第3話 水の祝福 ――流す者、流される者。
──アルノー・クラフトの手記──
お嬢様の異名は、早馬よりも早く社交界に広まりました。
何よりもクラウディア様が嬉々として、ありとあらゆる場で広めていったのです。
そして同時に、その異名をお嬢様ご本人が気に入っておられること──
それこそが、最大の問題でした。
私自身、そのことが不思議でならず、お嬢様にそれとなく尋ねてみたのです。
答えは、私を地の底へ突き落とすものでした。
「赤薔薇嬢の名は、私が私らしくいる証。
そして私を愛し、応援してくれる人がいる証拠ですわ。」
ああ、この方は“善意”しかご存じないのだ。
社交界から向けられる蔑みの視線ですら、自身への憧れと受け取ってしまわれる。
例えそこが地獄でも、お嬢様にとってそれが素晴らしい場所であるなら──
そこは楽園なのだろう。
ただ、私のこの悩みも長くは続かなかった。
運命とは、かくも不可思議で、人智を超えたものであると思い知らされるのだった。
◇ ◇ ◇
──セレスティア──
公爵家から、私にお茶会の招待状が届いた。
とうとう、ここまで昇りつめたのだ。
どんな目で見られようと、お茶会では真っ赤なドレスを着た。
義理の母さんと妹には泣かれたけど、私は自分を貫き通した。
きっと誰かが、あたしを推してくれたんだ。
明日は、あたしがもう一段上にあがる日。
うーん……緊張したらトイレに行きたくなっちゃった。
トイレといっても、オマルなんだけどね。
もしかして、公爵家もオマル使ってるのかな。
──明日、聞いてみよう。
◇ ◇ ◇
──アルノー・クラフトの手記──
どうしてこのようなことが起きるのだろうか。
私の信じている神は、何をお考えなのだろう。
お嬢様が……公爵に気に入られてしまった。
今思い出しても、あれは恐ろしい体験だった。
「トイレはどうしてますの?」──お嬢様が公爵様にそう尋ねられたのだ。
地獄の釜が開き、この世が闇に落ちていくような気がした。
しかし、公爵様は笑い出すと、どうしてそう尋ねたのかを逆に聞かれた。
それがまさか、あのような事態を招くとは思いもしなかった。
公爵様はお嬢様に技術者を与え、新たなトイレ──
お嬢様の言うところの「水洗トイレ」なるものを開発させたのだ。
結論から言わせていただく。
水洗トイレなるものは、大変な成功を収めた。
今まで香を焚き、香水を振りかけることで見て見ぬふりをしてきた“匂い”が、屋敷から消えたのだ。
まずは公爵家の別邸、そして当家の屋敷。
そこでも成功を収めたお嬢様は、公爵家全体の水回り改修まで指揮を執られることとなった。
常識の枠から外れてしまったお嬢様──
それは、もはや天賦の才を持っておられたということなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
──セレスティア──
やっぱりトイレは水洗じゃないとね。
用を足し、水を流す。
そういえば、公爵家の技術者の子──マイケルだっけ。
めっちゃかっこよかったなぁ。
推せる。……いや、違う。
今や私は“推される側”だ。
このあとも打ち合わせは続く。
いつか彼に私を“推させてみせる”。
──しかし、今日のマイケルは可愛かったな。
トイレの流れる先をどうするかで困っていたから、
「川に接続したら?」って言ってあげたの。
そしたら、「セレスティア様の発想には恐れ入ります」だって。
ああ……推せるわ。
いつか二人で、推し合いたいわ。




