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生誕

作者: 血路誘拐
掲載日:2025/12/01

私はさっきとても重大なものを背負った。それは今も私の肩に大きな圧力をかけている。

"これは疎まれるべき荷物ではないですよ。"

この荷物は良いのだ。なぜならば私がこれを背負わせてもらったとき、みんなはめでたそうにしていたからだ。私は祝福されてこの荷物を今も背負っているのだ。

しかし私は泣いた。誰も否定しなかった。かなり深刻な心情で私は泣いたはずだよ。でも泣くことすら私は望まれていたような気がしてならない。そんな馬鹿なことがあるはずないが。


なぜあなたは今もこれを背負い続けているのか。重いなら下ろせばいいではないか。そう言ってくれて構わない。私は背負った瞬間から泣いたのだから。しかし私は泣き止んだのだよ。今となっては私の顔に涙のあとなどほんの少しもないのだ。

"背負い続けているのは私が背負い続ける選択をしているからですよ。"

私は背負っているのであって、背負わされているのではない。誰がなんと言おうと、この重大な荷物を背負っているのは私なのだ。


荷物を背負うと同時に、私には与えられたものがある。荷物がなければ存在できないものであるが、それは荷物と対局にあるものである。

"自由に選択をしていくのだ。"

そうだ。私は自由に選択をしなければならないのだ。自由とはなんなのだろうか。選択とは責任である。私は荷物をもらった瞬間に、めでたく選択と責任に優しく包まれた"自由"を獲得したのだった。荷物を背負うのに意志などいらなかった。しかし"自由"というものはそうではないらしい。私には選択という意志が必要なのだ。いや、そんなことはどうでもいいのだ。私にはもっと大事なことがある。それはもちろん、この大切な荷物のことである。


めでたく荷物をもらうということは、めでたく荷物を手放すということと同義である。しかし今度は、そこに意志を宿すことが可能なのだ。可能という言葉は何度見ても私を苦しめる呪いのようだよ。恐ろしいことに、私は荷物を背負っている間、常に荷物を手放すことが可能であるのだ。私にとって、可能なことであるのだ。それは選択である。与えられたあの祝福のときから、ずっと選択の余地を持っていたのだ。意志を持たずに受け取った荷物が、選択によって持ち続けられている荷物へと、私が知らない間に変貌していたのだ。


私は驚いた勢いで、荷物を放り出しそうになったよ。しかし私はそれをしなかった。手放す選択を取らなかったのだ。そうだ。私がしたことは、あくまで手放す選択を取らなかったことである。選択を取らなかっただけだ。荷物を背負い続けるという選択をした覚えなどはない。

"いつでも手放すことができますよ。"

私は呪われていた。


そもそもこの荷物の中身はなんであろうか。きっと私の荷物は素晴らしいものだろう。後ろに荷物がある私は、期待をした。

"こんな素晴らしい荷物を手放すなど考えたことがない。"

そうだ。そうでなければおかしいのだ。私の荷物も、きっと何より素晴らしい。なぜならば、そうでなければおかしいのだから。私が踏み出すと、後ろから鈍い音が鳴り、私の脳を貫いた。素晴らしい音だ。誇らしげに少し顔を後ろに向けると、嫌な光を放つ金属が、カラと脇に移動し顔を出した。私は嫌な顔をし、後ろのものを叩いた。意図はないが、これが私にそうさせたのだよ。すると荷物はそこにクレーターを作り私に怯えた。私は前を向いて歩き出した。


しばらく荷物と道を共にしたが、こいつは世間がなす攻撃に弱いようだった。私がいちいち守ってやらないとダメらしい。こんなもの、背負っているだけ邪魔であった。しかし私は背負っていた。こんなものを死守することに努めて、なんなのだろうか。なぜなのだろうか。それはただ、私が手放さなかったからだ。こんな荷物とは早くおさらばしよう。そんなこと随分と前から考えていたものだよ。しかし私にはないのだよ。私はどこまでも"自由"で、私にはどこまでも責任がまとわりついてくるから。自由になるには勇気がいるみたいだったよ。ぬくぬくと選択と責任に囚われに行く勇気がね。


救いとして、ひとつ決まっていることがあるみたいだ。私がどれだけ"自由"にしていようと、最後には荷物は自ら飛んでいってくれるらしい。これは楽しみでしかたない。あんな馬鹿げた祝福の日は、何もめでたくなんかなかったのだ。わかっている。最初から私はめでたいだなんて言っていなかっただろう。私は泣いたのだから。この世の全てに絶望したように泣いたのだから。そもそもあのときあの時点で、どこに希望があっただろう。絶望とは、どんな望みが絶えたことだったのだろう。あの日私は、希望を見たのだね。希望を見たことが絶望だったのだね。


選択の権利を与えられるということは、強制的に選択が可能な立場に置かれるということだ。私は心の底から感謝したいと思うよ。しかしどうしてもできないのだ。感謝ができる私であったら後ろの荷物にクレーターなど空いていないよ。素晴らしい荷物だ。この中には、新たに荷物を生み出すための道具が入っているのだ。私は使えなかったよ。何も思っていない。ただ新たに荷物を作る理由が私にはないのだ。作らないという選択をしたのではない。作るという選択をわざわざ取るような人間ではなかったというだけだ。私の歩みには、何があったと言うのか。ここから先の道を歩んで何が得られるというのか。私にそれを知る由はないし、知りたいとも思わない。そして、ここで新たな荷物を作っても、私には関係のないことだ。それはもう私ではないのだから。


私には理解できないが、荷物の中身をキッチリ活用するパターンもあるのだね。きっとそれは、活用しない選択を取らなかったんだよ。そうだ。与えられたものを活用しただけなのだ。そこには最初から意味も目的もないのだ。私は最初に背負ったときからそれを知っていたよ。この素晴らしい荷物を背負えたことは栄誉なのだ。きっとそうだろう。あの日のみんなの笑顔の説明としてそうあるはずだ。おお、そんなことを考えるのはやめだ。日が昇れば、明日も悲劇の日の周期がめでたくやってくるぞ。いやはや、大変めでたいね。今年も迎えよう。結局、晴れてそこに転がった荷物を守っていた日々は、クレーターを作るほど苦痛なものだったというだけだね。

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