」や「光」の破壊衝動だった。
「下がっていて。私が彼らの動きを止めている間に、聖水を」
ノアールは冷淡に指示を出した。彼女は決して無理をしない。自分の魔法の限界と性質を、誰よりも深く理解していたからだ。五体の人形が、まるで精緻な檻のように亡霊たちを閉じ込め続ける。その完璧な「停滞」の間に、他の冒険者たちが浄化の儀式を済ませていく。
戦いが終わった後、ノアールは無言で人形を影に収めた。
「制圧」という点では誰よりも優れているが、「消滅」は他者に委ねる。その事実は、彼女にさらなる研鑽の必要性を感じさせた。
彼女にとって初めての敗北だった。
(闇で闇を消すことはできない。ならば、闇で『無』を作る術を見つけるしかない……)
ノアールは朝焼けが来る前に古城を後にした。
五体の人形を操る技術は完成されたが、彼女の探究心は止まらない。次は、闇の密度を極限まで高め、すべてを無に帰す「零」の領域へ。
彼女の指先から伸びる糸は、次は世界の何を見つけ出すのか。ノアールが進む道の先には、月明かりだけが静かに、彼女の六番目の影を伸ばしていた。
「嘆きの古城」での戦いを終えたノアールは、月明かりの差し込む安宿の一室で、自身の指先を見つめていた。冒険者たちの称賛とは裏腹に、彼女の心は冷徹な自己分析に支配されていた。
(今の私では、本当の意味で夜を統べることはできない)
今回のアンデッド戦で浮き彫りになった課題は、致命的だった。
第一に、属性の限界だ。スケルトンのような実体のある魔物なら、魔力糸で関節を縛り、物理的に動きを封じることができる。しかし、レイスやゴーストといった霊体系のアンデッドは、魔力糸をすり抜けてしまう。現状の闇魔法では、相手の魔力そのものを「捕縛」するまでには至っていない。影の奏者で振動を与えて霧散させるのが精一杯で、完全に消滅させる決定打が欠けていた。
第二に、魔力運用(MP)の効率だ。五体同時操作。それは、一人の魔導師が同時に五つの異なる高度な魔法を詠唱し続けるに等しい。今のノアールには、短時間の局地戦を制圧する爆発力はあるが、長期戦になれば先にこちらの魔力が底を突く。事実、古城の最深部では、意識が遠のくほどの倦怠感が彼女を襲っていた。
そして第三に、装備と予備の欠如だ。現在の人形たちは、師匠の遺した素材や彼女が旅先で集めた一級品で構成されている。しかし、ノアール自身は「魔法使い」であり、鍛冶師でも細工師でもない。人形が強力な一撃を受けて損壊した場合、戦場ですぐに代わりを出す「スペア」が存在しないのだ。
「……私の糸を、単なる操作の道具から、もっと別の何かに変えなければ」
ノアールは机の上に、使い古した三体の予備人形のパーツを並べた。これらはかつて練習用に使っていた粗末なものだが、今の彼女にはこれらを一線級に引き上げる技術も素材も足りない。
(物理的な捕縛ができないなら、影そのものを実体化させ、霊体の魂に直接絡みつく『魂の楔』を編み出す必要がある。そして、魔力の消費を抑えるためには、人形自体に自律的な魔力回路を組み込むか、あるいは周囲の魔素を吸収する機構を……)
ノアールの思考は、魔導工学の深淵へと潜っていく。
戦闘特化の人形を自作するための特殊な合金、そして霊体に干渉できる「銀の魔糸」や「魂喰らいの黒石」。それらを手に入れるためには、単なる魔物退治の依頼を受けているだけでは足りない。
「次は、古代の工房跡か、あるいは禁忌の知識が眠る魔導図書館ね」
彼女は手帳に、自分に足りないものを書き連ねていく。
破壊されたら作り直せばいい。装備がなければ、自分の闇で鋳造すればいい。
ノアールの中に、絶望ではなく、静かな闘志が燃えていた。
翌朝、彼女はギルドに向かった。狙うのは、伝説の「魔導鍛冶師」が遺したとされる秘境の地図。五体の人形を統べる指揮者は、自らが「創造主」となるための第一歩を踏み出した。
ギルドの喧騒は、今のノアールにとっては遠い雑音に過ぎなかった。彼女の目的は、掲示板に並ぶ「端金の魔物退治」ではない。
ノアールは、ギルドの奥にある、高ランク冒険者のみが閲覧を許される特殊依頼の書架へ足を向けた。彼女の指先は、埃を被った羊皮紙の束を冷徹な手際でめくっていく。
(……あった)
彼女の指が止まったのは、黄ばんだ一枚の羊皮紙だった。そこには、数百年前に消息を絶ったとされる伝説の魔導鍛冶師、アルジェントの遺した「黄昏の工房」に関する調査依頼が記されていた。
「アルジェントの工房……。彼は、生きた金属と霊的な繊維を融合させる唯一の技術を持っていたと言われている」
ノアールの独り言に、背後からギルドの老職員が声をかけた。
「ノアールさん、本気ですか? その工房があるのは、永久に霧が晴れないとされる『忘却の渓谷』の最深部。これまで何十人もの高ランク冒険者が挑みましたが、誰一人として戻ってきていませんよ。あそこは物理的な地図が通用しない、精神を削る迷宮です」
「私には、地図は必要ありません」
ノアールは静かに答えた。
「私の糸が、真実を導く道標になりますから」
彼女はこの三年間で、単なる「操作」ではない、闇の糸の新たな活用法を見出しつつあった。それは、空気中に漂う微かな魔力の流れを糸で感知する「魔力共鳴探査」だ。物理的な霧が視界を遮ろうとも、魔力の脈動さえあれば、彼女の指先は工房の所在を正確に捉えることができる。
ノアールは即座に依頼を受諾し、ギルドを後にした。
渓谷へ向かう道中、彼女は自分の内面と向き合っていた。アンデッド戦での敗北に近い停滞。魔力不足。予備人形の欠如。それらすべての「弱点」を埋めるためのピースが、この伝説の工房に眠っているはずだった。
(もしアルジェントの遺産が手に入れば……人形に魂を模した疑似核を組み込み、半自律型として運用できる。そうなれば、五体同時操作の魔力負荷は劇的に軽減されるはず。それに、霊体に干渉できる『幽質銀』の加工法も……)
ノアールの脳内では、すでに新たな六体目、七体目の人形の設計図が描き出されていた。
渓谷の入り口に立った彼女を、冷たい湿った風が迎える。視界は数メートル先も見えない。しかし、ノアールが指先を振ると、影の中から五体の人形が静かに現れ、彼女を囲むように陣を組んだ。
「さあ、始めましょう」
五体の人形の指先から、極細の闇の糸が放射状に放たれ、霧の中に溶け込んでいく。
それは、世界を捕獲し、再構築するための巨大な蜘蛛の巣のようだった。
ノアールは霧の深淵を見据え、一歩を踏み出した。
かつて母親に「おぞましい」と忌み嫌われたその闇が、今、伝説の知恵を暴き出し、彼女をさらなる高みへと押し上げようとしていた。




